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めまめ
2023-02-10 01:41:59
5238文字
Public
村荒
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大特価98円
村荒 原作から数年後設定で一緒に住んでいる。いちゃいちゃもしてる。あらふね君も楽しみにしてたんだよって話。
むらかみ君が走ってる姿の例のデカ缶バッチ(グッズ)は広報活動の一環で撮影されたもの、という設定
村上は集中を欠いていた。本の登場人物たちが小粋なジョークをかわしあっているが、それよりもはるかに気になっていることがある。
三人ほどがたっぷりと座れるソファは村上と荒船の体重を難なく受け止めている。となりに座った荒船はグラスをローテーブルに戻しながら、茶で湿った下唇を舐めた。満足したのかソファに深く座り直し、ボーダーで刊行された広報誌を読み耽る荒船の様子を、こっそり眺め続けた。
何故かは分からないが、今日の荒船は唇をよく舐める。それが猫の仕草のように見えたし、村上はいっそそこに噛み付いてしまいたいとさえ思っていた。
このまま読み進めたとしてもストーリーが頭に入ってこないのは明白だ。村上は本をサイドテーブルのほうによけ、置時計に目を遣った。短針が天井を向くまでにはまだ余裕がある。今夜はゆっくり過ごせるはずだ。
「なあ、このまえ取材されたってやつ、これか?」
「うん? ああ、そうだな。その特集かも」
ソファが軋んだ。赤茶色の髪の毛が村上の肩に押し付けられる。短い毛先が服越しに刺さってこそばゆく、村上は笑ってしまいそうになった。荒船は村上にのんびり凭れながら誌面の文字を指で追いかけている。すると清潔に整えられた爪の先があるひとつの写真に触れた。
「『ボーダーで働く人の一日』
……
お、鋼がいた」
「あまり、見ないでくれ」
外部向けの広報誌はボーダーの活動報告がメインだ。だが、ごくまれに関係者にスポットをあてた特集が組まれる。テーマは時々で、連載でもなければ掲載も不定期。それでも写真がふんだんに使われる特集は市民や支援団体から根強い人気があった。村上は照れが勝ってしまうので広報関係の仕事は苦手なのだが、露出が少ない支部の活動をアピールするためにぜひ、と依頼されれば断る理由は無かった。
自分の写真が掲載された記事を目の前で読まれる。それは村上を徐々に落ち着かない気分にさせた。
カメラマンはプロであったし、写真の最終チェックもした。変な顔ではなかったはずだ。撮影時の服については「いつも使っている私物で大丈夫ですよ」と担当者に言われたので普段通り白いティシャツを着たが、面白みがないとダメ出しをされるだろうか。
村上がそわそわし始める一方で、荒船は悠然と広報誌を閉じた。閉じてソファのわきに優しく放り投げ、村上と目をあわせると、にやりといったふうに笑った。
「よく撮れてるじゃねえか」
「本当に、そう思ってくれてるか?」
「嘘ついてどうすんだよ」
「荒船のほうが撮影慣れしてるだろうし
……
オレは緊張して、何回も撮り直したから」
「べつに俺だって慣れちゃいねえよ。鋼のほうこそ緊張したって言うわりに、自然に写ってると思うぜ」
けどまあ、と荒船は続けた。
「写真より実物のほうが断然良いな」
「
……
荒船はオレを喜ばせる天才だ」
村上はすぐそばの体温を抱き寄せた。与えられるひと言で一喜一憂してしまうのは、いまに始まったことではない。出会って間もない頃も、現在も、荒船の言葉は村上の深いところに沁みる。
「俺は事実を言っただけだろ」
「やっぱり天才だ」
荒船は腕の中で収まりの良い場所を探して動いていたが、けっきょく抱き合う形に落ちついたようだった。村上の肩にあごを置きながら、荒船がくつくつと笑う。背中にまわされた腕から振動が伝わってくる。抱き締めた体が楽しげに揺れ、そのたびに森のような匂いがした。
村上の一番好きな匂いだ。首筋に鼻をよせる。抱き合っているので表情こそ見えないが、息を吸い込むと、荒船はくすぐったそうに喉を鳴らした。二人で同じボディソープを使っていてもぴったりに同じにはならない。きっと本人から漂っているものが混じっているのだ。村上は香料の奥にあるものを暴きたくなって、風呂あがりのなめらかな肌に舌を這わせた。
