店員は見ていた

いつも行く焼肉屋でのある日。あんなこともこんなことも話し合っていて、どう見ても付き合ってる二人が、二日後に無事付き合えることになるまでの過程を見守る、モブたち全員のお話です。でもモブ視点ではない。

『店員は見ていた』

 網の上に置かれた肉が、脂を落として火を燃やす。一枚、二枚、北が肉を乗せる横で、治が空いた皿を端へ避ける。もう慣れてしまった連携は、二人の外食頻度の多さを物語る。受け取る皿には店自慢の焼肉のタレと、レモン汁のタレをそれぞれ用意して、「ほれ」と言われるのをありがたくつまむ。
 北はトングを一旦横に置いて、箸を動かす。熱そうにしながら豚肉を咀嚼する。
「キムチも頼もか」
 すかさず治はトングをつかみ、次の肉を焼きながら、笑った。
「ええですね」
 北は、ほどなくして通りがかった店員に「レモンサワーと、キムチ盛り合わせと……あと、これ、一つ」と伝える。
「あっつ。北さん、よお平気ですね」
 気温、プラス二十度。室温は火のおかげでもっとある。早くも汗をかいた自分とは違って、北は涼しい顔をして首を振った。
「おん、外作業多いし、慣れかな」
「今年も日焼けしましたもんね」
「おかげで肌痛い。でも治の教えてくれたのん、ずいぶん助かったわ」
 北はもともと日焼けに強くはないから、農家になって最初の一年は、おにぎり宮に納品にくるたびに皮膚のあちこちを痛そうにさすっていた。治はそのたびに、自店舗のアルバイトに「なんかええ日焼け止め知っとる?」と聞き回る。毎年恒例のそれも、今年はようやく聞かなくなった(いい日焼け止めが見つかったんだな、とアルバイトたちは察する)。
「そら良かったです、また買っときますか?」
「それやったら助かる」
「北さんとこ、ドラッグストア遠いですもんね」
「なんでも車出さな買いに行かれへんからな」
 店員がやってくる。まるで会話が終わるのを待っていたようなタイミングだった。「お待たせしました」とレモンサワーとキムチ、もう一つの皿も置かれた。
 皿の上には大きなおにぎり。大人の茶碗の分量よりも多い。「ごゆっくりどうぞ」と去る店員は、さっき治が端に寄せた食器を全てさらっていった。この店のこういう手際の良さが、治は気に入っている。
「具、なんですか?」
「鮭、こっちは梅」
「さすが北さん。肉のあとに酸っぱいの、嬉しいです」
「いくらお前でも、そうなるんやな」
「そらもう年ですし。脂っこいのばっかりやと、重たいっていうか」
「その調子で健康診断まで頑張りや」
「う……去年は、ハメ外しました」
 毎年一月にある健康診断は、独り身で外食続き、かつ、飲食店経営者にはつらい。いろんな飲食店とつきあいがてら酒を飲む機会も多いし、不規則な生活にもなる。去年はクリスマスにケーキを頼んでアルバイトに振る舞おうと意気込んだら、先にアルバイトの子たちが「宮店長へ」ってへたくそな文字入りのプレートをつけたケーキをサプライズしてくれて、治はケーキをほぼホールひとつ分食べることになった。嬉しい悲鳴のあとは、体重計と睨み合い。その夜すぐに「明日の夜ご飯、いつもの焼肉やめて鍋の店にしません? 薬膳のとこ」と北に電話をしたのを覚えている。当然、一月の健康診断は薬膳の意味なんて成さず、医師に「運動、頑張りましょうか」と鼻で笑われた。
「あれは笑ったなあ」
「独り身なんて、こんなもんですよ」
「俺も独り身やし、経営者やけど?」
「北さんはー……はあ、なんでもない。口答えしようとした俺が悪かったです」
 フッフ、と含んだ笑い方をして、北はおにぎりを割って治の新しい取り皿に置いた。梅入りの方を、少し多めに。
「北さんと一緒に住んだら、厳しそうやけど体は健康になる気がします」
「たしかにな……でも、活動時間すれ違いやろ」
「すれ違いでも、なんかこう……夜食に絶対カップ麺は食べられん、ちゅうか」
「そらそうや。いざってときの避難用具ん中にしかないからな」
「え! じゃあ北さん普段、食べへんのですか?」
「ほとんど食べ……ああ、賞味期限切れそうなときは」
 治はおにぎりを頬張りながら、眉を下げる。目の前の人があまりに完璧人間すぎて、ときどき同じ世界に住んでいるのかわからなくなる。
