千代里
2024-10-18 10:18:31
14453文字
Public リーブラ短編
 

トゥーリと不思議な目の話


「今日はお家の外の話をしようね」
 おばあさんは静かな声でそう言った。しわくちゃの顔によく似合う、やっぱり少しガラガラした声だった。
 その日は、里で一番歳をとっている偉いおばあさんの家に集まる日だった。まだ産毛の生えた兎のような子供たちは、わあわあぴゃあぴゃあ言いながら、おばあさんの家に集まることになっていた。
 七歳のトゥーリも、双子の姉のスィーリの手をひいておばあさんの家の玄関を潜った。薄紅の髪の毛は母親の手で綺麗に結んでもらったし、偉いおばあさんにうんと可愛がってもらいなさいと、一番綺麗な服も着せてもらった。
 木でできた小さな家は、トゥーリの家より少し小さくて、少し煙たいのに不思議な匂いがぎゅっと詰まったよそのお家の匂いがした。
「いい匂いがする! ねえ、これ何でこんな匂いがするの?」
 部屋に入ってすぐにそう尋ねたら、いい匂いのする煙を出す草を焼いてるからだよ、とおばあさんは親切に教えてくれた。トゥーリは、早速おばあさんと話せてワクワクして、胸がウズウズした。
 里の人とは大抵話したことはあったけれど、おばあさんと話すのはトゥーリにとって初めての経験だった。だからこそ、トゥーリの母親が「偉い」という人と仲良くできそうで、彼女の喜びははち切れそうだった。
 だけども、おばあさんは一人しかいないのに、おばあさんに話したい子供たちはたくさんいる。他の年長の子供たちや、トゥーリより小さいのに怖いもの知らずの子供たちの勢いに圧倒されて、トゥーリはあっという間に部屋の隅に追いやられてしまった。
 里の子供たちの年齢はみんな少しずつ違っていたけれど、おばあさんが「そろそろお話の時間だよ」と言うと、大体の子供は草で編んだ絨毯の上にちょこんと座った。そうしなさいと、お母さんに言われているからだ。言うことを聞かないでいつまでも騒いでいる子は、おばあさんの側にいたお姉さんに怒られていた。
 最初、おばあさんは天気の話とかご飯の話とかをしていたけれど、やがて小さく一度手を叩いてから、
「今日は、お家のお外の話をしようね」
「お家のお外?」
「そうだよ。みんながいるこの場所がお家。お姉さんたちがいる門を抜けた先がお外だよ」
「知ってる! ママがたまに出かけてるもの!」
 一番元気な子供の一人が、耳をピーンと立てて手を挙げた。そうだねえ、と笑いかけるおばあさんを見て、トゥーリは唇を尖らせる。
「私だってそれくらい知ってるもの」
 子供たちは、大きくなるまでは外に出るのは親や大人と一緒ではないとだめ。それが里の大人たちのルールだ。そして、大人というのは子供をあまり外に連れて行きたがらないものなのだ。
 だから、子供たちは外の世界に興味津々になる。少しでも外のことを知っていたらそれだけでその子は周りから「すごーい」と言ってもらえる。
「お前の母親は、森の守護を担当しているからね。外のことは何か聞いてるのかい」
「うん! え、とね。木がたくさん生えてるから、枝が伸び放題になってたらちょっとずつ切らないといけないんだって。そうしないと、他の木が大きくなれないんだよ」
「それなら、あたしも知ってるよ! あとね、あたしたちとは違う生き物がいっぱいいる!」
 はい、はいと子供たちは手を挙げて、里で一番の偉いおばあさんに自分の知っていることを教えたいと、次々に声を張り上げる。
 それが、トゥーリはあまり面白くない。なにせ、トゥーリの母親はいつも家で機織りばかりしているからだ。
 外に行く機会のない母は、里の中の噂話はするものの、外がどんな様子かは滅多に話してくれない。もちろん、外に連れて行ってもらうこともほとんどない。
「私だってしってるもん……
