これはあくまで、想像です

名探偵かがみりんと助手の半ざき君のお話。名探偵の想像の世界に突き落とされる。半ざき君視点です。

 恋愛なんて、誰が誰とどうやろうといいんじゃないかと思っている。近くても、遠くても、うまくいってもいかなくても。
 父さんと母さんから生まれたオレだって、恋愛の末に結婚、そして出産だったと聞いた。母さんが楽しそうに「あのころはね」って話すのを見て、ちっともピンとこなかった。そんな末に生まれたはずのオレなのに、好きな子なんてできたことないし、友達の恋愛相談にダルいなあと思いながら付き合ったこともある。
 相手の気持ちを尊重し、相手のことを優先して。そんな生活を当たり前のようにする世界。そこに足を踏み入れるのはちょっと大変そうだと思っていたのだ。

 ◇

「これだと、今の方が良くないか?」
「だとすると、筋肉量のバランスが悪くなるぞ、今よりも」
「そうか……なら、足を先に鍛えた方がいいのか」
 またこの話か。とオレはゲームをしながら聞いた。ゲーム機を掲げて、ちらっと隙間から二人を見る。
 最近、荒船さんは筋トレを始めた。穂刈さんにならってどこの部位を鍛えるか悩んでいる。今は大体の筋肉をゆるやかに大きくしたから、毎日ちょっとずつ部位を変えて鍛えているらしい。
 トレーニングウェアの二人が、顔を寄せ合ってタブレットを睨んでいた。あれには荒船さんと穂刈さんのヘルスチェックが入っている。たまたま開かれているのを偶然覗いたことがあるが、身長体重体脂肪率、その他の情報量が細かく記載できて、厳しい制限をしている俳優かモデルしか使ってないんじゃないかと思わせるアプリだった。「これがちょうどいいんだ、データを測るのに」となんてことないように穂刈さんが言っていた。もはや趣味の領域を超えている。ここまで来たらもうただのこだわりだ。
 このあと荒船さんたちはロードワークをしにいくから、この部屋は加賀美さんとオレだけになって静かになるだろう。案の定、二人はロッカーからランニング用のシューズを取り出して、賑やかに話しながら出ていった。
「部活やってるみたいっすね、あの人たち」
「そうだねえ、ボーダーがなかったらきっとあんな感じで運動部入ってそう」
 加賀美さんは学校の課題をやりながら、手を休めずに笑った。
 加賀美さんの横顔は、運動を好んでするとは思えない細さがあるけれど、どこかはっきり芯があって、意外となんでもこなせてしまうのではと感じさせる。現に、課題や創作に煮詰まったときに「たまにランニングだけなら二人に付き合うことあるよ」とのたまっていた。もちろん女性用に軽いメニューだし、きつい坂道などは走れないらしいが、それでもオレは度肝を抜いた。いつもあんまり動じない男先輩二人も「本当に大丈夫か?」って何度も確認していた。
 今ごろ、あの二人はボーダーの敷地を抜けて近場をゆっくり走っているころだろうか。
「メニュー決めって、そんな毎回こだわったり悩んだりしなきゃならないもんですかね」
 二人が去ったあとの部屋。残されたオレは加賀美さんに聞いてみる。
「そんなことないと思う。一度メニューを決めたら、しばらくはこなせばいいだけだし」
 そう、だよな。オレはまったくの同意見にうなずいた。
 近ごろ、荒船さんたちは必要以上に一緒にいるのだ。筋トレのメニューを組むのも、互いに何度も調整する。訓練のあと、任務のあと、まだやることがあるからって二人で残っていることもある。荒船さんが学校の門で穂刈さんを待っていたこともあった。通りすがりに挨拶をしたら、「先に本部行ってろ、ミーティング始めるから」って促されたり。
……付き合ってる、とか?」
 オレはなんとなく、可能性の一部を発言する。加賀美さんのペンを動かす手が、ぴたりと止まった。
……私も考えたんだけど」
 ペットボトルに入れられたお茶を一口飲んで、彼女は息を吐く。
「それは、なさそうなんだよね」
「なさそう」
 おうむ返しに尋ねるオレに、加賀美さんは「まずは一人ずつ考えてみよう」ともったいぶって話を進める。
「穂刈くん、ああ見えてモテるし、モテたいってちょっと思ってるんだよ」
……まあ、なんとなく知ってました」
「だから、恋愛に興味があるのは確実」
