とはり
2024-10-18 01:47:09
13995文字
Public ハデ少
 

永遠の記号

半死神の少年と断罪の死神、二人の関係を絶対ただの"友達"なんかじゃ終わらせないという強い怨念がおんねん

少年とハーデイが仲を深めるエピソードが欲しくて欲しくて気づいたらわき上がる欲望と感傷のおもむくままに妄想を書き殴っていました。本編のストーリーをなぞる形で組み立てたつもりのエピソード集。ありがとう黒雪イベ、ありがとうLa Mort
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怨念が……おんねん……!!
3年経ってもくっきりおんねん……!!
いつになったら私の住む地域で『La Mort』上映がされるんでしょうか。

 君との思い出話に花を咲かせよう。
 死神がもたらしたと言われる黒い雪に覆われ、草花の息吹も絶え果てた身も心も凍えるような白銀の町で、出逢う運命だった私たちが「さよなら」を告げるまでの話を。
 冬だけが訪れるこの世界で、春に差す暖かな木漏れ日のような思い出が確かにあったのだと。消えない思い出があるのだともう一度確かめよう。
 私たちの永遠はきっとここにあると信じている。



 初めて出会ったあの日、毎日ここに来ると告げた少年は宣言通りその翌日もやって来た。まだ世界が目覚めきらない薄明かりの早朝だった。
「神様、どうか」と目を閉じて真剣に祈りを捧げる少年の頬を、窓から射し込む光が照らしだす。決して届くことのない彼の祈りはどこを彷徨うのだろうか。
「ずいぶんと早いんだね」
 祈りを終えたタイミングで声をかけると、少年のライラック色の瞳が私を捉える。
「ああ、あんたは昨日の……。おはよう、邪魔させてもらっているよ」
「今日の祈りは届きそうかい?」
「きっと届くさ。祈りってのはそういうものだろう?」
 私からの意地悪な質問に少年は私の目を真っ直ぐに見つめて答える。疑いを知らない眼。自分の存在がこの永遠に続く冬の元凶なんて知るよしもないんだろう。
「あんた、名前は? そういえば昨日聞いていなかった」
 唐突に少年が口を開く。
 人間は誰かと関係を築く時に名前を必要とするのか。面倒だな。
「名前……そうだな。君が本当に毎日通ってきたら教えよう」
「俺の信仰を疑ってるのか? そんなこと言われなくたって毎日来るさ」
「そうか。楽しみにしているよ」
「うん。じゃあ、また明日」
 少年が出て行き、パタンと閉じた扉を見つめる。これでしばらく少年は教会に足を運ぶだろう。途中で少年が教会に来なくなってしまえば計画に支障が出る。
 これから数日で少年と関係を築かねばならない。面倒だとも思うがこれも彼に絶望を与えてから命を奪うため。多少の苦労は致し方ない。

「外は寒いだろう。これでも飲むといい」
 宣言通り連日祈りを捧げに姿を見せた彼に戯れとしてココアを提供した。教会を行き来する道中で凍死でもされたらかなわないからだ。
「これは……?」
 甘い香りと共にふわふわと湯気を漂わせる液体と私の顔とを交互に見つめて少年は首を傾げる。初めて見た、と分かりやすく顔に書いてある。
「ココアという飲み物だ。一度飲んでみるといい」
 促すと少年はおずおずと手を伸ばし、両手でカップを拾い上げる。何度か息を吹き掛けて冷ました後、ゆっくりとカップの縁に唇を寄せて一口すすると彼の目が大きく見開かれる。
「おいしい……!」
 ぱあっと表情を明るくして少年は煌めく瞳で私を見上げる。どうやらお気に召したらしい。続けて数口飲み込むとほっと暖かな吐息をこぼした。
「ここあ、っていうのか。甘くて、あたたかい」
 ココアのもつ仄かな甘さとぬくもりが冷えた体に染み渡り、彼の眦がうっとりととろける。よほど気に入ったのか、もどかしいほどにちびちびと大切そうに飲むものだからつい、おかわりもあるよ、と口にしてしまった。自分の提供したものを気に入られて得意になっていたところもあるのかもしれない。
 おかわりなんて卑しい、とでも思っているのだろうか。少年は私の言葉を聞いてしばらく逡巡した様子を見せたが、やがて恥ずかしそうにはにかんでカップを差し出した。存外いじらしいところもあるものだ。
 少年が美味しそうに飲むのにつられて飲みたくなってしまった自分の分も含めて二杯ココアを用意して彼の隣に腰かける。
「あんたは俺の知らないことをたくさん知っているみたいだ」
「君よりずっと長い時間を生きているからね」
「俺よりずっとって……あんた一体何歳なんだ?まるで年寄りのように言うじゃないか」
少年はくすくすと笑う。事実を言っただけなのだが、冗談に聞こえたらしい。
 人間と死神では時間の流れ方が違う。少年の生きてきた十七年という時間は私にしてみればそれほど長い時間ではなかった。彼の命を刈り取るまでのこの穏やかな時間だってあっという間に過ぎ去って、時の流れという抗いようもない奔流に飲まれて瞬く間に消えてしまうのだ。
「あんたは、」
「ハーデイ」
「ん?」
「私の名だ。ハーデイという。名を教えると約束しただろう」
「覚えていてくれたのか!」
 名前を教えた、それだけのことで少年は感激に目を輝かせる。この名前だって少年と過ごす一瞬だけのものだ。君が絶望を知ると同時に消えてしまう響きだというのに。彼は嬉しそうに教えた名前を繰り返す。
 祈りを捧げている時の静穏さとは異なった顔を見せる少年は年相応と言うべきなのだろうか。意識的か否か普段大人びて見せているきらいがある分、むしろ実年齢よりも幼く感じることさえある。
「ハーデイ。これからもよろしく」
 ココアが立てた甘い湯気の向こうで、少年の表情が春の芽吹き感じさせるようにささやかに綻ぶのが見えた。

