まよこ
2024-10-10 18:03:36
1504文字
Public 神田
 

飛ぶ首

1500字程度
登場人物: 神田。昭和初期の極道

「ろくろっ首がでるんだとよ」
 あんたは見たことあるか?と何も映していない真っ黒な瞳を細めて、神田はそういった。たしかに最近店の女の子達の間で、そうした噂話が流行っているのを聞いた。なんでも深夜、空を見上げるとふらふらと女の首が白い尾を引いて飛んでいるのだと。その茫洋とした瞳はどこを見ているともしれない。おかげで、客足が遠のいているとも。
 この神田という男は、顔の半分が焼けたように爛れたみるからのヤクザものだ。時折、取り巻きを何人か連れて、あるいは一人でふらりと店にやってくる。話してみると存外気安く、店の従業員達とも悪くない間柄ではある。とはいえ、ヤクザはヤクザ。ここに来る目的は、女を売り買いしているこの店の経営者にいざこざを解決する代わりの金銭の要求だ。たしかに居るだけで面倒な客は寄り付かないけれど。

 窓辺に背を預ける神田に、あたしは何も見ちゃいないよ、と酒をつぐ。今日の集金は終わったであろうに、なぜか帰らずそのまま部屋に呼ばれ、適当に酌をしていれば、ろくろっ首ときたもんだ。怪談話が好きなのだろうか。開かれた窓から、涼しい夜風がはいってくる。そろそろ夏も終わるのだろう。
「夜に見るのは妙な夢ばかり」
 欠けた月を眺めていた目線がこちらを向いて、話を先に促すのをかわすように寄りかかれば、抱かれたいのかと細めた目で冗談とも本気ともつかない口調で笑う。
「そーいうのは仕事だけでいいのかと思ってたぜ」
「それもそうなんだけれどね」
 どうせ買う客も居やしないと珍しく自分から誘った。客でもないとわかりやすい反応もしなかったが見た目と裏腹にずいぶん優しく触れるものだし、要望もなくまわす気もいらないと楽なものだ。金で人を買うのはこういう感じなのだろうかと思い相手を見れば、夜より深いその瞳がやはり何も見ていない。この男にしてみれば、商売道具の具合を見ている程度なのだろうと思い目を閉じた。

 それは、昔からよく見る夢。
 自分は夜空に浮いていて、幼い頃に駆け回った山を見下ろしている。懐かしいような、もうずいぶんと見慣れない景色に変わってしまった故郷を眺める。売られたのはいつだったか。それから点々と様々な店を渡り歩いた。売れるものは身ひとつだった。夢の中ではいつも走馬灯のごとく、今まで生きてきた道をたどっている。そうして、今いる部屋へと戻り、目がさめるのだ。欠けた月があがる夜空に、ぱらぱらと光る星が散らばっている。見下ろす街は、まばらに明るい。
 自由に飛び回れる時間はわずか。するすると何かに繋がれているように引き戻されていく。
 現実でもどこにも行けやしないが。

「どこぞ行きたいところでもあるのか?」
 聞いた声がした。窓縁に肘を付き、こちらを眺める男が言う。
「どこにも行けやしないと思うが」
 星一つない夜空が細まって知ったようなことを言う。どこにも行けなくたって、ここじゃなければどこでもいい。
 言ったのだったか。思っただけだったか。
「そうか。だったら」
 切ってやろうかと首筋を撫でるので、一つうなずいた。

 それから私はどこへなりと自由に飛んで戻らない。


 ある売春宿で、首のない女の死体が見つかった。その店の人間がひとり減っているのは確かで、消去法で行けば誰が居なくなったか分かるだろうが、一体居なくなったのがどこ誰だったか、誰も見当がつかなかったそうだ。近頃、女の首が飛んでいると妙な噂のあった店だったもので、その女の首は飛んで出ていき帰ってこなかったのだろうと囁かれた。遺体は近くの寺で葬られたという。
 以来、空を飛ぶ女の首の話は聞かない。