wtらしくない水上の話

編入してきたこう君と、話すきっかけが掴めない不器用みずかみ君の話、cp無し
日常verグッズの二人がアイス食べながら歩いている経緯が、こうだったらいいなと思って書いたお話でもあります

 黒板に書かれた硬質な文字は「村上鋼」と書かれていた。むらかみこう、とあとからふり仮名がつく。
 C組の、少し神経質そうな縦長の文字を書く担任教師は、黒板から向き直り、自身の横に立つ編入生を紹介した。彼はボーダーで、スカウトでここにやって来たという端的な説明──それだけで終わった。
(俺のときもそうやったな)
 担任は編入してきたばかりの自分にあまり深く話させようとはしなかった。紹介のあとには「席はあそこだから座れ」とだけ。意外と大らかな教師に、自分も好感を覚えたものだ。
 ──村上という男は、曇りがかった目で静かに机と机の間を歩いた。女子生徒の後ろに配置された空き机は、まえから村上のために用意されていたから他の生徒のものより真新しい。らくがきも、誰かがなにかを彫った跡もない。
 村上は、背筋を伸ばして前を向いた。姿勢がいい。おどおどしているのかとも思ったが、そういうわけではないらしい。ただ、新しい土地、校舎の空気、慣れない人たちの雰囲気、自分に刺さるちょっとした好奇の目に、村上は緊張はしているようだった。みんなにはわかりづらいだろうが、同じスカウト組だった自分には、理解できる緊張感だ。
 周囲からの視線を集めることには同情した。けれど、うまい具合に気を遣ってやれるほど、俺も人ができていない。
 くるりとペンをひとつ回す。もう一回、動かす。机の上にカタンと音がしてペンが落ちた。二回目をミスするのは珍しい。音に気づいたカゲが、そっとこっちを見た。
 ホームルームがまもなく終わる。村上を見れば、教師の話が終わったあと、目の力をふっと抜いて、どこか遠くを見ているようだった。
「呼ばれてる、水上」
 穂刈が教室の入り口を指した。
 次の担当教科の教師が、廊下から顔を出している。近づけば、教科で使う道具を運ぶのを手伝ってほしいと言われた。ポケットに手を突っ込んで、いそいそ歩いて廊下を出る。ちらりと教室を振り返ると、村上はまだぼんやりとしていた。

 教室に戻ると、村上は何人かの男子生徒や女子生徒に囲まれていた。わからないであろうと気を遣い、世話を焼く連中というのはどこにでもいる。ボーダー以外のことなら村上にとってもクラスメイトに聞くのが助かるだろう。一人一人からの質問や申し出に、丁寧に応えていた。
 ただときどき、曇りガラスみたいな目を鈍く光らせて、誘いを断ったりしている姿もある──主に部活をやっている連中からの誘いだ。
 村上がサッカーをやっていたと言ったあとに、サッカー部の何人かが、
「ボーダーのない日、練習に付き合ってくれないか?」
 と言ったのだ。
 まだこっちに友達のいない村上には、いい機会だろうと思う。それなのに、申し訳なさそうに首を横に振っていた。
 ──俺は、小さな違和感を覚えた。
 世の中にはいろんな人間がいて、表裏は別人格かと思うくらい違うこともある。その裏を読もうとするやつもいれば、堂々とさらけ出すやつもいる。
 村上はどちらでもない気がした。純粋無垢な匂いがする。友達との距離を置かなければ、と強く決めているようだった。けれど、本当は友人たちと関わっていきたかった、と後ろ髪を引かれる思いが、背中からひしひしと感じられた。カゲも、穂刈も、遠目からその様子を見て察している。
 もしかしたら、村上は、ボーダーに入る人間として一番最適なのかもしれない。三門に来て、周りとほどよく一定の距離を保てば、万が一自分がいなくなっても、悲しみは少ない。

