夜、寄る、依る

お酒飲んだ先輩を迎えにくる村上くんはよくあるかもしれないけど、「一度おまえを迎えに来てみたかったんだ」っていう先輩のお話。ちょっとだけ18歳組出てます。

『夜、寄る、依る』

 前夜の記憶があいまいだ。珍しくオレは、記憶を整理する間もなく昏睡したように眠ったらしい。もちろんサイドエフェクトのおかげで覚えてはいるが、ところどころ濃淡が激しい。目の裏にまではっきり映っているものから、薄墨を何度も重ねたように見えづらいものまで。
 ベッドから這い出すと、めまいがした。頭が脳ごと回転したかと思った。回転したまま崩れ、俺の体は地に伏せる。
(起きあがれない)
 左手が床の上に張り付いて、このまま取れないのではないだろうか。そしてひどいのは、頭蓋骨のてっぺんから顎まで引き裂かれるんじゃないかと思うほど、痛む頭だ。
 薬はある。オレがもしものために買っておいた。酒を飲める年齢になってそんなに経っていないから、加減を知らずに飲みすぎたら困ると思って。その薬は、アルコールでむくんでしまった血管を、薬の効果で和らげるらしい、だから頭痛も弱くなるのだ。こう説明ができるほど、オレは買ったときに箱をまじまじと見た。二日酔いになって先輩にかっこ悪いところを見られたくないから、吟味して選び、じっくり説明書きを読んだ。そんな余裕のある考えを起こして、飲み会の前日に購入したのに。
 ──ぼくの方がちょっとだけ、お酒に関して先輩だからね。
 そう言われながら昨晩、ぐらぐらとくらむ頭で身をゆだねた先輩の体は、ぬるくてやさしい温度を持っていた。

