めまめ
2022-07-25 23:03:13
6411文字
Public 穂荒
 

比翼連理

穂荒 穂刈の弟から見た穂荒の話。弟視点。穂刈の幼少期について捏造があります。荒船との縁が続いていく中で、こういうこともあるかもしれないという話。

 
 兄弟仲がいいのね、とよく言われる。
 確かにそうかも知れない。年齢がそこまで離れている訳ではないし、喧嘩もするが長引かない。遊んだ記憶もたくさんある。
 今よりずっと幼かった頃、おれ達は宝物集めに夢中になっていた。子供の宝なんてたかが知れている。おれはお菓子の缶に拾った石や駄菓子屋で買ったおもちゃをいれて、友達と物々交換してまわった。兄ちゃんは獲物をひとつに定め、ひたすらビー玉を集めていた。深いブルー、爽やかなレモンイエロー、花のようなパープル。カラフルなビー玉をジャムの瓶にぎっしり詰め込んで「宝ものなんだ」と兄ちゃんは抱き締めていた。宝箱の見せあいっこをしても、兄ちゃんは一粒も交換に応じなかった。
 それほど大切にしていても、いつの間にか缶ごと無くしてしまったし、兄ちゃんのビー玉もどこかにいってしまった。幼少期の良い思い出として残っている。
 穂刈家では天地がひっくり返るような事件もあった。
 おれが小学校に入学して初めての夏休み。天気雨が降った。おれ達は雨上がりにできた虹に興奮して走り回っていた。そして兄ちゃんはその日の夜、消えた。
 夕飯の時間になっても食べにこない兄ちゃんを二階の部屋まで呼びに行った。兄ちゃんの姿はなかった。部屋の中は真っ暗で、かくれんぼをしているのかと思ったが、お気に入りの青いリュックも無くなっていた。おれの話を聞いていた両親がどんどん青褪めていく様子に、大変なことが起こっていると幼くも理解した。おれのおやつを全部あげるから帰ってきてと、神様にひたすら祈っていた。
 次の日の明け方、兄ちゃんは神社の近くにある公園のベンチにひとりで座り、パンを食べているところを親父に発見された。家族でよくお参りをする寂れた神社だった。兄ちゃんの第一声は「お腹が空いた」だったらしい。あまりにも平然としていて夢かと思ったと、親父の語り草になっている。
 お袋は携帯電話を握りしめてリビングで立ち尽くしていた。不安になってエプロンの裾を引っ張ると、がらがらの声で兄ちゃんが見つかったと教えてくれた。
「ただいま」
 兄ちゃんは親父に手をひかれ、遠足帰りのような軽さで言った。リュックを持っていったのだから自分の意志で家を出たんだろう。ひと夏の冒険で片付けることはできなかった。お袋は自分の力で立つ兄ちゃんを抱き締め、声を荒げた。悲痛な怒声だった。おれは驚き、親父はお袋の背中を撫で続けていた。親の涙を見たのは初めてだった。
 それからの記憶は曖昧だ。お袋の料理をいつも通り食べる兄ちゃんのそばで、おれは半分くらい眠りに落ちていたと思う。
「UFOの中で会った。宇宙人に」
 兄ちゃんの放った、この言葉だけは強烈に覚えている。結局、事の詳細はわからないままだ。何がきっかけだったのかさえ。その後の両親の心境は推して知るべしだが、心配をよそに兄ちゃんは健やかに育ち、喋り方に個性も出た。
 兄ちゃんはボーダーに入隊した。家族全員戸惑いはあった。UFOも近界民もおれ達からしたら変わらないし、入隊したら戦わなくてはいけない。何度も家族で話し合って、頑として譲らない兄ちゃんを文字通り泣く泣く送り出したのだ。
 おれは兄ちゃんと別の高校に入学した。どこから聞きつけたのか、お兄さんボーダーにいるの?嵐山隊と交流ある?なんてクラスメートから興味丸出しに尋ねられることもあった。適当にかわし続けると、それも徐々に無くなった。そもそも隊員の家族には守秘義務があったし、兄ちゃんも任務のことはほぼ喋らない。聞いたとしても勤務時間とどんな人がいるかくらいだ。
 おれの知り得る荒船隊の情報といえば、芸術を司る加賀美さん、ダルがりで腕の良い半崎さん、肝心要の隊長。彼らの趣味嗜好や大まかな性格も教えてくれた。なかなか個性的で、兄ちゃんにはぴったりのチームだと思った。隊員同士の仲が良く、プライベートでも交流があると話す兄ちゃんは、毎日楽しそうだった。入隊してから不安を抱えていたであろう両親は、良い出会いがあったんだね、と安堵のため息をついたのだった。

