とはり
2024-10-18 00:47:05
4492文字
Public いろいろ
 

紅を溶かす夜【こはあん】

送り狼になっちゃった桜河と強引に迫られて満更でもないあんずちゃん。

艶やかな煌めき桜花っぷりを日々更新していく桜河こはくくんから目が離せない。

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こは誕生日投稿(一回目)

 ESスクエアに堂々と聳え立つESビルの内部、コズミック・プロダクションの事務所。就業時間はとうに過ぎていて、真っ暗で誰もいないはずのその一角から仄かな明かりが漏れていることを不思議に思ったこはくはそろりと明かりに近づく。
 明かりの下では机に突っ伏しているスーツ姿の女性が寝息を立てていた。
「あんずはん?」
 見覚えのある後ろ姿に声をかける。返事の代わりにうぅと呻くような息が漏れるが起きる気配がない。
 見つめたあんずの寝顔にこはくは違和感を覚えた。
 しっかりと引かれた黒々としたアイライン、やけに粉っぽい白い肌とその頬に乗ったピンクのチーク。極めつけはふっくらとした唇に乗せられた真っ赤な口紅で、有り体に言うと今日のあんずは化粧が濃かった。
 初めて会ったときのあんずの印象は無垢で清楚でお人好しで、少し危なっかしいところもあるが周りが『女神』と呼ぶのも頷ける少女だった。だが今のあんずは街中を無表情で歩くありふれた社会人と変わらない。
 ESに属するきらびやかなアイドルたちの関心を一身に受ける唯一無二のプロデューサーが俗世に身を落とすなんて。
「つまらんな。無駄に色気づきよって」
 清らかな少女の体で一生懸命にES内を走り回るあんずに好意を寄せていたこはくは、不満を口にして安らかな息を吐き出す紅い唇に指先を埋める。世の中の汚れを知らない少女だと思っていた彼女が、汚い大人の世界に足を踏み入れた上に馴染もうとしていることが気に入らなかっただけかもしれない。
「ん、ふふ」
 触れた紅が弧を描いてこはくはぎょっとする。起こしてしまったかと思ったが彼女はまだ夢の中らしく再びむにゃむにゃと寝息を溢し始めた。
 無防備な寝顔は好ましいと感じるあんずそのものなのに、とこはくは人差し指に付いた紅を親指と擦り合わせて拭う。想い人は愛らしい少女のままではいてくれない。
「あんずはん、こんなところで寝たら風邪ひいてしまうよ」
 ため息をひとつ吐いて肩を揺さぶると、今度は椅子から転げ落ちかねない勢いで上体が起き上がり、こはくは咄嗟に後ずさる。
「寝てた!」
「知っとるよ」
 飛び起きるなり叫ぶ背中にこはくの落ち着いた声が届くと、振り返ったあんずは目を真ん丸とさせた。どうやらこはくの存在に今気づいたらしい。
「こはくくん?」
「おん、こんばんは。えらいお疲れやね。もうすぐ出入口の鍵が締められてしまうよ」
「えっ、もうそんな時間!」
 立ち上がった勢いで椅子がカラカラと後ろに滑っていく。わたわたと机の上に広げられた書類をかき集めて手元のカバンに押し込むあんずのあまりの慌てっぷりにこはくはくくっと喉を鳴らす。こういうところが可愛らしい。
「家まで送っていくわ、あんずはん。」
 もう少し一緒に居たくてつい口にした言葉はらしくなかったかもしれないなと、こはくは己の舞い上がりを自覚して心の内で嘲笑した。


