【カブミス】月夜のドレス

新しい酒場を探していたカブルーが入った店で、偶然女装したミスルンさんと出会う話。
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 あまり格調高くない、新しい店を開拓するのが俺の密かな趣味だった。そこがいい店だったら自分だけのものにするのも、ミスルンさんを連れてゆくのもいい。庶民的な店はかつての母を思い起こさせ、様々な種族の音楽家がいる店は異国情緒あふれるこの国の象徴みたいでよかった。とは言っても、俺には恋人がいるので、最近はこの趣味に触れてはいないけれど。
 だが、今日だけは、仕事終えた俺は飲める店を探してふらついていた。最近はずっと仕事が終われば即ミスルンさんの家に向かっていたから、それは珍しいことだった。というのも、彼が今日は用事があると俺の誘いを断ったからで、だから俺はふてくされながら、夜の街を歩いている。恋人と甘い空気に浸れなくて、そんなことで多くの人が行き交う夜の街を歩いている。
 
 
 そこは客引きのいない、珍しい店だった。看板も出さず、でも客はひっきりなしに入ってゆくような。俺はその様子を観察して、今夜はここにするか、と思った。客層が安定しいてない感じがしたのだけは、ちょっとした懸念事項だったけれども。
「一名様?」
 重い木のドアを開けると、ざわついた猥雑な空気があふれ、店員が俺にそう尋ねた。俺は「はい」と答える。どうも変な雰囲気だ。何かを警戒しているような、そんな空気がある。もしかして会員制のバーだった? だったら俺は後戻りをせねばならない。でも、いたずら心が騒ぐ。ここで起こっている何かを知りたいと思う。
「ここは初めて?」
「いえ、前に一度だけ」
「じゃあ、ルールは分かってるね?」
 つっけんどんに店員が言う。俺はそれに、嘘っぱちを言って頷く。すると店員はだるそうに「一名様!」と背後に叫んで、いらっしゃいませも言わずに去ってゆく。俺はそれを見ながら、やっぱり変な店だ、と思う。飲食店を装った娼館か何かか、もしかして最近問題になっているごろつきが集まるバーだろうか。俺はそんなあたりをつけて、店に滑り込む。
 中はバーラウンジのような作りだったが、客たちはみな気だるげに、だらしなくソファに寝転んでいて、飲食店というよりも雰囲気は話に聞いたことだけある阿片窟だった。
 ――いや、考えすぎか?
 俺はそんなことを考え、カウンターの側にある、小さなテーブルにつく。メニューはない。ただ、さっき俺を出迎えた店員が、青いロングカクテルを持ってくる。挨拶もなしに、おべっかもなしに。周りを見てみれば客たちの手元には俺と同じものが置かれていて、それを飲んだ向かいのソファに座る若い女は、甲高い声をあげて笑い、隣に座る男に抱きついてとも寝転がった。それはまるで、薬物中毒者の様子だった。じゃあ、この酒が薬なのか? だったらすぐにここを去るか? でも、俺はさっき店員に慣れたふりをした。何も飲まないで帰ったら、奥から鬱陶しい用心棒が出てくるかもしれない。恐ろしくはなかったが、面倒は避けたかった。
(ヤアドに文でも飛ばすか?)
 薬物に手を出す国民がいると、知らせを入れるか? 俺はしばし悩み、グラスに手を添えて、酒を飲むふりをする。しかしそう思い悩んでいた時、長い銀髪を肩に垂らした小柄な女がこちらに近づいてきた。ほっそりとした体格のその女は品の良いロングドレスを着ていて、素肌が見えない分、ミスルンさんの存在があるというのに少しばかりそそられるものがあった。表情は薄暗い照明の中では分からない。何を思っているのかも、窺い知ることはできない。
(面倒ごとには巻き込まれたくないな……
 そう、薬に女は面倒ごとの代表格だ。とはいえ、この酒が薬なら取り締まるのが俺の仕事だった。風紀が乱れては国の存亡に関わる。だから、どうにかしなくてはならないのだが、だったら俺はまず何をすればいい? この店だけを叩いてもどうにもならない。胴元を叩かないことには、何も変わらない。そして、運よく潜入はできたものの、俺は情報を持つまでには至っていないのだった。
 そんなことを考えている間に、小柄な銀髪の女が俺のテーブルにつく。手袋をしたほっそりとした手のひらが、俺のグラスに添えられる。俺は警戒するものの、ようやく知ったその顔の作りに、声をなくしてしまう。
