口に出さない愛の積

サッカーを夢中で見てるほかりと、それを見るあらふね君のお話。同棲して五年、いたるところに散らばる愛のかけ算。
ほかりは村上くんとスポーツ観戦するっていう勝手な捏造あります。

『口に出さない愛の積』

 穂刈がサッカーを観ている。持ち帰った仕事を終えて俺が自室からリビングに移ると、ソファに前のめりで座っている姿があった。
 電気ケトルの湯が沸くまで、キッチンの壁にもたれる。テレビに釘付けの穂刈の頭をしばらく見つめながら、腕を組んだ。二つのマグカップに入れたティーバッグは、熱い湯が注がれるのを待っている。
 テレビのライトに照らされている穂刈の真剣な横顔に、俺は思わず笑った。漏れた息の音があいつの耳に届いたようで、ようやくこっちに気づく。
「夢中になってんな」
 穂刈は、滅多にこういう顔をしない。こういう、ずっと一点を見つめ続けて、他の何もかもが聞こえなくなる顔を。
 どんなときもいつだって、穂刈は視界や思考の隅に必ずなにかを入れている。明日のことだとか、今周りでなにが起きているかだとか。冷静、と呼ばれる男が夢中になる姿は、もう長い間この家の中だけの秘密だ。
「悪い。あったか、他に観たいのが」
 元の穂刈の顔に戻ってしまって、俺は少しばかり残念だと思う。そうさせたのは俺なのに。でもいつもの顔を別に見飽きたわけじゃない、そうじゃなきゃ五年も一緒にいない。
「あったが、いい。まだそれ続くだろ?」
 穂刈には言ってないが、たしかに今日はこれからロードショーがある。それは、二人で共有している(といってもほとんど俺しか使っていない)ポータブルテレビで見ればいい。録画予約はすでに済んでいる。それに今回のはDVDも持っていて、数年ぶりに地上波でやる上に吹き替えの声優が違うから、見比べておきたいというくらいで。
 テレビでは、ちょうど前半戦を終えて審判が笛を吹いていた。穂刈の意識がサッカーから離れるのにいいタイミングでもあった。
「いや、観たいなら、」
「いいって、大丈夫」
 犬を追い払うようにおおげさに手を振って、ちょうど沸いたケトルを持ち上げる。カップに注ぐと白い湯気が漂い、心地良さそうに浮かぶ。
「そのチーム、鋼も応援してるもんな」
 穂刈がカップを受け取るために立ち上がる。スプリングのきしむ音がした。ここに入居したばかりのときに買ったソファも、そろそろ買い替えどきかもしれない。
 穂刈は決まりが悪い顔をして、ガリガリと後ろ頭をかく。歯切れの良くない「あー……」という返事。今日はつくづく、珍しいものを見ている。
「今度また、行くんだろ?」
 そう話をつないでやると穂刈はためらい、時間をかけてようやく静かにうなずいた。
 俺が今度、と言ったその日はもう具体的な日時が決まっていて、それは俺とこいつの休みがたまたま合った日でもあり──けれど穂刈は、鋼と試合を観に行く。
 テレビからは、ハーフタイム中の余興の音が華やかに聞こえる。鳴り響く笛とパーカッションが、こいつの好きな祭り囃子ばやしのようだ。ずっと鳴り続ける低音のドラム、止まない歓声と巨大な旗振り。音楽というよりも、体の奥底を湧き立たせるようなリズム。御輿みこしの上に乗るような男だ、ああいう応援は好きだろう。
「だったら今日のもちゃんと見とけよ。そしたら次に観に行くとき、より楽しめんだろ」
 穂刈が口を尖らせている。デカい男が、自分を見透かされて落ち着かない気持ちでいるらしい。かと言って、もう約束をした予定を反故ほごにすることもできない。俺はまたおかしくて笑う。
 ──俺は本当に気にしていない。むしろ、行ってきたらいいと思っている。
 穂刈がたまに鋼とサッカーを観に行くと、無表情の中にちょっとした興奮をひそませて帰ってくる。スポーツ観戦に熱を浮かされた、少年に戻った穂刈が顔を出し、淡々と、しかし饒舌に試合の結果を俺に伝える。
 そんなこいつの話を、俺はうなずきながら聞く。いつもなら逆。穂刈が俺に合わせることが多すぎるから、ほぼ百パーセント俺がうなずかせていた。
 だから、こうして立場が逆転するとき、俺の胸は躍っているのだ。久しぶりの休みがかぶった日に、こいつに予定が入ってしまったとしても、俺は怒らない。帰ってきたあと、あの小さい星屑みたいな目で楽しかったことを話す姿を心待ちにしながら、「行ってこいよ」と送り出す。
 穂刈はそのとき、しなくてもいいのに、埋め合わせに手土産を必ずひとつ買って帰る。この五年、近所の和菓子や洋菓子の店で、新作の味を知らない店はなくなってしまった。
「お前らの応援してるチーム、勝てそうなのか?」
 俺が話を振ると、穂刈はピンと見えない耳を立てて、見えない尻尾を振る。
「わからない、まだ。出てこないからな、新加入の選手が」
「へえ、そいつがキーマンか」
「ああ、鋼の好きな選手なんだ」
 そうして、ハーフタイムが終わるまでのほんのわずか、穂刈はなめらかにしゃべり出す。その選手が重要な役割をするんだということ。けれど彼を試合に出すのは、チーム全体の体力面を考えて後半途中から出してくるんじゃないかという推理。自分がもしも監督なら。相手の出方はこれからどうなるか。俺のカップの飲み物は半分くらい減ったのに、穂刈のは一向に減らない。
 話を聞きながら、ふと思い出す。ときどき穂刈は、俺が映画に夢中な様子をじっと見てしまうことがあるらしい。まえまで「ちゃんと映画に集中しろよ」と言っていた。でもこれからは、三回に一回くらいの注意に留めてやるか、と思う。

 ──穂刈がサッカーを観ている。俺はカップをローテーブルに置いて、ソファに並んで座った。後半戦のスタートに、画面上の声援が高らかになる。穂刈の黒目が、ライトの反射で輝いた。小さな星屑の健在を、俺はひそかに喜んでいる。