選択肢の限定された大きさから周囲に違和感なく溶け込む素朴な色合い、石質まで趣味嗜好が凝らされた石畳が描く幾何学模様は、さぞ職人を泣かせたに違いあるまい。寸分の狂いなく敷き詰められた芸術作品が管理する者が暇をもらったが最後、僅かな隙間を目敏く見つけた逞しい植物たちがその生命力を遺憾なく発揮しているのは諸行無常と言わずになんと言おう。
風雨に曝され所々欠けている石畳と目地から生え揺れる草を踏めば、ジャリついた硬い感触とふかふかとした感触がすり減った靴底から同時に伝わってくる。履きなれたサンダルでカラコロ音を響かせ、水捌けの悪い土地対策で敷かれたであろう人工的に置かれた石畳の上を有難く道なりに添って進む。
等間隔で道の左右に植えられた木々を何んとなしに眺めているうちに焦げ茶色の幹に白い四角が貼られ始めた。
木の幹に巻かれた何かしらの注意書きの張り紙。風に吹かれ休む暇なくその身を幹に叩きつけ乾いた威嚇音を放つ。試しに近付き注意書き読んだところで、見事に黒い文字が滲み掠れ爛れては意味がなく、緑生い茂る夏の季節にはあまり見かけない赤や黄の色が塗られていたという情報しか得られない。
すっきりとしない分厚い雲に覆われている上に、石畳の道を覆うように左右の木々がお辞儀をするお陰で周囲は夕刻までまだ時間があるにもかかわらず薄暗く、夏の虫と秋の虫の共演も何処か余所余所しい。
──……ェ
突如鼓膜を控えめに震わす鈴を転がしたような声。今まで聞こえていた音が息絶え、しんと静まり返った周囲を見渡す前に視界端を鮮やかな蹴鞠が転がって来た。足元に転がって来た朱色を基調とする蹴鞠を片手で掴み、曲げていた腰を上げ転がって来た方角を目で追い掛ける。
霞が晴れ眼前に現れる昔はさぞ立派であっただろう片足を付きかけている門構えの奥から聞こえるこの場所には似つかわしくない子供の声。
苔むした柱の所々から生えている橙色の茸が彩度の低い世界によく映え、よっこいせと敷居を跨いだ東雲の目にこれまた古風で雅、一言で言えば雛人形の内裏様染みた和装に身を包んだ齢10にも満たない子供がこっちだよと手招いている。
一歩二歩と進むにつれて肌に纏わり付いていた湿り気が落とされ滲んでいた汗も引っ込んでいった。
ススキに瓦屋根を侵食され軒先に砕けた瓦が散乱する武家屋敷は如何にもな雰囲気が漂い、折れ朽ちている箇所を誤魔化そうと躍起になって黒く変色した柱や床に可愛らしい花が咲き乱れている。
自然に飲み込まれる寸前で耐え忍んでいる廃れた屋敷の前、足元に泥跳ねひとつもない真っ白な足袋と草履を履き昏い世界に不釣り合いな深雪の着物を纏う子供が歩み寄る東雲に合わせ首の角度を上げていく。
さらりと流れる濡羽色の髪は肩口で真一文字に切り揃えられ、象形文字とは違う独特の波打った文字が達筆る筆跡で書かれた草臥れた布で面貌を覆い隠す異質さを東雲は気にせず目線の高低差を無くす。
「ほいよ」
「アりがと」
土埃や落ち葉が積もった石畳の上を転がって来た汚れひとつない朱色の蹴鞠を一回り小さな手に渡すと、嬉しそうにぎゅっと抱き締める姿に東雲の口許に緩く弧が描かれる。
くるくる楽しげに袖に空気を含ませ東雲を中心に風車のように廻る子供から意識を周囲に向けるが如何見てもこの子以外の気配はない。十中八九この大きくて広い屋敷に一人きり。しかも、人ではない雰囲気に笑みが自然と深くなってしまう。
「広い間取りの家は掃除が大変でしょ? 結構年季入っててボロボロだし、よかったらウチに住まない?」
不意に東雲に背を向け止まった子供の首が金属同士が擦れあう鈍い音をさせ振り返る。梟の首の如く不規則に忙しなく角度を変え仰ぎ見る子供の顔を隠している草臥れた布が靡き重苦しい穢れが地面にポツリポツリ降り積もり黴臭い匂いを撒き散らす。
──顔、繝溘ち繧、 ?
