シノハラ
2024-10-18 20:53:36
3633文字
Public 戦パ
 

旅のみちづれ

仕事のための移動中に一晩ステーションに泊まる羽目になったレイシオとまだ心の壁があるアベンチュリン

 突発的なフレアによる磁気嵐に巻き込まれたというアナウンスもなくなって、あとは時折ひそひそと誰かが内緒話をするような声だけが聞こえてくるだけになっていた。電子機器の監視を最小限にするために照明もほとんど落とされて、遠くの非常灯と廊下を示すためだけの誘導灯がかすかにステーション内の輪郭を示している。
 レイシオ曰く、『こういうことはそれなりにある』らしい。記憶を辿ると、最初のアナウンスが流れた際に運行の再開予定から振り替えの案内がされて、旅慣れた者は舌打ち一つだけ残してさっさと手続きを済ませたようだった。もちろん、レイシオもその一人である。
 初めての事にぽかんと天井から落ちてくるアナウンスを聞いていたアベンチュリンを引っ張って人が集まり始めている窓口に向かい、明日の早いうちの便の席を早々に押さえて長蛇の列の横を通り過ぎる。それからまるでそこが穴場だと知っていたように、こじんまりとした展望スペースのソファを陣取った。
 そのまま落ち着くのかと思ったが、レイシオはアベンチュリンをおいてどこかに行ってしまった。彼が帰ってくる間に一組、少し離れた場所の座席を見つけてやれやれとばかりに座り込む。
 そのあたりで設備の電子機器の使用を制限する旨のアナウンスがあり、照明がいくらか落とされてふっと周囲が暗くなった。そうすれば、普段はガラスの反射で見られていなかった星々まで明らかになる。
 かつて母星で見た空と似ている、と言いたかったが、あの星は砂と塵が多くて今程にくっきりと夜空が見えていたわけではなかったと思う。けれど、娯楽として楽しまれていたのだろう夜空には多くの物語があったのだ。きっと、アベンチュリンが知らないようなものもたくさん。
 ぼんやりと星空を眺めているうちにレイシオが荷物を手に戻ってきた。これから空調設備も制限されるらしく、災害時用のブランケットと夕食代わりのレーションの類。それをアベンチュリンに寄越してから、隣の客が何の用意も進めていないことに気づいたらしく物資の配布場所を案内してやっていた。それから少ししてから、アナウンスで同様の案内が始まる。どうやら一足先に色々ともらってきたらしい。
「君、もしかしてこういうのに巻き込まれやすいタイプ?」
「巻き込まれることはほぼないな。巻き込まれに行くことはあるが」
 磁気嵐の発生源というものはいくらでもあって、今回のように発生直前まで予兆がほとんど掴めないものから、天気予報みたいに予測可能なものまであるらしい。だから、自分から渦中に飛び込むのは可能と言えば可能である。
……実験とか?」
「正解だ」
 これをやろう、なんて言いながら鞄の中からレイシオが飴の袋のようなものを取り出した。袋を見ると複数の言語で高カロリー、塩分、糖分と記載されていたので、彼が常備している非常食の類なのかもしれない。
「実験室でおおよそ同様の環境は再現可能だが、自然現象下でできればそれに越したことはないからな」
 その時は必要なものは全て持ち込むが、なんて当然と言えば当然のようなことをレイシオは補足する。ふうん、と打った相槌に興味が籠もっていないと判断したのか、レイシオはそれ以上細かい説明はしないことにしたらしい。彼が話してくれるのであれば、アベンチュリンは耳を傾けるつもりだったのだけれど。
 その沈黙を表すようにふつんふつんと明かりが落ちていく。常とは違うステーションを探検しようとしているらしい学生の声が遠くから聞こえて、そのまま遠ざかって行った。しばらくいなかった隣の客が戻ってきて、早速ぱりぱりと某かを開封している。
 いつの間にかぼんやりしていたことに気がついて時計を見ると、本来であれば移動中の席で眠りに就いているはずの時間になっていた。
 移動ばかりを強いられる仕事である手前、アベンチュリンの体内時計はいつも少し狂っている。同じくせわしなくあちこちに移動している隣の学者は、寝るのが何だかんだで一番分かりやすくていいと言っていた。
 その教えに従おうと、アベンチュリンは予定していたのだ。ビジネスクラスの座席だって、展望台のソファだってアベンチュリンにとっては十分過ぎるくらいの設備でアル。これからどんどん暗くなっていくのだから、無理に起きている必要もないだろう。
