まよこ
2024-10-10 17:40:02
4769文字
Public 浦日
 

食べ物の恨み

5千字以下
登場人物: 浦日(うらか) ホラー作家

 廊下の奥深くから、何かがこちらにやってくる。ずしりずしり、と確かな質量をもった足音が床を軋ませる。書きものをしていた机から視線をあげれば、遮るもののない窓ガラスの向こうに光一つ見えない夜空が広がっていた。
がらりと背後の障子が開く音がする。
この家にいるのは自分だけだというのに。
肩越しに振りかえる。そこには変わりなく閉じられた障子があるばかりだ。
見返ったままの喉元に、何かが触れた。
冷たいとも熱いともやわいとも硬いとも感じられない。触られているのだなという感覚だけが喉を撫でさする。
握るように力を込められたかと思えば、形を確かめるように柔らかく触れる。
想像されるのは自分の顔を覆うほどの巨大な掌。
背後から何かが覆いかぶさり、上半身がそっと机の上に押し付けられる。肩口から何かが這い進んで右手をなぞる。
この家に越してきてから、こんな夜ばかりが続く。
金縛り、だろうか。
それにしては何かの圧迫が感じられない箇所は、動かすことはできた。見えない何かに抑え込まれている、という表現が合っている。細身とはいえしっかりと男のものと分かる節の強い指が手の甲からなぞるように上から擦られる感覚とは別に、項をなで辿るように襟もとから腹部へと伝う感覚からするに見えない何かがいるとしてもきっと人ではないのだろうな、と思う。
ぼたり、と音もなく感触だけが頬に落ちる。何かを探るように身体を這う触感は変わらない。
喉元にまとっていたものが口元をなぞりひっかく動作に思わず口を開けば、そこに降り落ちてくる何かが頬を伝い流れこんで




