とはり
2024-10-18 02:03:05
10337文字
Public ひめこは
 

夜明け色の宝石

お泊まりをして2月5日になる瞬間を一緒に迎えようと試みるひめこは
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こは誕生日投稿(二回目)

 煌々と明かりのついたスタジオを背にして、HiMERUはたっぷりと闇に包まれた街路ではぁ、とひとつため息をつく。白く変わった息がふわりと浮かんで深い夜空にたちまち霧散する。撮影の時間が押してしまった憂鬱をそれで清算したことにして帰路につく。
『お疲れはん。仕事押しとるみたいやし、先にお邪魔しとくな』
 二時間前に送られた桜河こはくが差出人のメッセージを確認して、ついついもうひとつため息を零してしまう。今度は誕生日を明日に控えた恋人を待たせてしまった罪悪感からだ。これはため息に乗せたところで解消されそうにない。
 今日は泊まりがけでこはくと共に彼の誕生日を迎える予定だったのだ。本来ならHiMERUが先に着いてこはくを待っている予定だったのだが、やけにこだわりの強いカメラマンが思いつきのように「小道具が足りない」だの「もっと衣装のパターンを用意しろ」だの、注文を重ねるからその度に撮影が中断し、時間が押し続けて今に至る。それだけの甲斐あって出来上がりは当初の予定よりもずっと満足いくものに仕上がったのだが、タイミングが悪すぎた。何も今日でなくてよかったのに、と思うが何を言っても今更だ。
 今日の撮影が始まるまでは、掛け持ちしているユニットと同じ事務所のよしみで夏目の誕生日パーティに出席し、その後『プロデューサー』とバースデーイベントの打ち合わせをする予定だったこはくの方が「待たせてしまうかも。堪忍なぁ」と申し訳なさそうにしていたのに、すっかり立場が逆転してしまった。HiMERUはんとのお泊まり楽しみやわぁ、と年相応にはしゃいでいたこはくの顔を思い出すと、足を踏み出す速度が自然と早くなる。今すぐあの笑顔に会いたい。
『今から帰ります』と用件だけをこはくに送りながら、星奏館とは違う方向に足早に歩を進める。今夜帰る場所は星奏館ではなく、それ以前に住んでいたアパートの一室だ。

 鍵を差し込んで旧自室のドアを開ける。毎日使わなくなって一年も経っていないのに、鍵が鍵穴を通るときに手に伝わる細かな震えが少し新鮮な感触に思える。
「ただいま、」
 短い廊下を早足に進み、リビングに繋がる扉に手を伸ばすのと、その扉が自ら開き始めるのはほぼ同時だった。
「おかえり、HiMERUはん」
 目の前に突如現れた桜色に驚いて一瞬硬直した。爛々と輝くすみれ色の瞳は愛しい恋人のもので間違いない。HiMERUが玄関の扉を開ける微かな気配を感じ取ってすかさず出迎えに来てくれたのだ。
 育ってきた環境のせいか小さな物音にも敏感に反応するこはくらしい出迎え方とも言える。嬉しい反面、心臓に悪いのでもう少しゆっくりと姿を見せてほしい、と思わなくもないが。
「ただいまなのです、桜河。待たせてしまってすみません」
 それでも、早く会いたかった、会えて嬉しいと全身で表現してくるこはくには自然と顔が綻ぶ。今日はこの笑顔のために帰ってきたのだと、疲れていた体が芯からほぐれていく。
 この部屋をこはくと時々使うようになってからも、全体をモノトーンで揃えていた家具はそのまま使用している。
 黒革のソファと壁際の薄型テレビの間に置いてあるガラス製のローテーブルの上には文庫本が置かれていて、どうやらこはくはHiMERUを待つ時間、棚に置いていた推理小説を読んで時間を潰していたらしい。星奏館には厳選した本を持ち込み、あぶれたものをこの部屋に置いている。それをこはくは暇潰しにつまむことが多々あった。
 その奥では遮光カーテンが中途半端に開かれ、下層にある透けるほど薄いカーテンが半分ほど見えている。
 こはくが来るようになってから変えたことといえばこのカーテンとベッドくらいなもので、光を取り込みやすい設計の薄い白のカーテンはこはくのリクエストだ。防犯も兼ねてチャコールグレーの遮光カーテンも取り付けてあるが、部屋を使わない時や夜中以外は使わずに開けていることが多い。
