わからん
2024-10-13 16:16:44
6553文字
Public WLDP
 

【WLDP】リビルド

一緒に暮らしてそれなりの時間が経っているウルデプ+ロラとアルとメリー・パピンズ
二人で買い物に出かけたりロラと夜更かししたりバッドモードについて話したりしています
※嘔吐表現あり。苦手な方はご注意ください




「今までの人生で最悪だった食事は?」
 問いかけは唐突だったが、答えを見つけるのはそう難しくなかった。
「腐肉」
「うっわ」
「三日三晩腹を下した」
「なんで食ったんだよそんなやつ」
「それしかなかった。お前はどうなんだ」
 背中を丸め、ショッピングカートのハンドルに両腕と顎を乗せて歩くウェイドは、ローガンの問いに対して唸り声を上げただけだった。
「あんたより酷くはない」
「程度の問題か?」
「ありすぎて選べない。軍隊にいた頃の食事は全部酷かった——あ、それ取って。一番安いやつ」
 指示されるがままにコーンフレークの袋を手に取り、カゴの中へ放り込む。どさりと音を立ててカートが揺れた。カートの前を歩きながらローガンは背後を振り返った。
「次は」
「このまままっすぐ。突き当たりを右」
 ウェイドとアルの行きつけだというスーパーは、平日の昼間であってもほどほどに混んでいる。人目を気にしてか、ウェイドはキャップを目深に被った上にパーカーのフードを被せて顔を隠していた。右手にはアルとローラから託された買い物メモ——そこに書かれている内容をもとに、二人は買い物へ繰り出していたのだった。
「なあ、ローラからリクエストされてるのが全部お菓子なんだけど」
「それが?」
「それがじゃねえよ。全部買ってあげたら体に良くない、若くして糖尿病まっしぐらだ。どう思う?」
「好きなものを食わせればいい」
「おいおいローガン。しっかりしてくれ、あんたが彼女の保護者なんだ。どれか一個だけ買うって言ってんだよ」
「お前に任せる」
 特大の溜息とともにポテトチップスがカートの中に投げ込まれた。
「洗剤買ったっけ」
「買ってない」
「一番安いやつ」
 洗剤を追加。
「アルリクエストの『コーク』が隠語か否か」
「飲料だろ」
「そういうことにしよう」
 コークを追加。
「卵、野菜野菜肉肉肉、シリアルにミルクに洗剤、ローラリクエストのポテチ、アルリクエストの炭酸ジュース——」ウェイドはカートの中身を指差しながら頷く。「ミッション完了だ。次は俺たちの番」
「酒」
「だろうと思った」
 カートの方向を転換させながら、ウェイドが右手を掲げて人差し指と中指を立てた。「いいか。二本までだ」
「三本」
「駄目だ、二本。俺たちの繊細な家計をブッ壊すな」
……
 酒瓶二本がカゴの端に力無く突っ込まれた。
 ローガンが酒を吟味した時間に比べると、ウェイドの買い物は瞬く間に終わった。ソーセージとパンをカゴの品々に加え、有人レジへ向かう。
「袋に詰めとくから会計よろしく」
 財布を手渡されて中身を開ける。札が足りなかったのでカードで支払った。ウェイドは購入品をビニール袋に詰め込み、出入口の前で待っていた。
「どこで食ったの」
 問いの意味がわからずに聞き返す。ウェイドは袋を胸の前で抱えながらローガンを見た。
「腐肉の話」
「覚えていない」
「へえ……
 ウェイドは束の間黙り込み、それきり同じ話題を振ってこなかった。あるいは気づかれていたのかもしれない。覚えていないと答えた瞬間、声が強張っていたことに。

 アルが求めていたのは飲料ではなかったらしい。
 ポテトチップスの袋を抱えたローラが、こちらを責めるような眼差しで見てきたのは少し堪えた。彼女の要求を呑まなかったのはウェイドだ——そう弁明したところで、自分もまた共犯者だという自覚はローガンにもあった。対処をウェイドに丸投げしたのは、紛れもなく自分だったからだ。