「趣旨替えですか、浦日先生」
机の上に無造作に置かれている原稿用紙に書かれていた中途半端な文章が目についた。よその出版社の仕事だろうか。ホラー作品ばかり書く浦日というこの作家は、自分からたてた予定以外に頓着を示さない。進捗状況の確認と次の原稿についての相談を兼ねてお宅にお邪魔すると連絡をしていたはずが、「今日、来る予定でしたか」とまさに今起きたとばかりの着崩れた着流しで玄関に現れた。
日はとうに一番高い位置から下降しはじめている。浦日は外で合う時は装飾過多な印象もうける洋服をきっちりと着込んでいるが、住まいに顔を出せばゆるい和装で現れ、形から入るタイプなんですよと嘯く。どこで見つけてくるのか曰く有りげな物件を見つけては移り住んでいる彼の今度の引越し先は、入り組んだ路地の隙間に立つ、古い木造の二階建てだ。
「もともとは大きな通りに面していた宿屋だったのですが、周囲に家が建ってしまい埋もれたようですね。増築やら切り売りで今残っているのは、この一部だけのようです」
物件の解説を聞きながら案内された室内は、入り口の狭さとは裏腹に意外と奥行きの深い作りで、一人で生活するには部屋数ばかりが多く思える。幅の狭い玄関から長い廊下が続き、一階に水回りが集まっている。廊下の突き当りの階段を昇ると、二階はまた折り返して長い廊下が続く。通路に面した揃いの規模の部屋を横目に進むと、行き詰まりに玄関の真上に位置した部屋がある。そこが、今浦日が作業場にしているという大きな窓が一つある和室だ。
「夢日記というものですよ。気づけばそこで寝ているので、きっと夢なのでしょう」
一人作業部屋に置き去りにされ机に置かれた原稿用紙を眺めていると、盆にお茶を載せた浦日が障子を開け戻ってきた。左目を覆うほどに伸びた髪を降ろし前で結ぶ様は、胡散臭いという形容が板につく。それも形から入ったものなのかと突っ込んだことはいまだに聞けていない。机の上のばらまかれた紙類をわきにどけお茶を置きながら、ここに越してから毎夜のようにみている夢を書き起こしているんですと話す。
「それはやっぱり、この家の曰くによるものなんですか?」
まだ何があったと話を聞いたわけではないが、どうせここもただの家ではないのだろう。当たりをつけ水を向ければ、まったく楽しそうな笑顔を返してくる。
「少し話しましたがこの家はその昔、宿屋だったんです」
盆上に自分のお茶を乗せたままに畳に置き、つぶれた座布団の上に足をたたんで、作家は話し始めた。
「昔話では見かける類の話ではありますが、この宿屋は客人を襲って金をせしめていたそうです。旅館は夫婦で営われており、訪れた客には丁寧な対応をすることで評判を得ていました。毎夜振る舞われるご飯は場末の宿にしてはもったいないほどのものだったとか。それを目当てに宿泊日数を伸ばす客も居た。数日で出ていく客よりは、長居をする客に目をつけていたのでしょう。ある日そこに泊まっていた客が隣町まで駆け込んできた。宿の主に殺されそうになった、と。調べてみると、宿周辺の地面の下からは数え切れないほどの人骨、料理場からは大量の肉塊が発見されたそうです」
「完全な事故物件じゃないですか。よくまあ、普通に売り出してますね」
「ご当地怪談程度の古い話ですよ。具体的な所在地を調べるなんてよほどの物好きだけです」
目の前に座るよほどの物好きは事も無げな表情をみせ、それだけではなくてですね、と湯呑みに口をつける。
まだあるのか。
「まだあるんですよ」
人の顔色を勝手に読んで顔ほころばせた。
「さらに宿屋があったとされる以前の話です。ここは周囲の地主の持ち家でした。所謂、座敷牢のような扱われ方をしていたようです。どういった事情かまではわかりませんでしたが、表だって暮らしていけなくなった身内を住まわせていました。とはいえ手をかけるということもなく、最低限に身の回りの世話をする女中だけを置いてほとんどこの家に訪れることもなかったそうです。ですが、雇っていた女中さんはどうも性質の良くない人間だったようです。節約と称し、世話にかけるはずの金子を己の懐にしまっていました。
着るものの品質を下げ室内の調度品を売り払う。その影響が特に酷かったのが食事でした。その家でどのような膳が並んでいるかなんて、暮らしている者にしかわからないものです。人間を生かしておくだけでよいのであれば、食費はそれほどかからないでしょう。一日に一食出たかどうか。様子を確認に来る家人はいない。ここに止め置かれた人物は、元より育ちは悪いものではありません。粗雑な扱いに、いよいよもって腹に据えかねたのでしょう。世間からわざわざ隔離されている人間が何をしでかすかなんてわかったものじゃないでしょうに、その女中さんも中々に豪胆でしたね。雇われていた女性が姿を消したその日、この家から珍しく随分美味しそうな料理の匂いがしていたそうです」
急ぐわけでもなく単調に話す言葉はすんなりと聞きやすく、彼はそこまで話し、盆に置いていたお茶で喉を潤している。
「女中からの連絡が途絶えたことで彼女の失踪は発覚しました。以降はきちんとしたお手伝いさんを置くことにしたそうですが、それでも時折失踪する者がいたようですね」
それは」
「曰くは、曰くですよ」
真偽を確かめるのは無粋とばかりに遮る。きっと、本当なら尚の事面白いと思っているのだろう。
「さらにもっと昔、ここには塚がありました」
鬼を封じていたそうですよ、と続ける。ことこうした話になると、この作家の口はなめらかだ。
「ここまで来ると伝承の領域ですが、近くの山に鬼が住んでいたそうです。何をされるかわかったものではないと怯えた村人たちは、総出で山狩りをして鬼を捕まえた。捕まえたものの、鬼の硬い皮膚は突けども焼けども命を奪うほどの深手を負わせることが難しく思われた。なんとか手足を切って蔵へと閉じ込めて数年、鬼はようやく空腹で亡くなったそうです。その亡骸を蔵の床下へと埋め、庭先に塚を建てた」
「本当にそんな昔話の出所がここなんです?」
「様々な文献を照らしあわせた結果そう判断しています。実際のところは分かりませんけれど」
よくもまあそこまでの情報を知って、あんな夢を見たうえで住んでいられるものだ。呆れるのも通り越して感心するよりない。
「猫舌でしたか」
聞かれてはじめて出された湯呑みがすっかり冷えているのに気がついた。
差し込む日差しが淡い。日は、だんだんと短くなってきている。