 それから次第に少年が教会で過ごす時間は徐々に長くなっていった。朝と夜の二回来ることもあれば、陽が落ちて辺りに漆黒の夜の香りが漂っても帰ろうとしないこともしばしばあった。
「毎日遅くまでいるようだけど、心配されるんじゃないか?」
……唯一の頼みだった両親は俺が十七になった途端、姿を消したんだ。もう家には俺しかいないから」
 声の調子が落ち、言外に孤独を滲ませながらも笑ってみせる少年に、うわべだけの同情の言葉をかける。
 知っているよ。神の怒りを買った少年の両親は私とは別の存在によって裁かれたのだから。
 残ったこの少年を裁くのが、私の使命だ。
「これは何?」
 しんと静まり返ってしまった空気に堪えきれなくなったのか、少年は天井まで届くほどの装置を指して言った。
「パイプオルガン。楽器だよ」
「楽器なのか、大きいなあ。ハーデイ、弾ける?」
「少しなら」
「本当? 聴かせてくれないか」
……仕方がないね」
 まただ。この好奇心に満ちた幼子のような目を向けられるとどうも調子が狂う。
 少年にせがまれて半ばうんざりした気持ちでオルガンの前に座る。これで少年が私に心を開くきっかけになるのなら、面倒だが弾く価値はないともいえない。
 それに、パイプオルガンが奏でる重厚で荘厳な音の響きが私も嫌いではなかった。誰に聞かせるでもなく一人奏でることが多かった演奏をまさか他人に聞かせることになるとは。さらにその相手が『半死神の忌み子』になろうとは予想だにしなかった。
 鍵盤の前に腰かけて呼吸を整える。大きく息を吸って鍵盤に乗せた指に力を込めると、重い響きの美しい和音が部屋中を満たして、斜め後ろに立つ少年が息を呑む空気が伝わる。
 体の芯まで震えさせながら響く重低音と天にまで突き抜けていく清らかな高音が二人だけの空間を包んでいく。ゆっくりとした呼吸が後ろから微かに聞こえて、少年が聞き入っていることが分かる。パイプオルガンの音色が響き渡る中で私たちは互いの間に流れる静寂に心地よく揺られていた。
 演奏を終えるとほうっと少年が感嘆の吐息を漏らして小さく手を叩いた。
「すごい迫力なんだな……でも綺麗な音色。神様にだって届きそうだ」
 屈託ない眼で言い、両手を組んで祈りを捧げる少年が哀れにさえ思えてくる。凍えきった町でよくこんなに真っ直ぐ育ったものだ。
「そうだ。ハーデイはこの町の高台に行ったことはある?」
 何か思い出したように少年が顔を上げる。
「高台? いや……この教会から離れることが少ないから実際に行ったことはないな」
「じゃあ今から行こう。この町で一番高くて、一番空に近いところなんだ」
 返事も聞かずに少年は私の手を引いて歩き出す。その反動で私の体をそよ風が撫でていく。
 初めて触れた彼の体温は暖かく、微かな感傷が疼きとなって胸の奥をくすぐっていく。