 オレは高校からの帰り道、穂刈さんが告白されているのを見たことがある。そのときはあの人、断っていたっけ。なんで断ったんだろう、結構かわいい子だったし、穂刈さんの好きそうなタイプだった。でも断っていた、モテたいはずなのに。
(自分から好きにならないとダメなんだろうな)
 オレは、先輩をそう捉えている。本当にふんわりとしか掴めていないけれど。
「そうそう、穂刈くん、自分からいきたいタイプっぽいもんね」
 オレのここまでの推理を聞いて、我が隊のオペレーターもうんうんとうなずく。
「半崎くん、結構人を見てるじゃん」
「いや、そりゃこんだけ一緒にいれば大体は……
「じゃあ荒船くんはどう思う?」
「荒船さん、っすか」
 オレは口の中でまごついた。荒船さん、荒船さん。何度も頭で反芻する。
 オレは学校が違うから、あの人が恋愛沙汰でどうこうしている光景は、残念ながら目にしたことはない。もしかしたら、同じ学校の先輩たちは見たことがあるのかもしれないけど、オレの周りに六穎館の人間は少なくて、限りなく情報がゼロだ。
 じゃあボーダーだったらどうだろう? とも考えたけれど……ボーダー内部でも、荒船さんが顔見知りの隊員以外と話したりわいわいしているのは(そもそも荒船さんはあんまりわいわいとはしない)見たことがない。
 加賀美さんも、同じことを考えていたみたいで、
「荒船くんは、ほとんど同い年の人たちか、狙撃手の人たちといる」
 と断言した。
……楽なんですかね、やっぱ、男同士でいる方が」
「そうだね、あとは、男の人も恋愛対象なのかもしれない」
 たしかに。人の好みや性癖はさまざまだ、そういう可能性だってある。
「でもどちらの性が好きであろうと、とにかく穂刈くんとは、本当に気が合って楽だから、同じ隊な上にこういうなにげないときも一緒にいるんだろうね」
 オレの手の中のゲームは、戦闘を終了してクリアしたことを物語っていた。控えめな勝利の音がして、ロード画面のために暗転する。その暗い画面に、オレの神妙な顔が映っていた。なんでオレは自隊の先輩二人の恋愛事情を、こんな面持ちで考えているんだろう。
「もしも穂刈くんに、自分から声をかけたいなって思える子がいたらさ」
「はい」
「荒船くんはああやって一緒にいないと思う」
 え、あの隊長が? 気を使って?
 オレはちょっとびっくりして加賀美さんの方を向いた。ゲーム画面はさっそく次の戦闘場所を探すように指示してくる。あと三十秒で、勝手に戦闘場所が決まるシステムだ。
「穂刈くんはそういう子ができたら荒船くんに伝えるだろうし、ちゃんと教えろよって荒船くんも言ってたし」
「なんで荒船さんに?」
「だって、同じ隊だから。もしその気になる子となにか予定を組みたいってとき、隊長がシフト調整しないとだめでしょ?」
「あー……なるほど」
 そういえばオレも調整してもらったことあるな。いや恋愛とかそういうのでは全然ない、同じクラスのボーダーのやつらで遊びに行くときだ。オレは懐かしい記憶を呼び起こすけど、すぐに思考を戻した。オレのゲーム画面が、戦闘場所を勝手に決めて先に進んでいる。
「でも、それなら調整すればいいだけで、別に一緒にいないことを決める理由にならないんじゃないすか」
「するどいね、半崎くん」
 もう一度お茶を飲んでいた加賀美さんは、わざわざ口を離してオレを褒めた。変なところで褒められてもなんにも嬉しくないが、ひとまずは的を得たのだろう。
「穂刈くんに気になる子ができたら、まず穂刈くんをかげうらに誘わなくなると思うよ」
……はあ」
「それに、さっきみたいなロードワークも、一人で行くと思う」
「穂刈さんに時間を作ってあげるってことすか?」
「うん。これまで自分と一緒にいた時間を削れば、それだけ相手を誘いやすいもの」
 そりゃそうだ。あの二人は常にセットで一緒にいる。穂刈さんを探すなら荒船さんを探せばいい(逆も然り)と思われているぐらいだ。あまりに一緒にいすぎて、別々なのは帰宅して寝るときだけなのでは、と思う。
「でも今は、そばにいる」
「そうすね」
 加賀美さんは課題を終えたらしく、ノートを閉じた。ペンをケースにしまいながら、口を開く。
「だって穂刈くんに気になる子ができたら、一緒にいられる時間なくなっちゃうからね」
 ん?
