付け合わせのキャベツを刻む手をふと止め、リビングと水回りを仕切るドアの下部からぴょこんと生えた白いしっぽに目をやった。人間サイズのドアに取り付けられた小窓、盛大に振り回されるしっぽに押し上げられたそのフラップドアが、カチャカチャ音を立てている。
「モフフー!」
あの子が相棒を呼ぶ時の声だ。
そののち、ピュンっと消えたしっぽ。今日は扉のあちらとこちらでかくれんぼ、だろうか。私の耳には何も聞こえなかったが、きっと応答はあったのだろう。
*
モフロナくんとモフドラちゃんは、ロナルド吸血鬼退治事務所の新入りツクモ吸血鬼である。
ある日突然、としか言いようがないほど唐突にツクモ化を果たした彼らは、私とロナルド君を模したという、ロナ戦グッズのもふもふぬいぐるみだった。それが、オータム書店名物の亜空間から――正確には製造工場から、だろうが――ここへやって来て、ひと月足らずでツクモ化したのである。それもこれも、ロナルド君がかわいいかわいいって四六時中、それこそメビヤツはおろか、ジョンさえちょっと妬きかけるレベルでこねくり可愛がりしたせいに違いないと私は思っている。
退治人服の赤が良く似合う白いふわふわちゃんと、マントがとても畏怖な、高貴な紫色をしたふわふわちゃん。意志をもっているのだし呼び名がないと不便であろうから、名付けてモフロナ&モフドラ。自分たちの名前から取ることに思うところが無いわけでもなかったが、色々挙げた名前候補の中で彼ら自身が選んだのがこれだった。
このふたモフは、血以外の食べ物も求める吸血鬼として目覚めたようだった。そのことも関係しているのか、ぬいぐるみであった時とくらべ、どちらも身長が少し伸びたようだ。体の重さも、ぬいぐるみだったころはほんの100gほどだったというのに、モフロナくんは現在約400g。毎日もりもりご飯を食べているので、まだまだ育つかもしれない。一方のモフドラちゃんは200g。生まれて間もない赤ちゃんマジロよりは重たいが、きっかりお豆腐半丁ぶんと思えば愛らしい重みである。
ふたモフ合わせれば、お豆腐1と1/2丁。なお、まとめて抱っこしたところでジョン一玉分に到底及ばない軽さではある。
そんなお豆腐ちゃんたちであるが、食の好みはそれぞれだ。モフロナくんは血があまり好きではないようで、血の補給に良いレバーパテなども食べられず、ジョンやロナルド君と同じようなメニューを好んで食べている。一番のお気に入りは今のところ、チーズインハンバーグのようだ。若造と一緒ならオムライスが好きだろうと出したところ、ケチャップがちょっと酸っぱかったみたい。目下、モフロナくん用のケチャップソースをジョンと検討中である。
モフドラちゃんの方は私に似て、ブラッドジャムをティースプーン一杯ほど溶かしたホットミルクが一番のようだけれど、パンナコッタやキャラメル、ミルクプリンといった牛乳メニューのほか、いちご風味のブラッドinゼリーや、ミルクたっぷりのパンプディングなんかも喜んで食べてくれている。
「モデルよりも食べてるじゃねえか」
『見習って少しは食べてくださいヌ』
とは、モフドラちゃんの食事風景を見ていたいっぴきからの、私に対する流れ弾である。
話が逸れたが、このように、ふたモフは固形物を含めた食事をするタイプの吸血鬼である。よって私よりは余程トイレに縁があった。ぬいぐるみが排泄? などと思ってはいけない。そんなこといちいち考えていては、この町では暮らせないのだ。
ツクモ化して翌夜には、彼らにもトイレが必要だと言うことが判明した。しかしジョンよりも小さく、軽く、水が大敵のこの子らに、人間用のトイレは危険すぎる。加えて、ぬいぐるみがベースのツクモである。見た目が動物のそれであろうとも、人が造り、人に使われるおもちゃであるという意識から、その内面も人に近づくようで、猫用トイレを置いて万事解決、とはいかなかった。意思疎通と試行錯誤の末たどり着いたのが、猫用のケージにぐるりと目隠しを取り付けて、その中に人間の赤ちゃん用のおまるを置く、というスタイルだった。便座そのままの形のものを用意したのもよかったのか、ふたモフとも今のところそれで納得してくれている。
モフ用トイレの設置場所は、彼らが他の住人の目を気にせず落ち着けること、臭いの問題や掃除の利便性を考え、トイレの隣とした。しかし、そうするとリビングから水回りに通じるドアが、彼らの行く手を阻むことになる。
モフロナくんはモフドラちゃんを背負ったままダイニングの椅子に軽々飛び乗ってくるほどの脚力を有しており、Y軸方向の移動はお手の物と言える。モフドラちゃんも、背中の羽でソファくらいまでなら浮かび上れる。しかし、いかんせんふたモフともフワフワの身体である。仮にドアノブに飛びつけたところで、回して開けるという動作には向いていなさそうだ。仮に扉が半開きだったとしても、モフロナくんなら体で押し開けられるだろうが、モフドラちゃんには無理だろう。
そういった問題点が洗い出されてからのロナルド君の行動は早かった。トイレを用意してから二日後の夜には、小さな角丸四角のフレームに、マグネット止めで開閉するフラップが付いた、いわゆるペットドアを手に帰ってきたのだ。出会った頃は耳に胼胝ができるくらい敷金敷金と繰り返していたあのロナルド君が、である。
