新しい住人スカウト出来た嬉しさから急転直下、丸一日連絡しなかった私は予想通りツヅミにこっぴどく叱られた。カンカンもカンカン。正座をキープしてぺしょぺしょ泣いて謝ってもツヅミと不機嫌を隠さない有希がヒートアップし続け、何なら他の住人達も来るやツヅミ達に加勢して悉く「反省シろ」「心配しマした」「お願い無茶しナいで」と一言二言三言…、切々と言ってくる。
せめてもの救いは今回私の頭をぶん殴って操っていたオバケが仲裁に入り皆の溜飲を下げてくれた事。
教科書の手本になるくらい綺麗な姿勢で木彫り面を被ったオバケが深々土下座をする光景にあれだけ騒いでいた住人達が一様に目を合わせるや何か懐かしむように表情を和らげ次々に「気にスンナ」「大丈夫」「ようこそ東雲マンションへ」と労いの言葉をかけポンっと肩を叩く始末。おい、私は無視か、おい。
ぞろぞろ404号室を後にするアイツらを見送った後、腹の虫が豪快に鳴いた。そういや丸一日飯食ってなかったんだっけ。
「ツヅミィ~、腹減ったあ。晩ご飯な~に~?」
「東雲さんの晩ご飯は抜きです」
衝撃が雷となって全身を駆け巡った。
腹を擦って一日ぶりの飯に想いを馳せるのも駄目なんか。んな殺生なァ。
素っ気ない態度で顔を逸らすツヅミに泣きつく寸前に聞こえた「もう一人、お礼を言いに行かないといけない方いますよね。そちらで晩ご飯いただけばいいんじゃないですか」に伸ばしていた手が空中で停止する。
背を向けたまま格子戸を閉めるツヅミに私は後頭部を掻き、スカジャンの右ポケットに手を突っ込んで目当ての物をきゅっと握りしめた。
やや黄ばんだインターホンのボタンを押す。あまり待たずに101号室の玄関扉が開いた。
まるで来るのを分かっていたみたいな速さに少しだけ顔が和らぎ、住人達が押し寄せてきた時にいなかったカミキリさんの姿を見て胸の奥に安堵感が満ちる。
「おかえり、大家サん」
「ン」
屈託のない幼い笑顔が放つ言葉のむず痒さに頬を掻き「晩ご飯抜きにされちまってさ。悪いんだけど、何か食わせてくんね?」と何とも情けない建前を頼み込む。程なくして部屋主の許可が下り、部屋に上がって晩ご飯を馳走になった。
「んめぇ~。五臓六腑に染み渡るゥ~」
丸一日ぶりの食事は、私が思っていた以上に体が欲していたらしい。塩味が絶妙な銀鱈の西京焼きでご飯三杯をぺろりと平らげた。正直玄関が開いた時点で部屋からほんのり漂ういい匂いに生唾を飲んでいたのは秘密だ。
あっという間にご飯粒ひとつ残さず食べ満腹になった腹を擦っていれば茶柱が立っている湯飲みが目の前に置かれた。
「ごちそうさま」
「お粗末様」
熱い茶を啜っている間に私が食べ終えた食器を片すカミキリさん。台所に立ち食器を洗う背中を横目で眺め、波紋が落ち着きだした緑色の水面を見下ろした。
「──今日はサンキューな。カミキリさんのお陰で助かった」
スカジャン右ポケットに入れているお守りは、カミキリさんに貰った日から肌身離さず持ち歩いている。加護やご利益云々じゃない、カミキリさんの想いが込められたお守りはそれだけでかけがえのない大事なもんだ。
「薄っすらカミキリさんの声聞こえてさ…、戻って、帰って来れた。…本当にありがとう……」
「東雲さん」
意識をお守りから涼やかな声がする方へ引き上げ辿る。いつの間にか隣に正座で座って見上げてくるカミキリさんの大きくて丸っこい瞳の中に大人として情けない顔をした自分が映り込んでいた。
「おかえり」
「──ッ、ただいま」
気恥ずかしい気持ちが消えたわけじゃない。それでも、笑って返すべき言葉だろって思っただけ。
視界が歪み揺れた先、殊更朗らかに柔らかく微笑むカミキリさんに目元を乱暴に拭ってニカっと笑った。
「んじゃ。そろそろお暇せんと、……お?」
片膝を立て腰を上げた筈なのに体勢が崩れ世界が回る。倒れかけた私の体をそっと小柄な体で受け止めたカミキリさんの気遣った声が耳元で囁かれる。
