夏バテ

同じ題材でそれぞれのcpで書いてみようと思い立ちました。何年か一緒にいて、家は別々。みずかみ君が訪問した夜の話。長く一緒なのに、まだわかりづらい愛情表現をする人たち。

『夏バテ』水隠岐水

 残暑。喉を通り過ぎるビールはうまいと思う。だが、そのあとにつまみが並んでいくたびに、胸のあたりをうろうろとするなにかが現れ、まるで堂々巡りをしつづける動物園の動物のように、ずっと居座っている。ゆっくり、ぐるぐると、隠岐の中でなにをしでかすわけでもなく。
(せっかく用意してもろたのにな)
 隠岐の考えることはただそれのみだった。食べたい。相手が心を込めて(いるのかどうかは果たしてその表情からはちっとも読み取れないのだが)作ってくれた料理を食べたい。箸を動かす手は、体の信号を伝えてひじを持ち上げ、二の腕の筋肉を使い、最後は手首を少し曲げ、大皿の上にある肉をつかもうとした。
 その肉は、ひょいとさらわれる。あ、と声をあげて隠岐は目の前の人を見た。本日のシェフ兼隠岐の一つ上の先輩が、夏の湿気をまだまとったようなじっとりとした目でこっちを見ている。
(嫌やなあ、バレてしまう)
 とっさにそう思って、取りつくろう笑みを浮かべるのは自分の常套手段だ。けれどそれは悪手だとわかっている。何度もこの先輩に、この表情は見抜かれ、さんざんな目に遭っている。
 風邪をごまかせば「嘘やろ」と言われ、ちょっとした食あたりには「薬あんのか?」とすでに引き出しの中を物色され。
 今日も、玄関にそろった隠岐の靴が久しく外出をしていない様子を表しているのを、不審に思われていた。こんな天気の良い日が続いた週末、隠岐が猫を探しに行かないはずがない。それが、本日訪問してきた男──水上の言い分だった。
……え、えーと、」
「なんや」
「すんません、また夏バテ、です」
 皿の上の肉はない。食べるとなれば意外と入ってしまう水上の、細身の体に吸収された。その代わり、サラダと豆腐とぬるいほうじ茶が、無言でよそわれ、隠岐のまえに置かれる。気づけば湯船に温かい湯気が立ち、布団はそこまで厚手ではないものを敷かれた。扇風機の風が心地よく、隠岐はエアコンをつけていないのによく眠る。そんなことは、ここ数日でなかった。
(今年もまた、やってしまったなあ)
 水上は、隠岐の夏バテは毎年のことであるのに、「もっとはよ言え」と決して言わない。言わないで、隠岐が隠岐なりに数日の間水上に気を使うのを、ちゃんと受け止める。
 一度、隠岐は間違えた。「先輩、怒ってはる?」と聞いたのだ。これは四年まえにやった失態。怒ってはる? と聞いたら、水上は怒った。眉間のしわをより一層深くして、まるで威嚇だ。この世に猫に威嚇されることほど悲しいことはない、と思っていたが、隠岐はそれを上回るいいようのない申し訳なさを感じ、その日は一日反省しきりだった──彼は怒っていない、心配をしてくれているのだ。
 ただ、毎年どうしても胃が弱るのは、体質的にどうすることもできず。こうして水上の厚意に甘えるのにも、ようやく慣れてきた。
 ……いろんな厚意をもらったが、一つだけ、隠岐にはそれが本当に水上がくれたかわからないものがある。
 それはまさに、今だ。夏バテの体を横たえて、うつらうつらとしているとき。現実か夢かわからない世界で、隠岐の腹をそっと撫でる手を感じる。その手から放たれるわずかな熱は、毎年隠岐の腹の中にいる夏バテを起こす動物をしずかになだめ、蕩けさせ、自分が目を開けると、止んでしまう。
(寝てる間だけしか、やってくれへん)
 だから自分には、水上がくれたものかはいまだにわからない。わからないから、感謝を述べる機会を失ったままでいる。
 隠岐は今年も、こうして夏を乗り切る。