 月明かりに照らされた雪は闇の中でもキラキラと煌めきながら存在を示している。よほど慣れた道なのか、私の手を引きながら街灯もほとんどない暗く寂しい夜道を迷いなく少年は進んでいく。
「着いたよ、ハーデイ」
 坂を上りきった先の開けた場所に出ると少年の手が離れる。
「一面真っ白で寂しいけれど、夜は少しだけ綺麗なんだ」
 少年が示す視線の先には白銀の景色にオレンジ色の民家の灯りがイルミネーションのようにちらちらと灯っている。雪の白に覆われているからこそ人々の営みが暖かみを帯びて幻想的に映る。
「いつか、この大地にも緑が生い茂るのかな」
「そのために毎日祈っているんだろう?」
 寂しげに遠くを見つめる彼の横顔に思わず声をかけてしまう。彼は間を置き薄く微笑んで「そうだね」と返す。
 町の灯りに吸い寄せられるようにふらふらと少年の体が高台の縁へと近づいていく。整備もされていない町の外れの高台に、転落防止の柵なんてひとつも設置されていない。
 気がつくと彼の腕を力一杯掴んでいた。
……それ以上近づくと危ない」
「あぁ……うん。ありがとう、ハーデイ」
 強く掴まれ大きく皺ができた自身の袖に視線を落としながら呟く。強く吹き始めた風に少年の声どころか体ごと掻き消えてしまいそうで腕を離せずにいた。
「ここにはよく来るのか?」
「うん」
「一人で?」
……うん」
「危ないだろう」
「そうかな?」
 振り返ってまた高台の向こうの景色に視線を移した少年の体を返事の代わりに引き寄せた。人々が寄り添う暖かな灯りに恋い焦がれ、ふらりと崖の縁に立つ彼の背中にゾッとしてしまう自分がいた。どうしてこんなに少年を気に掛けてしまうのだろう。事故でも彼が命を落とせばそれでもきっと町に春は訪れて、責務は果たせたはずなのに。一回り小さな少年の体はこうして自分の腕の中にすっぽりと収まっている。
「どうして私をここに連れてきたのか聞かせてくれるか?」
「この高台からの景色をハーデイに見せたかったんだ」
「どうして?」
「どうして、って……そう言われると困るな。オルガンを弾いてくれたお礼……いや、俺がハーデイとこの景色を見たかったのかな」
 どうしてだろうね、と腕の中の彼が心細そうに目を伏せた気配を感じて、更に腕に力を込める。雪を吸って湿り気を帯び始めた服の感触がより一層強く肌に伝わる。
「ハーデイ……?」
「これからは一緒にここに来よう」
 少年が驚いて息を呑む音が聞こえる。数瞬の後、こくりと少年の頭が縦に振れてそのまま胸に強く押し付けられる。
「ここは外で寒いはずなのに、ハーデイとこうしてると暖かく感じるよ」
 穏やかな少年の声音に、彼がすっかりと心を開いてくれていることを感じとる。
 ああ、そうだ。彼の命を絶望のうちに奪うためにここまで関係を築いてきたのだ。彼に絶望を与えきれていない内に勝手に死なれては困る。だから彼の身を案じてしまうのだ。
 言い訳じみていることには目をつむって、彼が時折纏う儚さと孤独の片鱗に引きずられそうになる感情から目を逸らした。

