少し外れる

おおらかなおき君に助けられてる水上くんのお話。

『少し外れる』

 買い物に出かけるときにつっかけたサンダルは、隠岐が家に置いていったものだった。自分と同じか、少し小さなサイズのそれを履いて、三門の商店街を横切る。靴で歩くには近すぎる距離だからこれぐらいでいいだろうと、かかとをブラブラさせながら歩く。
 夕日が屋根を照らして、まぶしく光った。水上の目には少しうるさく感じる。二度ほどまばたきをして、あきらめて手を額にかざした。あの角を曲がれば日は当たらなくなる。そこまでは我慢しようと、足早に過ぎる。個人経営のクリーニング店、彩りは豊かだが道に鉢植えがはみ出している花屋、ガラスの曇ったラーメン屋。ここら辺の飯屋は、大体把握して食べに来たことがあるが、こうして来るたびにそそられる。腹が減っていようがいまいが、匂いにつられてドアを開けそうになるのだ。
 しかし、今は我慢しなくてはいけない。胃が音を鳴らすが、水上は腹のうえから手を当てておさえつつ、先を歩いた。
(さて最初は)
 サンダルのつま先が砂っぽい道でジャリジャリと音をたてる。アスファルトの舗装が一部はがれている。そこを抜けるとスーパーがある。買い物カゴに雑に入れているようで、実はきちんとぶつからないように整列して入れている。丸めたエコバッグ(猫が一面に描かれていて、水上は猫の中に食べ物入れんのかい、とひそかに買い直そうかと考えている)をポケットから取り出し、買った食材を今度も順序よく入れる。そういえば、他にも買うものがあったような気がする。気がするが、どうだったかな、と思うくらいで、水上はすぐに外の空気を吸って忘れた。もとより水上も、必要最低限のこと以外にはまるでだらしないところもある、普通の男子高校生だ。ただ今回の場合は、対人関係がからんでいるというくらいで。
 水上は肩から下げたエコバッグを揺らして、サンダルをあいかわらずジャリジャリ言わせながら歩いた。次はコンビニ。青白いライトがやけに派手に映る。商店街を飾るやわらかい黄色みのある電球たちと違い、コンビニのライトはどうも目を覚めさせ、「その目のふちまでかっぴらいて商品を見ろ」と言われているような気がしてならない。水上ももちろんなるべく安いものを、と普段なら目を凝らすが、あいにく今夜は買うものが決まっている。とっとと帰らねばならないのだ。
 もうすぐ、隠岐がやってくる。

