風の迷い路

【SS】キアリーはひょんなことからある青年を引き取った。

※フリーゲーム「Elona」の世界観・設定をベースに、過大な自己解釈を含みます。

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「治療士さまに言われた通り、杖を用意してみたけど……どう? 少しは歩きやすいかな」

「まだ傷は治り切ってないから、動くの辛いよね。でも今のうちからちょっとずつ身体を動かす練習をした方が、治りが早いんだって」

「まずは家の周りをお散歩しよ! もちろん、どこか痛くなったりしんどくなったらすぐに言ってね。君が足を止めたら、私も止まるから」

 キアリーが不安を押し隠し、努めて明るく振る舞いながら話すあいだ、青年はひと言も返事をすることなく、頷きもせず、ただ目を伏せ気味にしてか細い呼吸だけをしていた。
 それだけ確認できればキアリーには十分だったのだ。生きている。意識がある。飢えも病もなく自らの足で立っている。
 彼がここまで回復するのにどれだけの時間と看護を要したかを思えば、この現状は自分にとって奇跡とでも呼びたくなるほど喜ばしいものだった。

 この時のために急いで用意したオーク製の杖は、どこか遠慮がちに、それでもしっかりと青年の体重を支えているようだ。そして傍らではキアリーが寄り添い、彼がよろめいたり転んだりしないよう目を光らせている。
 そんな監視なども何処吹く風と言わんばかりに、青年は黙ってその場に立ち尽くしていた。
 初春の冷たい風が彼の金色の髪を揺らしていく。伸び放題の前髪が顔にかかり、視界を塞ぐ。青年は瞬き一つしない。
 彼自身に行動しようという意思がないらしいということにようやくキアリーが気付いた時、すでにその場で十数分の時間が経過していた。キアリーは丁寧に何度も断りを入れてから彼の手を取り、そっと引いた。
 青年の身体が引っ張られた方に傾ぎ、倒れる前に杖が、そして彼自身の足が一歩を踏み出した。



 不運かつ複雑な経緯を経てノースティリスの吹き溜まりのような街で出会った青年は、所謂“奴隷”としては到底使い物にならない品質だった。
 故にキアリーは簡単な交渉の末に安値で彼を引き取り、治療を施すことができた。

 助けよう、と思ってしまったのは、ただの偶然だ。
 闘技場の前座試合は、キアリーにとって命と全財産を懸けた戦いだった。それは対峙した剣奴であった彼としてもおそらく同じことで。本来であれば、どちらかが倒れるまで、どちらかが死ぬまで続けなければならない殺し合いだった。
 痩せ細り、傷だらけの幽鬼の如き立ち姿。骨と筋の浮き出た細腕から繰り出される、寸分の無駄もない剣技。透き通った硝子玉のような瞳は何の感情も映さず、敵への怒りも、昂りも、恐れもなく、彼はただ目の前の相手を殺すためだけに稼働する人形だった。
 その男が、ほんの一瞬だけ感情を溢れさせる様を、キアリーは見てしまった。注意してみれば二度、三度とその瞬間は訪れていた。
 何かを庇い、守るような仕草。慈しみの目。対峙する者への憎しみ、恨み。
 誰も見てはいなかったのだろう。目を向けようともしてこなかったのだろう。
 奴隷の身に堕ちながら、どんなに踏みにじられ、虐げられても、生き抜かなければならない理由が彼にはあるのだということを、キアリーは知ってしまった。
「あの……ここを出てみませんか」
 顔面を狙った鋭い突きが、すんでのところでダガーに逸らされ、キアリーの頬を切り裂く。咄嗟の行動だったが、それは成功した。
 僅かな動揺で動きが鈍った青年は、ダガーの柄で思い切り殴られ、意識を飛ばした。



 ひとつ、またひとつと覚束無い足取りで、彼は歩いている。左手をキアリーに引かれ、右手に持つ杖を前に出す。途中人懐っこい黒猫のペペが足元にまとわりつくが、それを気にする様子もない。
 しばらく死の淵をさまよった後に目覚めた彼が、自発的にできることは少ない。食事や入浴、着替えなども指示と介助が無ければままならず、排泄すら便所で自由に済ませて良いと教え込むのに苦労したほどだ。
 闘技場で見せた一片の感情など幻だったかのように、青年は自我というものを見せなかった。

 ──腹を慣らすための薬湯とごく薄い粥ばかりの食事を切り上げ、通常のパンとシチューを与えてみた時のこと。彼はぎこちない手つきで従順に料理を食べ進めながら、声も無く泣いた。自分が泣いていることなど気にも留めず、気づきもしていなかったのかもしれない。それでも、目の前の命令を遂行しながら、光の無い双眸から大粒の涙をぼろぼろと零していた。
 何故泣いたのか、何が苦しかったのか、キアリーには知る由もない。
 ただ、彼の心は死んでしまったわけではない、と。その出来事をきっかけに、強く確信することができた。