 ◇

 村上が友人と一定の距離を置く理由は、意外と早く知れた。
 村上とよく話すようになった穂刈が聞いたのだ。小中学の話、グループから孤立したこと。
「サイドエフェクトね……
 思わず、ここ一年足らずでずいぶん親しくなったもう一人のサイドエフェクト持ちを見やった。「なんだよ」と悪態をつかれる。
「テストまえやったら、えらい重宝されるやん」
「本人もそう言っていた、だから釣り合いが取れてるんだと」
「釣り合い?」
「勉強には支障がない、代わりに友人は作れない」
 そのときの村上の言葉を反芻しながら、穂刈は言った。
 世間にサイドエフェクトはかなり周知されるようになり、特にボーダー関係者とも密接な繋がりのある三門だ。別にそこまで線を引く必要はないのでは。俺は村上の根深い傷を感じずにはいられない。いられないが、だから俺がなにをどうこうできるはずもなく。
 カゲが、頬杖をつきながら俺を眺めた。
「まあ、んなのはボーダーにいりゃ気にならねぇしな」
 ボーダーであれば、サイドエフェクトは認められ、技を盗むも取るも合法である。逆に、己をそうして磨いていかなければ、いつまでもC級止まりだ。馴れ合いにきているわけではない。
「村上、ポジションどこになったん」
「攻撃手だ、カゲと同じ」
「配属は?」
 俺が立て続けに質問をすると、穂刈はなにかを言いかけて、次いでニヤリと笑った。
「水上、聞かないのか、本人に」
 まれに、こいつはうっすらと人を見透かすようなことを言う。カゲもそうだ。ボーダーに長くいると、知らずとそういう人間になっていくんだろうか。
 こいつらは暗に、俺がまだあまり村上と話したことがないのを知っていて、そそのかしている。
「県外から来て右も左もわかんねぇって言ってたな」
「カゲ、お前いつからそんな他人にやさしくなれてたん」
 カゲは往来なんだかんだで面倒見のいい男だが、今のこれは、明らかに俺をからかう目的の方がデカい。
 穂刈がそれに乗ってさらに言葉をかぶせる。
「同じスカウトのやつがクラスにいるのか、ってこの間初めて知った顔をしてたな、鋼は」
 鋼って。俺がまだ名字で呼んでたどたどしいのさえ、二人には笑われているようだ。舌打ちをすると、ますますニヤける二人に腹が立つ。
「話せばいいんやろ、話せば」
「さすが水上、早いな、話が」
 お前らは村上のなんなんだよ。そう言いたかったが、二人があいつに気を遣うのもわかる気はした。
 村上は、まだ少し過去を背負いすぎている。

 ◇

……で、結局チャンスもないままかい)
 俺が鋼と話す機会は、あれからほとんど得られていない。かろうじて、鋼と呼ぶのは許された。防衛任務でいなかった俺の分のプリントを持っていてくれた(今思えばこれも、穂刈かカゲの差金さしがねにしか考えられないが)鋼が、わざわざ俺が来るのをクラスで待っていてくれて、声をかけたのがきっかけだ。
 けれど、そのときは鋼の配属先と、「村上じゃなくて、鋼でいい」ということと、それぐらい。
 鋼は、相変わらずほどよい距離を保ちながら、他の連中とも少しずつ打ち解けていった。気がつけば学校の設備にも慣れ、教室を探すのに迷わなくなった。休み時間に一人で立ち上がり、先生にわからないところを質問しにいったりもする。廊下を歩くと、何人かに「おはよう、鋼」と声をかけられ、その背中は自然と空気に馴染んで学校に溶け込んだ。
(もう俺が特に話せることないやろ)
 あいつの配属になった鈴鳴の話ができるわけでもない。生駒隊とのつながりを見出そうとしたが、それも薄い。師匠である荒船の話や、よく食べにいくというかげうらの話ができるやつらは俺以外にいる。
 頭の上で手を組んで、天井を向いた。教室の無機質な蛍光管が、替えたばかりで明るい。明日は学校も休みだから、この景色も今だけだ。

