最高の男

石化前でまだ二人が若い頃。ゼが、誰かにスのことを褒められたら「そう、彼は最高なんだ!教えてあげよう」みたいに長々と言えるようになるまでのお話。スが過去に一度だけテレビ出演をした過去を捏造してます。

「まだ取ってあんの、そのポストカード」
「君がとっておけ、と言ったんじゃないか」

「まあ、そうだけど」

 開いているドアに寄りかかりながらノックして、部屋に入ってくるスタンの足取りは優雅だといつも思う。長い脚を惜しげもなく伸ばして、最小の歩幅で僕のそばにたどり着いた。コーヒーの香りを漂わせて。

 僕が見ていたポストカードをひらりと取り上げる指先は、少しかさついて荒れているのを僕は知っている。昨日その手に体中なでられたから。
「体調どう? コーヒー、ミルク多めにしてっから」

「ありがとう、おかげさまで下半身は動かないよ」

「はは、そりゃ光栄」

 コーヒーの入ったカップを近くに置き、軽いキスをこめかみにもらう。

 スタンはこの一週間、荒れた土地で銃を握り、何時間も狙撃対象(今回は戦車だったらしい)を待ち続ける任務だったと言っていた。そんな激動の終わり、ようやく相手を撃ち抜けたときの達成感は何ものにも変えられないという。僕でいう、科学の新発見を成し遂げたときのようなものだろうか、と首をかしげて伝えたら、

「そんな崇高なのと一緒にしたくねえな」

 と言われた。そのあと彼は、僕を少し荒っぽく、最後はやさしく抱いた。

 おかげで今日の僕はこの通り、デスクの椅子からほとんど動けないでいる。昨日のうちにスタンの、『今日帰る』というそっけないメールを受け取ってすぐ、フィールドワークを終えておいてよかった。

 メールの画面をなでると、そこにスタンがいる気がした。いつもの無表情に少し唇を突き出して、「こんなの一秒も早く切り上げて帰りたい」と言っているようだ。きっとメールを打つのももどかしかっただろう。

 今、コーヒーをすすりながら、そんなスタンのかわいさを思い出してクスリと笑うと、不思議そうにこっちを見ている当人がいた。


 ……思えば昨日から、「僕の考えるかわいいスタン」を想像し続けている気がする。
くだんの「かわいい」メールをもらってから家に帰り、彼が好きな料理で作った夕食を整え、彼の好きなデザートを買いに出かけた。意外と甘いものを豪快に食べる癖がある彼が、いつの日か口元にクリームをつけていたのを思い出す。指でぬぐうと嬉しそうにしていた、あれはもしかしたらわざとつけたのかも。そんなところがかわいい。

 冷蔵庫にデザートをしまうと、今度は自分の下準備をする。トイレと寝室を行き来して、久しぶりに会える彼の姿を想像した。

 そのときも僕は、かっこいいスタンを考えようとしたのだけれど、無理だった。セックスのときにふわふわと僕の腹のあたりで揺れる髪の毛だとか、「気持ちい?」と聞くときにそっちこそ気持ち良さそうなうっすら震える低い声だとか。このときも想像だけで、ふふっと笑ってしまい、一度だけ抜いてしまったのは秘密だ。熱を吐いたら少し落ち着きを取り戻して、薄暗い夜の中から聞こえてくるジープの音に、冷静に対応できた気がする。

「ゼノ!」

 と玄関でちからいっぱい抱きつく姿とか、

「すげえ、全部俺の好きなのばっかじゃん」

 とニコニコしながら料理を頬張る顔とか、

「風呂待てねえから一緒に入ろ」

 と長身をかがめて低い位置にあるバスタオルを、いそいそと二人分取り出す所作だとか。

 やっぱりかわいい、と思ってしまう。


「君は、このときから変わらないね」

 取り上げられたずいぶん昔の色褪せたポストカードをふたたびこの手に戻すと、スタンは忌々しそうに舌打ちする。

 ──スタンは、昔一度だけ、子ども服のコマーシャルに出演したことがある。子どものころ、道端で僕と一緒に歩いているときにスカウトされた。スカウトマンは早口でまくしたてていて聞き取りづらかったが、たしかスタンのことを、

「キュートとクールのバランスが最高!」

 だの、

「大人のようでいて子どもらしさも拭えていなくて……

 だの褒めたたえていた。

 僕だけがそれを知ってればいいのに……と内心毒づいたけれど、スタンの両親も僕の両親も、面白がって「出ろ出ろ」と催促した。彼はものすごく嫌そうな顔で三十回は断った。

 でも三十一回目のある日、彼はうちにとことこやってきて(パパラッチから隠れる名女優みたいに、パーカーのフードをかぶって)こう言った。

……ゼノのこと、考えながら出っから。金入ったらあんたにやる」

 そして、スタンは僕に触れるだけのキスをした。僕は面食らって立ちすくんだけど、悪い気はしなかった。彼に真っ赤な顔で「ちゃんとテレビ見ろよ」と告げられ、その日以降、いつもなら滅多につけないテレビを欠かさず見た。親の見たい番組も止めるほど。一ヶ月後に初めてスタンがコマーシャルに映ったとき、僕は見たことを報告し、僕からぶつかるようなキスをした。