 『悠久の死神』にせっつかれながらも、少年との変わらない日々を過ごしていたある日。
 その日は外は激しい吹雪で、とても出歩ける気候ではなかった。さすがの少年も今日ばかりは家で過ごすだろうと窓の外を眺めていた。
 そんな折、教会の扉が激しい音を立てて開き、入り口から吹雪と共に少年が勢いよく転がり込んできた。
「やぁ、ハーデイ。こんにちは」
 全身に新鮮な雪を被りながら、目が合うとへらりと笑って手を上げる。彼を視界に収めた私はそれに応えて悠長に挨拶をしている場合ではなかった。少年の体にはあちこちに雪ではない汚れがつき、ボロボロとしか表現しようがない外見をしていたからだ。
「何があった! 襲われたのか!?」
 ただ事ではない少年の姿に飛びかからん勢いで駆け寄り、彼の顔をよく確認するために両肩を掴んで屈む。
 私の剣幕に仰け反って驚いた少年は、ぶんぶんと首を横に振る。その動きに合わせて溶け始めた雪が彼の髪から雫となって飛び散り、私の肩を濡らす。
「じゃあ一体何があったっていうんだ!」
 服や顔には雪だけでなく泥までが付き、髪は暴れまわってぼさぼさになっている。
 問いただす私から目を逸らして、少年はあちこちに視線を彷徨わせている。言い淀んで真実を離そうとしない少年に焦燥感と苛立ちが沸き上がる。肩に力んだ指先が食い込んで、痛みに彼の眉間に皺が寄る。
「何でもないんだ、ハーデイ」
「こんなに汚れて、何でもないなんてことがあるわけないだろう……! 私には言えないことなのか?」
 顔を覗き込んでもう一度問いただすと、観念したらしい彼が口を開く。気まずそうに両指先を絡ませる彼から発せられる言葉を固唾を呑んで待った。
「こ、ころんだ……
「え?」
 彼の声は今まで聞いたどの声よりも小さかった。転んだ、と言ったのか?
「ついさっき、そこで……こんな年にもなって恥ずかしいから言いたくなかったのに」
 羞恥に少年の顔が赤く染まる。全身の力が抜けて倒れ込みそうだった。これだけ汚れているのだから派手に転んだんだろうが出血もなく、大事はなさそうだ。
 ほっと安堵の息を吐いて、彼の顔に付いた泥を指先で幾らか拭ってやる。
「急いで手当てをしよう」
「雪がクッションになったから怪我はしてないんだ。ただ服が汚れちゃって……
 くしゅん、と少年が小さくくしゃみをもらして、全身を細かく震えさせる。このままだと体を冷やして風邪でもひきかねない。
「とりあえず湯浴みしてきたらどうだ?」
「できるのか?!」
「狭いけれど一応。宿泊設備があるからね、ある程度の物は揃っているはずだ」
「助かるよ! あ、でも代えの服なんて持ってない」
「備え付けのものを使うといい。合うサイズがあるか分からないが、乾くまでの一時凌ぎにはなるだろう」
「何から何まで悪いな」
「構わないさ」
 話しながら場所を案内すると少年はぱたぱたと小走りで浴室へと入っていった。

……もっといいサイズはなかったのかな?」
「子供用を除けばこれが一番小さかったさ」
 湯浴みを終えた少年は両肩をすくめて、黒いキャソックを半ば引きずりながら出てきた。袖をたくしあげたり裾を持ち上げたり、ぶつぶつと呟きながら動きにくそうに近づいてくる。
 身の丈の合わない服を身につける、子供でも大人でもない不格好な少年が可愛らしいと思えてしまう。
「吹雪が止んで服が乾くまでここにいるといい」
「いいのか?」
「どうせ誰も来やしない。とんだ物好き以外は」
 揶揄を込めた視線を隣に送ると、少年の頬がむっと膨れる。
「どうせ俺はとんだ物好きだよ」
 唇を尖らせてそっぽを向く彼があどけない子供に見えて、思わず笑みをこぼす。すると力の入っていない拳が腰の辺りに飛んできて、少年もまたくすくすと笑い出す。軽口を言い合えるほどに私たちの関係は深くなっていた。深くなってしまった、とでも言うべきなのだろうか。
 彼と過ごす時間が楽しいと感じ始めていた私は気が緩んでいたのか、物陰から私たちを見つめる氷の視線に気づかずにいた。


