Loverlike

付き合いたてで、こうしてみたいという憧れや相手にちゃんとしてあげたいと思う二人のお話。
大学生でお互い一人暮らしです。今回はあらふね君宅。

『Loverlike』

 穂刈にも、憧れはある。
 たとえば寝起きの恋人に、寝室まで食事を運んであげるとか。たとえば「ゆっくり食べていいよ、他の家事は終えたから」と言ってやるとか。
 そう言うと、付き合いたての恋人──と呼ぶにはもうあまりに近く、あまりに不似合いだが一番そう呼ぶにしっくりくる存在である荒船は、具合の悪そうな顔をする。なにも今、風邪を引いて寝込んでいることだけが原因ではない。その言葉を聞いたせいで、ますます悪化した、とでもいうような。
「どんだけロマンチストなんだよ」
「夢がないだけだ、荒船が」
 風邪ひきの人間にこんなことを言うのは辛辣すぎやしないかと普段ならとまどうが、この風邪は荒船の自業自得なのだ。だから荒船の寒気をあおるロマンチズムを投入し、反省してもらう。言われた側も、唇を尖らせるがそれ以上はしゃべらない。
 ──荒船は銃手になった。そしてまた無理をした。
 慣れないことの連続に、荒船はいらだちこそしないものの、過剰に自分を追いつめる悪癖はなおらない。完璧に自分のものにするために、何度も仮想訓練をくりかえした。荒船がかたくなにトリオン体を解こうとしないから、怪しんだ穂刈は本部から直に、荒船の家に連れ帰る。
 砂利じゃりとほこりで汚れた玄関、散らかった洗濯物、ほぼ空っぽの冷蔵庫、まとめきれていない大学の資料。リビングへ着くまでに、こんなにも不摂生の証拠は上がった。犯人は白旗をあげ、とっくにトリガーをオフにしてベッドに横たわっている。そのベッドの上だって、タブレットやスマホの充電器が散乱していて、穂刈が全部机の上にあげてきれいに整えた。憧れ、とはずいぶん違うが、まあ妥当なラインの恋人っぽさか。
「なんで焦ってるんだ、そんなに」
 呆れながら熱を持った頭を撫でてやると、うるさそうにされたが、おとなしくしていた。
 成人になると、トリオン器官が育ちづらくなってくる。そんなのは穂刈にもわかっていた。わかっていたからこそ、無理をしないでほしかった。荒船はじゅうぶん、すごいのだから。
 そう言うと布団の中へもぐってしまい、数分口をきいてくれなくなった。あれは照れ隠しなんだろうけれど、顔が見てみたかったなと穂刈は笑う。
 そして数日経った今、荒船は少しばかり回復した体で「腹が減った」とぼんやり言うのだ。だから穂刈は運んでやる、と冗談を言った。嫌そうな顔のまま、荒船は食べたいものを列挙する。
「お好み焼き」
「かげうらの方がうまいって言うだろ、いつも」
「なら、鍋……シチューとか」
「時間がかかるな、そもそも買い物に行かねーと」
……お前が、」
「食ってもまずいぞ、オレは」
「違う。お前が、得意なやつ」
 ふむ、と穂刈は顎に手を当てた。
「行ってくる、買い物」
 近いスーパーは? と聞くと、指で「あっち」とだけ。その方角にある窓から外を覗けば、すぐ階下に小さなスーパーがあった。近くにあるのに自炊してなかったのは、なにも荒船が面倒くさがりだからではない。
「だってお前がよく作りにくるから」
 それが荒船の、口実だ。ここに穂刈を呼ぶための。

 大きなフライパンで一品。まな板を取り出して、包丁を出した。研いであるのか、そもそも使っていないのか。刃こぼれのないそれは穂刈の手によくなじんで切りやすい。購入した食材に対して、冷蔵庫の中身が心許ないが、なんとかなる。チャーハンだから。
 得意、というよりも、すぐにできるという点でチャーハンにした。荒船の意向にやや添えていないが、作り慣れてもいるし手っ取りばやく彼の胃を満たせる。治りかけの人間に油っこいものはどうなのか。でも本人は自分に託してきた。しかも最初に食べたがったのはお好み焼きだ、油もなにも関係なく、とにかく、なにか、うまいもの。
(無意識だろうな、二番番目にシチューが出たのは)
 一週間前に穂刈がこの家にきて、春なのにやたらと寒い日だったから作ったシチューは、ここ最近の荒船の中でしっかりランキング入りしたらしい。うまいもの、と連想した第二位。まだかげうらには及ばないのだろうが、それでも大したもんだなと、穂刈は食材を切る手を早めた。自分の頬と耳が少し、熱い。

