シノハラ
2024-10-17 19:01:38
3186文字
Public 星レイ
 

天才に関わっててネガティブになってる酔っ払いを口説いてる星レイ


 叡智は見出されずともそこにあり、全ての生きとし生けるもののためにその手を差し伸べている。
 そう、人々を顧みないヌースは考えない。人界から逸脱した可能性を追い求める者達がそんなことを意識しないように、否定するのではなくそもそも思いもしないのだ。
 レイシオはそうはなれなかった。故にヌースはレイシオを見ない。
 かの星神とレイシオの間にはそういう不一致が存在し、レイシオが天才クラブに名を連ねなかった第一要因だろうと主張する者はそれなりにいる。
 その見解にレイシオはこれといった反応を示さなかった。面と向かって言われたわけでもないし、発言を返したところで有意義な議論に発展するわけでもなかったからだ。
 とはいえ、レイシオも多少なりともその手の感想は抱いていた。完全にとは言い難いが、思想自体は博識学会の方が幾分も自身に馴染む自覚もある。自分以外の誰にも知られず、解明者が死ねば再び誰にも触れられぬ神秘に逆戻りする知をレイシオはそのままにはしておけない。
 とはいえ凡人による蓄積もまた、大半が誰にも顧みられず歴史の底に埋もれる定めにある。レイシオの発表でも、一定の価値は認められつつも現代においてうまく転用ができずに捨て置かれているものなどいくらでもあった。その点では天才の知の独占も凡人の忘却も似たようなものであるのかもしれないが。
 それでも、部屋の隅に堆積する塵芥のようにレイシオの名が歴史に埋もれたとしても、解明された知はいつか日の下に晒されることもあるだろう。死と共に一切に無に帰し、その名と実現性の確証のみを頼りに再現する徒労を凡人が行う必要は少なくもない。
 そういうものの持つ力を、少なくともレイシオは信じている。そうして、レイシオはヌースに選ばれる素養の一つを自ら切り捨てたのだ。
 けれど、そんなことは些末なものだったのかもしれない。ひょんなことからヌースに選ばれた一人に手を貸すようになって、つくづくそう思い知らされる。
 発想が、持ちうる視点が違う。もちろん能力も、果ては気力体力の様式も。
 そんな差異は凡人の中であっても当然あるもので、普段のレイシオであれば全く気にならなかったはずだった。むしろ、かえって刺激に感じていたくらいで。
 彼に対してもそうあるべきだと思う。『天才』の肩書きに自身が惑わされているにすぎないと理性では十分理解しているし、基本的にはうまく思考を制御しているつもりだった。
 それでも、ふとしたはずみで思ってしまうのだ。彼が持つものの何か一つでも己の手の内にあったのならば、そうすれば。
 そんな話をつらつらと、数歳を自称するどこからどう見てもハイティーンの少女にレイシオは垂れ流していた。暉長石号の船長を自称する――星穹列車に所有権が渡っているので誇大ではあるものの全くの嘘とも言えない――彼女に客室を一つ貸してくれるように頼んだのは、数システム前のことだった。ピノコニーの基準で言えばそろそろ日付が変わる頃合いである。
 数分もしないうちにスタンプが一つ付き、それから部屋の位置と十六時間限定の解除キーが送られてくる。礼を返せばいかにも尊大そうなスタンプと共に、会いに行くから夜更かししておいてよなんて世迷い事を書き込んできた。
 適当な冗談だと判断しながらも、念のためドアノブプレートで朝の遅くまでぐっすり眠る意志を示しておく。夢の中でそれを用いるのは滑稽な感じがしたが、慣用句のようなものである。それから思いの外広い風呂にゆっくりと浸かり、一人で飲むには多めの酒量を味わった。
 不健康な事をしてしまっていると自覚しながらも、最後の一杯をグラスに注ごうとした瞬間に呼び鈴が鳴って信じられない気持ちになる。そもそもどこからやってきたのだあの女は。