 土曜日の今日、兄ちゃんは洗面台の前で髪の毛をセットしている。
 ――荒船さん?
 決まっているだろうが、とりあえず聞いてみる。
「カゲとゾエもいるぞ、今日は。映画観に行ってくる」
 兄ちゃんは毛先をいじりながら返事をした。鏡に映る顔は特に笑っていないが、機嫌が良さそうだった。おれは洗面所の入り口に寄りかかった。兄ちゃんは蛇口をひねりワックスのついた手を洗っている。荒船さんの参加は言わずもがなだ。映画にそれほど興味がなかった兄ちゃんは、いまや家族の中で一番の映画通になっていた。あらすじだけではなく俳優のうんちくも教えてくれる。荒船さんの影響だ。
 あらふね、アラフネ、荒船。
 毎週のように名前が出てくる。荒船さんしか友達がいないのかと一時期本気で心配した。とはいえ兄ちゃんが出先から送ってくる写真には毎回たくさんの友達が写っていたから、杞憂で終わった。親父もお袋も気付いていないだろうが、荒船さんの話をする時、兄ちゃんの雰囲気は変わる。まるいような、飴玉のような、クリームソーダとかそういう類の空気だ。村上さんや当真さんの話をするときとは何かが違う。おれは荒船さんという人物が気になっていた。
 ――荒船さんに会ってみたい。
 おれは願望を口に出した。鏡越しの兄ちゃんと目が合う。水流を止めて洗面台に備えられたタオルで手を拭くと、おれに向き直った。
「わかった。言っておく荒船に。十五時頃にはおまえも家にいろ」
 ――え、今日?
 今日の今日だなんて、突然ではないか。兄ちゃんがズボンのポケットから携帯電話を取り出した。すらすらと指を動かしている。顔文字だらけのうるさいメッセージを作成しているのだ。兄ちゃんは仕事が早かった。