とうぜん、味はしない。しなかったが、もっと近づいたら何かが判るかもしれない。匂いも濃くなった気がした。甘く噛む。すると荒船の身体がびくっと跳ねて、喉元がさらけ出された。
「ッおい、鋼」
制止は聞こえないフリをした。「もうちょっと」と呟き、喉仏のあたりの、皮ふの薄いところに吸いつく。痕が残らない程度に、やわく。
「
……
ぅ、あ」
シャツの隙間をぬって手のひらを忍び込ませる。以前よりも体つきが薄くなっただろうか。ゆっくり腹を撫でてやる。荒船は、ゆるい快感を逃がすように頭を横に振っている。筋肉の
凹凸
おうとつ
をなぞっていくうちに、荒船の健康的な肌は熱を帯びていく。汗ばんだ素肌に触るのもいつぶりか。
激務続きだった。本部内で風邪が流行したせいで支部からも欠員の穴埋めとして駆り出された。家に帰ってきては寝るだけの日々。最低限の生活に追われ、顔を合わせるのもままならなかった。荒船も指導教官としての業務が詰まり時間が足りないと珍しく嘆いていたから、満足に食事を摂れなかったのかもしれない。
ひくつく腹の筋を指先で辿った。動きに呼応し震える荒船の反応を楽しんでいると、髪の毛に指が差し込まれる。力は加減されていたが、荒船はもう肩で息をしていて、しがみつくように必死で頭を抱えこまれる。隙間が埋まる。互いの息遣いが生々しく耳にこびりついた。
はふ、と音になり損ねた荒船の声は、たしかに色を含んでいる。
村上の背は粟立った。唇を重ねたいと、気持ちよくしてやりたいと、欲望はあとからどんどん湧いてくる。
「荒船」
「ん、」
額をつきあわせる。伏せられた睫毛はいじらしく、かすかに涙で濡れていた。
村上はそこでようやく荒船の下唇のはしがひび割れているのに気がつく。口内炎をついいじってしまうのと同じで、荒船は乾燥して切れたところを気にして舐めていたのだ。
「唇、また切れてる。リップクリームは?」
「ちまちま塗ってらんねえよ、あんなの。めんどくせえ」
荒船がそっぽを向いた。冬になってからもう何度も見た傷。毎回毎回、冷奴にかけた醤油がしみると顔をしかめるくらいならリップクリームを使えばいいのに、そうしない。荒船は整然としていて、ときおり大雑把だった。その綻びすら彼に甘えられていると感じるのは村上の欲目だ。
「痛くないのか?」
「まあ、少しはな」
言いながら、荒船はまた傷をひと舐めした。血の色がいっそう濃く鮮やかになる。
「あ、舐めるとよけいに乾燥するって言うだろ。ダメだ」
うっすら開かれた口に、制止の意味で親指をかけた。それだけのつもりだったのに、指をぬらりと舐められて村上は飛び上がりそうになった。悪戯に舌が絡みついては
艶
なま
めかしく踊る。爪を喰まれたまま「こう」と掠れた声で呼ばれ、めまいがするほどだった。
熱がこめられた視線が、一連の行為はわざとなのだと教えてくれた。
村上は誘われるがまま鼻をすりよせた。鼻先同士でくすぐりあい「動物の挨拶かよ」と荒船が喉の奥で笑った。唇で目尻に触れ、ゆるく閉じられたまぶたへ滑らせると、荒船は首をかたむける。受け入れようとするごく自然な仕草に更に欲を掻きたてられる。
しかし、目の前の唇には血が滲んだままだ。皮も白く逆立っている。すべての造りが端正な男の、その裂けた肉だけが異質に浮いていた。
痛々しい。もったいない。労ってやりたい。
村上は傷を避けて、触れるだけのキスを落とした。するとそこじゃない、と言わんばかりにトレーナーの裾を引っ張られた。ここまで乗り気な荒船も珍しい。しかも明日は待ちに待った休日で、二人で休めるのは本当に久しぶりで、村上だってこのまま触れ合いを深めたいのだが。
「おしまい」
「
……
は?」
信じられないものを見る目つきだった。紫色の瞳の中に、不満だとありあり書いてある。
「荒れてると痛いだろ。傷が治るまで我慢するよ」
「べつに、痛くねえけど」
「さっき痛いって言ってた」
荒船の眉根がきつく寄せられた。もはや睨むに近い強さがある。むすっと黙り込んで、あご下に手をもっていく。荒船がそうするときは決まって頭を働かせている。長年の経験で知っている村上は、思考の邪魔になるまいと口を閉ざした。自分以外に意識を向けられた寂しさも、荒船の顔を眺めることでなんとか紛らわせた。
それから何秒もしないうちに、村上を見ているような、遠くを覗いているような眼差しで荒船が言った。
「のど乾いた。買ってくる」