 オレは加賀美さんの言葉に思わずゲーム機を落としそうになった。そのせいで、オレの操作しているキャラが一旦動きを止めてしまい、敵からダメージを食らう。
「え、と……それじゃまるで、荒船さんが穂刈さんと一緒にいたい、みたいに聞こえるんすけど」
「うん、穂刈くんに好きな子ができるまではね」
「ええ……じゃあ、荒船さんがはっきり好きだって言えばいいのに」
「でも穂刈くんは、自分からいきたいタイプだし、相手から来られたら引いちゃうよ?」
 あっさり言われると、ぐうの音も出ない。
 つまり荒船さんが今、穂刈さんと一緒にいるのは、少なからず相手のことを好ましく思っているからであって、でも穂刈さんに好きな人ができたら潔く身を引けるというわけで。
 オレの頭は混乱して、ボタン操作を大幅に間違える。だからゲーム画面のキャラクターが次々と意味のわからない行動をする。武器を持ち直すのを間違えたり、回復しようと思ったのに間違えて劇物を飲んでしまったり。
「っていうのを、荒船くんは知ってるんだよね」
 んん?
 これまでの流れをぶった切るように、加賀美さんは言った。オレはますます彼女の言うことがわからなくなる。もうだめだ、ゲームはポーズ画面にした。
「つまり?」
 オレはもう思い切って、答えを求めた。いや求めちゃったが、オレのこれからの人生において知りたい答えなのか? どちらかといえば、知りたくなかった答えじゃないのか?
「相手から来られると穂刈くんは引いちゃうって知ってるから、荒船くんは自分からいかないんだよ」
 たしかにそんなような難しい心理を、友達の恋愛相談を受けながら聞いたことがある。
「だから自分の気持ちは言わないし、一緒にいられる期間は少しでも一緒にいる。いつかいられなくなってもいいように、ってところかな」
 あくまで私の想像だけどね。そう言って、加賀美さんは顎に手を当てた。オレみたいに恋愛経験がないやつでも、それが荒船さんにとって苦しいものじゃないかとわかる。
「すげーつらい片思いじゃないっすか」
 あの荒船さんが。なんだかおかしな話だ。
 ──荒船さんは顔がいい。頭もいいし、性格は……まあ少々強引で、思ったことを次々と行動に移していくから行動派が好きな人にはとても魅力的じゃないかと思う。アクション映画の知識にはうるさいけど、別に相手に強要してくるわけじゃない。ボーダーでもかなり人気がある。そこに甘んじないで一途に一人を思っているってとこも、まああの人らしいっちゃらしいけれど。
「さてここで穂刈くんですが」
 突然、加賀美さんはオレに顔を近づけた。わ、と声を上げ、オレはベイルアウトマットから落ちそうになる。
「ほ、穂刈さん?」
「そう。あの穂刈くんだよ」
 人差し指をたて、彼女は「想像」を続ける。
「半崎くん、さっき、これだけ一緒にいれば大体わかるって言ってたよね?」
 オレは思い出す。たしかに言った。長く一緒にいるから、それぐらいはわかると。
「私もね、わりと二人のことはよくわかってるつもり」
 胸に手を当てて、加賀美さんは誇りを持ってそう言った。
「だとしたら、穂刈くんだって荒船くんのこと、もちろんよくわかってると思わない?」
 オレは迫真の演技を見せる加賀美さん──いや、加賀美探偵の話を、気がつけば前のめりで聞いていた。
「むしろ、私たちよりもはるかにわかってるはずだよね」
「そうすね」
 言葉にあいかわらずダルさは抜けきらないが、オレの中ではわりと真剣に聞いている。
「だったら荒船くんが自分をどう思ってるか、わかってるか、わかってないか、さあどっちでしょう?」
…………えぇ……?」
 オレはあの穂刈さんという人を頭で思い浮かべた。

 ──初めて会ったとき、あの人は加賀美さんと一緒に作戦室にいて、荒船さんに紹介された。