 アルとローラを宥めて夕食の席についたものの、会話は少しぎこちなかった。就眠の挨拶を交わすまでそれは続き、ローガンは夜中にふと目を覚ました。
 今は何時だ? 外は暗いからまだ夜中であるはずだ。リビングから話し声がする。扉を開けてリビングの様子を伺うと、ソファーに腰かけるウェイドとローラの後ろ姿が見えた。扉をさらに押し開けた瞬間、蝶番の軋む音がして二人がいっせいに背後を振り返る。
「悪い。起こした?」ひそひそ声でウェイドが言う。
「眠りが浅かっただけだ」小声で答え、足音を殺しながらローガンは二人に近付いた。「こんな時間まで何をしているんだ」
「夜更かししてたの。ウェイドと」
 ローラが悪びれもなく答えた。「私も眠れなかったから」
「口の端に——
 指摘するとローラは唇の端を親指の腹で拭った。唯一の光源であるテレビの光だけでは判別し難いが、ローガンの嗅覚が既に答えを導き出していた。ケチャップとマスタードの匂いだ。
「何か食ってたのか」
「ホットドッグだよ。昼間俺が買ってただろ」
 ウェイドが会話に割り込んでくる。テレビとソファーの間に置かれたテーブルの上には、ホットドッグが数個とマグカップがふたつ置かれていた。改めてテレビを見ると画面が止まっていた。録画していたものを見ていたらしい。
「お菓子を爆買いするよりもこっちのほうが背徳的」ウェイドがそう言って片目を閉じた。「ソーリーローたん。ローラに悪いこと教えちゃった」
「悪い? そんなことない、これ最高」
「ならよかった」
「眠れないなら一緒に見よう」
 最後のローラの言葉はローガンに向けられたものだった。二人がソファーの片側に寄る。断る理由も無く、断れる雰囲気でもなかった。ローガンが腰掛けるとテレビの画面が動き始める。
「どうせなら最初から見るか。始まって十五分くらいだったし」
「さっき二人で作ったんだ」
 勧められるままに、差し出された皿の上からホットドッグを取り上げる。隣のローラも、彼女の向こうにいるウェイドも同じようにして——ウェイドは胸元にユニコーンのぬいぐるみを抱え——画面を見つめていた。釘付けになった、というのが正しいだろう。ローガンもいつの間にか、小さな画面の向こう側に広がる世界に意識を奪われていた。
 そうして一時間は過ごしていただろうか。ふと右肩にかかった重みに、彼の意識は現実へと引き戻される。目蓋を閉じたローラがローガンの肩に寄りかかり寝息を立てていた。ローガンが身動いだことでウェイドも気づき、テレビのリモコンを掴んで音量を下げた。ローラを指差しながら唇だけで「寝た?」と問う。
 ローラの膝裏に腕を回して抱え上げた。彼女の暫定的な寝室である客室のベッドに寝かせ、リビングへ戻るとテレビは消されていた。隣接するキッチンから光が漏れている。ウェイドが食器を洗っていた。
「映画の続きはまた今度」ローガンに気づいて小声で話しかけてきた。「ローラやあんたが眠れない夜が来るまで、録画は消さないでおくよ。ホットドッグも補充だな」
「体に悪いんじゃなかったのか」
 ウェイドは笑った。ローガンも彼の行動を責めるつもりはなかったが、矛盾の原因を知りたかった。
「適度なヤケクソは体に良い」ウェイドは答えて濡れた皿を拭き始めた。「医学的根拠は一切ナシの持論だけどな」
「持論」
「そ。一度覚えるとけっこう楽しい」
 拭き終えた皿をローガンが片付けていく。ウェイドの住処へ転がり込んでからそれなりの月日が経ち、皿の位置はそれなりに把握していた。
 ウェイドの仕事やTVAの任務で受け取った報酬で金の目処はついている。あとは戸籍や身分証明といった厄介な問題が残されていたが、じきに片付くだろう。