 これほど視界に映る吹雪が煩わしいと思ったことはない。
 ──少年が『氷結の死神』に狙われている
 その先にある考えたくもない結末が何度も頭を過り、その度にかぶりを振って教会までの帰路を急ぐ。
 どうか今日は教会には来ないでいてくれ、こんなに天候の荒れている日は家で大人しくしていてくれ。そんな淡い希望も教会の前に立って現れた光景に打ち砕かれる。
 ようやく辿り着いた扉は分厚い氷で覆われていた。自分が教会を出た時には何の異変も見られなかった。これほどの氷がこの短時間でそう易々と自然に生成されるとは思えない。
 こんな芸当が出来る人物は一人しか思い浮かばなかった。
「『氷結の死神』……!」
 怒りと焦りで氷の壁に拳を叩きつけても、もちろんびくともしない。
「う、うわあぁぁ!? な、なんだこれっ!」
 教会の中に響き渡る悲鳴が氷の奥から聞こえる。聞き馴染みのあるその声は少年のものに違いなかった。
「ああ……その恐怖に歪んだ顔……! 懸命に神に祈るお顔も怒るお顔も朗らかに笑むお顔もどれも素敵でしたけれど、今が一番美しいですねぇ……!」
 慎ましくも昂りを隠しきれない響きの声は『氷結の死神』のものだ。二人はもう邂逅を果たしてしまっている。予想していた最悪の事態が目の前の氷の壁を隔てた先で起ころうとしている。
「その美しさが損なわれない内に心臓から凍らせていきましょうか……後でゆっくり私特製の氷の棺に納めてあげますからねぇ♪」
 恍惚に満ちた声が凍った地面を這って伝わり、ぞくりと冷たいものが背筋を這い上がってくる。獲物を捕捉して今からありつこうとするおぞましい怪物のイメージが脳裏に浮かぶ。
「来るな! 嫌、いやだ! いや……、はーでい……っ」
 少年の消え入りそうな声に名前を呼ばれて我に返る。切実な声を最後にぱったりと音が途絶え、既に一刻の猶予もない状況であることを直感する。
 血も凍るような思いで教会の裏手に回る。正面の扉を閉ざす氷が少年を閉じ込めるためだけに張られたものであれば、裏口までは手は及んでいないかもしれない。
「間に合ってくれ……っ」
 死神らしくもない祈りを込めて白く凍った地面を蹴る。暖かな光を受けながら敬虔に祈る少年のあどけない横顔を今ここで失うわけにはいかない。
 幸いなことに開いていた裏口から教会内部へ入ると、恐ろしいほどの寒さに体が震える。室内だと言うのに白い息が自分の呼吸に合わせて絶え間なく部屋へと吐き出される。外と内のどちらが寒いかなんて考える暇もなく、二人がいるであろう広間へと駆ける。『氷結の死神』の能力の影響がここまで及んでいることに強い焦燥を覚える。人間がよく言う生きた心地がしない、とはこんな感情なんだろうか。
 駆け込んだ広間はもっと酷かった。凍てつく空気が呼吸の度に肺を通って内側から全身を凍らさんと蝕んでくる。
「何をしている!」
 自分の怒号が凍えた部屋にキンと張りつめて響く。
 声に驚いて目を見開いた『氷結の死神』と視線がぶつかる。奴のことは今はどうでもいい、まずは少年だ。氷のせいか照明の切れた部屋は薄暗く、一目見ただけでは全貌が測れない。
 くまなく視線を動かすと視界の端に薄桃色を見つけた。『氷結の死神』の向かいに立つ柱の傍に縛りつけられるようにそれはあった。
「少年!」
 叫ぶように呼んだ声にも少年はぴくりとも反応しない。胸を押さえて苦悶の表情を浮かべたままの少年の輪郭がいつもより淡いのは、その体に霜が降りているからだ。
 教会を走り抜けて乱れた息を整える間もなく少年の元へと駆け寄る。触れた少年の体は元々体温の低い自分の体よりもずっとずっと冷たく、心臓が凍るような痛みに襲われる。かつて陽の下で触れた彼の温く柔らかな体温の面影すらない。
 絶望に凍えた指先で硬直した少年の頬に触れた時、薄く開いた唇から白いもやが断続的にか細く漏れていることに気づく。
 まだ、息をしている。
「彼に、触れたのか」
 少年の肩を強く引き寄せて、ありったけの憤怒と軽蔑を込めて『氷結の死神』を睨み付ける。放った言葉は自分が思うよりも低く唸るように氷の空間に響いた。
 私の視線を受けた『氷結の死神』はその目を潤ませる。恐怖ではなく、興奮によって。
「うふふふふ。あなたのその激情に滾った瞳……たまりませんねぇ! お二人一緒に凍らせることができたならどれほど素敵なのでしょう!」
 口角を吊り上げる死神は自分の世界に浸りきっているらしい。ひとしきり興奮に身を捩ったあと「またお会いしましょうねぇ」と薄気味悪い言葉と笑みを浮かべ、霧のように『氷結の死神』は姿を消した。その瞬間に張りつめていた空気と温度がふっと緩み、消えていた照明がぽつりぽつりと光を取り戻していく。
 纏っていた氷が溶け始めたのか、柱に張りついていた少年の体が床へと崩れ落ちるのをすんでのところで受け止め、脱力した体を支えながら共に腰を下ろす。
 胸の前で両手を重ねて凍った少年の体が、シルエットだけなら祈りを捧げているようにも見えるのが皮肉で腹立たしい。
 けれど一番腹立たしいのはその姿を一瞬でも美しいと焦がれてしまった自分の浅ましい心に対してだった。
「はぁでい……?」
 血の気を失った真っ青な唇が微かに空気を震わせて名前を呼ぶ。
 君に近づくために作った名前。今は別の感情を生み出す響きになった、私の名前。
「あぁ……そうだ。良かった、間に合って」
 少年の口から名前を呼ばれたことでようやく全身を包んでいた緊張の糸が緩む。安堵と共に吐き出した息の多さに、自身が呼吸を忘れていたのだと知る。
 まだ体の節々が凍ったままなのか、腕の中の少年は目を動かすのが精一杯のようで、きょろきょろと瞳だけが周囲を確認するように揺れている。その右目は彼の呼吸に合わせてザクロの色に明滅している。命の危機を察知して彼の中の死神の血が反応を見せているのかもしれなかった。
「ここにいる」
 少年の視界に入るように体を動かすと彼の瞳にもうっすらと安堵の色が滲み、ザクロ色がしんと鎮まっていつもの穏やかなライラック色を見せる。
 けれど、怯えの色はまだ深く濃くそこに残っていた。無理もない。得体の知らない者に訳も分からず命を奪われかけたのだから。
 普段の気丈な振る舞いの彼とはかけ離れたひどく繊弱な様子が痛々しくて、その小さな体を両の腕で強く抱き締めずにはいられなかった。
 ハーデイ、ハーデイ、と胸の中で何度も名前を呼んで縋りつく、桜のように儚く美しい少年を愛しいと思ってしまう。このままずっと閉じ込めて手離したくないと考えてしまう。
 それは許されないことなのだろうか。