 レイシオから受け取ったエマージェンシーシートの袋を開けて、がさがさするそれを肩までかける。それから靴を脱いでソファに足を上げると、レイシオがちらりとアベンチュリンを見た。
「おやすみ」
「ああ、おやすみ」
 行儀が悪いとでも言われたら面倒だったので先手を打って挨拶をすると、レイシオが特に気にしたふうでもなく挨拶を返してくる。と、思いきや、これから気温が下がるだろうからしっかりとシートを被っておくようにと助言された。言われた通りに肩の隙間をなくすように身じろぐと、彼は満足したらしい。
 目を閉じてから感じたのは隣の客が何かを食べている音と、がやがやした団体が通り過ぎる音、それと足音が少し。いくぶんもかからぬうちに、アベンチュリンは眠ってしまったと思う。
 目を覚ました時にはステーションはほとんど真っ暗になってしまっていた。ほとんど、と表現したのはなんだか隣からちらちらとした明かりが届いていたからだ。
……それ、なに?」
 思いの外深く眠っていたのか問いかける声は思った以上に輪郭を曖昧にしていた。アベンチュリンからの問いかけを受けてノートから顔を上げたレイシオが一瞬手元の炎に視線を寄せてから、紙面に再び顔を戻す。
「来月の学会発表の草稿だ」
「わざとだよね」
 こっちだよこっち、と宇宙の帳にふさわしい声量でこそこそと伝えながら指差すと、ふよふよと浮いていたそれが不愉快とばかりにアベンチュリンから距離を取る。それからそれがレイシオの握るペンに絡まって、ひとまず可燃性のものではないらしいと理解する。
――これは位相霊炎だ」
 彼の説明を全て真に受けるのであれば、偶然手に入れたので便利に使っているとのことである。偶然なんてことはないのではないかと思ったが、彼は素気なく偶然だとしか言ってくれなかった。
「便利は便利なんだが、いかんせん一人用なんだ」
 そしてどこかつまらなさそうにそんなふうにレイシオが言うものだから、アベンチュリンはぎょっとしてしまった。そのまま説明の通り彼が炎をまとわせて、アベンチュリンをおいて一人で先に行ってしまうのではなかろうかと思ってしまったのだ。
 そう思った時には腕が伸びていた。むずと彼の手首を握り込むのと同時に、行儀よく被ったままだったシートが床に落ちる。確かに、彼が言っていた通り、ステーションはずいぶんと気温が下がっていた。
 ざらざらと音を立てたシートが静かになるまでの間に、レイシオが少々目を丸めてからアベンチュリンの意図を察したのか微かに笑う。少なくとも今の彼はこの美しい種火を光源以外の使い方をするつもりがないらしい。
……そうだね、こんな時に急に客がいなくなったら大事件だ」
 彼の手を解放しながら笑って見せようとしたが、恥ずかしさのせいでうまくできているか分からない。宇宙ステーションに限った話ではないが、防犯上宇宙を経由した人の移動というものは当然ながら厳格に管理されている。
 その位相霊炎とやらがどれくらいの距離を移動可能なのかもアベンチュリンには判然としないが、星間を移動可能であったとしても注意を払う必要があるだろう。別の星に入ったことも、出たことも分からなくすることなんか基本中の基本であるのは想像に難くない。
 そういう行為自体が犯罪なのではないかという問いへの答えは、宇宙へアクセスする力を持つ星であれば大抵がイエスである。アベンチュリンの知るベリタス・レイシオと言う男は十分以上の善性は有しているが善良ではない。それが必要だと彼が判断したのなら彼は間違いなくやる。その結果が無辜の誰かに多大なる不利益をもたらすことはあまりないだろう方法で。もちろん、全くないと言うつもりはアベンチュリンには毛頭ない。
「二人用なら方法を考えてもよかったんだが」
 アベンチュリンが掴んでいた手首をちらちらと光るそれが舐めるのを見ながら、レイシオはそんなことをふわりとした調子で口にした。それからアベンチュリンが落としたシートを拾って、さっさと被り直せと指示するように手渡してくる。
 反射的に受け取って彼に望まれるまま体を温めるためにシートを被るうちに、レイシオが光源を体の向こうに隠した。医者の見立てによると、アベンチュリンはまだ寝ていた方がいいと言うことらしい。
 アベンチュリンはしばらく本職に集中し始めたレイシオを眺めていたものの、とうとうどこにも行けないアベンチュリンに付き合ってここにいるのかと彼に尋ねることは叶わなかった。