 光を遮る黒いカーテンは閉め切ると窮屈に感じて少し苦手だと言うので、こはくと過ごす時間のほとんどは白いカーテンが活躍している。閉め切った部屋がかつてこはくが囚われていた座敷牢と重なるからなのだろうか。その推測を口にしたことはない。
 夜が深まってきたこの時間帯にはさすがに遮光カーテンが窓のほとんどを覆っているが、グレーの間に白の隙間が残されている。おそらくそこが今の今までこはくが座っていた場所だ。
 HiMERUが席を外している時、こはくはいつもあの白の延長線上で過ごしている。「夜の空がよう見えて綺麗なんよ」とカーテンに頭を寄せて呟いたこはくの姿が月のように慎ましい美しさを放っていた景色を、あの白の境界線を見る度に思い出す。
「HiMERUはん、夕飯は食べてきたんやろ?」
「ええ」
「なら、はよシャワー浴びてき。わしは先に済ませたさかい」
「え、あの、桜河」
 帰ってきたばかりのHiMERUを浴室へと押し込もうとする性急なこはくに戸惑う。HiMERUとしては目の前の一回り小さな体を抱きしめて、待ち焦がれていた恋人との逢瀬をじっくりと楽しみたい。
「HiMERUは桜河と一秒たりとも離れたくないのですが」
 急かすこはくの腕を掴んで伝える。HiMERUの瞳を見つめるこはくの顔がみるみる赤く染まっていく。う、とか、あ、とか声にならない音をいくらか吐いて、こはくは俯いてしまった。
……わしかて離れたないけど、一回触れてしもたらもう明日まで離されへんと思うから、はよう、支度終わらせてきてぇや……
 待っとるから。と腕を掴むHiMERUの手を切なそうに見つめられてしまっては嫌とは言えなかった。
「すぐ済ませてきます」
 鮮やかな髪の色に負けないほど色づいたこはくの額に唇を寄せて、HiMERUはかつてない手早さでシャワーを浴びて部屋に戻った。これほどもどかしい思いで湯を浴びたことなど今までなかった。
 部屋でHiMERUを待っていたこはくは白のカーテンを割り開いて窓の外を見つめていた。
「綺麗な空は見えますか」
 空を覗き込む背中に向かって歩みながら声をかけると、くるりと振り返ったこはくは「おん。明日はきっと晴れやで」と嬉しそうに笑う。
 その肩を引き寄せて抱きしめると、こはくもまたHiMERUの背中に腕を回して目を細めた。じんわりと愛しい温もりが全身に満ちていく。いい夜だ、と率直に思う。

 明日の支度を終え、腰を落ち着ける頃には日付が変わるまであと三十分も残されていなかった。
 こはくが入り浸るようになってから買い替えたダブルベッドに横たわりながら、お互いに今日の出来事を共有する。その会話のところどころでこはくは小さく欠伸を溢しては「堪忍な」とはにかんだ。
「眠いのですか?」
 HiMERUの問いかけにふるふると首を振る。 眠くないと主張しつつもぼんやりとHiMERUを見上げる視線に気づく。
……どうかしましたか?」
「HiMERUはんの目はお月さんみたいやねぇ」
「眠いのですね?」
 脈絡のない言葉と間延びした声に確信し、うっとりと瞳を蕩けさせているこはくの髪を撫でる。瞼はとろんとして重力に抗うのもやっとのようだ。一日慣れない場所で気を張って疲れたのか、強い眠気がこはくを襲っていた。
 指で耳殻を形に沿うようにすりすりと撫でると、こはくは「んっ」と小さく鳴いて一層瞼を緩ませる。
 閉じそうになる瞼を慌てて開いて。けれど瞼はまた下がっていく。ゆったりとスローモーションのような瞬きを繰り返し、睡魔に抗うこはくの健気さが可愛らしくて、弄ぶ指が止まらない。
「あかんよ、HiMERUはん……寝てまう……
 誘惑を振り切ろうとこはくは微かに首を横に振るがその動きはひどく弱々しい。もう陥落寸前だった。
「起きとく、っち、決めとったのに……あかん、て……
 か細い声がついに途切れる。瞼が完全に降りきったこはくの唇の隙間から安らかな吐息が聞こえる。
 吸い寄せられるようにあどけない寝顔を引き寄せて腕のなかに閉じ込める。こはくの髪に顔を埋めると自分と同じシャンプーの香りがして、愛しさが込み上げてくる。