「お礼したいから上がっていってよ」
 あんずの誘いに流石のこはくも一度断ったが思いの外あんずの押しが強く、あんずに背中を押されるまま部屋にあがることになった。
 男を軽々家に入れるなんて、とあんずの貞操観念に説教しようとするが、あんずはそんなお小言を聞き流してこはくに飲み物の希望を訊ねる。
「起こしてくれなかったらあの暗い場所で朝まで過ごさなきゃいけなかったんだって思うと、ゾッとするよ」
 こはくくんは私の恩人だよ、と無邪気に頬を緩めながらあんずはスーツのジャケットを脱いでハンガーにかける。その下から現れた白いブラウスを控えめに押し上げる胸元の双丘が目に入り、こはくは気まずさに視線を逸らす。
「それにしたってあんずはん。あない疲れるまで仕事するやなんて体に悪いで」
「今日は大事な会議があったから、気合入れすぎたのかも。終わったら気が抜けちゃってつい」
 困り顔で苦笑するあんずの言葉にこはくは今日の化粧の理由に合点がいく。大事な会議、そこには上層部の大人も多くいたのだろう。少女の体では背伸びしていないとすぐに軽んじられてしまう、大人だらけのこの世界では自分を着飾って武装するしかない。その場に少しでも違和感のないよう少女の装いを大人のそれに変えて臨んだ結果が今の彼女なのだ。
「ほっか、お疲れさん」
 こはくは労いと憐れみを込めて微笑んだ。子供の体のまま大人の世界で生きていく苦労を知っている身として。
 ありがとう、とあんずは凛とした大きな目を縁取る眦を緩ませて柔らかな笑みを返す。嬉しそうに微笑む年相応のあどけない少女のようなあんずの愛らしさにこはくは目を見張る。綻んだあんずの唇に乗る紅の色が移ってしまったかのようにこはくの目尻に朱が差す。
 普段は見れない想い人の素に近い表情を間近に見つめ、こはくの胸に燻る想いが膨張しながら渦巻いていく。
「あ、こんな時間!」
 あんずはこはくの肩越しに目に入った時計の時刻を見て声を上げる。時計の針は最寄り駅の終電が発った後の時間を指していて、あんずはしばしの逡巡の後にはにかむ。
「今日、泊まってく?」
 まるで仲のいい友達や突然来訪した弟に向けるように気軽で無防備な発言に、こはくはギリリと音が響きそうなほど奥歯を噛み締め、握った拳がわななく。
「ぬしはん、わしのことを男として見てへんやろ」
 一瞬でぐっと距離を詰めたこはくに悔しさと怒りを滲ませた瞳で見下ろされてあんずはぎくりとする。
 先程までの暖かさを失って冷たさを帯びたすみれ色の瞳に、本能が身の危険を感じて後ずさるが、タイツを身につけたままの踵が滑ってバランスを崩した体が後ろに仰け反る。
 反射的にこはくの腕を掴んだ甲斐も虚しく、二人の体が音を立ててあんずのすぐ後ろにあったベッドに倒れ込む。こはくは咄嗟にあんずの顔の横に手をついて華奢な体にのし掛かるのを防ぐことがやっとだった。
 あんずが瞑っていた目を開いて見上げるとギラギラと輝く紫が目に入る。熱をもった真剣な眼差しに至近距離で射抜かれて、あんずの心がとろりと溶け出す。お互いの息遣いだけが聞こえる沈黙の中で見つめ合う数秒が、二人の心を冷静にさせながらもふつふつと煮えたぎらせていく。
「逃げるんなら今のうちやけど」
 こはくの手のひらがあんずの頬に触れ、ひやりとした感触に肩がぴくりと跳ねる。触れられて、何かが変わる予感に胸が高鳴る。こはくの警告にあんずは好奇心と期待に満ちた眼差しを返し、その反応にすみれ色が鋭く細まる。
「ふぅん、どうなっても知らんよ」
 こはくの最終警告を合図に、言葉を発する暇もなく噛みつくように唇を奪われる。
「は、ふ......ぅ、んむ......」
 唇の表面を擦り合わせる乾いた触れ合いが徐々に深く、湿りを帯びていく。唇の隙間を舌で無遠慮に撫でられる感覚にあんずの背中をぞくぞくと緩やかな快感が這い上がり、頭の中がじわじわと甘く痺れていく。
