ピンクと黒は同じ意味をもつ

松川くんも花巻くんも、どちらも甘えたり甘やかしたりするのが好きなお話。馴れ初めも含めてこういう大人になってからの恋でもいいな、と思って書きました。

(松川)

 図体のデカい男が二人、部屋の真ん中で縮こまってソファに並んでいる。
 俺は今年買ったばかりのフリースの上着を着ながら、今日見れていなかった新聞を読む。休みの日はメガネと決めているから、度の微妙に合わなくなったメガネをかけて、社会欄を眺めていた。紙面を膝の上に広げて足を組みながら、なんてカッコつけない。ストーブの温風がふくらはぎに当たってそこだけ熱いから、ソファの上にあぐらをかいていた。
 花巻は、昨日の新聞紙の上で前髪を切っている。適当な市販のハサミで器用に前髪を切る。地毛だという世にも珍しい明るい髪が、これまた器用に新聞紙の上に着地した。けれどローテーブルの上にある鏡が、花巻に対してやや遠くて小さいから、大きめのパーカーを着た背を丸めて小さい鏡に見えるように切る姿は滑稽だなと思う。
 集中しているであろう花巻に、あえて話しかける。
「花巻、明日誕生日だね」
「ん? おー……うん」
 聞いていないことが見え見えの返事で、慎重に伸びた髪にハサミを当てている。
「何が欲しい? 誕生日プレゼント」
 プレゼント、という言葉には敏感に反応をした耳がちょっと動いた。もみあげの辺りの毛はさっきすでに切り終えているから、形の良い耳がよく見える。
「うーん…………
 しばらくうなりながら悩み、気づけばハサミの手が止まっていた。
 前髪が目に入るのを防ぐために目を細めていたはずの花巻が、ようやく目を開いてちゃんと喋り出した。
「急に言われてもなあ……プレゼント、プレゼントね。今決めないとだめな感じ?」
「いいや、でも早めに知っときたくて。買いに行ける日限られてるし」
「ベタにお前っていうのは?」
 まえよりも肉付きが少し良くなった首をこちらへ向けて、花巻はニヤリと笑った。
「それは去年散々な目にあったので……
「おい何だよ散々って」
 言い方は怒っていても、まだ笑っている。花巻は感情の表し方も器用だ。俺は対抗できるほど上手に顔つきを変えられるような男じゃないから、拗ねたような顔のまま話す。
「忘れてないよ、テレビが生クリームまみれになったの」
「そっちかよ忘れてないの。そうじゃねえじゃん」
 そっち、ということは、もう一方もある、ということで。
……覚えて、るけど、さあ」
 ぎこちなく目をそらす俺を笑いながら見ている花巻は、いたずらめいた顔をしている。

