AZUMA Tomo
2024-10-14 22:47:37
6058文字
Public 吸血鬼パロ
 

鳥籠の中の侵入者・じじまご

⬇️この設定だけわかってたら読める軽い読み物です!
東雲祥貴・吸血鬼の始祖(今回は出番なし)
邑神有奇・蜘蛛のデミゴッド。訳ありで東雲の使用人として働いている。
千葉恵吾・破門神父。東雲邸にて居候。

 ひと月に幾人かのうら若き乙女たちが姿を消す。しかし、数日のうちに彼女らは街へ戻ってくる。乙女たちは命を取り留めているものの、その姿はもはや乙女と呼べるような生気を宿しておらず、亡霊のようになって日常へ帰っていく。確実に何か変化が起こっているのに、普段と変わらない日常をこなす女たちに町人たちは首を傾げながら、しかし彼女らになんの術を施すこともできない。
 女たちも数日のうちに起こったことに関して記憶がないのだ。だから、理由を突き止めることも難しい。
 
 街のはずれには様々な植物と木々に囲まれたお屋敷が存在していた。昔々から聳え立っているそれに近づこうとも、なんの魔法が働いているのか近づけない。しかし、招かれた者だけはその屋敷の敷地に入ることができた。
 屋敷はその広大さゆえに様々なところに影が生まれ、遠くから見るよりもずっと陰鬱な印象を客人へ与える。黒や赤を基調とした絨毯や扉の配色も陰鬱さを際立たせている。もはや城といっても差し支えのない大きさの屋敷には大層美しい主人とそれに仕える数人の使用人がいるのみ――という、もう何十年何百年も語り継がれた御伽噺めいた噂話がまことしやかに街の中で囁かれている。
 乙女たちが定期的に姿を消しては亡霊のようになって帰ってくる事象と、不思議な噂のある屋敷に何か因果関係があるのではないかと考える人間は何人もいた。しかし、記憶を持たない女たちがその屋敷について語ることもなければ、謎を追究するために屋敷へ向かうこともできない。
 その街にはただ不思議な現象と、昔々から語り継がれる不思議なお屋敷の噂話がそれぞれ独立して存在するのみだった。

 屋敷が文字通り陰鬱なのには訳があった。
 屋敷の主人は通常の人間ではない。陽の光を苦手とし、自分の生や享楽のために人の生き血を啜る、吸血鬼であった。彼のために広大な屋敷のほとんどの窓は分厚いカーテンに閉ざされている。主人本人はその屋敷とは相反して愉快な物事を愛する大層明るい性質も持ち合わせる男だが、それはまた別の機会に語られる話だ。
 
