いを
2024-10-15 18:32:26
2446文字
Public 刀神
 

天蓋から燃えてゆく

青嵐
・鉄斎さん【EBIFLY_72】
・紫垂月さん【Metol_P】
お借りしています。

 また立ちかへる水無月の
 なげきを誰に語るべき。
 沙羅のみづに花さけば、
 かなしき人の目ぞ見ゆる。
 「相聞 三」芥川龍之介

 芥川龍之介も、ロマンチストな一面もあるのだなと思った。あんなに残酷な人間の一面を見せているのに。
 やはり私は文筆家にはむいていないようだった。
 それでもいい。もう、なる気もない。
 こうしてたまに読んでは昔を思い返すのもやめてしまったほうがいいと思うけれども、私の手はそれをやめなかった。
 この手は妖魔から人間を守るためにあり、それ以外に価値などない。
 庭には、木槿むくげのじんわりとした白い花が咲いていた。
 立ち上がり、庭に出て花切鋏で木槿の枝を落とす。バチン、と甲高い音が響いた。私の手のひらに首を落とした白い花が伏せっていた。
 それを新聞紙に包み、申し訳程度に濡らしたやわらかい和紙で切った部分を覆って輪ゴムで止める。その花を脇に抱えて鞄を持ち、玄関を出る。
 秋口といえど日差しが強い。帽子を被り、電車に乗って天照に向かう。ざわざわと漣のような人の声が耳に入った。

 木槿は朝に咲き、夕方にはしぼむ花だ。私はそれを潔く感じ、その花を株ごと庭に植えた。
 それももう、5年も前だ。

 そして凪鞘班に向かった。まだ朝は早い。当直医以外はあまりいない様子だった。
「おはようございます」
 頭を軽く下げる。
「おはようございます。早いですね」
「千葉さんこそ」
 キイと杖の先端がリノリウムに下ろす音が聞こえた。
「それは……花ですか?」
「はい。木槿の花。じき、花も落ちる時期になってしまいますが」
 新聞紙をすこし剥がす。白い花を彼に見えるように。鉄斎はかすかにほほえんだ。
「お見舞いですか?」
「いえ。これは実験のために首を落としたんです」
「くび」
 と、彼は反芻した。
「朝に咲き、夕にはしぼむ花。夜にも咲かせるために……なんて、傲慢でしょうね」
……
 困ったように、彼は目を細めた。すみません、と言う。
「呪術は犠牲の上に成り立つものですから。いくども間違え、何度も失敗を経てようやく成功するものです。使い方を間違えば……お分かりでしょう」
「ええ。その辺りは、そうですね。……どこか、悪いんですか?」
「いいえ」
 ふっと笑う。
「健康診断の結果を取りに。肝臓くらいは悪いかもしれませんが」
「そうなんですか」
 目を軽く見開いた鉄斎に笑いかけて「たらふくお酒を飲んでいるので」と呟いた。
「なにごともほどほどにしなければね。……では」
 再度軽く頭を下げて、奥に進む。
 受付に申し出て封筒を受け取ると、鞄に入れた。
 そのまま下緒院に向かい、その枝を机の上の一輪挿しに差し入れた。
「うつくしいまま、時は過ぎ去ってはくれませんね。これもある意味、呪いなのかもしれません」
 もう一枝。
 まだ時間はある。そっと部屋を出て、紫垂月頼宗がいる部屋に向かった。
「おはようございます。紫垂月殿」
「開いているよ」
 おだやかな声が聞こえてくる。戸を開けると、彼は床に坐していた。
 細い顎の縁を眺めてから、となりに座る。
「これは……木槿。君の家の?」
「はい。あなたには不要かもしれませんが」
 なにせ、藤の花だ。彼は。
 藤の下に咲く花、と言えば聞こえはいいかもしれないが。
「どうしたかったんだい? これを」
「ずっと――永遠に咲かせたかった」
 そう、
 咲かせたかった。
 けれどそうしたらこの花はきっと、木槿の花ではなくなるだろう。
 永遠に生きる存在を人間とは言わないように。
「花を見て、心うつろうこともあるでしょうけれど」
 それが永遠ではないように。
「心をとらえてはなさないものもあります」
 紫垂月頼宗はただほほえんでそこに在る。花のように。永遠に近い時を生きる刀神を花にたとえるには、いきすぎた考えだ。私はかぶりを軽く振り、手の中の枝を見下ろした。
「また立ちかへる水無月の歎きを誰に語るべき。沙羅のみづ枝に花さけば、かなしき人の目ぞ見ゆる」
 そらんじる。
 彼は「ああ」とうなずいた。
「芥川龍之介。彼にしては理想的な詩だね」
「片山広子という女性にむけた詩のようです。恋の哀しみ、嘆き……。彼は彼女になにを求めていたのでしょうね」
「どうかな。彼なりの理想を見いだした、または見ようとしたのかもしれない」
「理想……ですか」
「誰にも分からない。内面なんて。彼以外は芥川龍之介という存在ではないからね」
 名だたる文豪も、死んだら死人に口なし。文字として生きていたとしても、それは本来しかるべきものではないのかもしれない。
「そういえば……君は文筆家になりたかったみたいだね」
「ええ。お恥ずかしながら。昔の夢ですし、筆を刀に持ち替えただけのことです。もう、未練はありません」
……そう」
 衣ずれの音がサラリと聞こえる。
「ところで、紫垂月殿」
「ん?」
「長期の出張など、可能ですか」
「ああ……。任務かい?」
「ええ。昨日依頼がきまして」
 彼はそっとうなずいた。「いいよ」と心地よい声で。
「ありがとうございます。ではまた、細かいことが決まりましたらお知らせします」
「うん」
 私の手のなかにある枝。沙羅の木とすこし違う色の白。清く正しい、色。
 そっとそれを握りしめて、目を伏せた。
 紫垂月頼宗はそれを「要る」とも「要らない」とも言わない。
 彼も花だ。花の精だ。
 木槿の花の首を落とした私は、これをどうすべきか分からなかった。どんな思いでこれを持ってきたのかも。もう、思い出せない。
「それでは、これで。また参ります」
 戸を閉め、部屋に戻った。文机の上に、一輪の白い花。一輪挿しの硝子が陽にあてられてきらきらと輝く。
 一輪挿しに二枝は似合わない。
 私はその枝をふたつに折り、そっと花びらを鼻に近づけた。

 その日の夕には木槿の花はしぼみ、死んだ。