ペット飼育歴はカメくらいだと聞いていたし、犬猫と暮らす退治人仲間も居ない中からよくその選択肢が浮かんだものだが、聞けばフクマさんとシーニャさんのアドバイスらしい。聞くということを躊躇わなかったのにも驚いたし、ホームセンターでペットドアを仕入れる前に大家さんから条件付きながら許可も取り付け済み、工事もDIYに慣れた人に頼んだというのだからたまげた。この思い切りの良さと行動力、周到さを普段から発揮できていれば、俺はモテない、なんてしょげかえる暇なんてなかったろうに。
設置にあたってロナルド君が頼ったのは腕の人だった。そして、事務所にはない工具類のレンタルおよびDIYアドバイザーとしてとして『ハガネ自動車整備店』、つまりは腕の人のご両親も協力してくれており、若造は彼のご一家に足を向けて眠れない状況というわけである。
工事の日、腕の人は夕方早い時間から、弟のコバル君と共に事務所を訪れた。ロナルド君は力仕事以外アテにならないから、気の利くお手伝いというところだろう。扉に穴を開ける必要があるため、一度建具から外し、傷がつかないよう養生を施した事務所の机を作業台として、採寸し、製図をする。そしてペットドアのサイズに合わせた穴を開け、ドアパーツを挟み込んでねじ止めし、元に戻せば完成だ。腕の人はご実家の工場から、ドリルやジグソーはもちろん、ねじ止めのための電動ドライバーまで持ち込んでくれ、作業は非常にスムーズだったようだ。
「サテツに頼んで正解だったぜ」
そう得意げにしていたロナルド君だった。
しかし重ねて言うが、敷金、敷金とわめいていたロナルド君が本当に思い切ったものである。
ペットドアそのものの値段は数千円、お手頃価格と言えたが、賃貸物件の扉に穴をぶち開けたのだから、退去時――それがいつになるのか、私には知る由もないが――には新品と交換になると言う。大家さんが求める原状回復、つまり扉そのものの修理交換の、現時点での見積もり額はここの家賃5か月分ほどかかるらしい。
そして、腕の人兄弟へのお礼として用意した山盛りの夕飯と、それから彼らのご両親へのお礼の品代だ。ちいさなドアに対して随分高くついたのではと思えるが、用意されたドアの用途をすぐに理解し、大喜びで行き来するふたモフを見て、ロナルド君はかなり満足しているようだった。
「ま、君がそれで良いのなら私からは何も言うことは無いな!」
「当ったり前だ、ここは俺んちじゃボケ」
そんな風に片づけられた私はといえば、珍生物を見るような心地でロナルド君を見たあとは、普段の3倍量の食材を思いつくまま好き勝手に調理して良いと言うイベントのお陰で、随分と楽しい思いをさせてもらった。よって、やはりロナルド君は良い仕事をした、ということになるだろう。ジョンも事務所の机という机にひしめき合うご馳走の皿に大満足のようだったし。
*
ロナルド吸血鬼退治事務所・かわいいものクラブ専用通路となった件のドアに、モフロナくんのしっぽが吸い込まれてから10分少々、入れ替わりにモフドラちゃんが帰って来た。フラップを押し上げるてのひらと、ふわふわのおでこ。そのまますんなり通り抜けてこちらへ来るのかと思いきや、くるっと身を翻し、フラップ部分を両手でぎゅっと押さえて笑っている。通せんぼしてやりたかったのだろうけど、悲しいかな、モフロナくん相手では何の意味もない。彼のかわいい意地悪が通用するのはロナルド君とジョンだけである。
案の定、モフドラちゃんが力比べを仕掛けてくれた、とでも勘違いしたのだろうモフロナくんが勢いよく突進して来、跳ね上げられたフラップに負けたモフドラちゃんは綿になってしまう。
「ピィ!?」
「モッモフフー!? ……モフ?」
「ピス」
けれども、この程度では喧嘩にならない二人なのだった。
今日はどちらも、肉球や、耳の内側の色がとても濃い。はしゃぎまわって体温が上っているのだろう。
モデルとなった私たち二人とは似ても似つかず、寝ているときはいつも一緒に籠の中。起きている時だってこうして二人でずっと遊んでいる。本当に手のかからない良い子たちである。
時に、ロナルド君が選んだドアは、大型の猫から小型犬に対応するサイズだということで、これはジョンも通ることができた。ジョンはジャンプアタックなどを駆使して自らドアを開けることもできるのだけれど、のっぴきならないタイミングというのは彼にも訪れる。ドアが据え付けられてからは、そんな諸々が諸々してジャンプの精度が著しく落ちる時でも跳ね回らずによくなったということで、とってもご機嫌だ。ロナルド君にご褒美の『吸い』を許すほどに。
「ああジョン、ジョンがこんなに喜んでくれるならもっと早く思いついて採用するべきだった……俺は全く気の利かない男、どこからでも切れますっつって全然切れねぇ醤油の袋……」
高くつこうが満足げだったロナルド君を。そして施工後、そういって後悔に襲われていたロナルド君を見るに、腕の人工務店には二度目の発注があるだろうな、と思う私である。
近いうち、ふたモフの情緒がもう少し育って。
家の中にある危険を理解し、ふたモフだけで外に出ちゃだめ、とか、事務所で仕事中のロナルド君を邪魔していいのは私と一緒の時だけ、とかそういうことを理解できたならその時にはきっと、リビングと事務所を繋ぐ側の扉にも、同じドアが据え付けられることだろう。
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