 ──一年前、花巻の誕生日会をうちでやろう、って話が出て、帰国していた及川と、休みを取ってくれた岩泉を呼んで四人で盛大にパーティーなんかを開いてみた。なんでもない集まり(及川が帰国している時点でわりと珍しい集まりではあったが)を装って連絡をし、部屋を飾ったのは高校以来のサプライズで、狭いながらも楽しい我が家に来訪した花巻は、クラッカーの音に驚き玄関で立ちすくんでいた。
 手土産だなんて言って、仕事着のスーツ姿で知らないメーカーのこじゃれたお菓子を持ってきた花巻は、「お前らぁ……!」って感動して酒をおおいに飲み、顔面に受けるケーキを盛大に受けたわけだけど、位置が悪くてテレビにも生クリームがついてしまったのだ。地味に細かいところにもクリームが入り込んで、古いモニターがもう少しでだめになるところだった。
 クリームの汚れを取り去って、仰向けにゴロリと床に転がると、天井と花巻の後頭部が見えた。髪が伸びはじめた花巻は、まだ酒の残る顔で後片付けをしてくれている。ありがたいなと思いつつ、こんな光景あんまりないから、目に焼き付けとこうとひそかに思っていたのに。
 及川と岩泉が、そんな俺を覗き込む。ニヤリとして。
「まっつんずいぶん酔ってるね」
 昔よりえらく屈強になった成人男性二人が、酒なんてどこ吹く風で心配そうに言ってくる。
「おう、花巻、心配だから今日泊まってってやれよ」
「俺たちもう行くから!」
「は? ちょっと……!」
 俺は全然酔っ払っていないけど! と言うにはもう二人の背中は遠かった。一人呆けたままの花巻が「おお、今日はサンキューな」なんて笑顔で見送っている。絶対違うじゃん、わかるでしょ? 及川も岩泉も、こっち見ながらニヤニヤしてんじゃん。花巻も止めてよ。
 片思いをこじらせてずっと今も好きな人と泊まりって、どういう状況だよ。
「松川酔ってんの? 泊まりとかいるぐらい?」
 高鳴る心臓は久しぶりだ。花巻といるといつもこうなる。脈が強く鳴るんじゃなく、小さく弱いのに、長く尾を引く。
「松川?」
 一人暮らしを始めたこの家に、絶対に花巻を泊まりに来させないようにしていた。客用の布団がないから、とか、明日も朝が早いから、とか適当な理由をつけて。
 プラトニックを貫きたいわけじゃない。高校から大学まで、彼女だってちらほらいた。みんな長続きしなかった。その人たちに、気のないキスとセックスをしたことは謝りたい。肝心の好きな人とは、同じ部屋で一緒の空間で呼吸をして、体温を感じて眠ることすらできないんだから。
 酒の勢い、及川と岩泉の後押し、深夜の雰囲気、自分の部屋。今、俺にはまさにいろいろな好条件が揃っていて、なおかつ相手は泊まりで家にいようとしてくれている。
 俺は観念して、積年の思いをすごすごと伝えてみるのだけど、
……花巻のこと、好きなんだ、ごめん」
 だからなにか間違いが起きないうちに帰って、と、俺は言いかけて、言い出そうとして、喉奥で詰まってむせそうになった。咳払いの代わりに、違う言い訳をしゃべる。
「いや及川も岩泉も、お節介だよね。こんな侘しい男にせめてもの記念をくれようとしたのかも。でも今日花巻の誕生日なのに、嫌な思い出で塗りつぶしたくない、っていうか」
 慌てて口の端を吊り上げて演じる俺は、なんてダサいのだろうと恥を知り、余計に花巻の顔を見れなかった。大人になるって、悲しいことだ。
 今の世に、男も女もないだろう。好きなら好きで、伝えられて満足だ。けれど、高校から社会人になるまでずっと好きでした、っていうのがいけない。
 まず、長い。そして重い。
 もっと伝えるタイミングなかったのか? 今になって二人の関係がぎこちなくなるのを選ぶのか? 俺の頭の中はぐるぐると回る、というより蠢く。
 近くにあった、誰のグラスかもはやわからないものに口をつけた。薄くなっている炭酸の抜けた酒。甘いようで、苦い。
……それ、俺のグラス」
 花巻の声がした。存外近かったから、振り返ったはずみで鼻先をぶつける。花巻の伸びかけの前髪の感触が、まぶたと額あたりをかすめた。
「いって!」
……っ、……大丈夫?」
 花巻も鼻あたりを押さえていた。痺れるように痛むけれど、俺より向こうの方が心配だと思うのは、やっぱり花巻相手だからだ。
「大丈夫。悪ぃ、俺も近すぎた」
 腹の内側から声を出さずに笑っている花巻は、そのまま俺が口をつけたのと同じグラスを飲み干した。間接キスだ、なんて今どきの小学生ですら思わないであろう純情を、キスもセックスも経験済みの大人が脳内を占めるほど考える。
「好かれてんの、嬉しーよ」
 花巻が笑うと、俺はムスッとした顔になってしまった。嬉しい、の一言で片付けられた気がしたからだ。きっとこのあとに続く言葉は、酒のせいだから、とか、今は酔ってるから、とか、そんな言葉だろう。そう覚悟していたら。
「松川、大事にしてくれそうだもんな」
 ……俺のどこを見て大事にしてくれそうって思ったのか。ずいぶんまえに付き合っていた彼女とのことを聞かれて、大事にしているって嘘をついたときかな。家族とバレー部のみんなとお前以外、大事にできない人間なんだって思われたくなかった。
……そりゃ好きだし、大切にするよ」
 俺が本心を言うと、花巻は目を細めてうなずいた。
「お? いいじゃん。俺、そろそろ自分を甘やかしたかったんだよね」
 立ち上がって伸びをすると、背の高い花巻がさらに大きく見えた。
……甘やかすって……
「大事にされたいってことだよ」
「わかるけど……っいや、わかんないよ、どういうこと?」
「社会人になって残業も営業もこんな大変だし、ずっと一人で飯食って風呂入って寝るだけ。休みの日に上司からメッセージが来て仕事のこと考えなきゃいけねえし? 甘やかされても良くない?」
 俺の家は自営で、職業柄急な仕事があってもやることはほぼ決まっているから特別イレギュラーな対応はない。花巻は毎日大変そうだっていうのは、比べてみてよくわかる。
「まあ、それは甘やかされてもいいかもね」
「だろ、俺は今年、そんな会社に見切りをつけて転職もしたい。だから心持ちが強くねえと、やってけないわけ」
 たしかに働きながらの転職活動はかなり大変だろう。高校のときのクラスメイトがまさにそんな体験を最近していて、SNSで憂鬱になりながらも頑張っていた様子が窺えた。
「松川がいたらいいなあ、と思うよ」
 花巻は、さっきまでのトーンとはまるで違った、静かな口調で話を始める。
「部活のあとってさ。学校と部活といろいろで、めっちゃくちゃ体が疲れてんじゃん? そのときお前と二人で帰っててさ」
 思い出話、だろうか。二人で幾度も一緒に帰った。
「んー……なんつーか、すげえ良かったんだよね。しゃべってもしゃべんなくてもいいし、腹減ったらなんか買いに行こーって松川がちょうど言ってくれてさ。家に入りたくねえなあ、と思ったらちょっとだけ松川の部屋に入れてもらったりして。だから、一緒にいれたら楽しいだろうなあって思ってた」
 こっちを見ないまま、花巻は続ける。
「いざ上京して部屋借りて、電車で通って、クタクタになった帰り道にさ──お前がいねえんだもん。コンビニで帰りに昔と同じもん買っても味しなくて、松川の部屋で読んだ漫画の続編出ても、つまんねーって思う」
 ピンク色の髪をガシガシと手でかいて、花巻がこっちをちらっと見る。ぐちゃぐちゃになった後頭部を直そうともしないで、俺のまえにふたたび座った。
「俺、お前にすっかり甘やかされててさ。転職だって宮城に戻るか東京残るか迷ってるぐらい。だって宮城に戻れば、いつでもお前に会えるし。でも東京で見つけようって決めてたのは、まあ俺の意地だったんだよね。お前に迷惑かけたくない、っていう」
 そこまでスラスラと、まるで用意していたかのように言葉を紡ぐ花巻に、俺は遮るための声をなんとか上げた。
「迷惑、じゃないよ」
「え、ちょっとは否定しろよ。たまに迷惑かも、とか」
 たまに? たまにってなんだ。
「じゃあ……百回に一回くらい?」
「そんなもんなの? 愛されてんなあ俺」
 呆れたように花巻は言う。こっちは長らく募った思いがバレて冷え冷えとしているのに、なんでもなかったみたいに過ごしている花巻のことを単純にすごいと思った。
……もしかして花巻、こういう重めの告白受けたこと何回かある?」
「ねえよ! なんでだよ」
「対応に慣れてるっていうか……
 花巻は肩をすくめたけれど、ちゃんと俺を真正面から見てくれた。
「んなわけあるか。口から心臓飛び出そうなくらい驚いたわ」
 そうなの? と俺がもう一度疑ってかかると、そうだよ、と睨まれた。勇気を出して告白をして良かった、と思うが、睨まれることになるとは思わなかった。
 ……結局、俺は部屋に布団を敷いて、花巻を一人暮らしの部屋に初めて泊らせることになった。付き合ってゼロ日目。決まったことは、花巻の転職先は宮城も候補に入るということと、毎日連絡を取ろうということ。明日の新幹線で東京に帰らなくてはならない花巻のスーツは、ハンガーにかけられてきれいなまま。ズボンのしわをアイロンで伸ばせば、すぐに仕事へ戻れる体勢だ。
 二週間後の花巻の帰省でようやく一緒のベッドに眠れるようになって、三週間後の帰省でキスをした。そのあとから、火葬場でご遺族と向かい合うとき、彼らの涙に少しだけ胸が締めつけられる回数が増えた。花巻にそれを話したら、
「きっと松川が、一日一日を大事に生きようと思ってるからじゃねえの?」
 とあっさり答えをくれた。
 単純なことだった。あのピンク色の髪みたいに、世界が鮮やかなものになった自分は、この世界で生きていることに今さら感動して、もっと花巻と生きていたいと思うようになっている──