時折みかけては参加するオカルトツアーから帰宅し、今日の体験を忘れぬうちにとメモを広げ机の前の座布団に腰を下ろしたところまでは覚えていた。いつのまにか寝入っていたようだ。ぼんやりと瞼を開けると、窓から差し込む冷え冷えとした月の明かりが机に落ちていた。上体を起こし、机の上のメモを集める。
床の軋む音が聞こえた。
たしかな質量を持って移動してくる何かが、障子の前に近づいている。
がらりと、引き戸が開けられた。
いつものか、と手元のメモへと目を落とし愛用の万年筆へと手を伸ばすと、寒々とした空気が背後へとなだれこむ。たしかに、障子が開いているようだ。
畳を踏みしめる音がすぐ後ろまで迫っている。
背後から被さるように影が落ちた。
肩に、手が置かれる。
被さる影が色を濃くする。探るように肩口を這い、首元へと伸ばされる指はたしかに人の手の形をしていた。首全体を覆うようにじわりと握りこまれ、骨を刺す冷たさに皮膚が泡立つ。どくどくと首筋が脈打つのに合わせて視界がぼやけた。天井に届くほど頭上高く伸びた影が、月の明かりを遮る。ぼたり、ぼたりと顔に降りかかるものがある。粘性を持つそれは頬を伝い机に赤黒く生臭い水だまりをつくる。鼓動を確かめる手とは別の掌が髪を掬い、隠しがちな顔半分を摩った。背中を辿り伸ばされた腕が万年筆を握る腕を絡めとり、体を強く後ろへ引いた。
畳のうえに倒れることはなく、何かに寄りかかる。湿った土、すえた蔵、死んだ生き物の放つ乾燥した匂いがまじりあう。触り心地の悪いそれは、水分の多い肉の柔らかさと骨ばった固さが継ぎ合わされていた。シャツの裾をまくり差し込まれた手が肉付きでも探るように、腹の上を移動する。背後の肉が形状を推測しにくい動きで連動しうごめき固い骨があたる。身体を触れるすべてが温度の宿ることのない冷たい石のようでこちらの身体も冷えていく。じりじりと圧迫される息苦しさを緩和させようと空気をもとめて口を開け、身じろぎ頭上を見上げた。
視線の先には、目を閉じているのと変わらない黒黒とした影の塊がある。
闇に浮かぶ一対の目とあった。
白目がちの瞳が、ぎょろりとこちらを見下ろしている。
瞬きをして細められた闇に浮かぶ瞳は、見えているのかと訴えてくる。闇のごとき色の継ぎ合わされた肉に大量の隙間が生まれ、一斉に開かれた。こちらを見下ろす幾人もの瞳が嬉しそうに細められた。
これが毎夜来ていたのだろう。
口に相当するのであろう幾つもの歪んだ暗い穴が三日月に広がり、その端からごぼりと粘度の高い影が降り注ぐ。
きっとお腹が空いているのだろう、と思った。


「ですから、それから必要な分だけ膳を用意しているんですよ」
 打ち合わせに指定された浦日の行きつけの喫茶店は、客足も少なくレコードの流れる隠れ家と言った渋い雰囲気の店だった。又候曰く付きの店かと軽く警戒をするも、したところで何に気づけるわけもない。滞りなく済ませた仕事後の雑談で、その後の家について話題があがる。現れるものの姿が以前よりはっきりと目に映るようになったとやけに楽しそうに話している。この人は怪談話となると本当に子供のようにはしゃぐ。話す内容は創作なのか現実なのか聞いているこちらには判然としない。
「しかし食費がかさんで仕方がありませんので、そろそろ家を移る予定です」
せっかくの面白い家でしたのでもったいないのですが、と残念そうに付け加えた。