 むすっとしながら、トゥーリは膝を抱えてつま先を擦り合わせる。
 こういうことがあるから、同じくらいの年頃の子供たちが集まる日は好きになれない。お母さんとお姉ちゃんと一緒にいる時は、トゥーリはいつだって人気者でお話の中心にいられるのに。
 今日は、大人たちが皆忙しいからと、おばあさんの家にまとめて預けられてるせいで、トゥーリは他の子供たちの中に埋もれてしまう。最初はおばあさんと話せたのに、今はもう誰にも声をかけてもらえてない。
「ごめんね、トゥーリ」
「ううん。お姉ちゃんのせいじゃないよ」
 自分と同じ顔をした姉――スィーリは体が弱い。小さい頃はよく熱を出していたし、今もトゥーリと一緒に走り回った翌日は、寝込んでしまいがちだ。
 母は、その昔は外に行く役目を持っていたらしい。だけど、小さなスィーリの体が弱いから、外に行くお役目をやめたのだと聞いた。スィーリのごめんねは、そういう意味のごめんねだった。
「そうだね。私たちと違う生き物が外にはいる。皆が食べてる鳥とか兎とか」
「とかげさんも!」
「とかげさんもだね。でも、中にはこわーい生き物もいるんだよ」
 トゥーリがいじけている間にも、おばあさんはどんどん話を進めていく。どんな話をしているのかと、トゥーリは少しばかり耳を傾ける。
「知ってるよ、おとこがやっつけてるやつでしょ」
「おとこは強いから、怖いやつもやっつけられるんでしょう!」
「そうだよ。男たちが里に来ないように、こわーい生き物はやっつけてくれる。でも、中には姿形は私たちに似ているから、男たちでも見つけにくい奴らもいる」
 それは、トゥーリが聞いたことのない話だった。思わず長い耳をぴーんと伸ばして、トゥーリはおばあさんの言葉に耳を傾ける。
「あたしにも似てるの?」
 他の子供が、恐々と尋ねる。自分たちと似ていて、でも自分たちと違う何か。そうと気が付かずに近づいてバクリと食べられたら。そんな嫌な想像をしてしまったのだ。
「少しばかり似ているんだよ。でも、全く同じじゃない。だから、今日は大事なおさらいをしよう。皆が持っているおそろいのものをちゃんと確かめないとね。たとえば、この長い耳とか」
 おばあさんは言いながら、白い毛が混じった耳を指差す。それは、兎の耳の形に似たものだ。トゥーリの頭にもスィーリの頭にも当然生えている。
「それって、お鼻のことも?」
「あたしたちみんな、お顔も手足も土と同じ色してる!」
「口だってそうだよ。外の生き物には、口がないやつだっているんだよ」
「うっそだぁ」
「本当だもん!」
 この『皆がお揃いのものが何か』を確かめ合う話は、ある程度歳をとった子供たちに里長が必ずする話の一つだ。
 深い森で生きる自分たちが、外の世界の種族――兎の耳を持たない連中に出会した時に、自分たちと『違う』と認識し、警戒させるため。彼らが自分たちの味方であるかはわからない。だが、味方でない可能性を考えて動いた方が安全であることを、大人たちはよく知っていた。
 また、ヒトの姿に似せた幻を作り、いたいけな子供たちを喰らおうと舌なめずりしている魔物やら、食人植物やら、その他数多の危険から幼子たちを守るための確認でもあった。
 もっとも、小さなトゥーリにはそのような大人の事情はわからない。皆がお揃いの部分について話している間、自分も大人すらもあっと言わせられる何かを言いたいとウズウズしていた。
(お耳はおばあちゃんが言ってしまったし、目も鼻も口も……あっ、あの子が指の数のこと言っちゃった。私が言おうと思ったのに!)
 うんうんと悩んでいるスィーリを横に、トゥーリもまたむうと唇に力を込めて考え込む。
 皆がまだ言ってなくて、でも当たり前にあるもので、皆にもあるの体の部分。しばらく悩んでから、トゥーリは顔を上げた。
 そして、ハッとする。
(あ、これがあった!)