 唇の隙間から溢れる吐息すらこはくに貪られ、息苦しさにあんずの視界が滲む。このまま唇から食べられてしまうんじゃないかという不安に駆られて、無意識にこはくの肩にすがりつく。少し力を込めただけではびくともしない自分より大きくて重い、年下の男の子の体。自分の力では抗うことすら叶わない、強制的に与えられる快楽に体の芯がぞくぞくと震える。
 貪り貪られ尽くした濡れた唇が銀色の糸を伸ばして離れ、二人分の乱れた呼吸だけが部屋に響く。
「ぁ......ついてる。つまみ食いした子供みたい」
 はふ、と不足した酸素を取り込みながらぼんやりとした思考で愛しそうに笑んであんずはこはくの唇に移ったルージュを拭い取る。
 桜色の唇に乗った大人の深紅は彼の愛らしい少年の相貌には似つかわしくなくて、あんず自身も周りから同じように不相応な装飾だと思われていたのだろうと省みる。
 そんな自分に剥き身でぶつかってくる二つ年下の彼は純粋で眩しい。掠れた深紅の口紅を乗せたアンバランスささえ美しく感じる。むしろ彼が微かに漂わせている色気を更に色濃く引き出しているようにすら思えた。
「子供扱いはやめろっち言うとるやろ」
 こはくの手が自身の唇を撫でるあんずの手をひっ掴んで白いシーツに縫いつける。乱雑な動作にルージュが引き伸ばされ、こはくの唇をはみ出して乱れた深紅が背徳感を煽りあんずの背中がぞくりと震える。
 こはくの体重も乗った手首はちょっとやそっとじゃぴくりとも動きそうもなく、力の強さにやっぱり男の子なんだなとあんずは熱っぽい思考の端っこで思う。こんな風に正面から向かってきてくれる人は久しぶりで嬉しささえ感じる。最近は周りの誰もが一定の距離を保ってしか接してくれないから。これが『アイドル』と『プロデューサー』の正しい距離なのだと強制されて、抗うことなく受け入れてきた。近すぎる距離はスキャンダルにも発展しかねずお互いに致命的だ。あんずも分かりながら、それでも日々膨らむ寂しさをもう無視できなくなっていた。
 強引に求められ、感じたことのない高揚があんずの体の中心で生まれて血液に乗って全身を駆け巡っていく。
 ダメだよと理性が警鐘をならすが加減の知らない少年から伝わる熱に爛れた関係を望んでしまう。
 目の前で鋭く輝くすみれ色に射ぬかれてあんずの心臓が早鐘をうつ。
「なぁあんずはん。この状況分かっとるん?」
 からかうように唇に触れたかと思えば、今度は覆い被さってくる男の顔を見つめたまま身動ぎひとつしないあんずに痺れをきらしたこはくが口を開く。
「分かってる、と思う。すごく......ドキドキしてる」
 芽生え始めた疼く感情をどう扱っていいのか分からない。不相応な装飾を剥がしてくれる乱暴な手や唇が心地よくて、身を任せてしまいたい。分かるのはもっと強く求められたいという衝動だけだった。
「こはくくん、」
 ふつふつと沸き上がる欲望が、紅を纏ったあんずの唇を開かせる。
「もっと、近くに来て」
 目の前の相手の首に腕を絡めて、吐露する。清らかに保っていた関係を自分の手で崩していく快感に身震いする。
 もっと欲しいと囁いて弧を描くルージュは女神でも少女のものでもなく。
「悪魔の囁きやな。」
 そんなぬしはんも良ぇね、と紫眼が艶やかに細められる。
 ドクドクと期待に脈打つ心臓の音が体の熱を上げていく。
 こはくはあんずの髪を纏めていたヘアゴムに指を引っ掛けて引き抜く。抵抗なく解けた栗色の細い髪がはらりとシーツに広がる。
 ゆったりとした動作でこはくの指があんずの真っ白なブラウスのボタンに触れる。ひとつまたひとつと丁寧にボタンが外される度、他者から与えられていた『女神』のベールが剥がされていくようで、羞恥と解放感があんずの中で混ざり合って頬を上気させていく。ちらりと視線を送ると気づいたこはくの唇が再びあんずの唇を喰んで、触れる毎に紅色が移ろう。


 秘密の紅を共有した剥き出しの二人は明けない夜に堕ちていく。