冬が待ち遠しい、とでも言おうか

パエリア作る松川くん、花巻くんと同居が決まる話。

 カン、と薄手の鉄を叩く音が響いたキッチンは、もう少しだから、と言う花巻の声も明朗に松川の耳に届かせた。
『作ってみてえんだけど、材料買ってきてくんない?』
 とお達しがあり、わざわざ宮城から東京へ新幹線を降りた足で向かったのは、鮮魚店だった。珍しい物を買う訳ではないが、どうせなら美味い材料で作ってほしかったのだ。
 花巻は、料理がうまい。ことのほか、火を使う料理は特段。ある日訪ねたら、チャーハンばっかり食べ比べさせられてげんなりするかと思いきや、どの味も全部違っていてこれはこれでイケる、と思い、気づけばほとんど一人で平らげていたこともある。太りそう、と進言すると、太ればいいさ、と笑いながら、短い襟足越しに後頭部をカリカリ掻いていた。
 今日という日が何も特別なわけじゃない。至って普通の休暇だ。花巻も、松川も。でもその良き日に、花巻にパエリアを作らせたのは、少し自分たちと立場の似たような者たちが集まって作った動画を、見たからなんだという。
 部屋の中のカーテンが舞うと、ああ風が入ったな、と思う。エアコンはまだつけない、と頑張る花巻に合わせて半袖ハーフパンツを着たまま、うちわのように雑誌で自分を扇いでいる。まだ湿気は来ていないようだが、東京の風は生ぬるくなってきた。都会のくせに季節感だけはきっちり出してくるこの空気に、松川は稀に嫌気が差して、花巻の休暇のたびに来ているこの訪問を、五回に一回は断ることもあった。
 花巻だって、ぬるい風を浴びてだらだらと生きるより、冬はキリッと寒くなる宮城の風がいいと言っていた気がする。
「ほいお待たせ」
 軽快な声がして、少し唇を尖らせて空になった麦茶のグラスを口につけていた松川は、座りながら花巻を見上げた。
 垂れた目が面白そうにきゅっと細くなって、ニヤリと笑う。
「美味そうにできただろ?」
 何のために買ってあったのか、パエリア用にしか使わないであろう、一人暮らしに不釣り合いな鍋がテーブルの真ん中に鎮座している。ほくほくと湯気をたて、米と魚介に焼き色がついて、オレンジと赤との暖色が踊る。無意識に、松川は喉を鳴らした。存外、自分は腹が減っていたのかもしれない。コトリと置かれたカトラリーを取る手は早かった。
 けれども腹の音までは鳴らなかった、それはある意味意地である。
 この鍋は、昔花巻が付き合っていた彼女と買ったのを知っているから。
「いただきます」
「はいどうぞ」
 口の中に熱いかたまりを放るから、舌は自ずと引っ込みそうになる。またここで意地を見せ、少し強引に押し込んでやった。すぐに水が欲しくなるのを我慢して、火傷ギリギリを攻め立てる。そんなことをしたって何の意味もないくせに、松川は負けず嫌いだった。何に、とか、どれに、とかは自分でもよくわからない。わからないからこそ、負けたくない。もう花巻には彼女はいない。けれど何か、渦巻くこの室内の空気は、窓が開いているというのにちっとも入れ換えられていない。
「美味い?」
 美味いよ、とすぐに言えなくて、チラッと花巻を横目で見る。
「もしかして火傷したか?」
 ヘラリと笑う顔がどうにも惚れた弱みだと思っているから、観念して頷いた。空のグラスに水を注ぐ。麦茶切れちまったから、と謝りながら、透明の液体が薄い氷と一緒に入っていく。きちんと注ぎ終わるのを待って、松川はすぐにグラスを手にかけた。花巻がくれるものは何だって一番に欲しかった。誰が獲るわけでもないのに。
「美味いよ」
 やっと言えた台詞は何とも間抜けな音をしていた。くぐもって、平坦で、宮城の訛りをそのままに。クスリと笑った花巻も、
「そりゃどーも」
 とあっさり言った。彼も変わらず、東北の、抑揚の少ない喋り方をしていた。
 二人でしばらく無言でつつき合うパエリアは、鍋の底が一部見え始めた頃にようやく冷めてくる。皿に取った三杯目を大きく盛ると、自分が買ってきたイカが多く乗ってきた。噛みごたえのありそうな太さに切られたイカを、丸ごと一口で口に入れ、きちんと咀嚼を繰り返す。
「なあ、松川はさ、」
 対して花巻は、小さい口で米粒をすくって食べていた。まだ半分ほど飲み込み終わらぬ内に彼が話し出すから、松川は今し方噛みちぎったイカをゆっくり飲み込み、水を煽る。
「冬の間、何してる?」
……季節労働者じゃないから、働いてるよ」
