まよこ
2024-10-10 17:54:36
3798文字
Public 菅野
 

猫とかわれる

3800字程度
泥棒、菅野

まだ、だいぶ日の高い秋空が清々しい。遠出の仕事で訪れた町で、長い石造りの階段が目についた。周囲を木々に覆われた石段の一番下に、木製の赤く塗られた鳥居が置かれている。神社かと見上げれば、少々距離のある終着地点にも似た鳥居が一つ立っている。仕事も早くケリが付いて時間もあったし、なんとはなしお守りのひとつでも買うかと軽い気持ちで階段をあがる。
そこに祀られていたのは、猫だった。思いの外広い境内の至る所に猫をモチーフにした飾りが施され、狛犬代わりに石柱の上に生きた猫が丸まっている。参拝客よりも、野良猫の数が多い。次にお邪魔する家では金目のものが見つかりますよーにと雑に猫に願い、適当に賽銭を投げいれ、金運がどうたらという招き猫があしらわれたお守りを購入した。

そろそろ帰ろうと長めの悪くない階段から降りようと一歩踏み出した時。
ふわりと足元になにかがまとわりついた。
猫か、と視線を落とす前に体勢を崩し、視界が反転する。
転げ落ちた先で意識が遠のく最後に、にゃあ、と鳴く声が聞こえた。

ざらりと、頬を撫でる感触に目を開けた。ふわふわとしたものが顔や首にまとわりついている。
……ん、な。猫?」
耳のすぐ側で、なぁーお、と間延びした声が帰ってきた。上に乗る毛玉を押しのけ、立ち上がろうとした身体のいたるところが痛む。床についた手にはしる痛みに顔をしかめ起こした上体を再び横たえた。階段から落ちたんだったと記憶がよみがえる。痛みはするが怪我の手当はされているようで、包帯やガーゼやらが当てられている。
しかたなく、床に転がりあたりを見回す。わさわさとたくさんの毛玉が、各々好きな様に動いていているのが目に入る。室内は全体が木目調で揃えられていて、そこそこの広さがある。猫たちのために置かれている点在する背の高くカラフルな遊具やケージやトレイやらが、低い視点からみればなにかのテーマーパークにみえた。猫が通れる程度の小さな窓が、高い天井付近に散らばり明かりを落としている。他に見えるのは、人が出入りできそうなサイズの白い扉が一つ。出口はあるようだが立ち上がる気力はでず、がたん、と扉の下が上下し猫達が出入りするのを床に転がり眺めることしかできない。
見た記憶の一つもない風景。
「どこだ、ここ」
呟けど、返事はまとわる毛玉の泣き声だけだ。


「目が覚めた? 大丈夫?」
猫語以外が耳についたのは、払いのけてもよってくる毛玉の扱いを諦めて好きなようにさせていた時だった。窓から落ちてくる光量は落ちて、オレンジ色が混じっている。白い扉のノブが回り開け放たれた扉の向こうに、女が一人立っていた。黒くまっすぐな髪が肩より長く垂れている。猫用の餌入れを幾つか手にしている。
「神社の石段の下で怪我をしていたのよ。落ちてしまったのかしらと思って」
助けてくれた、ようではある。黒く大きな瞳を細め向けられる優し気な笑顔は美人の部類、だけれども。怪我人がいたらまず、救急車ではないのか。何故こんな、猫まみれのところに放り込んでおくのか。理屈の合わない行動を取る人物に安心することは出来ない。彼女はにゃあにゃあとまとわる猫達に「待ってね。先にお客さんからよ」とあやしながらこちらにやってきて、そばにしゃがみこむ。
ありがとうございます」
助けられたのには変わりない、と礼を口にすれば、ぱん、と乾いた音が響いた。じんじんと頬に痛みが滲む。平手をはられた、と一拍遅れて気づく。
何なんだ一体。本当に。泣きたくなってくる。
扉は空いている。逃げたいのは山々だが、起き上がることすらままならない。何度か立ち上がろうと試みてはいたのだが、足が完全に腫れていて力を入れるだけで激痛が走る。這ってでも出ていくべきかと、相手の様子を探りながら黙っていれば、包帯のまかれた足に軽く触れ怪我の具合を見ている。
「折れてはいないと思うの。腫れが引くまではあまり動かないほうがいいわ」
優しげに首のうしろに手を回し、後頭部を包み込むように撫でてくる。悪寒に思わず、下がり首を引けば残念そうな笑顔で、手を引き顎の下を軽くさすった。
「警戒心が強いのね」
当たり前だ。こんな状況で、と言葉にはならない。床に置かれた容器にペットボトルから水が注がれ、猫用の餌入れとともに差し出される。
「口にあうといいんだけれど」
そういって餌入れにはいっていた茶色くぐちゃりとした固形物を指ですくって、口元に近づけてくる。
わからない。
何を考えているのか、行動が読めない相手に対する恐怖にただ首を横に振り拒絶を示す。
「そう。無理しないで、お腹が空いたら食べてね」
女は少し哀しげな笑顔を落とした。
それは全てまるで怪我をした猫を介抱する動作で。
ご飯を食べて早く元気になって欲しいとでもいう表情だった。
女が出ていったあと、餌入れには猫が群がっていた。

