めまめ
2022-07-18 23:36:37
4795文字
Public 村荒
 

制限時間以内に答えよ

【2025年に加筆修正済】
村荒
村→荒が思わぬところでバレてしまう話。

bbfの成績グラフ、あらふね君もむらかみ君も成績良い寄りなのがとてもいいですよね

  
 ボーダーの基地のラウンジで二人がけのテーブルを探す。人が少ない一番奥まった席はすでに埋まっていたので、三つ手前の席に座る。テーブルの上には数学の教科書にノート、眠気覚まし用のミント味のタブレット菓子が必需品だ。刺激が強すぎるものは好みではないので、からすぎないものがいい。筆箱は邪魔になるので鞄にしまい、使い慣れたシャープペンシルと消しゴムだけ。それと赤ペンを一本出してある。
 勉強会とはいえリラックスしたいので、ブレザーの一番下のボタンはあけておく。同じように村上が学ランのボタンを何個か外すのが開始の合図になる。
 勉強中、荒船と村上の間に会話はほとんど無い。ラウンジの入り口で誰かが挨拶を交わしている声がこちらまで届く。周りに配慮して小声で喋る大人たちと、はしゃいだような学生の声。うるさすぎない雑音が集中を高めてくれる。ときおり村上のペンを走らせる音が止まるのは、解き方を考えているからだろう。
「あってるかチェックしてほしい」
 村上が緊張した面持ちで言った。ノートを受け取った荒船は、メモ代わりにしているプリントの裏に計算式を書き込んだ。左利きの動きが物珍しいのか村上がじっと手元を見つめてくる。
 今でこそ好きなだけ見ろ、と放任しているが、勉強会をし始めたころはこの視線がやりづらくてしょうがなかった。何を言うでもなく、興味深そうに荒船が数字や英単語を書くのを観察してくるのに見かねて、
「手なんか見て、なにが楽しいんだよ」と尋ねれば、「全部楽しい」と臆面もなく返ってきたので、それ以来村上の好きにさせている。
 村上の解答と、自分の計算に相違がないことを念入りに確認する。採点を待つ村上は静かだった。やはり飽きもせず荒船の文字と手を眺めていた。
「ん、正解。さっきより解くのが早くなったな」
「よかった」
 荒船は赤いペンに持ち替えると、教師になった気分で村上のノートにさっと丸をつけた。勉強会のために購入した新品の赤ペンは滑らかで書き心地がいい。村上は正解の証としてつけられた赤い丸に顔を綻ばせた。満足そうにノートをなぞると、再び机に向かった。
「荒船、次はどうやって解くんだ?」
 また少しして村上はテーブルの真ん中に教科書を置いた。二人で読めるように横向きに置かれた教科書には落書きも破れもない。ところどころ教師の説明が直書きで残されていて、村上が真面目に授業に取り組んでいるのがページから伝わってくるようだった。
「これは……そうだな。このまえやった関数を使えばいい」
 荒船は村上のほうへ少し身を乗り出した。教科書の数字とアルファベットをなぞりながら解説してやると、村上は真剣な面持ちでうなずく。メモを取り終えるのを待ち、次の例題に移ってまた注釈を入れた。そうしているうちに、村上の相槌が無くなったことに気がついた。
 わからないところがあればその都度質問しろと言い含めてあったが、遠慮して口を挟めていないのかもしれない。