 別のアパートを借りることができれば、ローガンとローラはともに、ここでの生活に別れを告げることになる。
「腐った野菜と生卵」
 不意に声が聞こえたので戸棚から視線を外す。
「何か言ったか」
「人生で最悪だった食事の話」ウェイドは手元を見つめたまま答えた。「時期も覚えてる。実戦を経験した後、自分の部屋で初めて迎えた休暇の朝だった」
 しばらくの間、水の流れる音だけが聞こえていた。
「長期の任務だったから、出かける前に買ってた野菜は全部腐りかけてた。だから朝食を何にするか考えてたはずだ。なのに、気づいたら冷蔵庫からむしってそのまま食ってた」
 ウェイドの手は機械的に皿や調理器具を洗っていく。
「最後に卵を生で食った。三日三晩腹を下して、せっかく実戦を生き延びたのに、こんな下らないことで死ぬのかと思ったね」
……馬鹿だな」
「あんたも同じだろ」微かに笑った気配がした。「食ったのが肉か野菜かの違いだけだ。で、そのときの教訓もあって現在に落ち着くってわけ——ジャンクフードを食いながらテレビで夜更かし。かわいいもんだろ」
「俺は酒だった」
「どっちが健康的にはマシ? いいや、同じくらいに不健康だ」
 水の音はいつの間にか止まっていた。ウェイドが目蓋を擦る。
「ローラのこと、甘やかしてやってよ」
 あくび混じりにウェイドが言った。「彼女にはあんたが必要だ。深く眠れるくらいに安心して寄り掛かれる大人が」
……ああ」
「引越し先でもだぞ」
「わかってる」
「それが聞けてよかった。じゃあおやすみ……
「お前も必要だ。俺はこういう息抜きを知らない」
 うーん、と唸り声とも同意ともつかない返事を残してウェイドの姿が寝室に消える。
 相手が眠そうなときにする話ではなかった。ローガンは戸棚の蓋を閉め、自室へ引き返した。

 ピーピーピー。
 ……電子音が聞こえる。遠くから? 否、近くだ。目と鼻の先。重い目蓋を押し開けると冷蔵庫の扉が開いたままなのが見える。さっきから聞こえる音の正体だ。視界は九十度横に傾き、真上から降り注ぐ蛍光灯の明かりが眩しい。
 頭を持ち上げようとした瞬間に視界が激しく回転し、呻きながら額をフローリングへ押し付けた。そのときにようやく床が濡れていることに気づく。濡れているのは床ではなく、自身の顔だった。涙、鼻水、涎——鼻をつく異臭は、吐瀉物だろうか?
 思い出した。昨晩はここで嘔吐して気を失うように眠ったのだ。
 そうなるべきものを食った。長い間放置されていたせいで腐り落ち、変色していた。それを発見し、なぜ後先考えずに口にしたのか、記憶は曖昧だ。だが納得はした、こうなると知りながらなぜ喰らいついたのか。
 苦しみたかった。
 罰したかった。
 夜が恐ろしかった——何も考えたくなかった。
 回転を続ける世界はマーブル状に溶けていき現実感が失せていく。ひどい耳鳴りが聴覚を奪う。吐き気はそれ以外へと意識を逸らせなくなる。自分の呼吸だけが認識できていた。そうして正気を失った世界は静かだった。
 だが、極限の状況に追い込まれても脳は思考を止めないらしい。マーブル状の模様が赤と黒に染まっていく。耳鳴りを貫いて鼓膜を震わせる戦闘の音と悲鳴。全身を温かく濡らす他人の血液。過去へ逆行し続ける脳味噌は本能が拒む映像と音声を流し続け、自らの首を締め上げて意識を何度でも地獄へ叩き落とす。
 彼は冷たいフローリングの上でうつ伏せに倒れていた。
 目の前には扉が開いたままの冷蔵庫。頭上の蛍光灯が点滅し始め、白と黒に激しく切り替わる世界の中で、夜はまだ明けない。
 鼻水や涎にまみれて汚れきった頰の上を、熱い涙が流れていくのを感じた。
 ——なぜ、ここまで堕ちてもなお正気でいられるのか。
 なぜ狂えないのか。
 どうやったら自分は壊れるのか?
 屍も同然だった。なのに生きている。それが嬉しいのか、悲しいのか?