 それは、いつも見えるわけではないが至極当たり前にあるものだ。少し目を凝らせば見えるものなのに、あまりに当たり前で誰も話題にもしてないのだろう。
 トゥーリは鼻の穴を膨らませて、得意満面ではいはい、と手を挙げる。
「おや、トゥーリは何か思いついたのかい」
 皆の注目を一身に浴びながら、トゥーリは大きな声で言った。
「みんな、体の中に光がある! 寝てる時はゆっくり光ってて、起きてる時はピカピカして、て……
 そこまで言った瞬間、トゥーリは気がつく。
 皆が白けたような、不思議なものを見るような目でトゥーリを見ていることに。
 やがて、どっと湧き上がった笑い声に、トゥーリは困惑と羞恥で顔を赤くしたのだった。
 
 ***
 
 物心ついたときから、それは当たり前にあった。ぴかぴかしていて、ふわふわしていて、丸いような四角いような斜めのようなまっすぐのような、曖昧でよくわからない光の塊。
 寝ている時はゆっくり瞬いて、起きてる時はぐるぐるチカチカしていて、一人たりとて同じものがない温かな光。
 誰もが気にしないものだったから、そうやって形になった光は誰もが見られる当たり前で、大したものではないのだと思いこんでいた。
 けれども、どうやらそういうわけではないらしいと、トゥーリはその日初めて知った。
「ねえ、トゥーリ。里長様から聞いたけれど、あなた、他の人の体の中に光が見えてるって本当?」
 トゥーリにとっては恥ずかしくてたまらなかったお話し会のあと、家に帰ったトゥーリたちを迎えた母親は、夕食を作りながらそのように尋ねた。
「本当だよ! 普段は見えないけど、こう、ぎゅーって目を凝らしたら見えるんだよ」
 そこまで言ってから、トゥーリはスィーリの顔を見て表情を暗くする。
「お姉ちゃんは見えないの?」
 果たして、スィーリはおずおずと頷いた。何処か申し訳なさを感じる肯定だった。
「ごめんね、トゥーリ。私、トゥーリが何を見てそう言ってるのかわからないの」
「じゃ、じゃあ、お母さんは?」
「私もスィーリと同じね。人に宿る光を見るような不思議な目は持っていないわ」
 母親は野菜と肉の下ごしらえを中断して、狼狽える娘の元にやってきた。機織りに使う染めものの匂いが母の体からぷんと香った。
「私、何か変なの……? 病気なの?」
 病気というのが恐ろしいものであることを、トゥーリは漠然と知っていた。病でふせった三つ隣の住処で暮らすお姉さんは、そのまま魂が外に出てしまい、最後まで体に戻ることは無かったのだそうだ。
「病気じゃないわ。里長様は、あなたはきっと特別な目を持っているのだろうと私に話してくれたのよ」
「特別?」
「そう。トゥーリが見ているのは、他の人が見られない特別な光。だから、怖がることはないわ」
 特別と言われると、現金なものでトゥーリはすっかりご機嫌になった。今まで森の外のことも知らない特別じゃない自分は、どうやら他の子供が持っていない特別なものを見る目を持っているらしい。しかも里で偉いおばあさんがそう言っているのだ!
「でも、注意しなければいけないことでもあるのよ。あなたの目は、もしかしたら危険なものとそうでないものの区別がつかないのかもしれないのだから。だから、トゥーリ。何度も言っているけれど、勝手に森の外に行ってはだめよ」
「わ、私、勝手に外に行ったことなんてないよ」
 実際、母に無断で門を超えたことは数えるほどしかない。裏を返せば、少しだけなら探検と称して顔を出したことはある。
 もっとも、それも里が見える範囲に限ったささやかなものである。一緒についてくる体の弱いスィーリのことが気になって、いつも途中で戻ってしまうからだ。
「里長さまから聞いたのだけれどね。昔、あなたと同じような目を持っていた人がいたらしいの」
「え、そうなの?」
「ええ。その人は、森の奥を見に行ったまま帰ってこなかったそうよ。だから、外に一人で行ってはだめ。いいわね」
「はーい」
 母親の忠告に返事をしながらも、トゥーリはふと思っていた。
 同じ目を持った人は、きっとその目でしか見られないものを見つけて森の奥に向かい、そのままいなくなったのだろう。そして、帰ってこなかったということは、里の人はその人が何を見たのかを知らないのだ。
 もし、自分がその何かを目にして帰ってきて、皆にそれを伝えられたとしたら。
(私は、一番偉いおばあさんも知らないことを知ってるってこと……?!)