 彼の足が自分と並ぶのを待ち、それからゆっくりともう一歩を踏み出して、繋いだ手を引く。そのあいだにも、キアリーは絶えず彼に話しかけ、自身の身の上や、身の回りの物事を楽しそうに語った。

「あそこで日向ぼっこしてる猫。あの子はポポっていうの。とっても優しいけど少し気難し屋だから、撫でる前にきちんと挨拶してね」

「この木の下を柵で囲って、鶏を飼ってみようと思ってるんだ。卵は買うと高いし、うちで産んでもらえたらありがたいよね」

「君の治療を手伝ってくれてる人、派遣メイドのサルーフィさんっていうんだけど……厳しくてちょっぴり怖いでしょ。でも本当に私達のことを心配してくれてるだけだから、遠慮せず頼ってみて」

 話を理解できているだろうか。退屈しているだろうか。もしかしたら、鬱陶しがっているのかもしれない……相変わらず青年の表情は読めない。
 それでも、ここで交流を諦めてしまうのは、あまりに惜しい気がした。出会って数週間と経つのに、未だ名前も教えてもらえていないのだ。
 何より自分の勝手な判断で連れ出してしまった彼を、自分の勝手な都合で持て余した挙句手放すなどということは絶対にあってはならない。
 故にキアリーは冒険者としての生活と並行しながら、青年の介助と自立への支援を続けるつもりでいた。

「この辺り、ネズミが掘った穴があちこちにあるから気をつけて。私なんかこの前ちっちゃい穴に躓いて、そこの堆肥の山に突っ込んじゃったんだよ」

 それは徒労に終わり、いつまでも報われることはないかもしれない。
 キアリーにできるのは、ただ与え続けることだけだ。

「見て……アピの木を植えてあるの。行ってみよ!」

 数株のイーモを栽培しているだけの小さな畑を通り過ぎたところで、キアリーは進路を曲げ、青々とした低木の茂みへと彼を導いた。
 知人のつてを通じて安く手に入れた廃屋が、今のキアリーの拠点であり、家とも呼べる拠り所だ。手入れもされておらず雑草の伸び放題だった庭は、余暇を見つけて少しずつ整え、暮らしを支えてくれそうな野菜や果実樹を植え付けている。
 このアピの木も、そうして持ち込んだものだった。

「ほら、そろそろ収穫できそうだよ」

 赤みがかった黄色の小さな木の実が、枝の先にいくつかまとまって実っている。小粒だが皮が張って艶も良く、十分に育ったと言えるだろう。
 キアリーは屈んでそれを一粒つまみ、捻るようにしてもぎ取った。指先で少し潰れた実が果汁を滲ませ、それだけで甘やかな香りが鼻先を撫でていく。そのまま口に放り込んで噛みしめると、口の中で皮が弾け、僅かな渋みを伴った甘い汁が舌の上に広がった。

「んん、おいし!」

 ぷるぷるとした食感と馴染み深く優しい甘みに、自然と頬が緩む。
 本来ならこの渋みが敬遠されることと、干せば渋みが抜けて甘酸っぱくなり、保存性が非常に高まることから、生食されることは多くない。
 それでもキアリーは、日々の糧に困っていた時期から何度も自分やポポを助けてくれたこの木の実が好物だった。

「はいどうぞ、君も食べてみて」

 更に数粒同じように熟した実を摘み取り、一粒を自分の口に含みながら、残りを手のひらに乗せて青年へ差し出す。琥珀色の虚ろな瞳が、それをじっと見下ろしている。

……

 骨ばった色白の細い手がゆっくりと持ち上がり、木の実を一粒つまみ上げる。キアリーが固唾を飲んで見守る中、太陽の光を受けて愛らしく輝くそれは、血の気の薄い唇へと僅かな力で押し込まれた。
 勧めたもの、促したものを、彼が拒絶することは無い。彼自身の意思が隠れてしまっているが故に、“命令”に対しても全て無抵抗なのだ。
 本当は嫌なものに嫌と言えるようになれれば良いのだが、今は彼が自分の好物を手に取って食べてくれたことを素直に嬉しく思ってしまっていた。

……どお?」
……

 青年は何も答えない。小さく口を動かしていることから、果実を咀嚼して、やがて呑み込んでしまったことはわかった。命じて食べさせたこれが、たとえ彼の嫌いな食べ物だったとしても、今のキアリーにはわからない。
 ──考えても仕方の無いこと、と割り切れるものでもない。