 自分より少し高い体温も、こうして抱きしめて肌を寄せていると徐々に馴染んで、温もりが皮膚を通り越して血液にまで染み込んでくる。
 香りも体温も交わって、曖昧になった境界線の果てでひとつに融け合えてしまえるような幸福感に包まれて、HiMERUは噛み締めるように目を閉じた。



 意識が浮上する。乾いた温い空気が頬を撫でて、湿度を失った咽頭のあまり心地良いとは言えない感覚に眉間に皺が寄る。思考がぼんやりとしている。どうやら眠ってしまっていたらしい。開けっ放しの白のカーテンから覗く空はまだ暗く、夜がまだ明けていないこと知る。
「HiMERUとしたことが、暖房をつけたまま寝てしまったようですね……
 体を起こして伸びをすると、少しばかり意識が冴える。
 日付はとうに変わっていて、二人で夜更かしして今日という日を迎えるという計画は実行できなかった。
 こはくの枕元の端末はちかちかとメッセージの通知を知らせるランプが点滅している。大方、誕生日を祝うメッセージが届いているのだろう。明滅を繰り返す端末をそっと引き抜き、ベッドサイドテーブルに置いて遠ざける。目覚めた彼が一番最初に目にするのが自分以外の祝言になるのはごめんだった。
「お誕生日おめでとうございます、桜河」
 一番最初におめでとうを伝える特権は自分だけのものだ。眠ったままのこはくに告げてHiMERUは満足そうに笑む。
 すやすやと眠る恋人を眺めていると広角が緩んでいく。
 この愛らしい寝顔の恋人を一人で夢の世界に旅立たせる訳にはいかなかったのだ、と誘惑に抗えなかった過去に言い訳をして、水でも飲もうかと布団から抜け出す。足を下ろして浮かせたその腰に、後ろから伸びてきた両腕が絡まる。
……どこいくん」
 愛らしい恋人の両腕と眠たげな声で引き留められて、HiMERUは幸せに目を細めながらもう一度ベッドに腰を降ろした。しがみつくように回された両腕が、行かないでと甘えてきているようで口角が上がっていくのを止められない。
「どこにも行きませんよ。起こしてしまいましたか?」
 ふるふるとこはくが首を横に振る感触が背中に伝わる。動きに合わせて背後の桜髪が左右に踊るのが目に浮かぶ。
「もっと早うに起こしてくれてよかったんに……もう、朝?」
「朝、というには少し早すぎる時間でしょうか」
 カーテンから透ける空はまだ仄暗く、ようやく地平が微かに明るくなろうかとしているところだった。
 うー、と唸りながらこはくは回した腕を頼りにしてHiMERUの体をよじ登るように徐々に体を起こしていく。
 二人羽織のようにくっついて、ぴたりとこはくは動きを止めた。背中に暖かな息遣いと鼓動を感じる。
「あの、桜河……動けないのですが」
 今すぐ振り返って抱きしめたいが、がっちりと両腕で体幹を固定されていて身動きがとれない。手持ち無沙汰な両手を胸の上にあるこはくのものと重ねながら訴えるが、返事は戻ってこない。
「桜河、寝てます?」
「起きとるよ」
 あまりの静けさに二度寝を決め込んだのかと思ったが、間を空けず言葉が返ってきたところをみるに、こはくはしっかりと覚醒しているらしい。目覚めの良さにはいつも感心する。
「一秒たりとも離れたくないっち、言うたくせに」
 しんと静まり返った部屋の空気をこはくのいじけた声が微かに揺らす。細かな棘を内包する言葉はHiMERUをちくちくと苛むが、恋人らしい甘え方が苦手なこはくの、精一杯のわがままなのだと思うと、些細な痛みよりも愛しさがずっと勝る。
「そうですね。すみません。離したくないと桜河も言ってくれたこと、HiMERUは嬉しかったのです」
 HiMERUもまた昨日の睦言を繰り返すと、こはくは気まずそうに「う……」と声を漏らした。
「HiMERUも抱きしめたいのですがいいでしょうか? 伝えたい言葉もあるのです」
 ね、桜河? と出来るだけ甘い響きで名前を呼んで許しを請う。腕の力が緩んだところをみるに許しは得られたらしい。こはくの気が変わらない内に素早く方向転換し、正面に向き直る。
 昨日の自身の発言を思い出して今更照れているのか、伏し目がちのこはくはちょこんとシーツの上に正座している。