 さも冬は暇だろ? とでも言いたげな花巻の言い草は、どこか含みがある気がして眉を顰める。葬儀屋は年中仕事がある、ありがたいことに、そして悲しいことに。冬は特に豪雪による被害や、精神的に人の気が滅入るから、葬儀が増える。
「忙しいなら、家にはあんまりいないわけだ」
「そうだね、今もそんなにいないけど」
……彼女でも、できた?」
「棺桶の中の人となら、火葬場までドライブデートしてるよいつも」
 花巻が、ぷは、と吹き出すと、頬にほんの少し赤みが差した。
「ドライブデート、してえな」
「花巻なら、いつだって大歓迎だよ?」
 冗談に包んだ本音をそろりと差し出すと、ちょっとびっくりした顔のピンク髪の男が、ぱちぱちと目を大きく瞬かせる。前よりも幾分、目が大きくなったように見える。痩せたからか、髪型が変わって顔が小さくなったように思えるからか。猫みたいに黒目をまるくして、花巻はもう一度瞬きを繰り返す。そこまで長さのない髪と同じ色のまつ毛がよく見えるのは、明るい室内に柔らかく差し込んだ太陽の光のおかげ。涙袋の辺りを、薄い影が縁取る。
「ほんと?」
「ほんとほんと」
 男が二度、同じ言葉を繰り返す時は話を聞いていない時か、適当なことを言う時だ、とどこかのくだらない雑誌に書いてあった。松川は流し読みしたその記事を言い訳のように並べながら、呪文のように真実を唱える。本当だよ、と滲ませる口調は、どうしても自分が言えば重たいのだ。職業のせいか、往来の気質のせいか、それとも、花巻が絡んでいるからこうなってしまうのか。
「どこ行く?」
 こんなさらっと行き先を聞いて、実現するはずのない夢を話してゲラゲラ笑い、はい、おしまい。それでいいんだ、俺たちは。松川はいつものように飄々と、この場を切り抜けるためのおどけた調子を醸し出す。チクリと痛む胸にごめん、を言いながら。
 すると花巻は、少し考え込むようになり、パエリアを食す手が止まった。
 相変わらず、料理の美味い奴だ、と松川は、半分ほど平らげた自分の皿に追加で鍋から料理をすくう。パラリと落ちた米粒を二、三個拾ったあたりで、花巻は口を開いた。
……五時間半くらいかかるから、休み、いつもより長めに取れよ」
 カタン、と大袈裟な音を立てて、スプーンが皿の上に落ちた。
「あと、肉体労働もある。俺、荷物多いの知ってんだろ?」
 続け様に花巻が言うから、勘弁しろよ、と額に手を当てる。そういえば、落ちたスプーンはここに引っ越す時、花巻と二人で近くにある大型チェーンの家具屋で安価で買ったものだ。皿も、グラスも、テーブルも。鍋なんて新参者より、ずっとずっと長らくこの家の主のように住んでいた家具たちは、新しい物が好きな花巻にしては珍しく、買い換えられずに大事に使われていた。
 彼女と、彼女からもらったものとが毎度増えては捨てられ、花巻の家の表面だけを掬って去っていく。
 てっきり彼女に未練でもあるのかと思ったパエリアの入った鍋は、何てことはない日に松川のために焼かれ、二人のために食材を乗せ、洗剤で洗われる。思い出と一緒に。
「この家がさ、冬前に退居なのよ」
 新しくすんだって、マンションでも建てんのかな。花巻は天井を見ながら言う。
 薄汚れた外壁を持つこのアパートは、花巻が気に入って安値で住んでいる物件だ。そろそろ周りの都市開発が進む以上、外観に苦情をつけられ大家に金を払い、建て替えを検討させる日も近いだろうとは思っていた。そんなことを、一月も前に松川は聞いていて、もちろん覚えていた。首をコクリと縦に一度振れば、花巻は満足したように笑う。
「一回帰って、またこっち来るかもしんねえし」
「そんなの、させないけど」
 間髪入れずに答えた松川は、真剣な顔をしてしまっていて、はたとうっかりしたことに気づく。
 今のですっかりバレただろう。積年の片思いは。
……何それ、プロポーズ?」
 赤い顔をしてるくせにヘラヘラと嬉しそうに花巻が言うから、腹が立ってふいと顔を逸らした。わかってるくせに聞いてくる花巻だって、窺うように「彼女でもできた?」なんて聞いたんだろ。松川はまた唇が尖るのを隠せなかった。またカーテンがふわりと舞うと、花巻の好きな雑誌が風でパラパラめくれる音がした。空気の入れ換えは、済んだようだ。
 パエリアはちょうど二人が残りあとわずかを食べれば終わってしまう。そうしたら何を話し出せばいいのやら。松川はぐるぐると考える。いつもならしれっと賢い答えを出せる頭は、どうやらうまい言葉を見つけられそうにない。