 気がつけばハサミはとっくに置かれ、新聞紙も丁寧にたたんでゴミ箱に捨てられていた。花巻がコーヒーを淹れながら、相変わらず笑ってこっちを見ている。
……プレゼントが俺で嬉しかった?」
 もともと上向きの唇をさらに尖らせた。すごく拗ねているように見えるだろう。花巻はコーヒーを置いて、右手にもった牛乳パックをかたむけて注ぐ。
「当たり前じゃん。俺、甘やかされて幸せよ?」
 甘やかしてる自信はある。好きだから、大事だから、辛そうなときも楽しそうなときも、必ず寄り添えるようにしてきた。別に無理してそうしてるわけじゃない、自然と体が動いていた。
「花巻が幸せなら、それでいいよ」
 そう伝えると、花巻はうなずいてマグカップを置きにキッチンへ引っ込んだ。
 花巻はどうだっただろう、この一年。もう少しで誕生日が来て、花巻が一つ大人になる。たった一ヶ月と少しの間だけなのに、お兄さんぶるのは高校生のときからの通過儀礼だ。胸を張ってふんぞり返って、「貴大兄さんって呼んでもいいぜ」って冗談を言う花巻がもうすぐやってくる。その一ヶ月と少しだけは俺が弟なんだから、甘やかされてもいいんじゃないか、と前々から思っていて、果たしてそれはあいつの幸せになるのかな、と考える。
「松川の髪も切ってやるよ」
 新しい新聞紙を広げて、花巻が切りたての前髪を揺らしている。俺もあんなふうにまっすぐ切り揃えられちゃうのかな。
 ひとまず、今日は花巻のカットモデル役をすることで、花巻の欲求を満たして甘やかすことはできそうだ。