 再び名前を呼ぶと、すみれ色を隠していた黒い睫毛が持ち上がって、伺うような瞳がHiMERUの目の前に現れる。
「お誕生日おめでとうございます」
 眠っていた彼に一度掛けた言葉を、今度はちゃんと目を見つめて伝える。
 つり目がちの眦がふっと緩んで、おおきに、と柔らかく吐き出した桜色の唇が控えめながらも美しく弧を描いたのをみとめて、その体ごと引き寄せる。
 出会えたことの喜びや、こうして愛し合えることの素晴らしさ。互いにこの世に生を受けて懸命に生き続けなければ得られなかった今。言葉だけでは伝えきれない愛しさを腕に込める。
 HiMERUからの痛いほどの抱擁を受けて、淡く吐息をこぼしたこはくはありがとう、と呟いた。

 渡したいものがあると伝え、抱擁の余韻を惜しみながら、ベッドサイドテーブルの引き出しを開いて奥まで手を滑らせる。こつんと指先に触れた固い感触を手繰り寄せて、そっと取り出す。
「手を出してください」
「ん、こうか?」
 出された右手に箱を置く。滑らかな包装紙に丁寧に包まれたその箱がプレゼントだと気づいたこはくは、落としてしまわぬよう慌てて両手で包むようにして持ち上げる。
……開けてええ?」
「どうぞ」
 HiMERUの返事を聞いてこはくはいそいそと包装紙の留め口を指で摘まんで慎重に剥がしていく。いわばただの紙である包み紙すらもプレゼントの一部であるかのように扱う。緊張と期待をない交ぜにしながら開封していくこはくの表情に、HiMERUもまた開封後のこはくの反応に緊張と期待を抱いていた。
「これは……腕につけるブレスレットっち、やつやろか? 綺麗やねぇ」
 現れた小ぶりの箱の中に納められた紐状のアクセサリーを見つめて目を細める。革を編み込んで作られた紐の部分にワンポイントとして琥珀があしらわれている。
 こはくに合わせて華美でなくカジュアルに、彼の日常に寄り添うようなシンプルなデザインを選んだ。形状はブレスレットとよく似ているが意図する装飾場所はそこではなかった。
「アンクレット。ここに着けるアクセサリーなのです」
 人差し指でこはくの足首をつつくとその刺激に足先がぴくりと反応する。
「足に……そんなんもあるんやなぁ」
 感嘆の言葉をこぼしながら、箱の中のアンクレットを掬い上げて取り出す。アンクレットを宙にかざして様々な角度から眺めるこはくの瞳が宝石に引けをとらないほどに煌めいている。嬉しそうな反応にHiMERUはひとまず安堵した。
 きらきらと揺れる宝石を見つめていたこはくの視線がHiMERUとぶつかったと思うと、何かに気づいたように声を漏らす。
「この宝石、HiMERUはんの瞳の色に似とるね」
「アンバー……"琥珀"と同じ色、というのは光栄ですね」
「こ、っ……はく、っち何でわざわざ言い直したん」
 自分の名前と同じ響きの言葉がHiMERUの口から飛び出してしどろもどろになる恋人には気づかない振りをして口の端を上げる。
「おや、何か気になりましたか?」
「べ、別に何もあらへん」
「自身の名前を思い出す度に"琥珀"と同じ色のHiMERUの瞳を思い出してくださいね」
「ぬしはん、わざとやな!?」
 種明かしをすると思った通りの反応が返ってきて、体の芯がくすぐられるような愉楽にくつくつと笑みが溢れる。
「それをHiMERUだと思って大切にしてもらえると嬉しいのです」
「ん。これを身につけといたらいつでもHiMERUはんと一緒に居れて寂しないっちゅうわけやな」
「そ、うですね」
 眦を緩めて幸せそうに微笑むこはくに、今度はHiMERUが動揺する番だった。その言い方は暗にHiMERUの居ない寂しさを感じたことがあるという事実を指し示しているのだが、気づいているのだろうか。HiMERUの心臓のリズムを狂わせたことなど全く気づかず、プレゼントに目を奪われている恋人が愛らしいやら憎らしいやらだ。
「HiMERUはん、つけてくれん?」
 こはくの言葉と共にアンクレットと足首が目の前に差し出され、HiMERUは目を見開いて静止する。近頃衣装の着付けをはじめ世間にも慣れてきたのか、世話を焼く隙を見せてくれなくなったこはくにしては珍しい頼み事だった。