 泣けば多少はましになると思った。しかし胃液が喉を焼き、声を上げることもできない。

 ひどい夢を見た気がする。
 目覚めてすぐ、冷たい水を求めてローガンはリビングへ出た。するとメリー・パピンズの散歩から帰ってきたウェイドと鉢合い、朝の挨拶を交わしてキッチンへ向かう。遅れてローラとアルも起きてきた。ローラはメリー・パピンズを撫で回し、彼女を抱えたままソファーに腰掛けた。
「ウェイド。昨日の映画、続きが見たい」
「えっ」ローガンの隣で手を洗っていたウェイドは、明らかに戸惑った様子で返事をした。「いいけど、朝から見るの? あれは夜更かし用というか……
「見たいときに見るし、ホットドッグだって食べたいときに食べる。特別な条件なんていらない。映画の途中で寝ちゃったのも悔しいの」
 彼女はあっけらかんと答えてソファーの上で足を組む。メリー・パピンズが太腿の上を登ったり滑り下りたりして遊んでいた。
「見終わったら一緒に走りに行こう。夜中に食べたぶんは動くって、昨日約束した」
「お誘いは嬉しいけど、せっかくだしローガンと一緒に行ってきたら?」
「明日誘う。今日はウェイドを誘う」
 ワオ、とウェイドが小さく呟いたのが聞こえた。ローラの足で遊び飽きたメリー・パピンズがソファーから降り、少し離れたところにいたアルの元へ一目散に駆けていく。
「ねえウェイド、行く? 行かない?」
 ウェイドは何を思ったのかこちらを向いたが、ローガンは首を振り返した。
「行ってこい」
 答えてキッチンから離れる。ソファーではなくアルが座っている椅子に近付き、彼女の足元に纏わりつくメリー・パピンズを抱きかかえる。サングラス越しにアルがローガンを見上げた。
「『コーク』はあるかい?」
「残念ながら品切れ中だ。ならあるが」
「彼女は元気そうだね」
 アルが唐突に話題を差し向けたので些か面食らう。アルはローラとウェイドのいる方角へ顔を向け、ローガンへ向き直る。
「昨晩は泣いていたようだから」
 初耳だった。自然、ローガンの眉間に皺が寄る。
——泣いて……?」
「あんたらで慰めていたんだろ」言葉を挟む暇もなくアルは淡々と言った。「深夜のクソみたいな暴食は感心できないがウェイドのクソ野郎が唆したんだね。昨日部屋に戻ってきたときにあいつが言っていたよ、悪いことを教えるのは自分の役割で、彼女にはどんなクソ野郎でも親が必要だと」
「俺はローラの父親じゃない」
「そうかい」
 アルは呟いて正面を見た。「誰もあんたのことだって言っていないよ」
……意地悪だな」
「今更気づいたのかい」
 話は終わりらしかった。肩に登ろうと暴れるメリー・パピンズを床の上に下ろすと、彼女はキッチンへ向かうウェイドの踵へ突撃する。ウェイドは猫撫で声を上げて抱え上げ、口元を舐められるがままになっている。ローガンはローラの元へ近付いた。気配を感じたのか、ローラがソファーの背もたれに後頭部を預け、背後に立っていたローガンを見上げた。
「明日の朝は一緒に走りに行こう。それとも筋トレ?」
「お前の好きなように」
 ローガンが答えると横に引き結ばれていた口元が綻び、小さな笑い声が聞こえた。
「いつもそればっかり。ねえ」
 ローラの大きな瞳がローガンの顔を映していた。
……あなたと同じくらい、ウェイドのことが大事。一番なんて決められない」
「俺もだ」
 ローラは再び微笑み、ソファーから立ち上がった。「ウェイドを手伝わないとね」
「狭い空間なんだから三人も入れないだろ」キッチンへ向かうとメリー・パピンズに頰を舐められながらウェイドが不満を述べた。
「ひとりは彼女の遊び相手に回ってくれ、散歩したばかりなのに暴れん坊すぎる」顔から引き剥がすとローガンに押し付ける。「今日はあんたの気分らしい。この浮気者め、だが自分の心には正直に生きるんだぞ。さあ行け。二度と振り返るなよ」
「上に登ろうとしてる」
「つむじが性感帯だと思ってるんだ、自分がそうだから」
 ローラとウェイドの笑い声を背後に聞きながらリビングへ引き返す。
 キッチンから野菜を切る音が響き、ソーセージの香りが漂ってきた。アルがいつの間にかソファーへ移動してテレビを見ている。
 カーペットの上に下ろしてメリー・パピンズの頭を撫でると、彼女はごろりと寝転んで腹を見せた。穏やかな陽光が体を照らしていたからか、ローガンが撫でているうちに横へ倒れて目蓋を重たげに瞬かせている。
 気儘なものだと撫で続ける。メリー・パピンズは満足げに鼻を鳴らし、体を丸めて眠り始めた。犬も夢を見るのだろうか? そうであるのなら、幸福な夢であればいいとローガンは願った。