「無理しないデ。邪気そんなに入ってなイけど、一晩は僕の傍にイテ」
「一晩って…。ツヅミに言わないとまた怒られ」
「管理人さン連絡済み」
ドヤ顔でスマホを見せてくるので画面を覗き込むと、確かにツヅミとカミキリさんの間でメッセを交わしていた。画面の最後「よろしくお願いいたします」の文字に私は乾いた笑い声を零す。
眩暈が収まってカミキリさんに寄り掛かっていた体を起こした。にしても泊まるって言ったって着替えはどうすっか、なんてこちらの考えなぞお見通しらしく若干浮足立ったカミキリさんが着替えらしき物持って来た。
「これ着替え」
カミキリさんにしては珍しい黒のデザインTシャツとカーキ色のハーパンを渡された。今どきオーバーサイズなんて珍しくない。だが、カミキリさんにとって些かでかく私にしてみりゃピッタリサイズで、真新しいそれは一回も袖を通した形跡はない──、まっ変に詮索しない方がお互いのためだ。
「ありがたく借りるわ」
触り心地のいい白い癖っ毛を撫でた後風呂を頂戴した。
ひとっ風呂浴びてさっぱりさっぱり。借りた着替えに身を包み適当に髪をタオルで拭き風呂場から出れば髪を下ろしているカミキリさんに手招きされるまま座布団に着陸。心なしか楽しそうな面持ちで後ろに回り込んだカミキリさんにフフッと笑いが零れちまう。
肩に掛けていたタオルで髪を優しく拭かれ、ドライヤーまで掛けてもらい、丁寧に髪を櫛で梳いてくれる。まさに至れり尽くせり。気の張りが解け梳かれる手付きに瞼が重くなって欠伸をくわぁと大口を開けひとつする。
「寝る?」
「…ン」
「おいで」
子供なのにしっかりした手に引かれ腰を上げた。トテトテ歩き眠たい目を擦って見た先にある一人用布団。
そういや邪気そんなに入ってないってカミキリさん言ってたけどどうすんだ。とっくに閉店ガラガラしている思考のシャッターを力なく叩く前に、カミキリさんに誘われ二人揃って向かい合うかたちで布団に潜り込んだ。
「(ぶっちゃけ眠い…。でもなぁ~、ツヅミたちにしたような事されたら目、覚めちまうよなァ……)」
正直耳を触られるのは苦手だ。耳の縁を指先でなぞられたり、耳の中をこう…弄られるのは得意じゃない。ゾワゾワする。一回カミキリさんに耳掃除をしてもらって変な声を出しちまったのを思い出して顔が渋くなった。
そんな無意識に強張っていた私の緊張を解すようにカミキリさんの顔が雪の下から芽吹いた花のように綻び、私の頭を肉付きの薄い胸に閉じ込め抱き寄せる。
「管理人さん達みたいのはしないヨ」
見透かされた物言いに不快さはない。
殴られた後頭部を何度も労わり撫で擦る掌の優しさ。頭頂部に顔を埋めているのか頬擦りしているのか、髪の毛がわしゃわしゃ動いてこしょばゆい。
「こうシて…撫でて、ゆっくり清めル……」
緩く膝を曲げたカミキリさんの足が私の足に絡まり触れ温くなる。ぴっとり張り付く風呂上がりの剥き出しの素肌にやわっこい膝の裏、丸みを帯びたふくらはぎ、弧を描く足の甲がパズルみたいに器用に私の足に嵌まって擦り合わされ熱が混ざり溶け合う。
収まりの良い角度を探すべく少しだけ顔の向きを変えただけで私の肩と頭を抱き寄せる力が強まった。すっかり冷たさが消えたカミキリさんの体。紛れもなく温かい背中に手を添え私自身すり寄れば、頭頂部に何かを押し当ててくるのが伝わって来た。
何度も何度も静かな室内に小さな音が響き鼓膜を震わせる。
「(カミキリさんの鼓動──、私と同じ速さだ…)」
規則正しいゆったりとした寝かしつけるには持ってこいのリズム。
とうに限界を超えていた瞼の重みに抗う術はない。心安らぐ匂いに包まれ耳触りの良い心臓の音を子守唄に私は眠りの底に沈んだ。
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