 一瞬反応が遅れ、沈黙するHiMERUに不安が過ったこはくの表情に微かな陰が射す。
……嫌、っちゅうならええけど」
「まさか。むしろ頼ってもらえて嬉しいのですよ」
……さよけ」
 こはくのおねだりを断るつもりなど毛頭ないHiMERUは差し出されたアンクレットを受け取って、こはくの素足を持ち上げる。
 起き抜けに抱きついてきたことといい、今日は本当に甘えん坊だ。誕生日という特別なシチュエーションがもたらす高揚感がそうさせるのだろうか。こんなにいじらしい恋人が見られるなら毎日が彼の誕生日でも構わない。
 膝に乗せたなめらかな足の背に指先を滑らせる。骨張った箇所や足の裏、踵は慢性的に靴に擦れてところどころ皮膚が固くなっている。レッスンを通して彼が今まで積み重ねてきた努力の証だ。そして積み上げた努力によってめきめきと実力をつけ、ステージの上で花開いていくこはくをこれからも隣で見守っていくのだ。
 込み上げてくる誇らしさと愛しさに任せて足の隅々を揉んだり擦ったりしていると、くすぐったそうに身を捩ったこはくに「こぉら」と甘やかに咎められる。
 機嫌を損ねてしまわないうちに可愛い恋人のおねだりを叶えるべく、アンクレットを足首に沿わせる。よく鞣された深い色の革は主張しすぎないながらもこはくの白い肌によく映え、六角形に縁取られた宝石は蕾のように控えめにこはくの足元を彩っている。
「できましたよ」
「おおきに、HiMERUはん」
 HiMERUの手をとりながら満足そうに笑んでこはくは再びころんとベッドに横になる。
「おや、もう一度寝るのですか?」
「ええやん。今日はゆっくりできるんやし」
 指を絡めてくいくいと引っ張り、悪戯っぽい笑みで誘惑してくる恋人の誘いに抗う術も理由も今のHiMERUは持ち合わせていなかった。
 再び体を横たえて向かい合う。ぐっと近くなったこはくの顔を見つめると、全身を巡る血流が鼓動に合わせて温度を高めていく。こはくの睫毛が揺れて、ゆっくりと瞳が閉じられる。眠るためではなく、甘い愛を受けとるために。
 期待を滲ませる愛らしい唇にお望みのキスを与える。ちゅ、とリップ音を立てて触れるだけのキスでも、熱っぽい吐息をこぼしてうっとりと瞳を蕩けさせる恋人を一息に貪り尽くすのはもったいない。
 逸る気持ちを抑え、ついばむようなキスを二度三度、口角や頬に落としていく。震える唇と潤む瞳が続きを訴えて、再び唇を重ねる。
 薄く開いた桜唇からおずおずと姿を現した舌先を絡めとりながら口内に押し入ると、鼻にかかる声が熱を帯びる。上顎をざらりと舐め取るとくぐもったこはくの息が甘さを含んで唇の隙間から零れていく。
「あ……
 唇を離して見つめた、上気した頬のその上。濡れた紫の瞳の色。
 肩越しに見える東の空の薄色とこはくの瞳の色が混じるように重なって、二つの夜明け色に息を呑んで見とれる。
 遠くを見つめて黙ってしまったHiMERUの視線を追って、こはくが首を後ろに捻る。こはくが視線を移したことで遠のいてしまった夜明けの瞳に向かって手を伸ばす。
「よそ見は、ダメなのです」
「ぁ、う……っん」
 こはくの顔を引き戻しながら覆い被さるようにして唇を奪う。美しい夜明けの気を引きたかった。その視線を手離すのが惜しかった。
 ずっと見つめていたいと思った色を求めて目を開いて盗み見るが、目の前の瞳は閉じられたままで。キスをしている間はその美しさを拝むことはできないのだと気づく。
「目、開けて」
 熱の交換を中断して、簡潔に伝える。舌をなぶられて呼吸を早めながらもこはくはゆったりと瞼を開く。潤みきった瞳に見上げられて、HiMERUの脳髄に甘く痺れるような感覚が広がる。
「そのまま、目を開いていてくださいね」
「え……? っん……ふ、ぅ、」
 もう一度こはくの唇を塞いで、蕩けるほど熱をもった舌同士を絡ませる。熟れた果実の隅まで味わうように口内を動き回るHiMERUの舌が与える甘い快楽に翻弄され、切なげに眉を寄せながらもこはくは何とか目を開けたままで応える。その健気さに胸を撃たれながら視線を交わしたまま貪る。