 更に特別になれる予感を覚えて、トゥーリは密かに瞳を輝かせた。
 
 ***
 
 獣の皮と木の実をつなげて作ったポシェットに、棚の中にあった保存用の食べ物や、密かに貯めていた木の実を詰めこむ。魔物の体から作られると言われているよく伸びる皮袋には、川の水をたくさん詰めて、ぎゅっと口を紐で縛った。そうすれば、少し揺れても中身が溢れることはない。
 母は、今日は里の他の女の人と機織りに使う糸を紡ぐ会に出ている。いつもならトゥーリもスィーリと共に参加するのだが、今日はお外で遊ぶと言って、外へと飛び出してきたのだ。
 だが、今日のトゥーリは一味違う。単に里の広場や、里の周辺で遊ぼうと考えて、退屈な糸紡ぎの会を飛び出したのではないのだ。
「ねえ、トゥーリ。本当に行くの?」
「お姉ちゃんは残っててもいいんだよ」
「トゥーリが行くなら、私も行く」
 後ろからついてきたスィーリは、トゥーリと同じようにポシェットを持っていたが、共連れとしては些か頼りない。
 今日、トゥーリはまだ見ぬ秘境を求めて冒険に出るつもりだった。自分の少し特別な目でしか見られない何か。森の奥に向かって帰ってこなかった人。その人が何を見たのか、自分の目で確かめて、母親や里の子供たちに自慢するのだ。
「今日は遠くに行くんだよ。お姉ちゃん、また具合悪くなったりしない?」
「ならないもん……。だから、ねえ、トゥーリ。置いていかないで」
 姉にそうやって懇願されると、トゥーリは弱い。しょうがないなあ、と言いながら、トゥーリはスィーリの手を引いてテクテクと門の脇の柵をくぐった。
 この柵は長らく壊れてしまっているのだが、木々が生い茂っているので破損にはいまだに気が付かれていない。里の周りの鳴子に引っかからずに外に出られる唯一の手段として、子供たちにとっては暗黙の通り道となっていた。
 門番に見つからぬよう、トゥーリは息を潜め体を小さくして茂みの中を通り抜けていく。門番の鷹のような鋭い目から見えなくなっただろう頃合いを見計らい、トゥーリはようやく茂みから顔を出した。
「それで、トゥーリは今日はどこにいくか分かってるの?」
「私と同じ目を持つ人が帰ってこなかったっていう場所だよ。だから、私の目で森をよく見てれば、行き先もわかるはず……?」
 トゥーリの言葉がやや尻すぼみになったのは、本当にそれで大丈夫なのだろうかと不安になったからだ。
 スィーリは「大丈夫かな」という不安そうな顔でトゥーリを見つめている。彼女の不安を吹き飛ばせと、トゥーリは目に力を込めてみた。
 あのお話会のあとに分かったことだが、トゥーリの目は光が見える範囲を意識して少しずつ変えることができるらしい。
 たとえば、草花や小さな虫にも光は宿っているものの、それを全て見ようとすると目はあっという間にひりひりと痛みを訴えてくる。ちょうど、長い間目を開いていたいみたいにちりちりとしてくるのだ。
 その代わり、他の里の子供達を見る分には、ごく自然に意識せずにできた。
 光が見たいと意識したあとに焦点が合うこともあれば、特に望んでもいないのに光が見えることもある。中には望んでも光が見えないときもあり、見えるか見えないかはまちまちであるらしい。
 閑話休題。
 トゥーリは、門番も見えないほどに里から離れたのは初めてだ。未踏の奥地で、果たして自分の目は何を見せてくれるのだろうか。ぐぅと意識を集中させると、
……あれ?」
 草木に宿るぼんやりとした光。小さな虫や生き物に宿る光。その中に見える――これは虫、なのだろうか?
「ねえ、スィーリ。大きく光る蝶々みたいなのがいるよ」
 トゥーリが指さしたのは、宙に浮いている光る生き物だった。蝶々と呼んだのも無理もなく、それは大きな羽が生えているように見えた。しかし、それは蝶々にしては大きすぎたし、何より大きさはトゥーリに比べれば小さくとも、その形は少しばかりトゥーリたちに似ていた。
「なんだろう。あれが、おばあさんが言ってた、私たちに似ている怖い生き物なのかな?」
「トゥーリ。……さっきから、何の話をしてるの?」
 スィーリの反応を見て、トゥーリはこれが特別な目でしか見えない生き物だと気がついた。
(不思議。こんなこと、初めて)
 今まで、トゥーリが見る光は、他の生き物や草花の中にあった。そのため、光自体は見えなくても、生き物の体や草花自体はスィーリたちも目にしていた。だが、スィーリはこんなにもはっきりと見える光る生き物が見えないと言っている。