「かごを持ってきたから、今のくらい熟した実は全部摘んじゃおう。君も手伝って……もっと食べたかったら食べてもいいからね」

 さすがに全部は困るけど、と軽口を言いながら、キアリーは背負ってきた荷物袋から取り出したかごを抱えてしゃがみ、熟れたアピの実を摘み始めた。
 時折つまみ食いを挟みながらも様子を窺うと、彼はしばらく棒立ちのままだったが、やがてキアリーが収穫しているものとは別の木に歩み寄った。オークの杖を手放した手で木の実を摘み取り、器のようにした手のひらにそれを入れる。支えの無くなった杖はあえなく倒れ、からりと音を立てた。またひとつ実を摘み、小さな低木が揺れる。

 彼が奴隷として生きなくていいようにする、と話した時、それは厳しい道だとメイドのサルーフィは答えた。その意味を、キアリーは少しずつ実感している。
 自由を許されなかった彼に「自由にしてほしい」と言えば、それは彼にとっての命令になってしまう。かと言って命令が無ければ何もできない彼に、何も期待せず、何も願わないことが果たして人としての解放を意味するだろうか。
 思い悩んだ末にキアリーが出した結論は、とにかく今は生活を共にし、できるだけ様々な物事を体験させて彼の凍りついた心を刺激し続けるというものだった。

 頃合いを見てかごを差し出すと、青年は手に貯めた数粒のアピの実をぽろぽろと注ぎ入れた。どれも程よく熟して甘そうだ。

「ありがと! 半分はジャムにして、残りは干して保存食にするつもり。もっとおいしくなるから、楽しみにしてて」

 代わりに杖を拾い上げて青年へ渡しながら、キアリーはふんわりと笑いかけた。青年は何も言わず、風にそよぐ低木に目を落としている。
 収穫は楽しかっただろうか。彼の体調さえ許せば、この後の調理まで手伝ってもらうのもいいかもしれない。そんなことをキアリーは思った。

「さて……あれ、何だろ」

 目についた実だけ採ってしまってから帰ろうかとアピの木に向き直りかけた時、視界の端に見慣れない色を見つけた。
 アピの木に紛れて生えていたのだろうか。その小さな木は、若々しい枝葉の先に青みがかった灰色の粒をいくつか実らせ、重そうに頭を垂れている。
 近寄ってみるとアピの実やブドウなどと似た種類にも見えるが、果実のどんよりと濁った色味はとても美味しそうだとは思えない。

「ね、これ……私、植えた覚えがないよ。何の実だろ……食べられるかわかる?」

 青年がこちらに顔を向け、杖をつきながらゆっくりと近寄ってくる。
 何の気なしに質問をしただけだった。彼がこの木の実について知っていれば、何か教えてくれるかもしれないと軽く考えていた。
 浅はかな考えだった。

……

 青年の細い指が事も無げに灰色の実を摘み取る。少しの躊躇いもなく、それはあまりに自然な動作で、キアリーは呆気に取られてぼんやりと見つめていた。へたからちぎれた果実の穴から、赤黒い雫がぷくりと浮き出すのを見た。
 止める間もなく、彼はそれを口に入れた。

「あ……!」

 彼の顎が果実を噛み潰すように動いたのを理解した途端、ようやく我に返る。彼はただ忠実に“命令”を実行してくれたのだ。
 得体の知れないものを、食べて確かめろと──

「ごめん、そ、そんな、毒味みたいなこと、してほしかったわけじゃなくて……ええと……!」

 慌てたキアリーはすっかり冷静な判断力を失ってしまっていた。自分もなにかしなければと焦った挙句、どうしたことか自らも灰青の実を数粒むしり取って口に放り込む。

「むぐ、…………?」

 薄い皮がぷつりと弾けて、思いのほか瑞々しい果肉がほとんど歯応えもなく潰れる。口の中にとろりと広がる果汁は酸味こそあるもののずいぶん甘く濃厚で、むしろこの酸っぱさと互いを引き立てつつ爽やかな味わいを生み出している。
 つまりは、

「すっごくおいしい……!」

 怪しげな見た目からは思いもよらない味に、キアリーは口元を抑えながら目を輝かせていた。ともすればアピの実よりも食べやすい。水分が多く柔らかいため保存や携帯は難しいものの、ジャムや砂糖漬けにしても良さそうだ。
 これを実らせた木はまだ若く小さかったが、このまま育てばもっと多くの実をつけるかもしれない──
 ふと青年の方を見ると、彼は変わらず何事も無かったかのような顔で灰青の実を見つめていた。