 影の中にいくつも設置された扉のひとつは、屋敷の主人が「親友」と呼んでいる使用人の部屋へ繋がっていた。
 その扉の向こう側は影と蝋燭の灯りで象られた廊下とは対照的に何もかもが真っ白に染め上げられている――そう勘違いするほどに様々なものが真っ白な布で覆われていた。
 部屋の中はたくさんの書物と、なんらかの道具、宝飾品や人形に溢れかえっていた。そしてそのすべてに布が被せられている。埃よけのためだろう。
 しかし、その布ですら街で見かけるような粗末なものではない。それは真珠のような光沢を持つ細い糸で紡がれたレース生地で、ただの埃よけのために使用されるにはあまりにも役不足だった。
 そのレース生地は埃よけのために部屋の至る所に用いられていた。物が多すぎるこの部屋は、すなわちそのレース生地の森と化していた。この布がレース生地であるため部屋は明るく保たれているが、見通しは良くない。扉から部屋の奥の方へ目を遣るほど、幾重ものレースに阻まれてこの部屋の全貌はわからない。
 客人である千葉恵吾は圧巻とも呼べる光景に一瞬息を飲み込み、だがその彫りの深い相貌に笑顔を上らせた。
 主人の客であるところの千葉は、主人が「親友」と呼ぶ男とも親しい間柄だった。しかし、部屋にだけは頑なに入れてはくれなかった。千葉は好奇心の強い部分を持つ男だった。もう長い間この城に滞在していて大体の部屋は把握しているのに、その部屋だけは千葉が足を踏み入れることが叶わなかった。
 その使用人が留守のときは彼の術で部屋に入ることはできなかったし、屋敷に居るときは勿論のこと使用人の真っ黒の目が光っている状態であるため千葉が侵入することもできない。
 ならばいつ入ればいいのか。その使用人の気持ちが緩んでいるタイミングだろうと千葉は気づく。男が眠っている時間に忍び込んでやろうと彼は思い立った。
 千葉はあくまで客人であり盗人などではないため、部屋に置かれた様々な調度品や書物の価値に驚きながらも、勿論それに手をつけることはない。だが、男が頑なにこの部屋へ千葉を招かなかった理由を十分に察することはできた。いわゆる宝物と呼ばれる貴重なものの場所を知っている人物は少なければ少ないほどいい。たとえ心から気の許せる相手であっても、物によっては秘密にしておくのが賢明だ。最悪の場合、生き死ににかかわる。
 千葉は人間の浅ましさを十分に知っていたし、そう感じている自分自身の浅慮さも知っているつもりだった。だが、やはり今一度己の浅慮さを思い知らされることとなった。想像していたよりも随分な物がそこらじゅうに転がっている。何も見なかったことにして去るのが良いだろう。
 音のならないように開けた扉を閉じて立ち去ろうとする、が。
「あっ……!」
 扉は閉めようとしても頑として動かず、いつの間にか自身の足元には真っ白な糸が何百と絡みついていて後退りしようとしてもできなかった。足は動かないのに上半身は動こうとしていたため、見事に姿勢を崩してしまい背中から倒れそうになる。しかし、その予想も覆された。
 背中全体を支えるように真っ白のレースが千葉の背後に回り込んでいた。男は自然のままそのレース生地の上に倒れこみ、ハンモックのようにそれへ座する形となった。
 よくよく観察するとそのレースは様々な花の紋様が編まれており、繊細そのものを具現化したようなものであった。力を込めれば裂けそうなほど繊細であるのに、大男と称される千葉の体をいとも容易く受け止めている。白い真珠色をした細い糸の強度はそれを操る者の力量を表しているのだろうと千葉は感心した。
――蜘蛛の目がいくつあるか知っているか、千葉恵吾」
 レースの紋様を観察している間に部屋の主がいつの間にか姿を現していた。レースや部屋と同様に真っ白のネグリジェに身を包んだ男。重く切り揃えた灰色の前髪の下には真っ黒の瞳が不機嫌そうに据えられている。千葉の方が背が高いため普段であればこの男から見上げられることの方が多いが、今は男の手製ハンモックの上に座らされているため千葉が男を見上げている状態になっていた。低い位置から見上げた男は真っ白な背景も相俟ってまさしく『神々しい』。
……いくつやろなあ、四個とか?」
 侵入目的を問われたのではなく蜘蛛の目の数を問われた千葉は、この状況をどう弁明すべきか思考を巡らせていたが、ひとまず男の問いに素直に答えることにした。だが、勿論、男の不機嫌な表情に変化が訪れるわけではない。
 はあ、と大袈裟に溜め息を吐き出したあとに、成人男性よりも少しだけ高めの声が響く。
「目が四個のものもいるだろう――だが、その二倍。八個だ。人間の目と比べると四倍……あまりこちらを侮ってもらっては困る。お前さんが思っているよりも自分は物が見えているぞ」
「いやいや、カミサマのことを侮るなんてそんなことするわけないやん!」
 千葉がにこにこと笑顔を浮かべながら首を振る。カミサマ――邑神有奇はその黒目をじっとりと疑いの色に塗れさせて千葉を見下ろしている。ネグリジェの袖や裾から例の真っ白な糸が幾百も伸びており、その糸が千葉を支えて――もとい拘束していた。
