遅刻

穂荒ワンドロのお題「遅刻」お借りしました、第一回開催おめでとうございます そして素敵な企画を本当にありがとうございます🥳
穂(→)←荒の穂荒が、これから付き合うことになる話。大学進学後に隊解散の話をしてます

 待ち合わせの時刻はもうすぐだ。今日は珍しく穂刈のクラスのホームルームが長いから、俺が先に待っている。
 いつもなら、穂刈が必ず先にいる──学校が終わり、週に一度、隊でのミーティングをする木曜日はこの喫茶店に迎えにくる。高校一年のときからずっとだ。

 六穎館のすぐそばにある、古いが造りのしっかりした一軒家を改築して作られた喫茶店は、高校入学のときから目をつけていた。じいちゃん子の俺は祖父が好きそうなその店を眺め、次の日にはドアをくぐって中に入っていた。
 木製の壁と床、カウンターが横たわる他は、テーブル席が三つ。窓際の、季節外れのひまわりが飾られた席に座り、外の景色を見つめる。低さを感じる椅子、古ぼけたメニュー、紙ナフキンと砂糖入れ。無駄のないさっぱりした内装と卓上に、俺は好感を覚えてすぐにその場所を気に入った。
 本部からほど近い距離にある高校は、待ち合わせをしてわざわざ行くような距離でもなかった。それでも穂刈は、
「迎えにくる、学校が終わったら」
 と言った。
 俺はあいつの好きにさせた。ミーティングのまえに二人で話しておきたいこともあったから、ちょうどいいと判断したのだ。だから、待ち合わせ場所にこの喫茶店を指定した。
 忙しい毎日のわずかな隙間を縫って二人で話す時間を、貴重だと思った。隊のこと、ボーダーのこと、勉強のこと。ときどき、高校生らしい悩みも混ざる。主に、付き合った、別れた、長続きしないな、お前もな、という応酬をするだけ。結局彼女ができたのは互いに一、二回きりで、今ではその話題も遠い過去になった。
 すぐに隊の話にすりかわり、俺が打ち立てた理論の完成を「楽しみだな」という穂刈の言葉で締めくくられ、席を立って本部へ向かう。
 ──ただ、穂刈から初めて「告白された」と言われたとき。そして、「彼女ができた」と言われたとき。胸を刺すとげがあったことは言えていない。

 カランと喫茶店のドアについているベルが鳴った。大きな図体のわりに静かにこちらへ近寄ってくる人影──穂刈は、少し息を切らしている。
「遅刻だな」
「悪い、テストの話になると長くてな、担任は」
 いつもは俺が待たせる側なのに、穂刈は律儀に謝ってくれる。冗談だ、と手を振ると、穂刈は笑って席についた。
 穂刈に運ばれてきたアイスコーヒーに注がれるミルクは、渦を巻いて下へ落ちる。氷と氷の合間を滑ってぐるりとまた円を描いた。ストローでかき混ぜると、黒と白はやわらかな色に変わる。穂刈は必ずそのやわらかい色を生み出してから、
「なにを話すんだ、今日は」
 とミーティングの確認を始めようとする。
 それを俺は、とても好んだ。忙しい毎日の中で、この木曜日のひとときは、張り詰めていた気をふと抜くことができた。