布の所為で子供の表情は窺い知れない。硝子を引っ掻く不快な声で子供がくすくす嗤い、勿体ぶった手付きで布の端を持って捲り上げる仕草に東雲はしゃがみ込み膝の上に頬杖をついた。やわく丸めた指の背にまろい頬が乗せられむにゅりとかたちを変え、上目遣いで見上げる夜明けを告げる瞳は何処までも直向きだった。
「どっちでも。見せたきゃ見せればいいし、見せたくないなら別に。無理強いはしねェよ」
「・・・面白いヒト」
立ち込めていた穢れが和らぎ布の端を掴んでいた小さな手が代わりと云わんばかりに東雲の手を掴み立って立ってと急かした。布で遮られても分かるほど、無垢な顔を向ける子供に警戒心を抱かない。もっとも東雲は、こと不思議現象に遭遇しても警戒心事態を抱く事は無い。
キュッと繋がれた手に引かれ小柄な背中のあとを大人しく付いて行く。
「あのね、俺、ココに繋がレテ何処にも行けなイ」
「そうなん?」
「だから代わりニ掘り起こシテ」
「なにを?」
廃墟と化した屋敷の周りを歩いているうちに、目的の場所に着いたのか子供が立ち止まり少しばかり離れた場所を指差す。老いた巨木の太い根が地面を波打たせ、その根元に人の頭大の石が不自然に置かれていた。一目でわかる人為的に置かれた形跡。屋敷まで伸びていた石畳と同じくらい風格が滲んでいるのにもかかわらず苔ひとつ生えていない不自然さは、石を中心に苔むしている地面や木の幹を見ても明らかだった。
早速石に近付こうと一歩踏み出すや否や、くんっと手を後方に引っ張られた。首だけ捻って手を引っ張った子供を見下ろせば、懸命に腕を伸ばし抱っこをせがむ。長く垂れた袖が白く波打ち、袖から伸びる幼い手がピンっと健気に指を真直ぐ伸ばしていた。
「そこまで歩けナい」
んっんっ、と大人に甘える子供らしい仕草に肩で溜息を吐き、その小柄な体を抱きかかえるも思っていた以上に軽すぎる子供の体重に危うくひっくり返るのを右足を後ろに出して持ち堪えた。子供との距離が物理的に狭まった所為か、鼻腔を擽る水分が抜け落ち枯れ果てた花の香りが肺の奥に溜まる。嗅いだことのない古めかしい香りが抱えている子供、そして、石の下からも強く立ち昇っているのを気が付くのにそう時間は掛からなかった。
静かに子供を下ろし石を両手で掴み持ち上げた瞬間、今度は耐え切れずに東雲は尻餅をついた。この程度の石であれば、大体この位の重さという予想を遥かに超えた軽さ。中身の入っていない木箱の蓋を開けるよりも軽すぎる石に目を白黒させている東雲を見て子供が楽しげに笑う。如何にも恰好が付かない姿を見せてしまい少しばかり照れるのも程々に、適当に落ちていた太めの枝を拾い湿り気を帯びている地面を抉る。
末広がりに伸びている根は、器用に石が置かれていた場所だけ避けているらしく心もとない枝でも容易に掘り進み、指の第二関節程の深さで枝の先が固い何かを引っ掻いた。幸い手で掘れる柔らかな土だったので東雲は手が汚れるのも厭わず、手で掘り進めれば子供の顔を覆い隠している布に書かれた文字と似たようなものが書かれた札がびっしり貼られている小さな葛籠が地面から顔を覗かせる。
「髢九¢縺ヲ 」
抑揚のない声音は昏く重く、熱を帯びていない。その様子を横目でチラリ見遣ったあと、土で汚れた手で中々開かない蓋をガタガタさせ漸く開けた。
刹那、周囲に広がる濃い枯れ果てた花の香り。大きく吸い込む前に開けた蓋越しに東雲が中身を覗き込んだ。
果たして、其処に収められていたのは先端が五つに分かれた鬆だらけの乾ききった細長い木片のようなものだった。白蟻に喰われた柱に酷似する其れを凝視していると、横から子供の手がにゅっと伸びその木片を持ち上げ愛おしげに抱き締めた。
「 縺翫°縺医j縲∽ソコ縺ョ蜿ウ謇�」
抱き締めている木片が煙のように輪郭を曖昧にさせ子供の体に吸い込まれる光景を東雲は何んとなしに眺め、開けたら閉めるをモットーに札だらけの葛籠を閉めていれば、不意に吐息交じりの子供の声が頭蓋奥に注ぎ込まれる。
──怖くナった? 逃げ出したくナった?