 少年の傍で蝋燭を焚いて暖かくし、熱々のココアを淹れる。あれからもしばらくはカタカタと全身を震わせていたが、徐々に覆っていた氷は溶け、今は問題なく体を動かせるようになった。
「俺、ハーデイの淹れたココアが好きだ」
 ココアを口にした少年から屈託ない笑顔が向けられる。警戒心が全く消え安心しきって緩む表情に心が溶かされていく。
「少年」
「ん?」
 頬に触れ、少年の唇を親指で撫でる。健康的な薄桃色を取り戻した唇は、ココアの温もりを借りてしっとりと艶めいていて、その色香にごくりと喉が鳴る。
 腹の奥から湧き上がってくるこの衝動は、きっと友人という間柄にはふさわしくないものだと分かっている。分かっているつもりだ。
「心配しなくてももう寒くないよ。ハーデイのおかげ」
 この視線が憂色を帯びているように見えたのだろうか、少年は目を細めてココアの入ったマグカップを両手で掲げる。なんて純粋で鈍感で、危なっかしいのだろう。
 もうこれ以上引き延ばすわけにはいかない。早くこの愛しい日々と目の前の存在を手離さなくては。
 もう二度とあんなことを繰り返してはいけない。自分以外の他人に、彼の命も思いもみすみす明け渡すわけにはいかないのだ。
 決断の時はすぐそこまで迫ってきている。


 その日は普段よりずっと気温が低く感じられた。寒風が肌を刺す中に、私はついに少年の正体と私との運命を彼に明かした。突き放した言葉をぶつけると、あんたはとんでもない嘘つきだ、と鋭い少年の声が耳に刺さる。
 唇を噛み締めて俯いていた彼の顔が、何かに気づいたとでも言いたげに私を勢いよく見上げる。その瞳は少し揺れていた。
「じゃあ、あの氷の奴を俺に仕向けたのもあんたなのか……? 俺にあんたを信用させるために……
「っ……! ああ、そうだ」
 違う、違うんだ。叫びたい気持ちを押さえて冷酷な表情を作る。
 返事を聞いて軽蔑と絶望の表情を浮かべる少年に心臓が潰れそうに痛む。可憐なライラック色に薄い水膜が張るのを見ていられなくて、視線を足下に逃がした。かつて彼に与えようとしていた絶望がこんな形で自分に返ってくるだなんて思いもしなかった。
 背を向けて駆け出し、遠く小さくなっていく少年の姿をただただ視界の端で見送るしかなかった。
 これで、いいんだ。清々した。あとは無惨に彼の命を奪えばいいだけ。そして残された私たちは穏やかな春を迎える。
 それでいいはずなのに、どうしてこんなにも苦しい?
 今しがたぷつりと千切れた自分と彼との間にあった関係を、どうしてもこんなにも惜しいと感じてしまう?
 これが私たちの本来の運命だったはずだろう。
 なのに、彼と過ごした日々を思い返すと愛しさが込み上げてくる。胸に溢れて塞き止められなくなる。
 罪を裁くこと、そして人々の営みをあるべき流れへと正すこと。それが私の使命だったはず。
彼を犠牲にして生まれる幸福とは何か。神の怒りをかった死神と人間との間に産まれただけの彼を罪として裁き、得るものとは何か。
 彼への情と死神としての使命。
 考えれば考えるほどその狭間で宙ぶらりんになるこの先の未来を決めるにはピースがひとつ足りない。
 彼の意思を確かめにいかなくてはならない。
 そう感じた。

