櫻、攫

お付き合い年月が経って、余裕が出てきた村上くんのお話。先輩だけお酒の飲める年齢。ほかりがたくさん出てきます。
サブタイトルは「やさしい人たち」。
タイトルは読み方特になく、この二つ何となく似てると思って並べました。
櫻=さくら、と読みます。

 桜の枝葉の下、葉の影がかかりながらも、ほほえんでいる来馬先輩の頬は赤く染まっていた。
 少しお酒を飲んでいて、シートに座りながら、発泡酒の入ったプラスチックカップをかたむける。そこまで度数も強くない第三のビールは、細い喉に隠されている食道へゆっくり流れていった。隣に座る太刀川さんは来馬先輩よりもかなり赤い顔で、つまみを食べながら木にもたれて目を細めている。
「今年は忙しくなりそうだし、次にやる花見以降は、しばらく集まる機会がないかな」
 という太刀川さんの何気ない発言が誘いになり、話が噂を呼び、結果的にボーダー関係者が大人数で桜の下にいる。ひらひらと舞う花びらが皿の縁を彩り、または酒の水面に浮かぼうと、みんな風情を感じて嫌がることもない。ほのかなピンク色を満場一致でここまで楽しむ行事は、なかなか他ではお目にかかれないのでは。
 広々としたシートに足を伸ばして、俺は先輩を見る。
「もう一杯飲みますか?」
 空になっていたカップの底に、泡がたまっていた。先輩は口元を拭って、手で俺を制す。
「これ以上飲むと、さすがに酔っ払って迷惑をかけそうだよ」
 申し訳なさそうに笑うこの人は、自律して背を伸ばした。みんなで集まるなんて滅多にない機会で、羽目を外したがる人も多いけれど、そうはせずに他を考えられる先輩はかっこいいと思う。
 かっこいい、本当にそう思うのだ。今回のような小さなことから、大きなことまで。
 出会ったときから今の今まで、俺は来馬先輩を尊敬している。人としてのかっこよさを見習いたい。俺にはまだまだ足りない部分もたくさんあるが、先輩ならこのときどうするだろう、と考えると、自分の経験と合わせて自然な答えがいつも生まれた。
 やがて、あとから訪れた他のメンバーと先輩は話し出す。俺は穂刈に遠くから呼ばれて、立ち上がった。離れた場所から一度だけ来馬先輩を眺めると、先輩にかかっていた枝葉の影は、風が吹いて取り払われ、明るい日差しにやわらかい髪が照らされていた。楽しそうにいろんな人と話している先輩は、ほがらかで、やさしかった。
「呼ばない方が良かったか、先輩のところにいたから」
 穂刈が気を遣って言ってくるけれど、俺は首を振る。
「いいんだ、俺は俺で、こっちでも話したかったし」
 ふうんと呟きながら、穂刈は珍しそうに俺を見た。そんな変なことを言ったかな……と上目遣いに穂刈を見ると、前髪に桜の花びらがついていた。さして気にするようでもない友人は、切れ長の目をおもしろそうに細めた。
さらわれそうだとは思わないのか」
……攫われ……?」
「来馬先輩が、桜に」
 ああ、と俺はすぐに思い立った。ちょっとばかり口を尖らせると、「悪かった」と言いながら笑われる。穂刈は過去の俺を覚えているんだろう。

 ──二年前にも花見をしたことがある。そのころ俺は先輩と付き合いたてで、ぎこちなくも二人の時間を持ちつつ、当然鈴鳴のメンバーとの時間も大切にしていた。
 シートを敷いて四人で座り、一息ついたころ、たまたま近くの芝に来ていた荒船と穂刈に声をかけられた。鈴鳴と荒船隊で集まるなんて珍しくて、シートを近づけて食事も飲み物も分け合う。太一と半崎がすぐに隣り合ってお互いの隊で持ち寄ったものを自慢していたし、俺も同い年で集まれるのは久しぶりで、頬がゆるんだ。
 オペの二人が足りなさそうなものを買いに行っている間、桜が風に吹かれて大きく舞った。
「わ!」
「すごい風っすね」
 食事や皿を庇いながら、シートを敷き直す。今日はそんなに強い風の吹く予報ではなかったはずなのに、もう一度、次は別の方向から逆巻くような風がきた。桜の花びらがつられて、地面から湧くように空へのぼった。
「でも、きれいだね」
 穏やかに告げる来馬先輩は、とてもまぶしそうに空を見上げていた。
 なんだか、桜が先輩を連れていってしまいそうな気がした。桜の花びらの合間から見知らぬ存在に掴まれ、手招きをされ、どこかの世界への門を開く。門の中からも、たくさんの存在が先輩を待っていて、そこへ吸い込まれるように体が消え、しまいには俺たちの記憶からも消えてしまうような。そして桜でふたをされ、二度と思い出せない記憶になるのではないかと。
 そのとき、隣にいた穂刈に小さい声で言ったのだ。「バカみたいなことを言ってるかもしれないけど、」と付け加えて。
「先輩が、桜に攫われるんじゃないかと思った」
 俺がそう言うと、穂刈は少し厳しい顔をして、
「そんな簡単に攫われはしないだろ、お前の隊の隊長は」
 と言った。俺は息を飲んだ。次いで、大げさに首を向けると、穂刈の髪からはらはらと花びらが落ちた。
「ちゃんとそっちには行かない、と断って帰ってこられるんじゃないか? もしそんなやつらが出ても」
 穂刈も、ちゃんと帰ってきた一人だ。宇宙人に会った、という友人の遠い目は、幼いころに見たUFOを思い出しているんだろうか。
 今思えば、彼が会ったのは近界民だったかもしれない。それでももしも穂刈が連れ去られていたら、こうやって隣にいることもなかったし、きっと俺の学校生活も、ボーダーでの活動も寂しい。
「盾、と言われすぎてるんじゃねーか、鋼は」
……そうかもしれないな」
 俺は、自分に呆れた。盾と言われ、守るべき存在という無意識の言葉が、知らず知らず体をむしばんでいたようだ。
 先輩は、やさしく断るだろう。未知の存在たちに、やさしく、しかしキッパリと。桜はそっと門を閉じて、静かに去る。ほがらかな笑顔の下に、芯の強さを持っているあの人は、それを見届けて俺たちのもとへ帰ってくるのだ。
「なあ穂刈」
 俺は穂刈と話したこのときから、改めて強く思う。
「来馬先輩って、かっこいいな」
 友人は吊り目をゆるませた。
「ああ。だから自分に自信を持て、そんな人に選ばれたんだから」
 付き合ったばかりで、まだ二人で過ごすときもぎこちない俺たちを知っている穂刈は、そう言って俺の肩を叩いてくれた──

 今じゃ、攫われそうだなんてちっとも思わない。桜の下でみんなと親しく笑っている姿が、とても愛おしく思える。まえまではその姿に、周りに嫉妬をしていたかもしれない。それこそ、穂刈に呼ばれたら行くのを躊躇っただろう。
 来馬先輩とのことで戸惑ってばかりいた俺を知っている穂刈は、肩をすくめる。
……かわいげがなくなったな、自信を持ちすぎて」
 同い年の男にかわいげ、とは。俺は吹き出すように笑った。
「はは。でも穂刈が言ったんだぞ、自信を持てって」
 倒置法まで使ってやって、横にいる友人の方を向くと、顔が見れないほど髪をぐしゃぐしゃと撫でられた。
 その手のひらは大きくて厚みがあって、やさしい。きっと穂刈も宇宙人と会ったとき、連れ去られそうになったのをやさしく断ったのかもしれない。