何重にも重なった不気味な声音。肩に手を添え耳元で囁く子供に東雲の眉間に思いきり渓谷が刻み込まれた。
「お前なァ、掘ってほしいんならそういうの止めた方がいいぜ」
半分瞼に隠した目でジトり睨む東雲に暫し面食らった子供が俯き布越しに上目遣いで頷いた。試し行為か、はたまた怖がらせたい気持ちが上回ってしまったのか定かではない。胸の前で手をもぞもぞさせ反省しきりな態度で小さな謝罪の言葉を紡ぐ子供に東雲は柔和に微笑み立ち上がって腰をググっと反らした。
この様子だとまだ埋まっているのがありそうだ。もうひと踏ん張りすべく首を鳴らして腕を回していれば、子供が再び抱っこをせがんだ。
「汚れちまうぞ」
「イイ。俺、お前にナラ汚されてもイイ」
「んだそれ」
白すぎる恰好を土で汚す申し訳なさ。ただ相手が所望しているのなら致し方無し。爪の中まで土塗れな手で白い着物に触れれば案の定くすんだ土の色が白い布地を侵食する。折角のおべべが台無しだという東雲の気持ちを余所に子供は汚れるのも厭わずに東雲に抱き着き離れない。首元に腕を巻きつけ、腰元に足を絡みつかせ──、ほんの少しだけ体を離した。
「・・・お前、女か?」
「あ゛? どっからどう見ても女だろうがっ! それとも何だ男の方が良かったって言いてェのか? あ~ん!?」
「そんナことない。男でも平気だケど女の方がやり易くてイイ」
「何か引っ掛かる言い方すんなテメェ…」
何処か釈然としない。しかしながら子供を繋ぎ止めているもの全てを掘り起こせばマンションに入居してくれるのも夢じゃない。そう自分に言い聞かせた東雲は残り三か所に埋まっていた葛籠全てを掘り返した。
最後のひとつを掘り終えたのと同時に今まで持っていた武家屋敷が掠れた断末魔を上げ崩れ落ちた。舞い上がる埃に咽て顔の前で手扇する東雲の耳に嬉しい気持ちが抑えきれないといった様子で子供が金切り声ではしゃぎ事の顛末を自慢するように語り出す。
ここの家の奴、はじめ沢山持成してくれた
童と一緒に遊べて楽しかった
童と遊ぶ、一番好き楽しい
だけど、欲に溺れ始めたお陰で居心地悪くなった
俺、出て行くって言ったら
俺の両手足斬り落とされ屋敷の四隅に埋められた
掘り起こしたくても石と札が邪魔して近付けない
痛かった
苦しかった
助けてほしかった
でも、一緒に遊んでいた童は俺を助けてくれない
童大きくなって、俺の力を啜るだけの憎い存在になった
それがながいながい間、続いた
許せなかった
だから、俺、この家の奴ら祟った
お前らだけ笑っているの許せない
お前らだけ幸せなのユルせない
憎い憎い憎い嫌い嫌いきらいキライ
縺ァ繧ゅ∫ォ・縺ィ荳邱偵↓驕翫s縺�譌・縲�、ァ螂ス縺阪□縺」縺�
たくさんたくさん祟って呪った
そのうち誰もいなくなって俺だけ残った
ここから離れたいのに両手足がなくて、この屋敷から出れなかった
ずっと一人で遊んでた
それがやっと出られる
お前のお陰
嬉しい
楽しい
心がずっと踊ってる