「お前は飲むな。耐性がないだろう」
……ミスルンさん?」
 驚いたことに、小柄な女にしか見えなかったのは、他でもない俺の思い人であるミスルンさんだった。でもどうしてこんなところで女装を? 俺の頭の中は疑問符でいっぱいになる。けれど、彼はそんな俺に答えようとはしなかった。
「フレキにでもここを紹介されたか?」
 小首を傾げてミスルンさんが俺に囁く。
「あなたこそ、耳を隠してそんな格好をして……。一体どうしたんですか?」
「女王からの勅命で潜入捜査だ。この国で薬物が流行する前に阻止しろとのな。流通経路を探っていた」
「それで女装を?」
……女の方が油断するとフレキに言われたんだ。やはりおかしいか?」
 ドレスに触れた指先は真っ白で、それは薄暗い照明の中でも美しかった。俺は恋人の女装に、ちょっとばかし興奮しているようだ。あまり認めたくはないけれど。異性装を喜ぶなんて、彼をおもちゃにしているようで罪悪感があったけれど。
 だがその時、奥の扉が開いて用心棒と、店員がこちらに向かってくるのが見えた。何かが起こったのだ。もしかしたら、俺が酒に手をつけないのを勘繰って、因縁をつけようとしているのかもしれない。それか、捜索の手や内通者を探っているだとか。じゃあ酒を飲んで無実を証明するか? ただの薬物中毒者のふりをするか? でも薬を含んだら、もしもの時に対応できない。
 そんなふうにぐるぐると考えていると、ミスルンさんの白い手が、俺の頬に寄せらられた。そしてそのまま、彼の銀の髪がカーテンのように俺を覆い、真っ黒な闇のような瞳が合図するように細められる。唇が重なる。ぴちゃぴちゃと猫がミルクを舐めるような音がする。舌が差し込まれていたと気づいたのは、しばらく経ってからのことだった。
「ミスルンさん?」
「静かに。……私たちは恋人同士だろう? いつも通りにしてあいつらの気を逸らしてやれ」
 そっとミスルンさんが言う。そして俺たちは熱烈なキスをする。店員と、用心棒が隣を通り過ぎる。俺たちはそれに神経を尖らせながらも、キスを続ける。誰かが口笛を吹く。俺たちにあてられた男女が、互いに身体を探り出す。
「カブルー、店を抜けるぞ」
「え? 潜入捜査中なんじゃ……。あ、俺が目立っちゃったからですか? だったら酒を少し飲むくらい……
「駄目だ。飲んだら私と寝たくなるから」
 ミスルンさんがそう言って俺をからかう。俺は顔が赤くなった気がして恥ずかしかったが、彼はそんなこと気にせず、あろうことか続けて口を開く。
「実は他の店員が全て吐いたんだ。だからもうここに用はない」
「え? その店員はどこに?」
「裏口に転がしてある。もうフレキが回収した頃だろう」
 なんだ、だから用心棒たちは警戒していたのか。店員が一人消えたから。俺は疑われたわけではなかったということか。
 俺は少しだけ安心して、口付けを続けてミスルンさんとひそひそと会話を続ける。でも、どうやって吐かせたんだろう。何かエルフ特有の魔術を使った。それか――
「何か変なことはしなかったでしょうね?」
……私が恋人を裏切るとでも?」
 ミスルンさんが俺にキスをして、そしてどういうわけか俺のグラスを空にする。さっき俺には耐性がないからいけないと言ったのに、自分はいいんだろうか? セックスドラッグと暗喩した癖に、自分はいいんだろうか? それとも、俺にめちゃくちゃにされたい気分なんですか? そんないやらしい格好をして、感じちゃった?
 俺たちは口付けを続け、時々壁にぶつかりながら店の扉を開け、月の下に出る。誰も俺たちを止めない。ミスルンさんは潤んだ目をしていて、俺はもう、この人の家まで待てないと思った。でも、自業自得だろう? あんなふうに俺を煽ったんだから、少しくらい、年下の恋人の思うようにさせてくれたっていいだろう? それくらい今夜のあなたは美しくて、異性装は俺を混乱させ、喜ばせたんだから。
  
 
 これは後日談だが、あの店には手入れが入って、薬物売買の組織は摘発された。王は大いに喜び、しかしその組織が持っていた金は西方エルフに流れたとかどうとか。まぁ、手放しでは喜べなくても、あの人はうまくやったというわけだ。その後、残ったドレスがどうなったかどうかだけは、秘密にしておくけれど。