 魔除けが一切見えないのか見ていて気にしていないのか、少しも経たないうちに重ねて呼び鈴が鳴らされる。一瞬無視してやり過ごそうかと思ったが、彼女の権限と思考があればマスターキーでこじ開けてきそうなので諦めて腰を上げる。
 挨拶も適当に当然のように部屋に入り込んできた星はレイシオが飲んでいた酒瓶を見て、どこぞに連絡を入れてモクテルを持ってきてもらっている。酒に手をつけないのを褒めてやれば、瓶を割って絨毯を水浸しにしてでも止めてきそうだと返された。
 まったくもってその通りなのだが、止められなければ飲んでいたとでも言いたげな物言いが気になる。レイシオの視線に険が混ざったのに気がついたのか、星がところでなんて口火を切った。
 それからは彼女がぺらぺらと喋っていたはずだった。とはいえ彼女は自身をコミュ障と評価しているところもあってか、たとえば彼女の友人の三月なのかであったり、共通の顔見知りのアベンチュリンのように一人で喋り続けることはできない。
 話題が尽きてきてしまったらしい星はレイシオに水を向けたくなったらしく、ピノコニーにレイシオがいる理由を根掘り葉掘り聞き出そうとした。それが引き金になってしまい、気がついたら黙って話を聞いているらしい星に愚痴のような弱音をぶつぶつ零してしまっている。
「すまない、忘れてくれ。あと早く帰れ。夢とはいえ何時だと思っている」
 一通り吐き出してすっきりすれば、じわじわと後悔が込み上げてきた。どう考えても十は離れていそうな相手に話して良い内容ではないし、そもそもこんな時間にそんな相手を部屋に上げて良いはずがない。いや、成人していてもこんな時間に他人の部屋を訪ねてくるなという話ではあるのだが。
「やっぱりスクリューガムが言ってたパートナーってレイシオじゃん」 
……ひとの話を聞いているのか」
「聞いてたからの返事でしょ」
「僕はとある天才の研究に少々手を貸しているだけだ」
「だからその天才がスクリューガムなんでしょ?」
 レイシオからの謝罪も指摘も全て無視した彼女の返事に思わず眉を顰めたが、星は酔っ払いの不快感などこれっぽっちも気にしていないらしい。パートナーなんて聞いていない、とぼやけばそういうのって個人の感性によるよね、なんてちょっと慰めるような響きを返される。
「僕にはそこまで言われる資格がない。今度会った時にでも訂正しておいてくれ」
 能力面においても、彼の趣味への貢献度においても相応しくないだろうとレイシオは判断する。もう少し本腰を入れて開発に携わっていればその響きに物怖じしなかったのだろうかと思うと、少々後悔してしまった。
「私からしたらあんたとスクリューガムの出来の差なんかよく分かんないけど」
 ぼやくという表現が相応しそうな調子で、塩っ辛いナッツを摘まみながら星が口にする。でも、あんたのそういう超然としてないところが好きだよ。
「よく列車に遊びに来てくれるところも、学校に行ったこともない私を構って学問とはなんたるか、から教えてくれるのも好き。私の知ってる『天才』ってあんまりそういうことはしてくれないから、あんたがそうなっちゃったら寂しいかも」
 レイシオの目を覗き込みながら、彼女はそんなことを言ってくる。まっすぐな眼差しからレイシオは嘘を見い出すこともできず、自身の内側から咄嗟に言葉を拾い上げて組み立てて反応することもできなかった。
「だから私のためにレイシオは凡人のままでいてよ」
 それからに、と口角を上げて笑って友愛を示されて、ちょっと良い気分になってしまった自分の単純かつ陳腐な部分に呆れ果てながらレイシオは小さく溜め息を吐く。その反応が少々想定外だったのか、彼女は少し目を丸めてレイシオを窺った。
「だめ?」
……駄目も何もそれ以外になりようがないだろう」
 そう答えながら、自分の声がさほど重苦しく響かなかったのは誰よりもレイシオが一番理解している。