「そもそも、人にあらざるものの寝ぐらへ入ろうとすることが危険だと前も教えただろう」
「いや、カミサマなら俺を殺したりはせんやろ?」
……そういう問題ではない」
「カミサマと祥ちゃん以外のヤツらのとこには行かへんから安心してえや」
「だから、そういう問題ではない……
 先程までの勢いがなくなって、邑神は糸の絡まった指先で眉間を揉んでいる。千葉独特の緩い訛りと口調に少しずつ絆されそうになっている邑神であったが、千葉の狙いはまさしくそこであった。
 邑神には弱点がある。ひとつは自身の主人である東雲祥貴。もうひとつは千葉恵吾という男だった。
 千葉にも理解しえないことではあるが、邑神はなぜだか千葉に甘い。そのため、先程の発言の通り邑神を侮ってはいないものの、お目溢しはもらえるのではないかと思っていた。
「確かに、自分と東雲祥貴はお前さんのことを殺しはしない」
「な、せやろ?」
……まったく……
 案外お説教は長引かずに解放してもらえるかもしれないと千葉は内心で幸運だったと笑う。邑神は説教を始めると長いのだ。それは自身の主人や客人に対する心配の表れであるのだが、聞かされる方にすればたまったものではない。
 しかし、千葉の予想は三度裏切られることとなった。
――千葉恵吾、生死が問題になるのではない。それはあくまでも人間の尺度でしかない」
……え?」
「沢山の書物に沢山の宝飾品、それらの情報を外部へ漏らさないためにこの部屋を立ち入り厳禁にしていた――お前さんは大方こんなふうに思っていたんじゃないか」
 邑神の見た目はあくまで人間に似せられたものであるが、先程本人は目が八つあると話していた。あと六つの目がどこに隠されているかわからないが、それだけの数の目を持てばちっぽけな人間の思考など見通すことが可能なのだろうか。
 己の思考が邑神へ筒抜けになっていることがわかって千葉はぎくりと体を強張らせた。
「えっ、あっ、ちゃうで! 誓って、俺は盗みをしようなんか思ってへん!」
……わかっている。そんな人間であるなら初めからこの屋敷に滞在させていない」
「え……じゃあ、何の話したいん?」
 明るい焦香の瞳が純粋な疑問の色を宿して邑神の真っ黒の瞳を見上げる。
 邑神はその瞳を見て沈黙していた。ただ何も語らず、じっと千葉の視線を受け止め、邑神も千葉の瞳を見つめ返す。不機嫌な表情はいつの間にかどこかへ消えていたが、今は心の読めない無表情の視線を浴びせかけられている。
 ――もしかして、俺が何か答えを出さんかったらあかん感じ……
 そう思い至って口を開こうとした瞬間だ。
 千葉を支えていたハンモックが急速に幅を狭めて、男の体をくるりと包み込み、繭のような形に変化した。それと同時に千葉の周りに幾千もの白い糸が蠢いて繭を取り囲み、格子を作る。
 ――鳥籠……
 鳥籠というには規模が大きすぎるが繊細な意匠を施された格子は一目見るだけで鳥籠だとわかるようなシルエットになっていた。
 その鳥籠を作った張本人は未だ無表情のまま、しかし鳥籠の中に入った千葉を部屋の中央まで移動させると再び糸でハンモックを紡ぎ出し、今度は作者本人がハンモックに座る。籠の中の千葉とちょうど目線の高さが同じくらいになった。
 鳥籠が完成したあとに千葉の身体を包んでいた繭は解体されたが、囚われていることには変わりない。千葉は何度見ても不思議な邑神の能力に驚きながら、しかし一抹の不安が過ぎる。もしかすると説教は思っていたよりもずっと長引くかもしれない。そうとなれば邑神が満足のいくまでその文句を聞く以外に選択肢はない。千葉は諦め半分で籠の中で胡座をかいて、いまだじっとこちらを見つめてくる邑神の黒目を見た。
 表情は静かで、邑神が何を考えているのか、やはり千葉にはまだ解き明かせない。
――この部屋のものはすべて自分のコレクションなんだ」
……カミサマって本も、綺麗なもんも好きやもんな」
「主人である東雲祥貴の所有物は、実はこの部屋には置いていない。だから、たとえこの部屋のものを盗まれようとも、ある意味どうでもいいんだ。勿論、そんな輩がいればただでは済まさないが」
……じゃあ、立ち入り禁止にしてたんはただ単にこの部屋がカミサマの自室やから……ってだけ?」
「千葉恵吾、お前さんの脳はそこまで愚鈍ではないだろう?」
 邑神がやっと表情を変化させる。が、その顔には歪な笑みが貼りついていた。いつもは穏やかに見つめてくる真っ黒な瞳は、邑神の本来の姿――異形を千葉に対して嫌というほどに主張してくる。いつもと変わらない姿であるはずなのに、確かに人ではないという感覚。背筋の粟立つこの感覚は、彼らに初めて会って以来のものだ。
 ――そう、彼らは人ではない。そして、邑神有奇という男は、俺の見立てによるならば……
「千葉恵吾」
 ――「カミサマ」という呼び名は、ただの言葉遊びではない。
「我が主を差し置いて、いっそお前さんをこのコレクションに加えてやろうかと……何度考えたと思う?」
 