窓からさす光で目を開けた。おそらく、次の日にはなったはずだ。女は時折部屋にやってきては、猫達に餌をあげ、猫達と遊び、こちらの様子を気にかけている。出ていく際、扉に鍵はかけてなさそうだ。動けるようにさえなれば……とは思うのだけれど、怪我が熱を持ちはじめ動かずともずきずきと痛みが引くことはない。堪えきれず漏れた呻きに、心配げに「痛むの?」と声がかけられる。返答など元より期待していない、遊ぶ猫達にかけるのと同じ声音。しばし心配げにこちらを見ていたが思い立ったように立ち上がり、出ていったかと思えば何かを手に戻ってくる。
「痛み止めよ」
近づいてきた女は、手にした錠剤をみせる。
飲めと? 言葉通りに信じることなどできるわけがない。毛だらけの床を重たい体を引きずり距離をとる。思案げな表情で見下ろしていた女は仕方がないというようにため息をついて、隣にしゃがみこんだ。そのまま、人のあごを掴み開いた口に指をつっこんで強引に錠剤を押し込む。力の入り切らない手で女の腕を掴むも、口を押さえられ息苦しさに飲みくだす。喉が動き、薬が胃に落ちていくのをみて「ごめんね」と哀しげな安堵した表情でつぶやくのが聞こえた。
いよいよになったら殴ろう、と心に誓うも手をあげる前からこちらの身体が痛いばかりで思うように動かない。

起きているより寝ている時間のほうが長くなっている。薬のせいか、あるいは数日は飲み食いしていないせいか。思考がぼんやりと濁る。衰弱していないわけがない。ぐいぐいと柔らかいものに頬を押される感触に、薄く目を開ければ肉球がこちらをつついている。構ってやる気力もねえんだけどな、と手を伸ばしぐりぐりと小さな頭を撫でる。満足そうに鳴く声を聞きながら、撫でていた手もだるくなり床に落ちる。しばらくつついたりうろついていた毛玉もやがて離れていった。重くなる瞼に任せて沈んでいこうとしていた意識に、ずりずりと何かを引きずる音が聞こえる。音のする方へ顔を向けると、先ほどの毛玉が水入れを押しているのが見えた。心配でもされてんのか。
……喉が渇いているのは確かだ。

女は毎日甲斐甲斐しく、餌を口元に運んでくる。
「食べないと元気になれないわよ」
それもそうだ。こんなところで、いつまでも転がっていたくはない。さっさと逃げるためにもと、ぼやけた頭で口を開ける。嬉しそうな声がうるさい。

部屋の隅に、起き上がれるようにはなった。ごろごろにゃあにゃあ、と猫どもにまとわりつかれ埋もれている。遊具か何かと勘違いしているのか。
「元気になってくれてよかったわ」
扉が開き、嬉しそうに笑う女が立っている。
「動けるくらいにはなったかしら。よかったらまだここにいていいのよ」
優しげに声をかけながら近寄るその手には、チリンと揺れる鈴。
いや、鈴付きの首輪だ。
「いつまででも」
慈愛に満ちた微笑みで手にした首輪を解きこちらに歩み寄る。

もう、嫌だ。
こいつが何を考えているのか、わからないしわかりたくもないが、一分一秒だってこんなところにはいられない、いたくはない。首に向かい伸ばされる手をはじき、思い切り突き飛ばす。猫達が一斉に散っていく。遊具にぶつかりながら扉の外に転がりでる。追ってくる気配はない。そりゃあ、何がどうしてそうなったかは知らないが、あいつにとって俺は拾ってきた猫でしかない。
どうせ、残念そうな顔して笑ってんだろ。
とびだした先の室内もどこもかしこも猫で埋まっている。丸く光る瞳が一斉にこちらを見た。痛む体を引きずって思いがけず広い豪邸を飛び出した。

全部、あとから聞いた話だ。
あの神社の近くには、猫屋敷、と呼ばれている家があるそうだ。大層大きな屋敷には、女が一人住んでいる。その屋敷には始終どこからやってくるのか多くの猫が出入りしている。
女は、猫にしか興味がなく、猫のことしか見えず、猫に尽くすことが自分の幸せなのだという。彼女は、神社を奉る家の一人娘らしい。
その家系には猫にすべてを捧げた人生を送る、そうした人間が必ず一人、絶えることなく生まれるのだそうだ。
代わりにその家に、この地域に、富が、幸福が集まると言われている。
今は彼女の代なのだろう。
全部、あとから聞いたただの噂話だ。

そんなことより今は早く風呂に入りたかったが、この匂いで銭湯に行くのは流石に気が引けた。