ひさね
2024-10-13 16:09:39
6421文字
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共犯者になりたかった話 <改訂版>

同タイトルの改訂版。
ソウミカの死体埋めss。ミカ視点。
好きな人を埋める話。
魔王の討伐がなかった世界線の、しかも悪い方向に進んだif。

 宵闇の山道では烏が良く鳴く。きっと知ることもなかった光景に気疲れしているせいか、それとも想像以上に重たい袋のようなバッグを肩に担いでいるせいか、ぜえぜえと息が切れて煩わしい。宿屋では小麦粉も野菜も果物も、うず高く積んで担いでいたから、力仕事にはそれなりに自信があったのだけれど。
 それにしても自分の身長より大きなシャベルも背負ったのは間違いだったかもしれない。歩く度に、肩に掛けた袋とシャベルがぶつかって、その衝撃が毎度背中に来るものだから痛いし、歩きにくい。二回に分けて持っていくべきだったなあとか、段取りが大事だったなあとか、じんわり後悔しつつも、足は止めない。
 舗装された道から獣道へ入っていく。丁度山の中腹も越えたところだったから。そしてもう少し登っていく。ぱきりぱきりと落ちた枝を踏んで折り、盛り上がった岩に足と道具が引っかからないように、しっかり文字通り地に足だけを着けて歩く。ここに突然、狼でも豹でも何でも良いから、獣が来たらそれはそれで楽だった。
 けれど、結局何も来ないまま烏ばかりが鳴いて、目的地に着いた。
 木も草も鬱蒼と生い茂っていて、それでも地面が岩や石で凸凹してはいない。人の手が入っていないのに、こうも今のわたしに好都合だと少し寒気がする。
 どさり、と肩の荷を下ろす。文字通り。
 しゃがんで、地べたに置いた黒い袋のジッパーを開ける。顔が現れる。目を瞑って、穏やかなように見える。でも血の気はなかった。人間、最期はここまで青くなるのかと未だに新鮮に驚いてしまう。そういう死体だった。血が出ている訳ではないが、直視できるものでもない。頭ではわかっていたけれど、心は曖昧なままで、二度と動かない顔をじいっと見つめていた。手の甲で袋から覗く頬をさすってみれば冷たいばかりだった。
 動くには熱が足りなかった。ひんやりとした感覚を味わいながら、大柄な成人男性は思った以上に重いと思考から乖離していくわたしがいた。良い教訓になった。今後使い所があるかは知らないけれど。
 ただ、こうして感傷に浸っている訳にもいかない。時間は限られている。はあ、とため息を吐いて、それから死体を埋めるとき、袋から出すべきなのかなと迷う。迷って、結局袋に入れたまま埋めることにした。
 好きな人の顔に直接土をかけるのは、どうしても嫌だったから。
 ジッパーを閉める。そしてシャベルを地面に突き立てた。

  ***

 彼と出会ったのは些細な偶然が積み重なったからだった。市場でいつもの癖で多い荷物を一度で運ぼうとよたよた歩いていたら、うっかり石畳の隙間に足を引っ掛けて転んだとき、たまたま助けてくれたのが彼だったこと。毎週礼拝に行く教会に牧師として彼が勤めていたこと。職場である宿屋の主人とその教会の牧師が個人的な友人だったらしく、そこでまた顔を合わせたこと。後は、わたしが宿屋の裏で鶏を絞めていたところに鉢合わせたこと。
 そういう偶然の積み重ねでわたしと彼の関係ができた。
 関係性の名前を、わたしも彼も態々口にしなかった。言葉にしないことで、オブラートみたいな薄い膜を張り巡らせて曖昧にしていた。
 彼は穏やかそうにゆったりと話す人だった。近所の評判も、「穏やかな好青年」で「真面目で聖書に詳しい牧師さん」だった。実際、穏やかな一面もあったと思う。年上だったけれど親愛を込めて、くん付けで呼んでも笑って受け入れてくれたから。
 でもその穏やかさが彼の一番の本質ではないと気がついたのは、さして遅くはなかった。