「ふむふむ。子供と遊ぶのが好き、っと──。んじゃシッターやってるバイト先紹介するわ」
重苦しい空気を難なく飛ばす薫風。要点を掻い摘むどころか最初の方しか聞いていない素振りに子供はへそを曲げるかと思えばそうでもない。半壊した鹿威しの水で土汚れを落として軽く振い水気を飛ばした東雲の手を幼い両手が包み込む。
「お前の家に住めルなら何だってシテやる」
「いいねいいね。今残ってる空き部屋、」
「お前が住ンでる部屋がイい」
「ウチ~? 同居したいってか。んーっ、ちょっと考えさせてくれ」
渋い顔してあーでもないこーでもないと唸りに唸る。そもそも404号室に同居するというのを東雲一人で勝手に決められやしない。なにせ既に同居人に近しい人物と一緒に過ごしているからだ。
何かいい案がないものかと思索に耽れば他が疎かになるのは世の常。意識の殆どを打開策を探すのに注ぎ、足は勝手にマンションへ迷わず進み、抱っこしろと駄々を捏ねる子供に生返事をして特に考えず抱きかかえる。
そして、熟れ過ぎた果実のような噎せ返るほど甘ったるく爛れた子供の範疇を飛び越え熱を帯びた生々しい事を耳元で囁かれようが、上の空で右から左に聞き流しては意味がない。寧ろこそばゆい鬱陶しさから東雲は無意識に顔を顰める。
えっちらおっちら。やっとこさマンションに帰って来た東雲が一息つき、履き慣れたサンダルでマンション敷地内に踏み込むや否や目を限界まで見開き瞳孔を窄めたカミキリが音もなく突如目の前に現れた。
「…!!」
一瞬カミキリが狼狽えるも、すぐさま右掌から折れた刀身を伸ばし身構える張り詰めた緊張感に東雲の浮かんでいた意識が地に着き、随分と軽い挨拶を交わす。
「よっ、カミキリさん。こちら新しく入居予定の、えー……名前なんていうの?」
嘔吐きたくなるくらいの濃い穢れを放つ子供を抱く東雲は穢れそのものを感じ取れずあっけらかんとした態度を貫き、穢れを放っている張本人は知っているようで布越しに見えぬ顔を笑みで歪ませる。
もう成長しない親指で東雲の下唇に触れ内側を捲るようにやわく引っ張り、まるでカミキリに見せつけるように布に隠された顔をギリギリまで寄せ顰めた声で囁いた。
──お前が名付けテ
尋常じゃない濃度の穢れを口腔内に吸い込み肺が鉛を埋められたように重たい。じくじく痛み出す頭とふら付く視界。何処か他人事みたいに思えてしまう感覚を抱きかかえていた子供を下ろして誤魔化した。
されど、無駄だと嘲笑うかの如く東雲の意識を混濁させる枯れた花の香りを澄み切った清涼な風が押し退ける。
「邪魔シナいで、神サマ」
忌々しさを隠さないで唾棄する子供が纏う穢れは一層濃く澱み、それに中てられ昏倒一歩手前の東雲は背を丸め痛む額と違和感を孕んだ下腹を押さえ呻き、苛烈な感情を普段表に出さないカミキリの瞳が憤怒に彩られ同調するように白髪が畏怖の光を放っていた。
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