 ベッドで横になってタブレットを眺めている荒船は、どうやら隊の仕事をしているわけではないらしい。聞こえてくる音は風のざわめきだったり、人々の話し声だったりする。映画を見ているんだろう。
「できたぞ」
 テーブルに水を置き、スプーンを揃える。いただきます、と手を合わせた。そうしたら荒船がやってくる。まだ足取りはおぼつかない。汗をかいた顔つきは痩せた。チャーハンだけでなく、もっと作った方が良かったか。しかし今は、この飯を口の中へ運ぶのを見届けるだけにする。
 荒船が息を吸い、いただきます、と言う。スプーンですくわれたかたまりが食道へ入る。熱かったのか、半開きになった口で空気を逃した。皿をかき分けると、鶏ガラの匂いがする。穂刈の皿のチャーハンは残り半分になったが、目の前の人間の食べるさまを見ていて、進まない。ミックスベジタブルの色鮮やかな行列が、荒船の皿の上でもこぼれる。丁寧にそれらをすくってまた食べる、水を飲みながら。ごくりと嚥下の音をたてて一息つくと、ふたたび荒船は皿をかきこんだ。端にある米粒もさらう。卵と、角切りのにんじんと、米のかたまりを最後にスプーンに乗せて、荒船は勢いを止めずに食べ切った。
「それ、食わねえのか」
「いいぜ、食っても」
「ん」
 よこせ、と言わんばかりの横柄な態度を、穂刈は笑った。自分のスプーンをよけて、皿を渡す。荒船はためらわずに穂刈の分も食べ始めた。そういえば、ずいぶんまえに二人でアイスを食べたときも、「お前の味もうまそうに見える」と言って大きく一口さらわれた。荒船の食べた分の空洞がくっきりとできたアイスを、穂刈は面白がったような気がする。荒船は穂刈に、遠慮を知らない。
 皿を洗う間に、荒船は部屋の片付けを始めた。一度始めると、きっちり片付くまで止まらない。作戦室もそうだったな、と穂刈は思い出す。ゴミ袋と掃除機、そしてぞうきんを取り出して、手際良く進めた。穂刈が台所をきれいにし終えるころには、リビングの床はかなり顔を出していて、ピカピカと輝いていた。
「キツくないのか、病み上がりに」
「大丈夫だ、それに」
「それに?」
「いや、やっぱいい」
 フイと逸らされた顔を見ることはついに叶わず、次々と片付くスピード感を穂刈は眺めていた。けれど。
……いつもは、こんなんじゃねえ」
 と荒船が、消え入りそうな声を出すので、
「わかってる」
 と言ってやる。
「ちゃんと、片付いてる予定だった」
 穂刈が荒船を連れ帰った日。その日は本当は会う予定を入れていなくて、無理やり時間を作った。本当はその次の日に会うつもりだった。わかってる、ともう一度言うと、わかってねえ、と言われる。
 いいや、わかっている。荒船にも、憧れがある。
 どんなに忙しくしていても、恋人を迎え入れるときはきちんと部屋を掃除するとか。忙しかったからと言って、一緒にスーパーへ行って買い物をしたりだとか。荒船は遠慮は知らないが、ちゃんとしたいのだ。
 ロマンチストはどっちだ、と思ったが、それは言わないでおく。不本意をあわらにしながら掃除機をかけ、切り揃えられた荒船の髪が揺れるたび、穂刈の気持ちも同じくらい跳ねる。
 さっき食べ損ねたチャーハン分ほどの小腹が空いた。アイスを買いに行こうと誘えば、「しょうがねえな」と笑ってくれるだろうか。一緒にスーパーへ行く憧れは達成できるから、きっと満足そうにするだろう。荒船の作るアイスの空洞が見たいから、穂刈は荒船と違う味のを買うことに決めた。