まよこ
2024-10-10 17:43:52
2382文字
Public 浦日
 

噛み痕

3千字以下。
登場人物: 浦日(うらか) ホラー作家
※一部食人表現有。


「お怪我ですか、先生」
二度目に会った時、作家は手の甲に包帯を巻いていた。
きょとん、と間があきゆっくりとした瞬きの後、白目がちの瞳がこちらに向けられる。
「噛まれたんですよ」
深い好奇心のこもった目が細められた。
「お腹が空いていたんでしょうか」

……

 新しく担当することになったホラーばかり書く浦日という作家は、よく引っ越しをするという噂があった。
初めて対面で打ち合わせをする喫茶店に着流しで現れた彼は、さっそく住まいを新たにしたと話す。
顔の左半分が隠れるほどの前髪を後ろ髪とまとめて肩口でくくり胸元に流した姿で店内に現れた時は身構えたものだが、僕を見つけるなり笑顔で大きく手を振り、形から入るタイプなんです、と話す言葉は様相に反して明るく親しみやすかった。

 一通りの打ち合わせも終わり、店自慢のコーヒーもすっかり冷えてしまった頃だ。
「今住んでいるところはこの近くなんです。よかったら寄っていきませんか?」
浦日は、長髪に半分も覆われているのに楽しげにみえる表情でそう言った。
「お邪魔でなければ。それにしても、どうしてそんなに引っ越しばかりするんです?」
取材旅行と称し様々な土地に出歩くので今ひとつ動向がつかめない、という噂もよく聞いた。
住む場所にこだわりがないのかもしれない。これまでのやり取りで時間や締切は律儀に守ってくれるので仕事をする上での不安感は少ない。
「実体験にまさる恐怖はありませんからね」
いささか返答になっていない言葉を返す瞳には、恐怖心よりもまさった好奇心が隠しきれずにいる。
なんとなく、どういう場所に住んでいるのか気になってのこのこと作家の後についていった。辿りついたのは、ごく普通の住宅街の端っこに時代がかった今にも崩れそうな日本家屋だ。
「ここに住む人間は蔵番と呼ばれていたそうです」
どういう意味なんでしょうね、と玄関の引き戸の前に立ち楽しそうにこちらを見ている。
がらがらと開けられた戸の奥から生暖かい空気が流れだす。

……

打ち合わせで会う度に浦日の怪我が増えている、気がする。
手の甲から始まり、肘辺りまで包帯が巻かれたかと思えば、頬にカーゼが貼られている日もあった。

その都度どうしたのかと聞けば「噛まれたんですよ」と同じ答えが帰ってくる。
「猫でも飼われているんですか?」
「いいえ?」
どうしてそんな質問をされるのかと不思議そうに首を傾げる。
「腫れが引かないんですよねえ。左腕で良かったんですが」
「病院には行かれたんですか」
「病院」
今正に思い至ったというように、目を丸くしている。
それから、今までの話にはまるで興味がないとばかりに違う話題へと切り替えた。
「今日は、家に寄っていきますか?」
にこにこと真っ黒い好奇心がこちらを見ている。
今日は?
新居の話を聞いた覚えはある。一目見ようかと頷いた。

……

 骨ばった肩口に歯をたて、力をこめる。犬歯がわずかに皮膚へ刺さった。
固い部分をごりごりと噛みしめ、幾度も顎に力をいれる。皮膚が裂けて、じわりと鉄の味が滲み、歯が骨に当たる。口を離し、より柔らかい肉のある首筋に歯をたてた。
弾力のある皮膚を突きやぶり、柔らかい肉まで歯の鋭い部分が届く。口内のぬるい肉が僅かに反応し、力がはいるのを感じた。より強く噛みしめると、ずぶりと歯が肉に埋まり生暖かい鉄の味が広がる。にじみ出てくる液体が口の中に流れ込み、喉を潤す。裂けていく肉を引きちぎるように、顎を噛み合わせた。
「お腹が空いているんですか?」
感情のこもらないこちらを観察するような声が聞こえる。

………

「ずっと調べていたのですけれど、やっとそれらしいことがわかりましたよ!」
幾度目かに喫茶店に現れた浦日は首に包帯を巻いていた。打ち合わせも早々に、今まで一番楽しそうな笑顔で口を開く。
「あの家は大昔、このあたりにあった村の共同で使う蔵のようなものだったそうです。人が住むための家ではなく、余裕のある時期に各家から取り決めた蓄えを提出させ保存しておくための蔵でした。蔵、と言ってもそれほどしっかりした造りでもありませんし、使われなくなった家を多少補強して使っていたのでしょうね。
蔵に提出するものは、食べられるものなら何でもよかった。山で仕留めた獣の干し肉、魚を乾燥させたもの、穀物。そうやって実りの少ない年や飢饉に備えていたんです。
それからあの家に暮らしていた蔵番と呼ばれた人たちはみな子供だったという記録もありました。子供達を諭すためにも、外部への説明のためにも、蔵の食糧を守る意味合いは確かにあったのでしょう。
けれども、村人にとってあの蔵の中にあるのは全て食べていいもの、だったんですね」

増えすぎた子共を育てられず、なんてよく耳にする昔話だ。そういう落ちなのだろう。
物語としては、それでいい。
けれど。
揚々と話す彼の喉元の白い生地が、赤く滲んでいる。続く言葉聞きながら知らずあふれる唾を飲み込む。

「野良猫にしても配達員さんにしてもあなたにしても。どうしたわけだろうと気になっていたんです。
お腹が空いていたのでしょうか。蔵入ったものは食べなければならないのでしょうか。食料としての使命感なのでしょうか。同じような目にあわせてやるという無差別な憤りだったのでしょうか。
何処の誰のどういった思いなのかはわかりませんが、そこは創作で補いましょう」
やはり面白い物件でした、と締めくくる。
「さて、次に住む家を探さなくてはなりませんね。全て食べられてしまう前に」
どこかすっきりした瞳の奥の好奇心が、こちらを向くことはもうないのだなと思った。
彼の語る己の行動にも、彼の家に訪れた記憶もないが、喉を滑り落ちる液体と肉の旨さはたしかに覚えている。