 例えば、何時も漂う煙草の匂い。日から逃げるように路地で煙草を吸っているところを見た。例えば、ふとした折にまろび出る目つきの鋭さと悪態。快晴の日に出る睨みと悪態はきっと太陽を憎んでいた。例えば、ちょっとした手遊び。パン屋ではトングで周りを威嚇しては、はっとしてそれをぎゅっと握りしめていた。あとは、言葉が声になって出てくるまでの長い間。恐らくずっと言葉を選んでいた。光への呪詛はすんなり吐き出していたから。
 方々のズレに気がつけば、説教として神の愛を語るとき、眉間に皺を寄せて嘆くように深く息を吐く訳も、牧師なのに聖書を「あれ」と呼ぶのも、ちょっとだけ手を離すときそれを放り投げるのも、すぐに合点がいった。
 彼は神様を信じていなかった。牧師として働くのにも関わらず、微塵も信じていなかった。
 所詮それだけのことだった。
 それでも彼は、それを必死に覆い隠そうとする人だった。彼にとっては重大な問題だったのだろう。
 義理に生きる人だった。話せば存外わかることだった。
 とにかく不器用な人だった。わたしはそう思った。後ろめたさから全て胸中に抱えてしまうような。他人にその重荷を分けないような。そういう、穏やかな人だった。
 彼の穏やかな不均衡に気がつけば気がつくほど、次第にそういう所に踏み込みたくなった。踏み込ませてほしかった。頭の中が彼でいっぱいになっていた。
 けれど、どうすれば重荷を分けてもらえるのか、わたしにはわからなかった。ただ私生活の時間で談笑したり、隣町まで出かけたり、やっぱり偶然ばたりと路地で会ったり、二人になることは不思議と人より多かったのに、何時も核心に触れる機会を逃して足踏みするばかりで、情けなかった。
 その結果、こうして墓穴を掘っているのでは詮無いことだ。
 怠惰は、罪だ。ぐずついて善行をなせない罪を漸く理解した。
 全て神様の思し召しだったのだろうか。裁きであったのか。かつて泥でできていた人間にわかることではなかったけれど、でもわたしはきっとその通りなのだと思った。
 いや、きっとそう信じていた。信じることが大事だと信じているからそうした。
 教会が燃えた。
 昨日のことだった。昨日の未明のことだったらしい。放火らしかった。教会を代表していた牧師が亡くなったそうだ。
 その人は彼の育ての親に当たる人だった。
 始めは放火魔かと思った。ゴミ捨て場のボヤ騒ぎがこの頃流行っていたから。
 彼も殆ど教会に住んでいるようなものだったから心配で連絡を取ろうとした。
 でも繋がらなかった。電話の呼び鈴だけが鳴り続けていた。
 いよいよ不安になって、でも部外者だから続報を誰より早く知る術はなく、宿屋のテレビやラジオの前で、心ここにあらずの醜態で待つことしかできなかった。
 そして夕方のニュースで、速報と物々しい様子で取り上げられた。
 曰く、死体は一つで彼の育ての親である、と。
 曰く、彼自身は消息不明である、と。
 曰く、警察は彼の消息を辿る方針である、と。
 これではまるで。まるで容疑者ではないか、と、思った。
 同時に、高く高く積もり過ぎた不安に激しい動揺が加わると、一周回って冷静になるものなのか、と他人事みたいに思う。だから、ちゃんと彼が一人になりたいとき行く場所を思い出せた。町の外れの山の麓、しかも森の中の誰が所有しているかもわからない、暫く人の手が入っていない小さな物置だ。こっそりそこを教えてもらって、そして持ち主が来たら怒られちゃうね、と朗らかに笑い合った。
 陽だまりのように穏やかな記憶に胸が詰まる。
 同時に、そこに行かなければならないのだ、と思った。きっと思し召しだった。
 誰の。神様、だったのだろうか。恩寵であったのだろうか。誰への恩寵だったのだろう。わたしか、彼か、他の誰かか。知る術はなかった。知る由もないと思った。唯一の縁がぷつりと切れる、そんな音が耳の奥でした。
