【逆さの天国】Ⅲ

『B'ASH』現行未通過×

アマリン
※宗教パロ ※残酷描写含む

……ノ、ノノバナ、さん?」


ゆっくり扉を開きながら押し出した声は、自分でも笑えるほど震えていた。血で染まる倉庫内、人の気配はない。アマヤメも見当たらず、血の主もいない。しかし、倉庫の奥に、血が続いている。引き摺ったような痕跡は、人為的なものだと確信できる。

それは倉庫の裏口に通じており、閉まった扉向こうから音が伝わってくる。グチャグチャ、ボキン、グチュ、ゴトン。そんな、冒涜的で悍ましい音。合間に混じる吐息が、それを際立てて恐ろしく感じさせる。


恐怖で後ずされば、ギシリとリンの足元が軋む。瞬間、その音が止む。気付かれたと考えた時には、既に裏口の扉は開け放たれていた。

赤、赤、赤。全身をその一色に塗らした、アマヤメが立っている。彼にしては珍しく、驚いたという感情を隠さない表情で。右手には、彼と同じように染まった斧が握られている。刃には、肉らしき塊が付着しているのが見える。


……ホノスソさん、どうしてここに」


問われても、声が出ない。口も、足も、視線も動かせない。だたリンは、立ち尽くす以外に行うことができない。驚愕、困惑、疑問、恐怖。無数の感情が渦巻いて、リンは自由を縛られる。対するアマヤメは、酷く冷静な様子に見える。何もかもを鮮血で濡らした彼は、リンを気遣う素振りすらある。


「もう夜も遅いですし、ホノスソ様は寝てください。この処理は自分がしますので」


動けないリンをどう解釈したのか、アマヤメは一つ頷いて引き下がる。再び裏口から外へ向かい、あの音たちが鳴り始める。リンはその手元を、音の原因を視認する。
大きなコウモリの翼が、アマヤメの手で引き千切られた。ブチブチと嫌な裂傷の悲鳴をあげて、胴体と分離していく。その肉に、既に四肢は無かった。更に下へ視線を移せば、両腕と片足が転がっていた。断面は酷く歪で、骨も圧し折られたような形。下手くそな解体現場に、言葉を失う。

天使の時代に、凄惨な死体を見ることはあった。悪魔と戦っている時、魔術師を処理している時。これよりもずっと惨い死体なんて、数え切れないほどに目撃してきた。それなのに何故、自分は今こんなにも動揺しているのだろうか?


「ノノバナさんッ!!」


耐えきれずに発した声が、暗く静かな空間に響く。解体の手を止めて、アマヤメがこちらを見る。普段は隠れて見えない瞳が、まっすぐリンを見つめる。淀んだ赤い目は、不思議そうに丸められていた。まるで、この状況をなんら異常でないと言うように。

この目を、リンは知っている。無垢で無知な、子供の目。純粋に何もかもを信じる、幼い人間の心。彼はこの行為に、疑いを持っていない。悪魔を解体することに、何の感情も抱いていない。


……ノノバナさん」


痛まし気に零した言葉で、ようやくアマヤメはリンの動揺に気が付いたらしい。申し訳無さそうな顔で斧を悪魔に突き刺し、血濡れのままで話し始める。自分が異端だと理解していない彼は、正気のままで狂気を成す。


「すみません、配慮が足りませんでした。天使様の前でこんなこと……
 この悪魔は扉を無断で開こうとしたので処理したんです。最近は頻度が下がりましたが、この手の無法者はいなくなりません。どうか気に病まないでくださいね」

……扉?」

「はい。地獄への一方的な穴、それを管理する門のことです」


ドクン。心臓が大きく跳ねて、リンは目を見開く。彼の言う事を咄嗟に信じられず、突然の希望と絶望に息を呑む。それは何より求めていたモノへの道筋で、唯一恐れていたモノへ近付ける悪夢。


「自分は人間ではありません。隠していたことは謝罪します。しかし、その……いえ、何を言っても言い訳にしかなりませんね。とにかく、自分はここの門番なんです。自分の許可無しに、扉を開くことは出来ません」

「人間じゃ、ない」

「はい。自分はいわゆる、亜人に分類される種族です。
 ホノスソさんは、犬神の儀式をご存知ですか? 自分はその産物です」


彼は何でもない日常を語るように、自身の出生について話す。
いわく、アマヤメは『犬神憑き』の化身らしい。人間として生まれ、幼子の頃儀式により変容。儀式は非常に非人道的な、生贄と拷問の繰り返し。アマヤメはその中で練られた呪詛を身に憑け、また背負う役割を得た。儀式を行った者たちはとある願望成就を目的に行ったが、騎士により阻まれた。中途半端な儀式は、街を一つ丸々燃やし尽くしたそうだ。これらの事象は世界を歪ませ、地獄への門を開いてしまった。

結果として、アマヤメは『犬神』の性質を持った。犬神とは人を憎む犬であり、餓えた獣を指す単語でもある。狐憑きなんて呼び名もあるそれは、常に飢餓を抱えていた。その飢餓を唯一鈍らせるのが、人間の肉。しかし人間を喰らう獣に成り果てるのは、アマヤメの本意ではなかった。そう、だから、別のものを喰らうことにしたのだ。


「それが悪魔です。自分は開いてしまった最下層への門番をしながら、彼彼女らを食して生きてきました」


ズルリと、転がっていた悪魔の腕を持ち上げ言う。丁寧ではないが解体しているのも、悪魔の肉を長く使う・・ためだと。腐った肉や骨は、地獄の門へ捨てているらしい。ああ、通りで出される料理には肉があまり使われていないわけだ。普段悪魔以外の肉を摂取しない男が、来客に肉を振る舞える準備があるわけもない。


「この仕事は、教会の許可も得ています。天使様であるホノスソさんが気に病むことはありません」

「これを、教会は、認めているんですか」

「はい。本来なら自分は討伐対象なのですが、この任務を行う報酬に見逃してもらっています」

「そんな、の。脅迫じゃないですか」

「いえ、自分が異端なのは理解していますので。それに……最近は、そんなに悪くないんですよ。ホノスソさんが居たから」


照れくさそうに、アマヤメは頬を掻く。鮮血も既に固まり始め、彼の顔色は掴めない。そのチグハグさが、リンの心を乱していく。心臓が大きく震え、視界は定まらない。意識的に呼吸を行わないと、空気を飲むことを忘れそうだ。


「生きてるだけで幸せだと思っていました。でも一人より二人のほうが幸せなことを、貴方が教えてくれた。多分、その、寂しかったんです。だから本当に感謝しています。
 ……長話、失礼しました。処理があるので自分はもう少し起きていますが、ホノスソさんは戻ってください。明日はフルーツタルトを作りますよ」


自分に背を向け、彼は再び解体へ戻る。斧を近くの土に刺し、素手で肉と骨を千切り分けていく。嫌な音、嫌な匂い、嫌な色、嫌な気配。今すぐこの場を走り去って逃げ出したい気持ちと、渇望した夢へ一歩近付いた確信。

あの炎を得る最も近い道は、目の前の彼を害すること。彼は門番だと言っていた。ならば彼を殺せば、門を好きにできるのだろう。地獄の、しかもその最下層へ直接繋がる門。天使であることを止めてまで願った、脳裏に焼き付いている炎。血濡れの斧と、彼の背中が視界に残る。


選ばなければならない。今、ここで。

アマヤメを害し、今すぐに地獄へ向かうか。
チャンスを逃し、また長い渇望地獄の日々へ戻るか。


────自分は、