「ねえ、あそこに浮かんでいる光っている生き物、みたいなやつだよ。見えないの?」
……うん」
「スィーリには、全く見えていないんだね。なんでだろう」
 この光る蝶のような謎の生き物は、トゥーリだけが見えている。影も形もない存在なのに、光だけはある。それは、トゥーリにとっては未知の兆しでもあった。
 光る生き物は、トゥーリの視線に気がついたのか、不意にくるりと反転――のような行動をしてみせた。どちらが顔でどちらが背中かわからないので、感覚的なものでしかないが、トゥーリは生き物が踵を返したように見えた。
「あ、待って!」
 この正体不明の生き物こそ、もしかしたら特別な目を持った人が向かった先にある『謎』への案内人かもしれない。好奇心に胸を駆り立てられ、トゥーリは小走りで生き物を追う。
 生き物は宙を滑るように、蝶よりもはるかに滑らかな動きを見せながら森の奥へと向かう。しかし、トゥーリは地面を歩くしかないので、光る生き物のようにすぐに森の木々を潜り抜けられない。
「まってよ、トゥーリ……
 それに、トゥーリの後ろには体の弱い姉もいる。スィーリが追いつくのを待っている間に、どんどん光る生き物は遠くに行ってしまう。一度ならず、見失ったと肝を冷やしたことがあったほどだ。
「もう、お姉ちゃん! 急いで! あの子、見えなくなっちゃうよ!」
「だって、私、最初から見えてないもん……
 スィーリの拗ねたような物言いと、彼女のせいで思うように急げないという事実がトゥーリを苛々させていた。あの光る生き物が見えなくなったら、トゥーリは里のおばあさんも知らないような大きな秘密に出くわす機会を失ってしまう。
 だというのに、スィーリは先ほどからもたもたと、焦ったいことこの上ない。そのうえ、ぜえぜえと息を切らしている姉は、この調子ではしばらくは動き回れそうにもない。
「もういい、私、一人でいく! お姉ちゃんは、ここで待ってて」
「えっ、トゥーリ……
「大丈夫。ちゃんと帰るから。家に帰るときは一緒だよ」
 少しだけ申し訳なさを覚えて、残していくあねを励ますような言葉を選んだものの、好奇心には勝てない。スィーリが座りやすいように手近な倒木を見つけて、トゥーリはそこに積もっていた落ち葉を払いのける。スィーリにはそこで待っているように言うと、トゥーリはほとんど見えなくなっていた光る生き物に向かって、一目散に駆け出した。
「ねえ、この先には何があるの?」
 大きな声を出して尋ねてみたものの、光る生き物は全く答えてくれない。
 口のない生き物は自分たちと違う生き物。里のおばあさんはそう言っていたことを、不意に思い出す。一瞬、自分は何か怖いものの後ろを追いかけているのでは、とぞくりとしたが、
(大丈夫。だって、この光る生き物は私以外には見えないんだもの。おばあさんにだって見えないものなんだから)
 自分を納得させて、トゥーリはずんずんと森の奥に向かう。トゥーリの何倍もある木々を潜り抜けるのは楽ではない。途中、疲労を癒すためにポシェットにいれた木の実をぽりぽり齧り、水筒の水で少しずつ喉の奥を湿らせていく。
 森には他にもたくさんの生き物の声や気配がしたが、幸い光る生き物はそちらには近づかない道を選んでくれていた。
 そうして、ポシェットの中の食事が空になり、水もほとんどトゥーリの体に収まり、体が流石に痛くなりかけてきた頃。
「まだ着かないの……?」
 流石にそろそろ戻らないとまずいのではないか。スィーリの元に、自分は無事に帰れるのだろうか。そんな不安が頭の端を掠めていくようになった。
……うん。この木立を抜けたら引き返そう。同じ道を歩いていけば、きっと戻れるよ)
 自身にそのように言い聞かせて、一際大きな茂みを通り抜けた。
 そのときだった。
 さあっと日差しが差し込む。今まで高い木々に隠されてはっきりと見えていなかった太陽が、トゥーリの疲れた顔を迎えてくれた。
「わあ……!」
 眼下に広がるものに、トゥーリは目を丸くした。
 それは、トゥーリが見たこともないほど大きな石の建物だった。もし彼女がもう少し大きかったなら、それは『遺跡』と呼べる建物だと気がついただろう。
 深い谷に作られた遺跡は、不思議なことにその半分を水の中に浸していた。それは、湖の中に作られたような佇まいをしていた。遺跡ができてから湖ができたのか、その逆なのか。残念ながら、幼子はそのルーツに思いを馳せるようなことはなかった。
 微かに波打つ湖面には、トゥーリが目にした光る生き物がちらりほらりと瞬いて見える。どうやら、トゥーリは遺跡を一望できる位置に高い崖の上に出たようだ。