 ◇

 ──荒船隊の解散を決めた日も、喫茶店の中は明るくて、あいかわらず季節外れのひまわりがよく育っていた。
「そうか」
 と穂刈は短く告げる。大学進学をしてから買ったナイロンパーカーが、よく似合っていた。
 上層部にデータと論文を提出した。理論上、あの提出した内容でいけばボーダーの今後に大いに役立てる。話だけを先に通していて、論文を眺めた上層部の面々の顔色は非常に良かった。その日のうちにふたたび本部に呼ばれ、早速指導教官として立ってほしいと頼まれた。
「良かったな、本当に」
 穂刈は己のことのように喜んでくれた。コーヒーの水面に浮かんでいる自分の表情も、今日ばかりは晴れやかな顔をしている。
「もう話したのか、半崎と加賀美には」
「これからだ。先にお前に話しておこうと思って」
 話されるのが先か後かを気にするような男ではないと思うが、穂刈はその言葉に小さくうなずいていた。
「きっと、二人もわかってはいる。もうすぐ解散だろうってことは」
 やっぱり、気にするような男ではなかった。気にしていたのは、他の隊員に対する心配りだった。つくづく、そういうやつだよな、と思い知らされる。
「ミーティングでちゃんと話す。でもお前とは、」
 言い淀んだ俺の顔を見ながら、穂刈はストローでコーヒーを吸うのをやめた。いつもなら器用に、飲み食いしながらでも話を聞けるやつなのに。
「お前とは、結成から一緒だったから」
 穂刈は黙ったまま、こちらをうかがっている。俺は相手にバレないように、下唇の内側を噛んだ。
 こんな言い方じゃ、隊を離れたらそれまで、と言っているようにしか聞こえない。
 ──俺と穂刈は同じ大学へ進学し、学科の違いがあるから教養課程でこそ一緒のときはあるが、選択授業はまるでかぶらない。高校のころより、むしろ近くにいるのに会えないジレンマは多かった。
 けれど大学に入っても、穂刈との木曜日、この喫茶店での時間は変わらず続いた。木陰のひんやりとした空気を受けて入口をくぐり、穂刈の待っている席へつく。穂刈は冬以外はほぼアイスコーヒーを頼むし、俺は季節を問わずホットコーヒーを頼んだ。一度、夏の暑い日にアイスにしてみたこともある。混ざりゆくミルクとコーヒーを穂刈と一緒に眺めるのも悪くないな、と思ったが、やっぱり次の回ではホットに戻した。
 ホットにすれば、水面に映っている自分の表情を確認しながら、話をすることができるからだ。
 今日も穂刈は待っていて、俺たちは話を始める。ときどき黒い水面に映る顔が、ちゃんと取り繕えているかたしかめる。
 いつか心に刺さったとげだって、まだ抜けていない。とげの正体はさすがにもうわかっているし、今さら抜くのもな、と思う。
 近頃は、穂刈といると、変わることはなにもないと思えてくる。だから無闇に伝える必要はなくて、このままでいいと感じた。
 けれど。
……寂しくなるな、隊でも会えなくなるのは」
 穂刈はそう言って、顎に手をあてて考えている。
「寂しいと思うのか」
「思うさ、今生こんじょうの別れでもないのにな」
 そうか、寂しいのか。俺は腹にストンとなにかが落ちたのを感じた。
 社交辞令を言うようなやつではないから、本心のまま話してくれたことをわかっていて、わかっているから余計に気恥ずかしくなる。寂しい、と大学生にもなった男に素直に吐露されるとは思わなかった。
……とげが、」
「とげ?」
「とげが、ずっと刺さって、消えねぇんだ」
 穂刈は首をかしげていて、どこか痛むのかと手に触れてくる。本当に木クズかなにかのとげが刺さっているんじゃないか、と心配している。違う方向の心配に、しかし心のささくれは収まって、とげももしかしたら、簡単に取れてしまうかもしれない。
「お前に昔、彼女ができたって聞いたときから刺さってる」
 だから俺も素直に吐き出してみた。一体いつから、俺は穂刈を好きだったのか。一体いつから、ホットコーヒーばかりを頼んで、表情を取り繕うだなんて慣れもしないことをしてきたのか。
 穂刈は驚いた顔をしていた。驚いて、次いで顔を赤くしている。あまりにまっすぐな反応に、こっちも顔に熱が溜まった。
 まだ、間に合うだろうか。お前のことを好きだってことを、言ってもいいだろうか。この喫茶店での待ち合わせみたいに、遅刻してはいないだろうか。
 穂刈はアイスコーヒーのストローを回した。ゆるやかな渦が生まれて白と黒が混ざり合う。ずいぶん長い時間のように感じた。けれど、やがて層が消え、ただ一色に形作られたとき、きっと穂刈は話してくれる。
 そのアイスコーヒーは、混ざり終えたあと、いつも通りやわらかい色合いをしていた。