「え、お茶なら冷蔵庫にまだ残ってるぞ」
「麦茶がいい。腹も減った。鋼はなんかいるか?」
村上は面食らった。夕食を食べ終えてから一時間も経っていない。空腹を訴えるにはいくらなんでも早すぎる。
「とくには
……
それより、オレも一緒に行くよ」
「いい。すぐ帰ってくるからおまえは待ってろ」
荒船はいかにもそっけない素振りで村上を押しのけた。腕から抜け出すと、ハンガーに吊るしてあった自分のジャケットを羽織ってさっさと部屋を出ていってしまう。村上の戸惑いなどどこ吹く風だ。
相変わらず行動が早いな、と感心している場合ではない。怒らせてしまったのだろうか。慌ててあとを追った。
「じゃ、いってくる」
すでに靴を履き終えていた荒船は、ドアノブに手をかけたまま、思い出したように村上の頭をひとつ撫でていった。撫でられた喜びに浸る間もなくドアが閉められる。手つきから不機嫌さは感じ取れず、声色にも怒りが含まれていなかったので、村上はひとまず胸を撫で下ろした。
待ち侘びて玄関先まで迎えにいくと、冬の空気と共に帰宅した荒船は目を丸くした。それから「わざわざありがとな」とやわらかく笑った。
「買ってきたやつ袋から出しておこうか?」
「頼む」
上着と荷物を受け取る。厚手のジャケットの布地はひやりとしていて、外の寒さが窺い知れた。袋は予想したよりも軽かった。
この部屋からはコンビニが一番近い。道の直線上にあったし、信号も渡らなくて済む。なのに、買い物袋にはやや遠いドラッグストアの名前がプリントされていた。
ハンガーラックに吊るしたジャケットの表面を軽く
叩
はた
いてやる。生地の皺が伸び、持ち主同様に真っ直ぐになった。荒船はまだ洗面所だ。風邪予防の手洗いうがいをしっかりやる男だから、戻ってくるまでには時間がある。
村上は冷蔵庫にいれておいた烏龍茶を荒船用のマグカップに注いだ。加熱は電子レンジに任せ、次に片手にぶら下げていたビニール袋をテーブルのうえに広げた。
許可を貰っていたので袋の中に遠慮なく手を突っ込む。
取り出せたのは、五百ミリリットルの麦茶のペットボトルが一本と、塩味のスナック菓子がひと袋。空腹を訴えていたわりに食べる物といえば小さめのポップコーンだけ。軽食になるパンやホットスナックですらない。
村上は荒船の行動を思い返し、その不可解さに首をかしげた。これではとうてい腹を満たせないだろうに。飲み物も普段であればストックが無くなる寸前に買いに行くはずだ。無駄遣いとまではいわないが、買い物に行ったタイミングも買ってきた物も、どこか腑に落ちない。
ふと、袋の底のほうに、何かが残っていた。それは厚紙とプラスチックの類で、一見するとただのゴミだった。
拾い上げたそれが何なのか認識できたとき、村上は洗面所へのわずかな距離を走っていた。足がばたつく。電子レンジがメロディを奏でていたが、居ても経ってもいられなかった。
村上が何度言っても買おうとしなかった物。保湿、潤いの売り文句。洒落っ気も飾り気もない一番ベーシックなブランドの、空になったパッケージ。
寒いなか、わざわざこれを?
洗面所のドアを勢いのまま引く。
「荒船!」
「何だよ、夜だぞ静かにしろ。
……
虫でも出たのか?」
荒船は手に泡を纏ったまま振り返った。
訝しげだった表情は、村上が持ってきたものを見つけた途端、決まりの悪そうなものに変わった。今にも舌打ちをしそうな雰囲気だった。袋から出していいと許可をだした自分にか、ゴミを処分するのを忘れていたことなのか、いずれにせよ己の失態に気が付いたようだ。
村上は目ざとく発見してしまった。荒船のズボンのポケットが、スティック型に膨らんでいることに。買い物に出た理由がそこに隠されていた。
「
……
安かった、から
……
ついでだ」
いつもは理路をたどる口が、もごもごと弁解している。洗面台の鏡は村上の高揚した顔と、荒船の赤く染まっていく耳をはっきりと映し出していた。
村上はたまらず飛びついた。かわいいと思ったのだから仕方がない。声をあげ、泡がつかないように慌てて身をひねる荒船を捕まえる。我慢すると自分から言ったくせに。村上のそうした反省も一瞬だった。荒船が観念したように目を閉じたからだ。
出かける前よりも潤っている唇から、ミントの薫りがした。
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