まよこ
2024-10-10 17:57:11
4047文字
Public 菅野
 

恋じゃない

4000字程度。 痛そうな表現があります。
登場人物  菅野。泥棒

俺は今、恋をしているのだと思う。おそらく。
そいつは同じ大学に通っている。
固定のグループにいるわけではないが何処に行ってもそれなりに溶け込むタイプで、大学の近所にある一人暮らしのアパートはよくたまり場になっている。
気にかけている相手の名前は菅野京平。
特筆すべき特徴のない男だが、俺にとっては興味をひかれる特別な存在だ。
……
いやまさか、と自分でも自分の気持ちにかけた疑いを拭いきれてはいない。

はじめて菅野を見かけたのは、階段の下で蹲っているところだった。そこは大学内でも有名な”出る”と噂のある曰くつきの場所。なんでもその昔、痴情のもつれで突き落とされた女だか男が誰でもいいから道連れにしようとしている……という大雑把な、学生の暇つぶしのような噂が流れていた。
そんな曰くのある階段の一番下で、菅野は投げ出された半身を起こし痛む足を押さえていた。落ちたのかと気にとめ声をかけようとした時、半袖から覗く腕に痛々しい青あざとできたばかりの血がにじむ擦り傷が見えた。眉を寄せた目が痛みに潤んでいる。瞬きの一つでもすれば涙がこぼれ落ちてきそうだ。耐えるように引き結ばれた口元が震えている。小さく開けられた口がゆっくりと息を吐く。伏せられた瞼から案じたように頬を一筋流れるものがある。ようやく視線に気づいたようで、菅野はこちらを見上げた。取り繕うことのない無防備な表情にどきりと、胸が高鳴る。今まで付き合ってきたどの女の子相手にも、これほどどきどきとした気持ちにはならなかった。見られた失態を誤魔化すかのように目をそらし「なんだよ」と、ぶっきらぼうにつぶやく声がした。
同学年であるという以外特に接点もなかった俺達はこうして知り合った。やはり上から転げ落ちたらしい足はすぐに歩くことが出来ず、俺は菅野に肩を貸し保健室へと運び込んだ。しばらくは腫れも引かず動きにくそうにしていたので見かけては手を貸してやった。俺のことは良い奴くらいには記憶したようで、昼食なんかも共にするようになった。菅野の昼食は大抵菓子パンに缶コーヒーだけと不摂生この上ない。みかねて握り飯なりおかずなりを押し付ければ、貰えるものはもらう主義のようで怪訝そうにしながらも与えるものを食べていた。
「お前、ただ飯貰えると思ってそんなんばっか食ってんの?」
軽口を叩くと年齢の割に幼くみえる顔がいたずらっ子のような笑みを浮かべる。

「そーいや、なんであんなとこで転んでたのさ」
……あし、掴まれ……いや、足を踏み外しただけ」
あの時のことを冗談交じりに尋ねても不機嫌そうに言葉を切るので、詳細は聞かずにいる。
「怖い話とか好きなわけ?」
「は? 冗談。なんでそんな話になんだよ」
妙にむきになるのを不思議に思いながら例の階段の怪談について話せば、苦虫を噛みつぶした表情をみせる。
「はーん。さては知らなかったな? そういうの苦手?」
「死んでも他人に迷惑かける存在とかクソ」
にやにやとせっつけば、思いがけず強い否定が帰ってくる。
「まー、俺も別にそんな好きじゃないけどねえ。わざわざ怖いものを体験したいとかいう気持ちもよくわからんし。ホラー系の映画も全然。金と時間をかけてわざわざ怖いもの見たいやつ気が知れない」
肩をすくめれば、にやっとした子供っぽい笑いが返ってくる。こうして取り留めのない会話をしてる分には、なんということもなく気の合う友人だと思える。
時々こいつを見ていると鼓動が高鳴ることを除けば、なんだけど。

菅野は、運がないのかもしれない。彼はどうしたわけか怪我を負うことが多い。そのたび理由を尋ねれば、例の仏頂面で言葉を濁す。そうして何処かまだ幼さの残る顔を何かに耐えるように歪めている。その表情を見るたび胸はドキドキとはずみ、どこかいたたまれないような、ずっと見ていたくなるような心持ちになる。傍でみていて思ったが、菅野は自分から助けを求めるようなことをあまりしない。誰かが自分を助けてくれる、なんてことを最初から信じていないように。

その日は珍しく、菅野は教授から講義に使用した道具の片付けを頼まれていた。真面目ではないが自分によほど不利益がないのであれば頼みを断ることもない彼は、一人ではやや重そうな荷物を抱えていた。教授も急ぐ用があったとはいえ相手は誰でも良かったのだろうし、そういう時に限って近場に居てしまうのも運がないというものだ。
「全くついてないやつだな」
抱えたダンボールを運ぶ姿にからかうように声をかける。
「あの部屋、でるんだってよー。中にいることに気づかれず閉じ込められて、餓死した学生がいるんだとか」
「この大学、人死にすぎだろ」
これから向かう場所についての曰くを話してやれば眉間にしわが刻まれる。
「ついて行ってやろうか?」
そう言葉を投げれば安心を隠すようなふくれっ面で「勝手にしろ」とつぶやいた。