 玄関の鍵が開き、ビニール袋が擦れる音がする。話し声は二人分だ。おれはリビングからこっそり様子を窺った。案の定兄ちゃんが帰ってきている。彼も一緒に来ているはずだ。年上の、しかも身内の仕事仲間に会うという経験はあまりない。影浦さんに会ったことがあるが、お好み焼きを食べに行ったからで、シチュエーションが違う。一旦リビングに引っ込んで、深呼吸をした。何度か呼吸を繰り返すうちに緊張がほぐれていく。おれはスリッパを履き直した。
 ぺたぺたと廊下を歩くおれに気付いた兄ちゃんは、手に持った買い物袋を廊下におろし、背後の人物に話しかけた。すると兄ちゃんの陰から帽子をかぶった男性が顔をだした。
「初めまして、荒船哲次です。今日はお邪魔します」
 おれの方が年下だと分かっているだろうに、荒船さんは敬語で挨拶をしてくれた。高校球児のようにわざわざ帽子をとって、お辞儀付きでだ。おれも名乗り、敬語じゃなくて大丈夫です、と慌てて伝えた。
「そうさせてもらう。よろしくな」
 荒船さんは笑みを浮かべると、帽子を軽く畳んだ。秋のような涼やかな人だった。家にあがるように促された荒船さんは、靴の踵に指を引っ掛けると軽く腰を曲げた。脱いだスニーカーを手に持つ。土間に揃えて立ち上がる。ただそれだけなのに、ひとつひとつの所作が丁寧だ。おれの学校にいる三年生よりも随分大人びて見えた。
 リビングで過ごすつもりだったが、お前が主催だろと兄ちゃんに言い切られ、まあそうかと妙に納得をして二人をおれの部屋に案内した。兄ちゃんは自分の部屋から座布団を一枚とクッションを持ち込んでいた。荒船さんに座布団を渡し、兄ちゃんは人のベッドに悠々と座っている。そして口火を切った。
「話してくれ。オレに気を遣わず」
「つかってねえよ」
 荒船さんの切れ味は鋭かった。
 硬質に見えた荒船さんは、実際に喋ってみると取っつきやすい。色々聞きすぎてしまった気がするが、荒船さんはおれの質問に目を合わせて答えてくれる。六頴館高校での生活、テストの話、影浦さんについて。おれがハマっているゲームの話題を出すと、荒船さんが思い出したように言った。
「半崎も同じゲームやってたな」
 ――じゃあ、いっしょにやりませんか?
 交流を深めるのに丁度いいと思った。荒船さんはほんの一瞬悩んでいた。おれの提案は却下されなかった。
 おれと荒船さんはベッドを背にする形で座り直した。黒い液晶画面が鏡になって室内を映し出している。
「減ったな、腹が。何か持ってくる」
 兄ちゃんはそう言って、荒船さんの背中にクッションを押し付けていた。荒船さんは後ろ手に掴みとると、胡座を組んだ上にクッションをぽんと置いた。ゲーム機のセッティングをするおれの後ろを通り、兄ちゃんは部屋から出ていった。
 ――兄貴が、いつもお世話になってます。迷惑かけてませんか?
 慣れない言葉遣いに舌を噛みそうになった。
 荒船さんはテレビから視線を外すと、不思議そうにおれを見た。画面にはCGの街が映っていた。軍用のヘリが飛び、外国人のキャラクターが建物の陰で息を潜めている。オープニングムービーだ。荒船さんは映画が好きなんだった。話しかけるタイミングを間違えてしまったかもしれない。
 荒船さんは胡座を崩し、ゆるく膝を立てた。山なりになった膝の皿にクッションを置く。
「迷惑なんてかけられてねえよ。俺の方が、いつも助けられてる」
 今日聞いた荒船さんの声で、一番やわらかかった。初めて会ったときの優等生然とした表情は抜け落ちて、花が咲いたように綻んでいた。荒船さんは片頬をクッションに預けた。そこですんと鼻を鳴らす。幼い仕草だった。無意識なのか。そのクッションは兄ちゃんのお気に入りだ。おれはどきどきしてしまった。家族で映画を観ているときに、気まずくなってしまう感情に近い。
 ――よかったです。
 おれは何のひねりもない返事をしてしまった。荒船さんはおう、と鷹揚に言った。
「楽しそうだな」
 お盆を持った兄ちゃんが部屋に戻ってきた。クッキーやスナック菓子を、わざわざ皿に移し替えている。いつもは剥き出しのまま雑に運んでくるくせに、色気づいたなと心のなかでからかった。
 一番最初のステージで、荒船さんはゲームオーバーを繰り替えした。コントローラーと一緒に体がちょっと動くタイプの荒船さんは、操作が下手だった。初心者だから仕方がないが、それにしても体感ゲームの方が得意そうだなと思った。
 荒船さんはクリーチャーに噛み付かれて四度目の死を迎えた。ゲームオーバーの文字が浮かぶと同時に、荒船さんはコントローラーをそっと置いた。兄ちゃんから野次が飛ぶ。
「弱すぎるな。鍛えてもらえ、半崎に」
……うるせえ。お前がやってみろ」
「オレはクリア済みなんだ、残念ながら」
 荒船さんはクッションに項垂れた。おれはベッドに座る兄ちゃんを肩越しに盗み見たのだが、ある意味で見なければよかったと後悔した。
 兄ちゃんは荒船さんを見ていた。淡く灯るものを込めて、ビー玉を宝物だと言って抱き締めたときと同じような顔で、荒船さんを見つめていた。しかし視線に込められたものは比較ができないほど、唯一無二に優しかった。
 おれはどうしたって照れてしまった。恋愛映画は観たことがなかったが、挑戦するのも良いかもしれない。
「っと……いい時間だな」
 荒船さんが言う通り、一般的には晩御飯の支度を始める時間だ。荒船さんが猫のようにぐっと伸びをする。それを合図に、兄ちゃんが荒船さんの頭に帽子を乗せた。
「途中まで送る」
 ――おれも行く。
 おれはすかさず言った。