「これ、おいしいねえ。甘酸っぱくて……

 本当は真っ先に彼の無事を確かめるべきだったと内心恥じながら、一方で一つの可能性に気づく。抗いも躊躇いもせず、青年はキアリーの知らない木の実を食べてみせたのだ。

……もしかして、この木の実のこと知ってた?」

 彼が意識を取り戻してから今まで、何を問うても反応が返ってきたことは無い。返事はおろか、首を振ることも、頷くこともせず、ただ押し黙ってぼんやりとどこかを見つめているようで、その実見てすらいなかったのだろう。
 その彼と今、目が合った。

……

 とくとくと早くなった鼓動が頭の中に響く。
 それは、ほんの数秒のこと。
 透き通った黄金色の瞳は微かに揺れ動き、そしてすぐに逸らされてしまった。キアリーはその様をまじまじと見つめていた。
 何かを言いたいのか、何かを迷ったのか、あるいは──
 どこまでも空っぽな硝子玉の奥に、彼の思考が、心が確かにあった。そんな気がした。

……これも少し摘んでいくね。おやつにもちょうど良さそう」

 少し待っていて、と断ってキアリーは手頃な灰青色の実を摘み、アピの実のかごにそっと寄せて入れる。実の皮には粉のようなものがまとわりついて艶を消しているらしく、瑞々しく輝くアピと比べるとやはり美味しそうには見えない。
 彼がいなければ、この木の実の味を知ることはなかっただろう。

「よし、このくらいかな! じゃあそろそろ戻ろ」

 木の実の入ったかごを布で丁寧に包み、荷物袋に詰めて背負う。それから、ここまで来た時と同じように青年の左手をそっと握る。青年は黙ってキアリーの誘導に従う。
 彼がこちらを見ることはもうなかった。

「この木の実のこと、教えてくれてありがとね! 私はここで暮らし始めたばかりで、わかんないことも多くて……だから、また知ってることがあれば教えてくれたら嬉しいな」

「あ、でも君もわかんないものは、さっきみたいに食べちゃダメだからね。まずは私が調べるから……無茶なことしてお腹でも壊したりしたら大変だからね」

「それにしても、いい天気でよかったねえ。帰ったらさっそくジャム作りをしようと思うけど、君にも手伝ってほしいことがあって……

 若葉の生い茂った庭を横切る道に、キアリーの話す声だけを乗せて春風が吹き渡っていく。
 一歩、また一歩と青年と共に歩みを進めながら、キアリーは先ほど見た彼の目の色を思い出していた。
 本来の彼は、どのような景色をその瞳に映し出していたのだろう。どのような思いが、彼を彼たらしめていたのだろう。
 人間らしい表情や反応が返ってこなくとも、繋いだ手は温かく、彼が確かに血の通った人間であることを教えてくれる。彼ができるだけ安らげるように、ゆっくりと傷を癒せるようにと心を配りながら、キアリーの方こそその温もりに励まされていた。
 この道がどれほど険しく、遠くとも、希望を捨てる必要はないはずだ。

「もうすぐ家に着くよ。付き合ってくれてありがッ──」

 左足を降ろした先の土が突然陥没し、平衡を崩したキアリーは見事なまでにころりと大地へ転げ落ちた。その瞬間は何が起きたかわからず、我に返った時には庭土に片側の頬をぺたりとくっつけていた。陽の光をたっぷりと浴びた、温かな土だ。
 視界の縁に慌てて走り去る小動物の姿を見たような気がして、キアリーはしばらくやるせない気持ちでいっぱいになった。

「うぷ、ご、ごめん……注意した私がこけちゃった」

 肩や腰を打ったものの地面は柔らかく、ただ芳しい臭いを放つ土や砂利がシャツの中にまで入ってくる。キアリーがしょんぼり顔で身を起こし、服の汚れを払っている間、青年は杖を着いた姿勢のままでその場に佇んでいた。転ぶ直前、咄嗟に彼の手を離すことができたのは唯一の功かもしれない。

……

 まだらな雲が渡る青空を背にして、彼の影がキアリーに落ちている。太陽の光が遮られて、その場所は少しひんやりとしていた。
 荷物袋と中身の無事を確かめ、ようやくキアリーは立ち上がる。膝や尻を払い、汚れた手をシャツで拭い、離したばかりの彼の手を再び握る。転んだとしても、泥にまみれたとしても、自分はこの手を守り抜かなければならない。

「もうだいじょぶだよ、行こ」

 未だ何も応えない青年へ迷い子を慰めるかのように柔らかく笑いかけて見せながら、キアリーは再びゆっくりと一歩を踏み出した。





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