不慣れを愛す

付き合って五年経つ二人のお話。一緒に住んでます。穂は自隊があり、荒は本部勤務ののち、ボーダーが斡旋してくれた企業で就職したみたいな設定です。

『不慣れを愛す』

「花とか、どう?」

 ──穂刈は、今日という日を少し特別に思っていた。荒船と一緒になろうと決めてから、五年経つのである。十年ではなく、五年。そうかしこまることはないだろうし、荒船も気にしていないだろうとはわかっている。
 けれど穂刈は、特別に扱いたかった。世の中にある行事ものや記念日は、特に大事にする男である。荒船に関わることであれば、なおさら。
 いろんな人に聞いて回る。「したいんだ、なにかを」と唇を尖らせ声を落として聞けば、友人たちは照れながら鼻をかく穂刈に苦笑しつつ、あれこれと考えてくれる。
 そうして最後に、ちょうど防衛任務帰りで一緒になった犬飼に聞き。
 穂刈は今、花屋のまえにいる。

 店員に、ラッピングを包んでもらっている間の待ち遠しさというか、面映おもはゆさというか。とにかくそういう気分が、穂刈の胸のあたりを花と同じように丁寧に包むころ、時計の針は一つカチリと進んで、「できましたよ」と言う店員の朗らかな声が聞こえた。
 会計を済ませてその花束を持つと、長身の自分に対して小さく可憐すぎて、うろたえる。もともと無表情な穂刈は、表立って困惑しているのがわかりづらいタイプではあるが、さすがにこれは初対面の店員でも理解したのか「花束用の袋に入れましょうか?」と申し出てくれた。
 あじさいを選んだ。緑と白という、一般的にイメージされるものと少し離れたカラーリングの集まりと、その脇役として添えられた濃いグリーンが穂刈の手のうちで咲き誇っている。この花たちのように堂々と持ち帰って、荒船に渡せばいいのだ。しかし不慣れ、というのは厄介だから、穂刈にいつまでも、油を差し忘れた機械のようにぎこちない動きをさせる。

 花屋からの帰り道は、いつもより景色が違って見えた。視野が広がり、あたりの目が珍しく気になる──つまり、気恥ずかしい。私服に、履き慣れた靴、使い古したリュック、そこに、細身ではあるが真っ白いラッピングペーパーに包まれた花。花屋の名前が入ったビニールの袋に入れられ、ほんのわずかに花弁が顔を出して、中で揺れている。穂刈を形作る全身の中で、ただ一つそこだけが、夕日に反射してまぶしい。
(帰るころだろうか、荒船は)
 袋を持ち直したり、持ち手を指だけで引っかけてみたりしながら、長い帰り道を歩く。帰路を長く思うのも、花の入った袋を持つ穂刈の手が汗を握っているから。穂刈の足であればすぐに帰れるものを、そこの公園で座ってみたり、用もないのにコンビニへ入ったり。雑誌をめくるうち、
(だめだ、しおれる、花が)
 と思い直し、決意を固める。コンビニのライトが雑誌を映した。読んでいたページは逆さまだったし、コンビニを出る直前、店員には不審な目で見られた。
 まだ舗装したてのアスファルトの道は、足で踏むとやわらかに感じる。決して気持ちが変に弾んで、そう感じているわけではないと思いたい。自宅近くまでのびるそこを歩きながら、五年の日々を思い返す。
 荒船と長らく過ごしていて、些細なケンカやすれ違いはあったが、一度として離れようと考えたことはない。だから記念日を大切に胸にしまいこむのではなく、自分からまずは改めて、大事にしていることを伝えたかった。
 荒船が、自分の横にいるのを不思議に思うときがある。もしかしたら明日には覚める夢ではないか。朝起きて、横で眠る顔を見ると、そうではないことに安堵する。五年まえの自分が、あのときああ言わなかったら、この現実はなかった。
 ──暮れてくる日を背に、穂刈はアスファルトの道を進もうとした。
「穂刈?」
 橋の向こうの、街路樹のそばに、よく見知った顔が現れる。夏の終わりの陽炎が見せているのかと思うほど、繊細な線だった。しかしそんな揺らめきは、彼のはっきりと澄んだ声がかき消し、荒船がそこに立っているという存在感をすぐに湧き立たせる。
「もう終わったのか」
 意外、とでも言うような口ぶりだった。たしかに、いつもの帰宅時間にしては早すぎるし、スーパーにも寄らずにここをうろついているのも滅多にない。そういえば、スーパーで買い物をしてくるべきだったな、と穂刈は思わず反省した。明日は二人とも休みなのに、冷蔵庫の中身が心もとない。そう冷静に考えられないほど、穂刈は手元に握りしめたビニール袋の中身のことで頭がいっぱいだった。
 荒船は、穂刈の顔からゆっくり視線を落として、不思議そうな表情をする。
……それ、」
 次いで、視線を一度さまよわせ、もう一度穂刈の持っている袋を見つめた。だんだんと、確信めいた顔に変わる。
 夕日に当たって艶やかにさえ見える荒船の目は、わずかな間に何度もまばたきをしている。あれは荒船が、思考を巡らせるときのくせだ。そして体をかたむけ、片足に体重を乗せ、眉間にしわを寄せてうなった。
 ──そのとき、穂刈はカサリという音を聞く。自分は動いていないから、聞こえた方角は荒船から。注意深く、本人に気づかれないように穂刈は視線を移動する。
(あれは)
 のりのきいたスラックスの後ろに、彼が右手に持った細長いビニールの袋が隠れていて、いまさら、本当にいまさら穂刈は、荒船がなにかを隠していることに気がついた。
 袋の印字は見たことのある色をしていて、字面もよく知っている。夕日が荒船を照らしているおかげで、下半分は透けて見えた。同じ花かはわからないが、細長い茎と、楕円に近い葉の形がシルエットになって浮かぶ。ただ穂刈と違う点は、ビニール袋はもう一つあって、ちゃんと飾るための花瓶も買っているということ。
 荒船の顔へ、なぞるように目を戻す。街を染めるオレンジ色の太陽光のせいかもしれない、あの荒船の頬の血色は。けれどそれは、見覚えのあるあかさをしていた。

 ──五年まえ、穂刈が荒船に、好きだと言うよりも先に、
「ずっと一緒にいるような気がする、お前とは」
 となにげなくこぼした。荒船はしばらく逡巡したのち、
「気がする、だけでいいのか?」
 と言った。
 夢のような、しかし夢ではないたしかな一幕だった。穂刈はそこできちんと、
「一緒にいたい」
 と訂正し、荒船が満足そうに笑った。頬は今と同じ色をしていた。思えばあのときから、互いに思考は似てきて、同じようなタイミングで動くことが増えてきたのに。

 穂刈の脳内はゆっくりと、互いの思惑の愉快さと、自身の歓喜に侵食される。たった一パーセントほどしか残らなくなった冷静さでふと、自分が立ち寄った花屋はチェーン店で、「荒船の帰り道にもあったな、そういえば」と思い出した。




 あじさい(緑、白)……ひたむきな愛