「すごい、すごい! きっとこんなの、お母さん知らないよね。ねえ、お姉ちゃん……
 いつものように姉へと話しかけようとして、トゥーリは気がつく。スィーリは、自分が途中の道に置いてきてしまったのだ。
「ううん……それなら、お姉ちゃんにもっと話ができるようにしておこう」
 ただ外から眺めて終わり、というのは勿体無い。萎えていた足はすっかり活力を取り戻し、トゥーリはやる気を漲らせて、建物のある湖面につながる道はないかと探し始めた。
 すると、光る生き物がふわふわとトゥーリの視界を横切り、ある一点で止まってみせた。その下には、崖にびっしりと生えた蔦が見える。
「ここから降りれるの?」
 光る生き物が頷いたような気がして、トゥーリはよぅしと腕まくりした。木登りは得意だ。なら、降りるのだってきっと上手くできる。
 いそいそと斜面を這う蔦に近づき、それに手をかけようとしたときだった。
「トゥーリぃ……
 それは、とても小さな声だった。けれども、トゥーリの兎に似た耳は、その声の主が誰かすぐに気がついた。
「お姉ちゃん……!?」
 どうして、スィーリがここに。しかも、あんな弱々しい声を出して。
 もしかしたら、体が弱いと言うのにトゥーリを追いかけてきたのか。この長い道のりを、トゥーリと同じ速度で、トゥーリが楽しめるように一言も声をかけることもなく。
 そんな彼女が、耐えかねて漏らした声。どんな熱を出しても弱音を吐くまいとしていた姉が、妹に助けを求めていると気がつき、トゥーリは真っ青になった。
「お姉ちゃん!!」
 蔦を放り出し、トゥーリは声の元へとかけだした。茂みをかき分け、鬱陶しい枝葉を手で払いのけているうちに、自分と同じ薄紅の髪を持つ少女がぽつんと座り込んでいる姿が目に飛び込んでくる。
 地面に蹲ってほとんど倒れ込むようにしている少女に、トゥーリはすぐさま駆け寄った。
「お姉ちゃん、大丈夫!?」
 自分と同じ大きさの体は存外に重たい。よいしょと抱え上げると、スィーリの肌はトゥーリのそれよりずっと青ざめて見えた。
「トゥーリ、よかったあ……。ね、これ、見て。さっき、トゥーリが待っててって言ったところで、拾ったの……。きれい、でしょ?」
「まさか、それを見せるために、追いかけてきたの……?」
「だって、トゥーリ……ずっと、何かに夢中で……寂しかったん、だもの」
 光る生き物にばかり気を取られている妹の気が引きたくて、スィーリは自分が見つけた綺麗なものを持って追いかけてきた。小さな手に握りしめていたものを、スィーリはそっとトゥーリの手に載せる。
 それは、白く透き通った水晶のようなものだった。きらきらしていて、トゥーリもたまに村の人が身につけているものを目にして「いいなあ」と言っていた石によく似ている。
「お姉ちゃん……
「えへへ……。これじゃ、トゥーリの特別な目で見てるものには、敵わないかなあ……
「大丈夫、大丈夫だよ。それよりも、お姉ちゃんが」
 もし、スィーリが自分のせいで大変な目に遭っていたら。そう思った瞬間の底のない穴に落ちたような感覚は、まだトゥーリの中に残っている。
「ごめんね、お姉ちゃん。私、さっきとてもすごいものを見られたの。だから、もう一緒に帰ろう」
 これ以上、特別を求める必要なんてない。そう思いなおしたものの、周りを見渡してトゥーリはぞっとする。
 自分がどこから来たか、全くわからない。これまで、道を辿れば戻れると思っていた無謀とも思える全能感は、すっかりトゥーリの中から消え失せていた。どうして、あんなに楽観的な考えを持っていたのかと不思議に思うぐらいだ。
「ね、ねえ! さっきの光る子! 私のお家への帰り道も教えてくれない!?」
 あの光る生き物が道を再び教えてくれないかと呼びかけてみるものの、返事は全くない。どうしたものかと、トゥーリは真っ青になる。
 体の弱い姉を抱えて森で二人きり。きっと、すぐにおばあさんの言っていた「怖い生き物」に襲われてしまうに決まっている。
 襲われたらどうなってしまうのだろうか。頭からばりばりと食べられてしまうのだろうか。
 怖い想像ばかりして、トゥーリの顔もスィーリと同じくらい青ざめていく。おり悪く、不意にがさがさと茂みをかき分ける音が響き、トゥーリはびくりと肩を跳ねさせた。
「な、何かいるの……?」
 もし、それが怖い生き物だったらどうしよう。震え上がりながら、トゥーリはスィーリをしっかりと抱えて茂みを睨みつける。