「まあでも、お前が家におったら、楽しそうやな」
 北が笑って最後の日本酒をかたむけた。
 これからは見習って少し生活を改めないと。長く生きて、北さんとこれからも外食行きたいし。それにいつか一緒に住んでみたら、北さんの言う通り、きっと楽しい。
 あ、そういえば。
「北さん、今度、俺ん家で焼肉しません?」
「ええけど、なんでや」
「今度、焼肉つつんでおにぎり出したいんすけど、試食してほしいっちゅうか」
 ごくんと米を飲み込んで、治は水を飲む。さっき頼んでもらったばかりのレモンサワーだっていいはずなのに、そのときばかりは少し自分をシラフに保ちたかった。酒が一瞬で抜けるわけないが、真面目な話をするときは水を飲むのがいつもの癖。
「北さんの米やないと……いや、この店の米が悪いってわけやないんですけど、なんか、北さんの米の方が、一緒に合わせて食いたいって思うんです」
 どこか、遠くでトレーが落ちる音がした。「失礼しましたぁ!」と店員の声がして、ああ珍しいこともあるもんやな、と治はどこか頭の隅で思う。いつもテキパキ、要領のいい店員ばかりで気持ちのいいここの店。気に入ってるし、肉もうまい。だけど、米は、米だけは、やっぱり北さんのやないと。
……そんな褒められたらくすぐったいわ。ええよ、いつにする?」
「ほんなら……あ、明後日?」
「なんで誘ったお前が疑問形やねん、明後日は空いとる。珍しいな、試食頼むとき、明日すぐにでも、みたいなん多いのに」
……明日は、家、片付けときます」
「そんな汚いんか」
「うっ……
「店で試食じゃあかんのか」
「み、店は明日と明後日、アルバイトの子らが貸切でクラス会に使うんで」
「こんな時期に?」
「なんでかわからんけど、そう言われて」
 ようやく一息ついて、治はレモンサワーをぐっと飲んだ。異様に乾いていたのか、喉に炭酸とレモンの酸味が心地いい。一気に全部を飲み干して、それが今日の食事終了の合図となった。
「そういや、この店、使ってる肉、冷凍で売っとるらしいです」
「知らんかったな、そんなんいつから始めたんやろ」
「買っていくんか?」と聞かれて、治は食事の済んだテーブルから離れて上着を取る。近くに置いてあった衣類用の消臭スプレーを二人分のジャケットにかけると、北の上着を渡しながら「明後日の分、何個か試しに」と言う。北がジャケットに袖を通すと、肩あたりに軽く携帯用のブラシをかけた。それをそのまま、治の肩にもかけてくれる。「北さんの好きな肉あるとええけど」と言って、靴箱から二人分の革靴を出すと、靴べらを先に北に渡す。履いた後に治も続いて、レジに行くまえに二人で財布を開いた。必ず割り勘で払うと決めている。冷凍庫に陳列されている肉を買うことを忘れずに。
「また明後日、時間は連絡します」
「おん、ちゃんと片付いとるか楽しみやわ」
 それじゃあ、と二振りほど手をヒラリ。店の前で左右それぞれに分かれて離れていく二人を──
 焼肉屋の店員は見ていた。


「やっとあの二人、家に行くことになった……!」
「ほんま、あれで付き合ってないとか世界おかしいんちゃう……? もう熟年夫婦やん、あのやりとり」
「一緒に住んだら、みたいな話し出したから、私変な声出たし」
「長かったなー、ついにオサムサン? の家行くって言ったとき、思わず俺もトレー落としてしもたわ」
 焼肉屋アルバイト歴数年のベテランたちが、一気に息を吐く。キムチのオーダーを聞いた店員も、そのキムチを持っていって代わりに食べ終えた皿を下げた店員も、誰もがみんな、同じくらいの長さで。
「おに宮の子らに連絡、もうした?」
「しました! やっと二人が家行く〜って喜んでます」
「貸切とかほんま強引すぎん?」
「でもそんくらいやないと、あの二人いつまでも店で業務的に会話終えてしまうらしいし……
「せやなあ……おに宮のバイトの子らも必死やな」
「俺らもな」
 彼らは一様に手を合わせ、天を見上げる。神に祈るようなポーズに、通り過ぎた何人かはぎょっとしてチラチラと見られていた。しかし、店員らの目には映らない。

 どうか、今度のオサムサン家訪問で、二人が付き合いますように……