 裏道は人通りが少なくて快適だ。一軒家の建ち並ぶひと気の無い道を歩く。おれがよく喋るから、自ずと川の字の真ん中になってしまった。荒船さんはおれの話に静かに相槌を打っていた。
「おい、解けてんぞ」
 兄ちゃんの指差す方に注目した。お喋りに夢中になっていたおれは、足元の白い紐をだらしなく引きずっていた。おれはため息をついた。靴紐を結ぶのが苦手で時間がかかるのだ。待っていてもらうのは悪いから先に歩いててほしいと彼らにお願いした。
 不格好な蝶々が一つできあがって、ついでもう片方の靴も直しておく。おれは立ち上がった。二人とあまり距離が離れていないのは、合流しやすいように荒船さんと兄ちゃんがゆっくり歩いてくれたからだ。おれは先を行く二人に携帯電話のカメラを向けた。今日の記念がほしいと考えていたおれに、絶好のシャッターチャンスが訪れていた。
 歩くスピードを緩め、ピントを調整する。揺れる、ぶれている、よし今だ。おれは直感的にボタンを押した。かしゃりと電子音が鳴った。
 おれは高名な画家が描いた絵の尊さも、現代美術の面白さもまったく分からない男だ。すごいとは思ってもそれだけだ。サッカーの雑誌を見ているほうが、まだ感情を揺さぶられる。ただ、手のひらに収まる端末が四角く切り取ったこの一枚を、おれは確かに美しいと感じていた。
 足を止めて画面を眺める。姿勢のいい背すじとがっしりとした背中が並び、影が長くのびている。前を見据える二人は燃える空を背景に拳をあわせていた。そうすることが当然のような、ごく自然な二人だった。会話はもちろん聞こえない。それでも、彼らがどんな表情をしているのか想像がついた。
「どうした?」
 荒船さんがおれの名前を呼んだ。声を張っている訳ではないのに、よく通る。兄ちゃんも振り返っていた。
 ――なんでもないです!
 おれはスキップしそうになる足を抑えて、小走りに駆け寄った。兄がもうひとりいたら、こんな感じになるのだろうか。

「またな」
 荒船さんはそう言って駅前の雑踏に紛れていった。荒船さんが見えなくなるまで見送り、おれ達はもと来た道を戻った。所々から家庭の匂いが漂ってくる。
 ――かっこいい人だった。
 おれは歌い出したい気分だった。
「そうだ。困ってるんだ、男前すぎて」
 おれはその言葉に何度も頷いた。数時間会話をしただけのおれは彼のことを薄皮程度しか知れていない。それでも、男前という表現が似合うと思った。
「惚れたか?」
 おれは立ち止まった。お得意の冗談かと思ったが、無表情のなかに交じる兄ちゃんの感情を見つけ出した。兄ちゃんとおれは、同じ血が流れているから、つまりはそういうことらしい。おれには運動神経が抜群で頭も良くて、少しばかり気の強い可愛い彼女がいるってことを忘れてしまったようだ。
 ――兄ちゃんじゃあるまいし。
 おれがにやけると、兄ちゃんは黙りこんだ。
……ませやがって」
 兄ちゃんはおれの肩を小突き、さっさと歩けと促してくる。おれはお返しに体当たりをした。鍛えられた体は簡単にはよろけなかったが、今日はおれの勝ちだ。この調子ならジュースも簡単に奢ってもらえそうだ。兄ちゃんの耳は夕焼け色に染まっていた。
 おれの両親と荒船さんが顔をあわせるのも、きっと時間の問題だ。その時はまたゲームに付き合って貰おう。荒船さんのゲームの腕が、次のステージに進めるくらい上達してると良い。頼もしい半崎さんが師匠なら大丈夫か。
 ビー玉の詰められたあの瓶は、どこにあるのか分からなくなってしまった。だけど、今の宝物を無くすことはないんだろう。奥底にしまわれるのを良しとしないそれに、兄ちゃんも手を焼きそうだが、転がっていっても見失わないはずだ。
 光を反射するガラスの玉。慈しみをはらんだ声。携帯電話に保存された夕暮れの写真。
 ――よかったね、兄ちゃん。
 鳥が二羽、寄り添うように飛んでいる。赤く高い空を渡って巣に帰るのだ。彼らの姿が重なった。
 おれはなんだか、大好きな彼女に無性に会いたくなってしまった。