 そう思ったところで、教科書にふっと影が落ちた。輪郭が滲む黒い影は人間の頭の形をしていて、村上が近づいてきたのだと分かった。荒船は慌てて顔を上げた。
「鋼。いままでの説明でわかんねえとこ、」 
 村上は、教科書を見ていなかった。村上はテーブルの上で両腕を組んで身体を支え、猫背になって食い入るように荒船を覗き込んでいたのだ。そのあまりに近すぎる距離に、口を開けたまま固まった。
 目と鼻の先にある、眠たそうな目。それなのにラウンジの照明のせいなのか、瞳の奥が爛々と輝いているように感じて、妙にぞっとした。村上は至近距離で荒船と目が合っているというのに、たじろがないどころかじっくりとこちらを眺めている。
「鋼」
「なんだ?」
「俺の顔には答えも解き方も書いてねえからな」
「ごめん。つい」
 形式だけの謝罪だということは、声音でわかった。不真面目な生徒の額を指で弾くと、村上は、はは、と楽しそうに笑った。
「ったく……飽きたのか? まあ、ちょうどいい。いったん休憩挟むぞ」
「ああ」
 荒船は椅子に深く座り直した。
 勉強を教えてほしいと彼に頼まれてから、これでもう何度目かの勉強会になる。当真や国近のように成績が極端に悪いわけではないが、防衛任務のシフトで授業を休みがちになるため、補習のプリントだけでは充分に理解できない部分が出てくるんだと、村上は申し訳なさそうに言った。不規則なボーダー隊員と学生生活を両立するためには、自分の努力だけでは埋められない絶対的な時間の制限がある。その状況に現在進行形で苦しめられている荒船は村上の勤勉さに感心し、時間があうときは付き合うと約束したのだった。
 とはいえ、学校と防衛任務に加え、荒船と勉強するために本部と支部を行き来する生活に疲れているのではないか。そんな不安がよぎる。
 村上は覚えがいい。荒船が解説して、それに対して生じた疑問の質は、いつも理解しかけている人間のそれだった。これならテストで高得点をとるのだって難しくないだろう。普段の学校のテストも不正解よりもきっと正解の数が多い、丸ばかりの答案用紙のはずだ。それなのに荒船が書いた赤い丸を、村上いつも嬉しそうに受け取るのだ。
「勉強、クラスのヤツに教えて貰えばいいんじゃねえか?」
 荒船がそう言うと、村上は曖昧に微笑み、眉をさげた。
「迷惑だったか?」
 村上は持っていたシャープペンシルをぽとりと置いた。ノートの上でペンがコロコロと寂しげに揺れていて、少しだけばつが悪くなった。
「そんなことねえけど。俺の都合にあわせてあっち行ったりこっち行ったりするよりも、そっちのほうが鋼が楽だろって思っただけだ」
……荒船が、いいんだ」
「あ?」
 思わず、といったふうにこぼれた言葉を聞き返すと、村上は手のひらで自分の口を押さえた。
「オレっ、飲み物買ってくる。待っててくれ!」
 村上が勢いよく立ち上がった。立った拍子にテーブルに膝を強打していたが、声をかける前に
「大丈夫!」
 と大きな声で宣言して、バタバタと席を離れた。穴が空くほど見つめてきたと思えば今度は逃げるみたいに去ってしまう。
『荒船がいい』
 村上はそう言った。その真意を知るのは、村上だけだというのに。手持ち無沙汰になった荒船は、タブレット菓子のケースを意味もなく振った。