 ──昨晩の、忘年会で。おい、と何度か呼ばれた。オレはわからずにようやく返事をかえした。
「大丈夫か?」
 荒船の声だ。昔よりもちょっとだけ精悍になった。引き締まった体を動かして、オレの肩を起こしてくれる。
「穂刈、連絡は」
「繋がらねーんだ、二回かけたが」
 誰に連絡をしているのかわからない。オレは抱えられたままの体勢で、ぼんやりとまえを見る。
 真っ黒の服が見えた。あれはカゲだ。酒が入っているけれど、意外と平気そうにしている。ジョッキを持ち上げて中身を飲み干したあと、苦々しい顔で犬飼と話していた。犬飼とカゲはまえなら一触即発の危ない雰囲気をかもしだしていたのに、悪態をつき合うくらいにはなって、お互いに避けなくなった。喜ばしいことだよな、と荒船に伝えたら「んなこと考えてないで早く水飲め」と叱られた。
 グラスに入った氷水に口をつけると、冷たさで一瞬頭が覚醒したようにすっきりする。けれど、本当に刹那だった。すぐにアルコールが自分を満たし、水の清涼さをあっという間に奪い去って、ふたたび体を火照りと心臓の鼓動で覆い尽くす。どくどく、どくどくとそれは耳元で聴こえているように感じられて、「不思議だ」とつぶやいた。
「オレの心臓、耳に移動したのかな」
「鋼、生物の成績良かっただろ。耳に心臓があったか?」
 冗談めかして言う荒船に、「なかった」と返した。穂刈がようやくつながったらしい通話越しに、丁寧な口調で話をしている。オレは荒船の肩に頭をあずけたまま、グラスの表面を眺めていた。
 表面に映るのは荒船の顔半分と、オレの顔半分。どっちもわりと赤い。それでもオレの方が酒が弱くて、こうして支えられているんだろう。
 二十歳になって年末になり、忘年会をしようと集まった。酒が飲めるとか飲めないとか、そんなもので争うことはない。ただ、集まれて、こうして話せることが楽しいのだ。ランク戦、試験、遠征、さまざまな出会いと別れ。オレたちが駆け抜けてきたここ数年は、激動だった。そこを、誰一人欠けることなく生きてこられた。この酒に酔う感覚も、気遣われるやさしさもぜんぶが、命がいまだにちゃんと燃えているから感じられる。
「鋼、お前の荷物どれだ」
 にもつ、と回らない頭で繰り返すと、「鞄しかないはずだぜ、こいつ」とカゲの声がした。よく見てるなあ、と思ったけれど、そういえばカゲは店の手伝いをしながら、お客さんの顔や特徴、持ち物までを覚えるのが得意だと言っていた。きっとそれでオレの荷物もすぐにわかっていたんだろう。
「おい鋼、きたぞ、迎えが」
 頬を軽い力で叩かれる。たぶんこれは穂刈だろうか、がっしりした腕が、オレのことを引き起こした。荒船の体温が離れ、代わりに違う誰かに体を寄せられる。淡くて、やわらかく、嗅ぎ慣れた匂いと、触り心地のいいコートの感触。
「すみません、来てもらっちゃって」
「いいんだよ、ちょうど近くにいたからね」
「ってことはもしかして、そっちでも忘年会でした?」
 ゾエが話しかけている。相手は穏やかに返す。
「うん。でもぼくは明日予定があったから、二次会は辞退させてもらったんだよ」
「あ、予定って、鋼くんと?」
 ちょっとからかうように小声でゾエが言うと、切り返されたその人はお酒のせいではなく、顔を赤らめていた。ゾエは別に、この人をからかいたいんじゃなくて、
「鋼くん、さっき嬉しそうに話してたんですよねえ、来馬先輩と出かけられるって」
 とオレの話題で話を小さいながらも盛り上げてくれたのだ。
「来馬先輩……?」
 ようやく今寄りかかっている人が誰かに気づいたオレは、申し訳なくなって離れようとした。けれど先輩が、肩に回った腕をしっかりと掴んでいたので、なすすべもなくオレは身を預けたままになる。
「鋼、帰ろうか」
 帰る、と先輩は言った。場所は鈴鳴支部で、道はここからまっすぐ歩いて右に曲がる。本部よりも遠いけれど、歩いて帰れないこともない。そんな、よく歩き慣れた道を帰る。先輩と、少し酔いが回りすぎたオレと。
「これ、鋼の荷物です」
 荒船の声がした。ありがとう、と受け取る先輩の声が続く。気をつけろよ〜、と間延びした当真の声もする。他のみんなも、ほろ酔いの顔をしながら見送ってくれた。オレの意識は宙に浮かんでいるように漂って、どう返事をしたかも覚えていない。それでも店の引き戸が閉まるまで、みんなは視線を外さず手を振っていた。
 やさしいな、と思う。あのやさしさで、全員で戦場を乗り越えてきた。それが今のオレには誇らしい。
「鋼は、酔うと笑い上戸になる?」
 ふと、隣を歩く来馬先輩が尋ねる。オレは支えられながら、そうなのかな、と考えた。大きな声で笑ったりはしないが、なるほどたしかに、常にふわふわとした暖かい気持ちで飲み会中は過ごしていた。もちろんいつもみんなで集まれるのは嬉しいけれど、酒が入った分、その気分がもっと倍増した、というか。
「そうかもしれないです」
「ぼくも同じだよ。嬉しくなるよね」
「おそろいですか」
「おそろいだよ」
 そう笑う先輩の赤い頬に、今日は気持ちが大きくなって、触れるだけのキスをした。オレはいつもなら絶対にこんな場所でしない。くすぐったそうにしている先輩が、
「もしかしたら、こんちゃんも、太一もかもね」
 とつけたす。
 そうだったらいいなあ、とオレはゆっくり目を閉じた。あの二人が、それぞれの飲み会で(太一はもちろんまだ飲めないけど)同じようにニコニコしているところを想像する。鈴鳴の話題が出たら? 来馬先輩の話を振られたら? ……きっと、今のオレみたいに酔った頭で思考が浮ついていても、そこだけははっきりと笑って話せるんだろうな。
「明日は、遅くから出かけよう。鋼の二日酔いも心配だから」
「そんな……大丈夫、です、すぐ治します」
「いいんだよ、鋼が楽しそうに飲めて嬉しいんだ。だから明日は無理をしないこと」
 いいね? と念を押され、オレは口をつぐむ。「それにね、」と先輩はさらに加えた。
「こうやって迎えにこれるのが、本当は嬉しいんだ」
 オレは閉じかけていた目をもう一度だけ開いた。その記憶は、酔った中でも鮮明に覚えている。
「一度さ、おまえを迎えにきてみたかったんだよ。いつもぼくを迎えにきてくれるからね」
 ──先輩がお酒を飲んだら、帰り道にいつも通話をしてくれる。楽しかったことや面白かったことを話しながら、先輩はゆっくり自宅へ向かう。オレは話を聞いていると、次の日もすぐに支部で会えるのに、会いたくなって、迎えにいくのだ。たった数十分の、わずかな時間。誰もいない道を手を繋いで送る。あの時間を、先輩も大事に思ってくれていたのかな、と思うと、ますます酔いが回って体に力が入らない。
 オレはすでに開いていることが限界になってきた目を、閉じてしまう。まだ起きて、先輩と話していたいのに、視界の暗がりは広がって、先輩の声は遠くなる。
 実は今日もさ、荒船くんにお願いしたんだ。鋼が結構酔ってしまいそうだったら、ぼくに連絡が欲しいって。電話、なかなか出てあげられなくて申し訳なかったなあ、加古ちゃんが酔っ払っちゃってね……





 そうして朝、今に至る。
 脳に滲むように染み渡り、だんだんと整えられた記憶にオレは恥ずかしくなる。先輩に迎えにきてもらったこと、往来で人目がなさそうな場所だったとはいえ、キスをしたこと。出かける時間を遅らせてもらっていること。
 遠くから、物音が聞こえる。支部には今日、今も太一もいないはずだ。みんな実家へ帰省すると言っていた。だからこれは。
「鋼、起きたのかい?」
 廊下から朝日が漏れていて、光とともに来馬先輩が入ってきた。昨日とは違う服である。あらかじめこうなることを予測して、支部へ泊まれるように用意してくれていたんだろうか。
「昨日も言ったように、無理はしちゃだめだよ」
……はい」
 恥ずかしくて、ベッドに戻されてもなお、オレはすみません、と繰り返していた。「いいんだよ」と笑ってくれる先輩の表情は、今日の予定が大幅に遅れたというのにちっとも残念そうではなくて、やさしく額に手を添えてくれた。
 オレの部屋のローテーブルには、水の入ったグラスと、二日酔いのときの薬が乗っている。もちろんオレがあらかじめ買っておいたものではなく、きっと先輩が用意してくれたものだ。製薬会社には申し訳ないけれど、こっちの方が今のオレにはきっとよく効くだろうな、と思った。