 ──あんたになら、殺されたってかまわない
白く染まった高台の地に両膝をつき、私を見上げる少年は自身の胸に手を当てて言った。
 それは祈りのようで、願いのようでもあった。
 全てを捧げることを決心した安らかなライラック色の視線が私を射抜く。
 それが俺の運命なら迷わず受け入れる、と。咲いた花がやがて花弁を散らす自然の摂理と同じだと言わんばかりに。草花の芽吹かないこの地で生きてきたはずの彼が。花と同じ運命を受け入れるというのか。
 その気高き花を手折る存在が他の誰でもない、私自身なのだ。
 感傷が強く強く胸に突き刺さる。
 行こう、少年。私たちが始まった場所へ
 最期の時間を共に過ごそう──

……あんた、嘘が下手だよ」
「え?」
 高台から教会への道すがら、少年が口を開いた。
「氷の奴を俺に仕向けたって話は、嘘。なんだろ?」
「それは……
 確信をもった視線に言い淀むと少年はからからと笑った。
「無理しなくていいって。あんたがそういう奴じゃないって今まで一緒に過ごしてきて分かってたつもりなのにな。あの時は色々ショックで、何もかもに疑心暗鬼になってた。ごめん」
 そう言って目を伏せた少年の体を引き寄せる。
 どうして君が謝るんだ。裏切ったのはこちらなのに。
 伝えたいことが溢れてきて言葉としてうまく出てこない。無言で強く抱きしめる私の背を少年の手のひらがひとつふたつ優しく叩く。分かってるよ、と言いたげな手のひらに鼻の奥がつんと痛む。小さく未熟だと思っていた少年に全て見透かされている。情けないとは思うが悪い気分ではなかった。
「こんなところじゃ寒いよ。早く温かいところに行こう。これから俺たちの出会ったあの場所で思い出を語り合うんだろう? ……たくさん話そう、ハーデイ」
 胸の中の少年から鼻をすする音がする。少し震えたように聞こえた声に慌てて彼の表情を確認するが、そこに涙の痕はなく、いつもの気丈な春の微笑みがあるだけだった。