 ◇

(花巻)

 自分の髪を切りながら、少し遠くに置いた鏡の中に映っている松川を見る。メガネをときどきズラしながら、新聞を読み耽っている姿を見て、俺はなんとなく心があったかくなった。
 ──あのフリースは、一緒に店に買いにいって、俺が選んだやつ。新聞を先に俺が読んでしまったのは、後からこうやってじっくり読む時間を取るのが好きなあいつのため。ストーブが暑いのは、俺がどうしても寒がりだから勘弁してもらってる。でもそれに文句も言わないで、ソファの上にあぐらをかいている松川。
 そういえば、松川のメガネ、度が合ってないって言ってたな。これが終わったら買いに行くのを提案してみようか。コーヒーをもう一回淹れて、考える時間を置くのもいい。松川はきっとそろそろ「なんか甘いもんない?」って言うだろうから、冷蔵庫に隠しといたデザートをお披露目するのもいい。
(俺っていっぱい愛しちゃってるし、愛されてんなあ)
 目の保養、なんて言葉があるけど、松川が横にいて視界の端で動いているだけで嬉しい。休みが取れたら新幹線に乗るのがなによりも楽しみだった。
 転職は成功して、新しい職場から疲れて帰るとき、松川と電話をすると元気になれる。コンビニであいつに教えてえな、と思うものを買って、写真を撮って送るとワクワクした。松川の好きな漫画がついに完結しちゃって、泣きながら読んだってメッセージを送れば、俺もって返ってくるだけで心が満たされた。
 そのうちプレゼントの話になって、俺は聞いていないふりをしながら、ちゃんと聞いている頭で考える。もともとそんなに物欲はない。いや人に対する欲求、っていうのかな。モテたい、とか人肌恋しい、とかはあったかもしんないけど、そういうのは去年の誕生日ですっかりなくなってしまった。強いて言えば、松川が幸せならそれでいいや、と思うくらいで。
 だからこれからも俺は毎年、「お前が欲しい」って言う。ちゃんと俺の近くにいて、大事にしてるだけでいい──松川の幸せが俺を大事にすることなら。これじゃあ、甘えてんのも甘やかしてんのも、どっちかわかんねえな。
 俺が一息ついたあと、今度は松川の前髪を切ってやろう、という気になった。前髪を切られるために目をつぶって「まだー?」って言ってる松川に、俺は呆れたように笑って返事をする。そのうちハサミが音を鳴らして、俺とは違う癖のある黒髪の束が、やさしくゆっくり新聞紙に落ちた。