 ガツン、とシャベルが騒いだ。固い感触がある。じっと目を凝らせば、少し大きな石が埋まっていた。その縁に狙いをつけ、シャベルのへりを蹴飛ばす。穴を掘るコツが漸く掴めてきた。
 何にせよわたしに罪があることは間違いなかった。確信していた。変な使命感も降りてきたのだから、やはり平静ではなかったのかもしれない。
 宿屋の仕事を抜け出して、すぐにでも飛び出したかったが、そうする訳にはいかなかった。客が妙に多かった日だったから。働いている以上は最後までちゃんと勤めを果たさなければならなかった。憔悴していたのは宿屋の主人も一緒だった。友人を亡くして、友人が実の息子みたいに大事にしていた、そして自分も同じように愛した人が犯人扱いされていたのだから。それでもその人は粛々と働いていた。
 わたしもそうすべきなのだろう、と思った。宿の主人もわたしも動揺していてはいけなかった。
 相手にするのはわたし達の焦りとは全く無関係な人ばかりだし、だからと言って彼らに罪がある訳もない。
 だからいつも通りに働いた。
 これだけは、間違っていなかったと今も信じている。
 仕事が終わって、日もすっかり沈んだ夜中、実家を出るときに使った大きな黒いバッグをクローゼットの奥から引っ張り出して、少しきつくなっていた手袋をして外に出た。散歩には多すぎる荷物だったが、持って行かなければ、と何かが囁いていた。
 畢竟、嫌な直感があった。
 せかせかと、仕事に奔走しているときよりもずっと早足で、タイルの道をまっすぐ進んだ。誰ともすれ違うことはなかった。すれ違ったら、多分秘密の場所に行くのを止めていたから幸運だった。路地裏から覗く目があったかは知らない。目の前にさえ現れないのなら、どうでも良かった。傲慢な考えだ、と自嘲する。
 そうして街を抜け、建物が減ると同時に自然が増え、とうとう自然しかない場所の真っ暗な入口に立ったとき、目的地に着いた。静かだった。町でさえ人の気配がないのだから山の麓となれば当然だった。物置小屋へ向かう。
 木製の扉がやけに物々しかった。急に心臓がばくばくと耳に響く。
 扉が隔てている。彼の居場所と、わたしがいる場所を。これが境界なのだ。きっとそうだった。わたしと彼の前に、ずっとあったものだった。ドアノブに手をかけるのも憚られる。扉の向こうに何があるのか。耳をそばだててみても良くわからなかった。自分の心臓の音でかき消されるから。彼がいるのか、いないのか、わからない。境界を越えていいのかわからない。
 ドアノブの前をうろつく手を引っ込めて、一歩後ずさる。
 わっと強い風が吹いた。一瞬。何か、大きい生き物が脇腹に突っ込んできたのかと思った。ふらついた体を片足で支えきれなくて、目の前のドアノブを掴んだ。拍子に少しだけそれが回った。少し捻れば簡単に開く扉だった。
 思わず、あっと声を上げた。
 全部、それだけのことだった。
 委縮してばかりじゃいつも通りだと、自分に言い聞かせた。
 見ないことには、何もわからない。扉の先にいなかったら仕方がない。いたら、その時どうすればいいか考えればいい。場当たり的だけれど、元々の動機だってそんなものだった。そうと気がつけば、深呼吸をする。ドアノブに震える手をかけて、開く。キイ、とドアが軋んだ。
 真っ暗だった。
 キシ、キシ、と音が反復していた。
 その中央に目を凝らした。
 果たして、宙に浮いた両足を見る。自然法則に従って、不自然に揺れていた。
 ショックはなかった。
 やっぱりな、と思う自分がいた。胃に蟠る靄を、ふうと吐く息に乗せた。聖書の裏切り者の末路と、そっくりだとも思った。彼は不信心が故に、ずっと育ての父を裏切っていると思い込んでいたから。神様は彼を罪人とするのだろう。でも、きっと祈られるのだ。彼の父は彼の隠し事をちゃんと知っていた。知った上で、彼が望んだ通りに側に置いていた。牧師でいようとしたのは、牧師であり続けなければ恩を返せないと考えた彼自身の意思だった。父の聡さを、彼は知らなかったのだろうか。きっとそんなことはない。彼の父親代わりがそんな度量の狭い人間ではないと、彼自身が一番知っていた筈だ。最近は、それとなく牧師以外の道を用意しているみたいだと、世話焼きだよねと笑ったのは、他でもない。今、ここで、地面から足を離したままの彼だった。