 ふらふらと宙を漂う視線は、どこを見ればいいか分からない、と困っていることを明け透けに示していて、初々しい反応につい笑みがこぼれる。
「HiMERUの目を、見ていてください」
 一瞬唇を離して囁くと、はふ、とこはくの口から熱をもった吐息が漏れる。
「そんなん、恥ずかし、んんっ……
 こはくの抗議の言葉ごと唇で塞ぐ。ぱちりと目と目が合うと既に色づいていたこはくの桜肌が更に濃く色づいて、一層色香を増していく。縋るように握られた手と視界いっぱいに満ちる潤んだ夜明け色に、HiMERUは恍惚で心を震わせた。
……ふ、えらい熱烈なお祝いやわぁ」
 上がった息を整えながら、くたりとHiMERUの胸に頭を寄せる。HiMERUに散々吸われて赤く熟れた唇はそれでも幸せそうに弧を描いていた。
「あなたを祝うのはHiMERUだけではないのです」
 サイドテーブルに手を伸ばして、通知のランプをしきりに灯し続ける端末をようやくこはくの手元に返す。何のことか分からない、という顔で受け取ったこはくも端末の明かりをつけて浮かんできた画面を見て理解する。そういうことか、と呟いたこはくの眦がふっと緩んだ。
「あぁ……さすがラブはんやなぁ。零時きっかしにメッセージくれとる」
 一番最初に端末が受け取った祝いのメッセージの送信時刻に気づき、こっこと特徴的な笑い声をこぼす。
「燐音はんからも……深夜のラジオがあるっち言うとったのに、終わった後に送ってきてくれたんか」
 感心したように声を漏らしたこはくは次の送信者の名前を見て訝しむ。
「ん? 燐音はんからもう一件……ってニキはんからかい。また一緒におるんかこん二人は。ニキはんも自分ので送ればええもんを……まったく」
 相変わらずな二人の関係が透けて見えてきそうなやりとりに苦笑をこぼしつつも、その表情はただ呆れているだけではないように見える。
「ジュンはんは……朝のジョギングの前に送ってきてくれたんやろか。律儀なお人やわ」
 同室者の顔を思い浮かべるこはくは柔和な微笑みを浮かべていて、良好な関係を築いていることがありありと分かる。
「あ……坊。えらい早い時間に……早朝の仕事でもあったんやろか? ほんま、暇やなぁ」
 言葉の割にはいつもの刺々しさを感じず、次々とメッセージを繰るこはくの視線は穏やかで、皆からの気持ちを、愛情を、素直に受け止めているようだった。
 面映ゆさを含みながらくるくると変わるこはくの表情をHiMERUは暖かく見守る。他者からの愛情に触れて心を綻ばせるこはくを傍で見ることの出来るこの特等席に、HiMERUは満足していた。そんなHiMERUの視線に気づいたこはくは慌てて端末を置いた。
「HiMERUはんとおるのに、他のことに夢中になって堪忍な」
「見るように促したのはHiMERUなのですから、気にしなくていいのですよ。それよりも、どうでしたか?」
「どう、って……なんちゅうか、くすぐったいわ……
 感想を訊ねられたこはくは逡巡する様子を見せてからそう言った。正直に言葉にするのはまだ照れがあるらしい。
「ふふ、よかったですね。桜河」
 少しでも素直になれるよう背中を押すつもりで手を重ねると、こはくは照れくさそうに目を伏せてこくりと小さく頷いた。
「ですが、桜河を一番想っているのはHiMERUだということは、忘れないでほしいのですよ」
 指を絡め、頬にかかった桜色の髪を耳に掛けて、唇を重ねる。手のひらで触れる頬の温度は日向にいる時のように暖かい。こはくの足首を飾るアンクレットに足先を絡めるようにくすぐって、互いに目を細めて見つめ合う。
「HiMERUはんは今の目の色とおんなじ朝日みたいや。わしのこと優しく見つめて暖めてくれとるね」
 カーテンの隙間から薄く射し込んできた朝日を背中に受けながらころころと笑う。その目は爽やかな夜明けの色をしている。
「HiMERUの目の色は月になったり宝石になったり、朝日になったり。忙しいのですね」
「コッコッコ♪ せやね。けど、わしにはそんくらいせわしい方が愉快でええわ」
 夜明けと朝日が交わる部屋に小気味いい笑い声が響く。

 ひとつ年を重ねた宝石が夜明けを彩り、あざやかな今日が始まる。