 今思えば、僕らが付き合いだしたのはそのころからだった気がする。遊びにいくたびに軽いキスを交わし、それがだんだん歳を重ねるにつれていろんなことを覚えるようになり、胸に触れて、腰に触れて、互いに知らないところはなくなった。

 このポストカードはつまるところ、記念品と言える。僕とスタンの、付き合った記念。コマーシャル出演料と次の撮影オファー、たくさんの芸能事務所への紹介状の中にこれは入っていた(出演料以外はスタンが全部庭で燃やした)。見つけたとき、面と向かってこう言われたものだ。

「それ、あんたに身も心も捧げた記念。とっといてよ」

 カードの中の、憂い顔さえサマになっているポージングで、服を着こなす一人のうつくしい少年。

 僕の科学実験の足しに、とコマーシャル出演料をキャッシュのままテーブルに置き、「せっかく君が体を張ったのに」と言えば「そんなのいんだよ。で? 今日はどんな話?」といつもの科学理論を聞かせろと言う少年──



 ん? ではやはりスタンは、かっこいいのではないだろうか?

 過去を思い出していた頭を振り、今目の前にいる男を見た。

「スタン」

「何? コーヒー、味薄い?」

「君は、どっちなんだ」

「は?」

「だから、かわいいのか、かっこいいのか、どっちなんだ」

「へえ、そんなことか」

 そんなこと。僕にとっては結構頭を悩ます事態なのだが。どちらかに定まってもらわないと、誰か他の人にスタンを説明するとき、科学以上の講釈を垂れ、結局最終的になんと言ったらいいのかわからないのだ。

「んなの、キュートとクールのバランスが最高、だろ?」

 十数年ぶりに聞いたセリフがスタンの口から飛び出す。いや、まさしくそうなのだが、あのスカウトマンから放たれたセンテンスかと思うと、先に僕が思っていたのに……という気持ちにいまだに、なる。

 幼いころのモヤモヤした感情が湧く。まだそんなことを気にしていたのかと気恥ずかしくなって、ぷい、とそっぽを向くと、スタンは口を開けて快活に笑う。

 スタンは知っている。僕がスカウトマンに不必要なまでに、スタンを取られたくない、と思っていたことを。

 そして彼がコマーシャルに出たのも、目立ちたいとかじゃない。
「俺がいかにゼノを好きか、世界に知らしめるため」に出たのだということを。

「俺にとっちゃ、あんたこそ、キュートでクールだぜ?」

「おお、この僕が?」

「そ。昨日までにスマートに仕事終わらせて、俺のために料理を完璧に用意してくれたり。クールじゃん?」

 ソファに座っていたスタンが、ブラックコーヒーをローテーブルに置く。

「今やってる研究の話なんかを夢中で話してるときはキュートだし、夜だっていっぱい感じてくれてっからかわいいし」

「む……研究の話のときにそんなこと考えていたのか、君ってやつは」

「ハッ、そっち気にする? 夜のことはいーんだ」

 スタンの、艶めいた唇がきれいに笑う。

「ねえゼノ、調子に乗ってよ」

「……?」

「俺に愛されてんだから、もっと堂々と言ってやりゃいい。俺がどんなにあんたを好きで、最高かって」

 僕は、そろりと顔の向きを戻してみる。僕よりもずっと華やかで、うつくしい顔が、まるで初恋をしたみたいにほんのわずかに目尻を染めていた。スタンは表情があんまり変わらないのに、僕と相対するときはとたんに色がつく。僕が絵の具を滲ませて、彼に色をつけているんじゃないか、と思うくらい。

「自惚れてしまうよ」

 自意識過剰なことを言えばスタンは、

「自惚れてよ」

 とのたまう。

……君が言うことは、絶対、だものな」

 僕よりずっと人を魅了し、支配する力がある男が、僕のそばで「絶対」を約束する。絶対なんてあり得ないこの人間社会において、この男の言動だけが僕に信頼をもたらすのだ。

 ソファでくつろぎながら僕を見つめるスタンは、ポストカードと同じ表情をしている。きっと、いや絶対に、これからも変わらず同じ表情で僕を愛するのだろう。



 ──数日後、スタンを通りがかりに見たという女性研究員が、僕に色めきたって伝えてきた。

「やっぱりミスタースナイダーは素敵だわ。ドクターが羨ましい」

 僕らが幼馴染であることを知っている人間は、みんな大抵こう言う。どうにか取り合ってもらいたいんだろう。

 前までの僕なら、笑ってごまかすか、「今は交流を持ちたくないと言っていたよ」と言い含めたあとに、心を少し重たくしていたんだけれど。

 僕は彼女に笑いかけながら、嬉々として言った。

「そう、彼は最高の男だよ」