物置に利用されている一室の扉を代わりに開けてやる。周囲の壁を探るも照明のスイッチが見つからない。
「ドア開けとけば大丈夫だろ」
すたすたと薄暗い室内に入っていく菅野の後に続く。立てかけてあった脚立を使い所定の位置に運んできた物を収めているのを横目に、何に使うのかよくわからない機材が適当に詰め込まれている棚を眺める。
じとりと妙に湿った空気が重い。
さっさと外に出たい思いが増して「まだか」と声をかけそちらを見れば、ぐらりと、脚立が揺れていた。
盛大に崩れた棚から、箱が転がり落ち工具や壊れた文房具が地面に降り注ぐ。重いものが地面に叩きつけられる音が響いた。
「おい! 大丈夫か!?」
慌てて掛けよれば、床に転がる菅野が呻いている。
「いっ……目が、」
「目?」
「目があった」
「はあ? なに? 何かいた?」
箱置こうとしたら、向こうに……。ポスターでも貼ってあったんだろ、びっくりしただけ」
何かを言おうとしていたが、明らかに後半は誤魔化していた。そういう話が好きなのか嫌いなのかよくわからないやつだ。なんにせよ口が利けるなら大丈夫だろ、と一息つき目線を下ろす。
菅野の脚の下に、きらりと光るものがあるのに気がついた。
忠告してやろうと口を開いて、やめた。
打ちつけた身体が痛むのか耐えるようなその表情を、なんだか近くでよく見たくなってしまった。脇に腰を下ろし、ゆっくりと菅野の太ももを押さえるように手をおく。ずぶり、となにかが突き刺さる鈍い感触が肉を通じて感じる。険しくつぶられようとしていた瞳がゆっくりと見開かれる。一拍息をのみ、悲痛な声が上がった。
「いっ、……?」
声を上げた本人も、何が起きたのか理解できていない表情でこちらを見ている。
「どうかした?」
訪ねながら、距離を詰めるように脚に乗せた手に力を込める。ずぐり。押さえた脚から抵抗を感じる。
「あ、いっ、あし、てぇ、どけろ!」
苦痛から逃れられずに声があがる。視線を落とせば菅野の柔らかい膝のうらに、曲がった鉄くずが深く食い込んでいた。上体を起こすのに合わせ軽く身を引けば、自分の膝の下から突き出る金属に目がいったようで、青ざめた顔で舌打ちをする。
「くそっ」
髪を汗が伝い落ちる。自分の膝に下がるそれを震える手で掴み一息に引き抜いた。くぐもった声がもれる。投げ落とされた何かの壊れた部品の鈍く光る切っ先から、ぽたりと赤く滴る。痛みを抑えるようにふとももを掴む指先が白い。菅野の膝の裏に手をやると、じっとりと衣類が濡れている。穿たれた穴を探る。布越しでは、よくわからないが溢れてくる液体が一番重い箇所を圧迫するように手に力をいれた。
「っ、なにしてんの?」
こちらの動向を探る目は、不安に揺れている。
「え、いや。血、止めないと?」
もう片方の手をそっと伸ばす。怯えた瞳が反射的に後ろへ下がる。
いた、い。いい、いいから、自分でやる」
振り払うようにかけられた手に構うことなく、膝を掴む手に力を入れる。堪えきれない痛みに瞳が滲んでいる。その視線を向けられるだけで、胸がどきどきと高鳴っていく。
「俺、お前のこと好きなんだと思う」
「は? す、はぁ?」
かけられた言葉の意味を与えられる痛みの中で考えているのだな、と思った。今にも零れ落ちそうな涙をたたえた瞳に触れようと、そっと頬に手を添える。
こちらを見返す表情に、困惑と恐怖が見てとれた。
「ふっざけんな!」
震える声とともに腹を蹴られた。菅野はおぼつかない足取りで立ち上がりその場から逃げるように駆け出す。その引きずられた脚を思わず掴んだ。
息を呑み、こちらを振り返る目が理解できないモノを見ているようだった。
「はなせ!」
力強く振られた脚から赤い飛沫が飛んでくる。掴まれた手を必死にほどきその場の棚を崩しながら、菅野は俺の前から逃げるように居なくなった。

それからのことはあまりよく覚えていない。気がづいたら自室のソファにうなだれていた。勢いに任せてしてしまったとはいえ、告白がああも強く拒絶されると堪える。
何の気なしにつけていたテレビに流れて来たのは、古臭いホラー映画だった。
ホラーなど好んで見るようなことはなかったが、気分も紛れるかとぼんやりと眺める。

お化けの類の物語ではなかった。女性が何から逃げている状況、らしい。
暗い路地裏に荒い息遣いと足音だけが響いている。

突如現れる人影。
女性の叫び声。振るわれる刃。飛び散る血液。
恐怖に歪んだ表情が、画面いっぱいに映る。
見開かれた瞳が、溢れそうな涙にきらきらと輝いている。
震える身体は、一人では立っていることもままならないほどに弱々しい。
今彼女の命を助けられるのは、凶刃をふるう目の前にいる者だけ。
そう画面のこちらで悟る間に、彼女は絶命した。

いつの間にか高鳴る胸は菅野を見ていた時と同じだ。
そうか、これは。
恋なんかじゃないと分かった。