 もし、怖い生き物が出てきたら、せめてスィーリが逃げる時間は稼ごう。それが、彼女を連れてきてしまった自分がするべきことだ。
 決意を元に、茂みをじっと睨みつける。がさがさという音は大きくなっていく。葉ずれの音の大きさからして、おそらく自分よりも大きな生き物だ。
 一体なにが出てくるのかと、トゥーリは耳の先端まで神経を集中させる。そして、一際大きな音と共に姿を見せたのは、
……ああ、やっぱり。誰か入ってきていると思ってたんだよね」
 それは、トゥーリに似た兎の耳を持つ大人だった。けれども、トゥーリの知っている大人と違うところもある。
「木の実のかけらが不自然に点々と落ちてたから、何がいるのかと思ったら」
 その大人は、トゥーリの母より小柄なくせに、やたらごつごつした体をしていた。着ている衣服も、トゥーリの母が作る貫頭衣とは全く違う。ところどころに皮でできた装備を身につけているのは、門番や森に出かける大人たちに少し似ている。土色の肌はお揃いだが、その髪の毛は金色だった。目の色だけは、トゥーリと同じ青色をしている。
 自分と少し似ていて、少し違うもの。うさぎの耳はあるけど、トゥーリたちと違う体をしている。そういう人もいる、とおばあさんは話していた。それは、確か――
「おとこのひと?」
「そうだよ。あれ、そっちにも誰かいる?」
「あ、あの。お姉ちゃんが、いるの。お姉ちゃん、体が弱いの。なのに、私はお姉ちゃんを置いていこうとして、それでもここまでついてきてくれて……
 自分と同じ生き物――しかも里の大人と同じような信頼できる人に出会えたと安堵した拍子に、トゥーリは腰が抜けてその場にへたりこんでしまった。トゥーリの後ろで小さくなっているスィーリに気がつき、男はぱちぱちと瞬きを繰り返す。
「へえ、君たちって水で映したみたいにそっくりだね。双子?」
「う、うん」
「で、この辺りまで入り込んできたのは君の方ってことでいい?」
 びしっと男に指さされて、トゥーリはびくりと震え上がる。
 どうやら、この男の人はここまで来たことを怒っているらしい。それもそうだ。子供は、一人で外に出るなというのが大人のルールなのだから。
 とはいえ、嘘を言ってスィーリに罪をなすりつける気にもなれない。トゥーリは、ゆっくりと頷いた。
「まったく。どうやって入ってきたのさ。ここ、俺たちでもなかなか入れない場所なんだよ。精霊の抜け道を使わないと、近づくこともできないのに」
「せーれーのぬけみち?」
「ん、それもまだ教えてない年頃だったか。ま、いいや。とりあえず、冒険はおしまい。君たちを里の近くまで連れていくよ」
 それは、トゥーリにとってはまさに渡りに船の申し出だった。里の近くまで連れていってくれれば、トゥーリの知っている大人たちが迎えてくれるだろう。
 しかし、そこまで考えて、トゥーリはさーっと青ざめる。さっきとは別の意味で彼女は顔面蒼白になっていた。
「私、おこられるかな……?」
「そりゃ、怒られるだろうさ。こってり絞られるといいよ。勝手に森の奥まできた上に、双子の片割れを危ない目に遭わせたんだからさ」
「う……
 トゥーリは、自分のそばで先ほどからずっと小さくなっている姉を見つめる。
 トゥーリにとって、スィーリは時に足手纏いのように思える姉だった。体が弱くて、一緒に遊んでいてもすぐに休もうと言うし、トゥーリの冒険に付き合わせたら母に叱られてしまう。同じなのに違うところもあって、その部分がもどかしいと思うところもあった。
 だけど、彼女がいなくなると思った瞬間の寒気をトゥーリは忘れていない。
「俺もそうなんだけど、双子ってさ、生まれたときから一緒にいた特別な相棒なんだよ。もし今回の遠出でそっちの子が死んでたら、君はずっと悲しい思い出を持ったまま生きることになってたんだからね」
「それは……嫌」
 スィーリが死んでいたら、などという想像をした瞬間、トゥーリの探検熱は驚くほど小さくなっていった。それよりも、今はスィーリが無事でよかったという気持ちが心の半分以上を占めていた。
「わかったならよろしい。じゃあ、そっちの子は俺が担いで行くから。君は、俺のそばから離れないようにね」
 トゥーリの手からスィーリが離れていく。少しの別れと思っても名残惜しいと感じ、せめてスィーリから渡してもらった水晶を返そうとしたら、
「それはトゥーリが持ってて」
 と言われてしまった。
 トゥーリは小さな水晶を握りしめて、自分達の案内をしてくれる男の後を追う。