「お、荒船か。お疲れさん」
 スマートフォンで暇を潰しながら村上の戻りを一人待っていると、頭上から声が降ってきた。
「お疲れ。今日って生駒隊が夜のシフトだったか?」
「ちゃうけど、イコさんから全員集合がかかってな。それやのにソロ行ったきりで帰ってけえへん」
 換装した水上はわざとらしく肩をすくめるが、声音は柔らかい。
「そういやさっき太刀川さんに会ったから、長くなるかもな」
「はーマジか。すまん、ちょっと座らせてもらってええ?」
「おう」
 さっきまで村上が座っていた椅子に水上が腰掛けた。テーブルに広げられた勉強道具にさっと目を配り、首をかしげる。
「荒船こそ、わざわざ学校帰りにどないしてん。おまえんとこ任務休みやろ」
「鋼が宿題見てほしいっつうから、一緒にやってた」
「村上が? 珍しなあ」
 欠伸をしていた水上が目をぱちぱちとまたたかせた。目尻を適当に拭い、「そんな難しい宿題出てたかな。ちょお見して」 
 どうやら水上の興味を引いたらしい。クラスメイトの、かつ勉強関係ともなれば気にもなるだろう。開きっぱなしの教科書から該当の問題を指差す。水上は教科書を手元に引き寄せた。そして数秒もしないうちに
……なあ。村上が解けない言うてたやつ、ほんまにこれなん?」
 と言った。
「そうだな。その見開きのニページ分を見てほしいって言われた」
 さっきまで村上と一緒に解いていたページに間違いないので、うなずく。様子のおかしい水上は困惑を深めた表情で控えめに呟いた。
「これ先々週に終わった範囲やけど……しかも小テストまで完了してる」
「え?」
「このへんか。村上のノート、見てみ」
 水上の指が、ページを遡る。授業用とはいえ、不在の人間のノートの中身を読むのには抵抗があったが、それ以上に村上の行動に興味があった。さっきの発言といい、不確かなことが多すぎるのだ。心の中で村上に謝りながら、水上と一緒になってノートを覗き込んだ。
 先々週に終えたという授業の板書を書き写したページには、途中式から注意点まで事細かに書かれていた。それは添削する必要もないくらい満点の解答だ。授業中に解いたであろう問題集も六問中五問も正解している。荒船が今日解説した例題にもしっかり要点が書き込まれていた。
 飲み込みが早いとは思っていたが、ずいぶんと前に学び終えていたのならそれも納得だった。不可解な点はもちろんあるが。
 授業でわからない所があるから教えてくれと、今週どころか先週も頼まれた。二人で教科書に向き合い、村上は難しいと苦笑いをして、しかしそのときもあっさりと答えを導いてみせた。その日はけっきょく勉強もそこそこに切り上げて、ファストフード店で夕飯を食べた。話が盛り上がり、帰りが遅くなったのを覚えている。
「こんときの村上、小テストの結果が良くてなぁ。穂刈にもやりかた教えとったくらいやし、わざわざ荒船にもっかい聞くま、で、も……?」
 水上はそこまで言うと気まずそうに頭を掻いた。ああ、と不明瞭に呻き、己の髪の毛をわしゃわしゃとかき混ぜている。荒船は今までの村上とのやりとりを思い返していた。
 すでにテストまで終えた問題の復習なら一人でやればいいはずだ。毎週毎週、教えを乞う必要もない。ほぼ完璧に理解している授業の内容をわからないと嘘をつき、時間を割いてまで荒船と会うことによって得られる村上のメリットとは。
「鋼って、成績いいよな」
「もお断言してるやん……! まあ、お察しのとおりクラスでもかなり上位に入るんちゃう」
 ふむ、と荒船は顎の下に指をかける。
「どういうことだと思う? 水上」
「俺に聞かんとってくれ……
 水上が大げさにため息をつく。「あかん。俺、余計なこと言うてもおた」
 流れるように頭を抱え、テーブルに突っ伏す。ノートがこちらに押しやられて、赤い丸が視界に入った。
「すまん、村上」
 水上は顔を伏せたまま、こもった声で言った。謝罪は荒船の背後に向けられている。荒船は、ゆっくり振り返った。
「だいじょう、いや、あの……。荒船、その……
 村上はいつからそこにいたのだろう。両手に持った紙カップからは水滴が滴り、水滴に負けないくらい額にびっしり汗をかいた村上は、水上に返事をしようとして失敗し、荒船を見やったかと思えば視線が泳ぐ。かわいそうなくらい右往左往している村上を見て、ちゃっかり顔を上げていた水上は目を細めた。
「ほな、俺は行くわ」
 おあとがよろしいようで、と言い添え、すれ違いざまに村上の肩をぽんと叩く。水上が立ち去るのを二人して無言で見送った
「なんていうか……
……なんだよ……」 
 リンゴのように真っ赤になった村上につられるようにして頬が熱くなった。ふわふわした息苦しさにワイシャツのボタンをひとつ外す。首に触れると指先が濡れていて、自分もしっかり汗をかいていることに気がついた。
 村上は立ちすくんでいたが、ついに難題に立ち向かう眼差しで荒船を見据えた。持っていたカップがへこむ。
「荒船、オレ……
 この状況で村上はどのような回答をするのか。『荒船がいい』という、それに至るまでの途中式から何もかもを知りたいと思った。彼の回答次第では花丸をつけよう。村上の導く答えを、荒船ははやる気持ちで待つ。