 窓の外にあじさいが咲いている。真っ青な色をしていた。降ってきた小雨に当たって物悲しそうに頭を垂れるそれらは、しかし花びらを落とすことなく揺れている。風情を感じていると、耳を横向きに突きやぶるような、インターホンの音が鳴った。
「あれぇ、先輩もこれ買ったんですか?」
 お邪魔します、もそこそこに、隠岐が水上の用意した惣菜のうちの一つを指差した。なんの変哲もないきんぴらを、洗ったばかりの指でつまむ。スーパーで破格で売られていたそれは、結構山積みになっていて、今晩いろんな食卓に彩りを添えているのだろう。
「行儀悪いで、ほら、座る」
「すんません。でもこれ、おれも買うてきてん」
 えらい? と言わんばかりに嬉々ききとした顔を水上に向けて、隠岐がビニール袋を広げて見せてきた。あまりに眼前に出してくるから水上は少し体を引きながら「わかったわかった」とうなずいてやる。
 中身を物色すれば、きんぴらが二ケースも入っていた。それに、二人では到底食べきれない量のスナックと、果物と、野菜ジュース。
「なあ、なんでこれにしたん」
 買ってきてもらったことには礼を言いたいが、眉を下げて聞いてしまう。隠岐が、上着をハンガーにかけながら「えー?」と間延びした声を出した。
「きんぴらは安かったからで、お菓子は夜に食べるかなって……でも野菜ジュースと果物でお菓子の分の不摂生をチャラにできたらなって」
 これを見たレジの店員はどう思ったであろうか。顔が見てみたかった。ラインナップの不可思議さ、ニコニコとした隠岐、金を払う隠岐、受け取る店員、ありがとうございましたの声、二人の合間に鳴っている店内のポップソング、アレンジバージョン。
 思わず、口の端が笑みの形に歪んだ。「笑ってます?」と隠岐に首をかしげられ、「変やな、と思て」とつけたした。変な自覚のない隠岐が、肩をすくめて座椅子に腰を落ち着ける。水上は実家から持ってきた折りたたみのテーブルの端で、炊いた白飯をよそった。
 近頃、自分はめっきり食べなくなった。もともとそんなに食に興味のある方ではない。トリオン体という効率のいい体のおかげで、食事の摂取量が少なくていいことも助かっている。生駒と一緒に昼間、食堂でカレーを食べれば、もう夜は食べなくていいのだ。なんなら、次の日の朝にも胃がカレーで保たれているような。
 だから隠岐のように、生命の維持以上に食べているのを見るとそれでもう満たされる。
「菓子は自分で食い、俺は入らんから」
「先輩そう言うと思って、遊びながら食べられるの、買うてきました」
 またもや隠岐が得意げにする。どうしても食べさせたいのか、あるいはただ単に一緒に楽しみたいのか。
「無駄遣いすんな」と、水上は言いかけて口をつぐんだ。隠岐にとっては無駄ではない、必要なのだ。ため息をついて、頬を飯でいっぱいにして目を細めている後輩を眺める。
 サンバイザーのない顔は、すっきりと小さくて頬も丸い。雨で癖毛がいつもより茂っているように見えたが、そんなのはお互い様だった。鬱陶しい髪質を互いに持ったもんやな、と考え、水上も箸の先にきんぴらを乗せて食べる。細切れのごぼうとにんじんが、辛味を交えて奥歯で潰れる。歯応えもあってうまいのに、どうしてこれらはスーパーで、余ってしまったのか。
 隠岐は、考えたことがあるんだろうか、これらが余った理由を。いや、きっと考えないだろう。
 ただ隠岐という男は、これがうまいのを知っている、まえにも買ったことがあるから。「今日安くなってるやん」と思って、それだけで買ってきたに違いない。なにかにつけて理由や事象の説明を求める自分に対し、まったく真逆の隠岐は、これから見たいテレビ番組と、その最中にいそしむ菓子での遊び、それから忘れずに野菜ジュースと果物を摂取することで頭がいっぱいだ。流れるように生きていて、そのくせ実はやりたいことを明確にし、言うことを聞くように見せて、ちゃんと己の意志を持つ。その匙加減は──水上をひどくぬるい湯に浸けさせる。
(許容量の、ちょうどええとこにおるんは助かるな)
 水上は、必要最低限のことしかしないはずだった。けれど、たぶん自分はこのあと、テレビの片隅でちまちまと菓子のような玩具のようなものに苦戦する後輩の後ろ頭を見ているのだろうし、膨れた胃なのに差し出されたジュースは飲むだろう。洗い物に立った隠岐の、微妙に音の外れた鼻歌を聞きながら食器を拭いて、隠岐が洗剤でしゃぼん玉を作るのを「せっかく拭いたのに泡つくやん」と文句を言うのだ。
 そこは、水上が求めている地ではないが、いつも自分が立っている場所からそこへ少し外れて足をつけても、汚れもせず、くじきもしない。「はいはい」と返事をかえされ、また足が元の場所へ戻る手伝いをする。
「もうそろそろ見たいテレビ始まるんとちゃう」
「え? 今何分ですか?」
 びっくりした顔をした隠岐に時刻を教えてやると、大慌てで白飯をかきこみ出した。むせそうやな、と思いながらグラスに注いだ水を置き、さっき寄ったコンビニの袋から新聞の夕刊を取り出してテレビ欄を眺めた。隠岐の見たがっている番組にチャンネルを合わせてやる。隠岐が食べ終わるまで新聞を広げ、他の時事問題に目を通す。
 そんなことは、スマホ一つでなんでもできてしまうのに、水上は今日も少しばかり、隠岐のために無駄を愛する。