……そんなこともあったな。色々あった。色々……。真っ白だったはずの世界で色とりどりの思い出が俺の中にはあるよ」
 隣に座る少年がココアの入ったカップを両手で大切そうに抱えて目を細める。一つ一つ確かめ合った思い出が、彼の視線の先のココアの水面に映し出されているのだろう。
「ハーデイの演奏をもう一度聴きたくなったな。聴かせてくれる?」
「もちろん」
 少年のリクエストを快く了承し、オルガンの前の椅子に腰かける。手鍵盤と共にペダルを踏み込むと無数のパイプが震えて、壮大な音が私たちのいるこの空間ごと包み込む。最初に聞かせたあの日から何度もせがまれるようになったから、少しずつレパートリーが増えてしまった。これもまた私たちの積み重なった思い出だ。
 厳かなメロディーに二人で酔いしれる。こんな時間が永遠に続けばいいのに、と思ってしまう。
……ありがとう、ハーデイ」
 私の演奏の間にココアを飲み干したらしい。少年は空のカップを横に置いてパチパチと拍手を送る。
 ココアのおかわりを勧めたが、少年が首を横に振るので再び彼の隣に座り直した。
「春、来るといいな」
「来るさ、必ず」
「この町の春がどんなだったか、ちゃんと俺に教えてくれよ?」
「ああ、もちろん」
 視線はステンドグラスの向こう側を見つめたまま少年は自身の手を私の手に重ねる。触れた肌がとても暖かい。
……ハーデイと見たかったな。あの高台から、綺麗な春を」
……すまない」
「謝るなって。もう、いいんだ。決めたから」
 少年はおもむろに立ち上がって広間の中央に膝をつく。胸の前で両手を組んで、ステンドグラスの奥の遠い夜闇の先に祈りを捧げる。毎日、一番傍で見てきた光景だ。
「神様。どうか、この地に降る雪を止ませてくれないでしょうか。どうかこの町に、春を与えてくれないでしょうか」
 君に残酷な運命を強いた神に最期まで祈るのか。ステンドグラスから射し込む月明かりに白く淡く包まれる少年が美しくも恐ろしかった。健気な彼がこのまま月明かりに拐われてしまいそうで、背後から彼の肩を抱いて繋ぎ止める。
「もう、いいだろう。祈りなんて」
 祈ったって誰も私たちの願いを叶えてはくれないのに。
「そんなこと言うなよ。この祈りが、俺たちの始まりだったじゃないか」
 ふっと笑みをこぼした彼の存在がこんなにも眩い。目を閉じた瞬間に光の粒となってこの腕の中から消えてしまいそうだ。
「ハーデイといると暖かい気持ちになるんだ。こうやって、たくさん抱きしめて、話をしてくれた。ありがとう、ハーデイ」
 私の胸に体重を預ける少年が、懐かしむように言葉ひとつひとつ丁寧に紡いでいく。二人で過ごした日々が少年にとっても愛しい思い出だったのだと、声を通して分かる。
「なぁ、ハーデイ」
「なんだ?」
「最期にもうひとつ、何か思い出がほしいんだ」
 眉を下げて微笑む彼の声音はいつもより頼りなげで、彼の手が震えていることに気づくと胸の奥がきゅうっと痛む。
 ひとつと言わずいくらだって。私たちは尊い思い出を作れたはずなのに。
 もっと語り合って、肌を寄せあって、互いの体温を分け合うことだってできたかもしれないのに。
「分かった。何がいい?」
「消えないものがいい」
「難しいことを言うもんだ」
 困った私が笑みをこぼすと、つられて少年の口角もあがる。
 何でもいいのか、という私の問いにあまりに素直に頷くから少し欲が出た。
 髪をひと撫でした後、頬へ顎へと指を滑らせていき、辿り着いた彼の紺の襟を緩める。少年の冬のように白い肌を露出させると、触れた指が冷たかったのか彼の肩が跳ねる。
 互いの体を正面に向き直すと、これから何をするのだろういう疑問と好奇心の混じった幼子の眼差しが注がれる。
 その眼差しには微笑みで応えて、無防備に晒された少年の鎖骨のすぐ下に唇を寄せた。ちゅ、と軽くささやかな音と共に訪れたチクリとした痛みに、少年はわずかに顔をしかめた。
「いっ……、これは……?」
 自分の胸に残された赤い鬱血の痕に首を傾げる。
「友情の証だよ」
 自分の口からこぼれた笑みはほとんど自嘲に近かった。
 真っ赤な嘘だ。自分の所有物だって示す独占欲の象徴。白い彼の肌によく映えて、惚れ惚れするほど美しい。黒くどろりと重さをもった感情が胸に渦巻く。
「どうやるんだ?」
「どう、って唇を肌に付けて、吸い上げるみたいに……
 自分の手の甲で実践して見せてやると少年は感心したように声をあげた後、考え込むように唸って私の全身に視線を巡らせる。
「よし」
 やがて少年は何か決心したような顔をして、私に手を伸ばしてくる。その手が首に回って、首筋に顔を埋めた彼の唇が肌に触れる。
 ジュッ、とリップ音にも満たない荒い音と共に首筋に鋭い痛みが走る。
「ハーデイみたいに上手くいかないな。でもちゃんと赤くなった。あんた、肌白いもんな」
 首筋を見つめて満足気に微笑む少年に呆気にとられ、痛みの走った箇所を手のひらで押さえて瞬くことしかできない。
「一体何を……
「ハーデイもくれたから、俺からも。友情の証!」
 眩しい笑顔が返ってくる。
 何て無垢で可愛らしい。
 髪を撫でると嬉しそうに眦を蕩けさせる。
 まだ何も知らない彼の未来を希望をこれから奪うのだ。そう思うとまたどうにも居たたまれなくなる。
 表情に出てしまっていたのだろうか、不安げな顔をした少年の手のひらが頬に触れる。
「あんたが色んなものをくれたから。大丈夫だよ、もう、大丈夫」
 少年の手が髪を撫でていた私の手を握る。
「眠るように逝かせてくれるんだろ。痛いのは嫌いだから、ちゃんと優しくしてくれよ?」
 ここまで来てまだ決心のつけきらない私に呆れているのだろうか、眉を下げながら困り顔で穏やかに微笑む彼は最期まで気丈で、どこまでも美しかった。
 ──始めよう
 手を握り直した二人の声が重なるのを合図に、私たちの最期の時間が始まった。





 ──あれからちゃんと春はやってきたよ。君だけが欠けた春が。
 君を埋葬した土の傍には桜の木を植えた。毎年春になるとその枝に美しい薄桃色の花を咲かせている。
 今もまた満開に色づいていて、その色は愛しい君の髪を思わせて、毎年この時期になると君が帰ってきてくれた気持ちになる。
 最期に私が君に与えた赤いエゴの証は、生命活動を止めた君の胸にずっと一輪の花のように咲いていたけれど、君が首筋にくれた証はすぐに消えてしまった。自分の命が、恨めしいよ。
 でも、この記号はずっと消えない。君が呼んでくれたこの記号は胸の奥に刻まれて、褪せることなく響き続けている。
 ──ハーデイ
 君だけが呼んでくれた、二人だけの、私を示す記号。もう二度と聞くことはできないけれど、この愛しい響きを掘り起こす度に私たち二人が過ごした甘やかな日々の思い出が鮮やかに蘇る。
 私たちの、永遠の記号。