「はじめまして」
 と言う表情からまったく感情が読めないのに、握手した手は温かかった。話し方が複雑で、正直最初は戸惑ったけど、割とすぐに慣れることができた。
 でもいざランク戦になって、荒船さんが作戦も内容もかなり狙撃に負担がかかるようなものを選んできた。オレは一人、ダルい、ダルすぎる、と思っていた。そうしたら、穂刈さんがオレの肩を叩いた。
「半崎、言え、疑問があれば」
 わざわざ作戦のシミュレーションを遮って、穂刈さんが言った。荒船さんは驚いてこっちを見ている。オレは迷った。だって逆らわないで動いだ方が早いし、意見なんて言ったって、大したもんじゃないとあしらわれるのがオチかなって思ってたのだ。それなのに荒船さんはすぐに、「すまん、意見を聞いてなかったな」と詫びた。だからオレはあのとき、言葉を発することができた。
 その作戦はオレの意見でちょっとだけ改良され、結果的にうまくいった。荒船さんが「半崎のおかげだな」と褒めてくれたが、そこからオレへの期待値が上がって実力以上のことを求められる羽目になり、ダルい……と言っても責められなくなった(もともと責められてはいなかったけど)。だってダルいことを求められているのだから、ダルがって当然だ。
 そんなオレを見て、穂刈さんは笑っていた。ほんの少し口元を歪める程度に。そして、
「ああいうやつだから、荒船は」
 と言ったのだ──
 好意を隠している荒船さん。荒船さんをいちばん理解している穂刈さん。
 好きだけど、自分からいけない荒船さん。好きな人には自分からいきたい穂刈さん。
 穂刈さんに気になる人がいるのなら、その人のために自分の時間を明け渡す用意ができている荒船さん。気になる人が今はいないらしい穂刈さん。
 もしも穂刈さんが、すでに自分から気になる人に対して時間を使っていて、好きな人に自分から向かっている真っ最中なんだとしたら? 荒船さんという人柄を理解し、笑って済ませ、そばにいるのはなんのために?
 ……オレの頭に描かれた点と点が、だんだんと線になっていきそうだったのに、作戦室のドアが開いて穂刈さんと荒船さんが帰ってきた。
「暑かった、外は」
 そう言いながら、オレたちにコンビニでアイスを買ってきてくれていた。加賀美さんは「わあありがとう!」とか言いながら、さっきまでの面持ちはどこへやら、期待を込めてアイスの箱を開けている。
 オレはまだ、彼女の想像の世界に捉えられたまま、ぼんやりしてしまっていた。穂刈さんが、目の前にビニール袋を差し出す。
「たぶんあるだろ、半崎の好きそうなもん」
 オレは袋の中身を覗く。今年の夏、新しく出たアイスが入っていた。オレはクラスのやつらに、あれ食べてみたいんだよな、と話していたのを思い出す。穂刈さんはとても周囲を見ているし、気が利く。だから、これが入っていることに、なんら不思議はないのだ。
 けれど、このアイスが、オレの中の点と点をついにつないでしまう。穂刈さんがオレなんかのことでここまで気が回るんだから、当然荒船さんに対して、なにも気がつかないわけがないのだ。今思えば、あのヘルスチェックのアプリさえ、より互いを知れるからいいか、なんて理由も含まれていそうな気がしてきた。
 これはあくまで想像だけど、それでもオレの世界はその一つの視点を知ったことで一変する。同じ隊の先輩二人という意味にプラスして、これから付き合っていくことになるであろう二人、という意味を持った情景を見ていくことになるのだ。
 恋愛は誰がどこでやったっていいが、さすがにここであるとは思わなかったから、オレは思わず「ダルい……」と誰にも聞こえないようにつぶやく。
 自分がまだ見ぬ未来の恋愛相手を思いやったりするよりも先に、先輩たちの駆け引きの渦中に立たされた。