 ◇

 晴れた夏の日、スカウト組に割り当てられた寮から家を出た。本当はこんな暑い日に出たくなかったが、ちょうど切らしている食料品があって、渋々買いに行かなくてはならなかった。
 隣室や別の階に住んでいる生駒隊の面々に借りるという手も考えたが、それぞれ個人ランク戦や狙撃手の合同演習に行っていて留守だった。マリオもいない。つまるところ、炎天下の中を外に出る条件は整いすぎていた。
 スーパーへ行くには散歩にはちょうどいい距離なのだが、こうも暑いとそんな距離も恨めしく感じる。途中のコンビニに寄りながら、涼ませてもらおうとサンダルを履いた足を向ける。
 ──コンビニの横、レンガ造の花壇のそば、大きな木陰の下に見知った顔がいた。
 そいつは顔を上げると、あ、と放ち、ほほえんだ口の形のまま「奇遇だな」と言った。
「水上の寮、ここら辺なのか?」
 笑んだ表情のまま穏やかに聞いてくる鋼は、もう一度、あ、と今度はちょっと残念そうな声を上げた。
 よく見れば、鋼の座っていた花壇の近くに、ひらりと尻尾が見える。すぐに尻尾は茂みの下に潜り込んでくるりと向きを変え、猫の顔がじっとまえを見据えていた。こっちを警戒している。
「行っちゃったか」
「俺が急に来たからやな」
 ……まえにも、こんなことがあった。隠岐が猫と戯れたくてじりじり寄っていたところを、後ろから用があって声をかけた結果、猫に逃げられた。そのあと隠岐に延々グズられたのだ。
 鋼はどうだろう、隠岐ほど猫に対して執着があるのか。様子を探ると、さっぱりと猫に別れを告げて、花壇のふちからもう立ち上がっていた。
「水上は、買い物か?」
「あっちのスーパーまでな」
 今さら気づいたが、鋼は私服だった。けれど、学校へ寄ったり図書館へ行ったりしていたと言う。
「任務が続いたから、課題が終わらなくて」
「ああ、えらい量が多かったな、今回の」
 夏休みが近いから、受験の追い込みとして課題を出してくるんだろうか。いつもゆったりと構えている担任教師が、ちょっとだけ眉間にしわを寄せていたのを覚えている。
「おかげで、編入してから学校と支部以外をあんまり知らないんだ」
 だから猫に会えたのも、嬉しくて。鋼はそう言ってはにかんだ。
 ほお、と俺は小さく返事をする。なるほど、今日の予定は午前でどうにか終えて、午後は散策をするつもりだったのか。身軽そうな格好をしている。
「あんま歩くと、熱中症になんで」
「そうかもな、さすがに暑い」
 それじゃあ、と手を振ってコンビニへ入ろうとする鋼に、
「俺も入るわ」
 と声をかける。
 かけたはいいが、なにを話したらいいのか。穂刈とカゲの顔が頭に浮かんだ。話してやれ、という二人のからかいに乗ってやるわけでは決してない、決してないが。
 鋼の曇りがかっていた目が、近頃では少しずつ晴れてきている。雲間から日が差すように、ときどきではあるが光も見える。こうして笑うようにもなった。それにもうちょっとだけ、助力したいと思うのは、本当に自分らしくない。
 ただ、せめて少しばかりは、肩の力を抜いて楽しめたらいい。
「なにか買うのか?」
「んー……まあ、そんなとこ」
 いつもなら饒舌に、適当なことを並べられる口も頼りない調子で、本当に鋼といるとうまく体勢を保てない。多分それは、この男が人の裏をかいてきたり、人の心理を暴くような男ではないからだろう。人並みにからかったり、冗談を言ったりはするが、あくまでまっすぐな人間というものに、自隊の隊長以外で会うのは初めてかもしれない。
(ここ数年で二人もそんな人間に会うなんて、まるで)
 まるで俺には、そこが足りない、と言われているような。
 試練かなにかか? と疑いながら、ひとまず一緒にコンビニの自動ドアをくぐった。涼しい風が体を通り抜けて、安堵する。
 さてなにを買おうかと、うろうろ視線をさまよわせて、目新しい物がないかをチェックした。
 鋼は後ろをついてきたかと思いきや、ふと足を止めて違うものを見ていたりする。コンビニが初めて、というわけではないと思うが、観察してみることにした。
 ──鋼は、三門限定のカップ麺を見ている。と思ったら、その横にあるボーダー関連のグッズが陳列されているのを崇めていた。手にとってしげしげと物珍しそうにしている。鋼の地元には、たしかにどれも無いものだ。
「水上、これ、」
「おん、気になるのあったん」
「すごいな、嵐山さんの小さいフィギュアだ」
 子どもみたいにはしゃぐ目は輝いていた。手には言葉通り、小さい嵐山さんを持っている。大事そうにつまんで、壊れものみたいに陳列棚に戻した。
「なかったんか、鋼の地元には」
「ないな、ボーダー関連のものはすごく少なくて……だから本当になにも知らないでここに来たんだ」
 テレビでは流れるだろうが、この様子だと鋼は情報誌も読まないだろう。スカウトされてから、ネットで調べたりはしなかったのだろうか。俺は、自分がスカウトされたときのことを思い出した。

 ──大阪にて。将棋をさし終えた、今日みたいな暑い日。会館の近くを走る道路沿いで、喫茶店に招かれ。くらりとする太陽の中なのに、スカウトにきた人間は汗一つかいておらず、俺は額にじんわりと滲む汗をハンカチで拭った。冷房が効いていたから、俺だって相手と同じように汗なんてかくはずないのに、これは体の内側から溢れてきた期待なんだということを思い知る。なにか、面白いことを提供してもらえるんやろうな、という期待──こんなところでも鋼との違いを感じた。

 鋼は高揚した気分のまま、コンビニの入り口に一番近い売り場までやってきた。
 冷凍庫がある。そばを通るだけで冷えた空気を感じる。
「これ、見たことないな」
「どれだ?」
 中身を覗き込んで、鋼も自分も、地元で見たことのない味がないかを話した。
 それは他愛のない話で、過去への気遣いや余計な詮索のない、無駄話とも呼べるものだった。今日は鋼に会ってから、ずっとそんな話題しか口にしていない。そういえば、くだらないことを話すだけでも人間関係というのはうまいこと築かれる、と今さら気づいて心の中で笑う。
 なにも、面白いことなど起こさなくていい。日常とはそういうものだ。
(話すきっかけなんて、なんでもええんやったっけ)
 アイスを二本取り出した。鋼が財布を取り出そうとすると、「ええよ」とぎこちなく返す。
 鋼が三門に来て初めてのコンビニでの買い食い。本当に大したことのない、取り止めのない日常の一コマで、今後こんなことはきっと穂刈やカゲあたりと幾度となくある。
 けれど、たしかに鋼の一回目の体験は今この瞬間で、自分でも体験させてやれることができた。自分らしくない姿に俺は小さく鼻で笑うと、コンビニの外でアイスを受け取った鋼が、さらに追い討ちをかけてきた。
「ありがとう、やさしいんだな水上は」
 朗らかな笑みをたたえた顔で言われれば、こっちは人差し指で頬をかくことしかできない。うららか、とは呼べない暑い日の午後。じわりと浮かんだ汗は、照れて赤くなってしまった頬を冷やしてくれた。