 だから、導き出せる答えは一つになっていく。
 彼は全て知っていたから、こんな自分への暴力すら犯したのだろうか。
 首に輪を通した彼をじっと見つめていたけれど、答えは返ってこなかった。
 ひゅうと冷たい隙間風が吹いて、我に返った。
 とにかく通報してあげなきゃな、と辺りを見回すと、部屋の隅でひっそりと存在を主張する大きなシャベルが目についた。この時、何を考えたかはわからない。気がついたら手を伸ばしていた。伸びていたのだから、もう、なるようにしかならなかった。
 宙ぶらりんの彼を地に下ろす。息と脈を確認する。資格がないと判断してはいけないのだったか。ぼんやり常識を反芻しながら、何もない、生きてはいないと結論付ける。最早躊躇うことなくバッグに詰める。すっぽりと収まった様に大した容量があるものだと感心した。シャベルを背負って、彼を担ぐ。重たい、とは感じた。でも平気で持って歩くことはできた。今思うに尋常でない重量だった筈だが、案外動けた。火事場の馬鹿力というものか。真っ暗な山の方へと入っていった。
 そして現在に至る。
 穴が出来ていた。それなりに深い墓穴だった。そこに袋を置いた。そして掘り起こした土を、今度は袋の上にかけていく。土をかけて、埋め切ってしまえばもう二度と会えないのだと今更痛感する。地上と地下で完全に、完璧に分け隔てられる。その上、山と街で遠く離れてしまう。そうしたら、もう二度と会うことはない。がむしゃらに登ってきたものだから道など覚えていなかった。それに、きっとわたしが見つけるより先に、警察が見つける筈だ。
 もう駄目だった。目頭が熱くなる。もう、やりたくなかった。でも手は止まらない。それはそうだ。
 やると決めたからには完遂するしかない。これしか、餞にならない。思考はぐちゃぐちゃのまま体は惰性で動く。チグハグだった。
 もっと早く、仕事なんか中断して行けば良かったと後悔する。間違っていなくても後悔は募るものだと、反芻した。どれもこれも、わたしの家族への他ならないわたしの早計と結果から何も学ばなかった、わたしの責任だった。
 怠惰は本当に、罪だ。
 もっと早く彼の秘密に乗り込んでいたら、教会も何もかも灰にならなかったのかもしれない。これは希望的観測が過ぎるかもしれないけれど、でも後悔は貪欲に、傲慢に、最善ではなく最高を望むものでしょう。
 それか、弁えて最善を言うならば。
 到着が早かったのなら、きっと介錯ぐらいできた。
 調理師としての仕事を重ねる内、屠殺が得意になったわたしが、なすべき善をなせないわたしが、ここまで来た彼にできる最善はきっとこれだった。
 罪を負って生きていけるほど彼は図太くない。
 そういう穏やかな所が好きだった。だから、せめて共犯者になりたかった。同じだけの、あるいはもっと重い荷を背負いたかった。それぐらいの罪は、既に罪深かったわたしならそれなりに背負える自信があった。
 ちょっと早く外に出れば良かったのだ。仕事が終わってから、すぐにでも飛び出して行くべきだった。
 深夜まで待つ必要はなかったのだ。
 どれだけ嘆いてみても、何もかも後の祭りだった。
 最後の一杯の土をかけて、ぱんぱんとシャベルの底で叩く。草は禿げたが、概ね来た時と遜色ない形にはなった。どのみち、発覚するのも時間の問題であるだろうから、何でも良かったのだけれど。
 これからどうしようか、と考える。捜査の攪乱であるし、そもそも死体遺棄の罪そのものだ。それでも彼が負った罪に及ばないのが、歯痒かった。はあ、と息を吐き、空を見上げる。
 日は未だ昇らず、烏がけたたましく鳴いていた。
 存外夜は長いらしい。