 底の見えない真っ黒な瞳は、だからこそ純粋な色で男の焦香の瞳を覗き込む。

 人を人として扱わず物のように己がコレクションの一部にしてやるという邑神の発言は、聞く者が聞けば脅迫そのものだった。しかし千葉にとってはそうではない。
 なんと愛おしく、甘美な響き。少なくとも男はそう、感じた。
 歪な笑顔のままの邑神に対して、千葉は鳥籠の中からそっと手を差し出す。邑神は千葉の行動が意外だったのか、闇色をした瞳から一変、いつもの瞳で困惑したように首を傾げた。
 千葉は邑神のそんな様子ですら、ぎゅうっと胸を締めつけられて切なく、男の体温に触れたいと思った。

 この屋敷での生活は心地良い。それは真に己の姿を受け入れてくれる存在がふたりも居るためだ。そんな存在のためならば、そんな愛おしい存在のためならば。
 
――カミサマが本当に望むなら、コレクションになってもええよ。カミサマの寵愛を俺だけのものにできるなら」
……バカなことを言うな……
 音もなくバラバラと糸が解けて、鳥籠が一瞬にして解体される。すると千葉は絨毯張りの床の上にころんと転げ落ちた。
「いたっ!」
 邑神は胸の前で腕を組んで、再び不機嫌な表情に戻っていた。そして千葉をハンモックから見下ろしたまま言う。
……そもそも、寵愛をお前だけのものにすることは不可能だ。自分には東雲祥貴という主人がいるからな」
「はあ……その気がないなら思わせぶりなこと言わんといてえや」
――その気がないわけではない。今は……というだけの話だ」
「その話はいつになるやらって感じやなあ。その頃には俺、死んでるんちゃう?」
 おどけたように言いながら千葉は立ち上がる。部屋の主を今度は自分が見下ろしながら、しかしその柔らかな頬には笑みを浮かべて言葉を続けた。
 
「俺が死ぬまでに、カミサマと祥ちゃんは答えを出せるんかなあ」

 それは何かを心配したり不安になったりする表情ではなく、ただ己の運命の流れを受け入れようとする男の顔。
 焦香の瞳は己の運命がどうなろうともただそれに身を任せ、自身の真の姿をその時に刻みつけていこうとするもの。

 千葉恵吾という男の魂の煌めき。男が生きることによって時空に刻みつけられる傷を、邑神有奇はこよなく愛していた。


<完>