 スィーリは男の人に抱えられるのが少し居心地が悪いのか、彼の肩に頭をもたれるようにしてじっとしていた。
 歩き始めた彼に体を預けながら、スィーリは何かの視線を感じてチラリとそちらに瞳をやる。
 そこには、何もない。だが、確かに何かあると目でも耳でもない感覚がスィーリに訴えている。続けて彼女は、トゥーリが話していた『光る子』の話を思い返す。
……トゥーリは、誰にも渡さないから」
 トゥーリの目にだけ見える不思議な存在。それが何者かもわからずとも、スィーリは言う。
 それは目に見えぬ何かに叩きつけた、片割れからの宣戦布告でもあった。
 
 ***
 
 名前も知らない男の人に案内されて、二人は無事に里に戻った。
 そして、案の定こっぴどく叱られた。まさに、叱責の雨あられだった。母があんなに怒るところをトゥーリは今まで見たことがなかった。だが、母親がトゥーリがいないところでこっそり泣いているのを目にして、自分はひどく心配をかけたのだと思い、トゥーリは暫くは大人の言うことを聞こうと思ったのだった。
 トゥーリは自分が見てきたものについて、大人たちに語ったが、彼らの反応は芳しくなかった。どうやら大人たちは、あの建物のことを知っていたらしい。自分があんなにも苦労して行った先のものは既に知られているとわかり、トゥーリは大人は存外に知らないふりをするのが得意なのだと気がついた。
 結局トゥーリの成果は丸一日の探検と白く光る生き物の謎、そして大人たちは知っていた石の建物の存在をその目で見た、ということだけだった。それでもかつての自分を思えば満足できることではあったが、今はもっと大事なものがあるとトゥーリはすでに知っていた。
「お姉ちゃん、体の具合はどう?」
「うん、もう随分楽になったよ」
 母が用意してくれた厚手の絨毯の上、これまた同じように母手製の掛け布の中で丸くなっていたスィーリは、トゥーリが近寄るとすぐに体を起こした。
 本人は楽になったと言うものの、遠出の負担はかなりあったようで、既にあの探検から三日は経つのにまだ寝床から長い間離れられていない。
 トゥーリは何度もごめんねと言ったが、スィーリはトゥーリに怒ることもなく「気にしないで」と笑うばかりだった。スィーリにそんな風に笑顔を向けられると、トゥーリとしてはどうしていいかわからなくなってしまう。そうして考えに考えた末、トゥーリはある決断をした。
「お姉ちゃん。これ、お姉ちゃんが見つけた石……
 上体を起こした姉の手に、先だっての冒険で姉が見つけた白い水晶を置く。
 トゥーリにみせたくて、と笑っていたときの彼女の血の気が失せた顔を思い出すたび、トゥーリは胸がズキリと痛んだ。
「トゥーリ?」
「お姉ちゃんが見つけたものだから。これは、お姉ちゃんが持ってないと。ね?」
 トゥーリが持ってて、と言われたものの、このままおとなしく自分のものになどできない。そう思ってのことだったが、スィーリはゆっくりと首を横に振った。
「ううん。これ、トゥーリにあげたかったの。だから、このままトゥーリが持ってて」
「でも」
「あの日、これを見つけた時から、トゥーリへの贈り物にしたいと思ったの。だから、トゥーリが持っていて」
 無くしちゃダメだよ、と笑ってスィーリはトゥーリの手に石を握らせる。そこまできっぱり言われてしまっては、トゥーリも「スィーリが持つべき」と言い張ることなどできない。
「うん。じゃあ、私が持ってる。スィーリからの綺麗な贈り物、大事に大事にするから」
「やったぁ。私が寝込んでる時も、その石がトゥーリのそばにあるなら、ずっとトゥーリのそばにいられるような気持ちになれるよ」
「うん。それに、スィーリが寝込んだ時は、私もちゃんとそばにいるよ」
「本当? 絶対の約束してくれる?」
「うん、約束する」
 スィーリの額に自分の額を合わせ、トゥーリは約束の言葉を口にする。子供同士の他愛無い口約束であり、同時に二人にとっては揺るがしようの無い、何よりも確たる絆を確かめあった瞬間でもあった。
 ゆっくりと額を離し、二人はそっくりの笑顔を浮かべる。トゥーリの手に握られた水晶は、小さな温もりをほのかに帯びていた。
 
 *
 
 その石を何があってもなくしたくないと悩んだ末、トゥーリは里の道士の力を借りて、それを自身の額へと貼り付けることにした。
 魔法の力で張り付いた約束の石を、トゥーリは今も額に掲げて生きている。
 成長して里を出て、森を出て、冒険者として行く彼女が踏み入れる、未知の大地を姉と共に見るかのように。