まよこ
2024-10-10 17:24:12
887文字
Public 浦日
 

しらみゆうれん

900文字以下。短文。
登場人物: 浦日(うらか) ホラー作家

しらみゆうれん、船幽霊。そうしたものがまだ見られると聞いて、ある港町に宿泊した時の話です。
 目立った観光施設はありませんでしたが町中の散策を満喫したその夜、 宿の主人に紹介していただいた漁師の方に着いて海にでました。
 月のない暗い空では、こうも星の光は明るかったものかと思われます。
「あんたみたいな物好きなら知ってると思うが」
 沖に出て小さな漁船を停めると、漁師は柄杓を持ち出し、なんということもない世間話をするように話しはじめました。
「昔からこの辺じゃ、夜、船で沖に出ると聞こえてくるんだ」

「ひしゃくをおくれー、ひしゃくをおくれって、海の下から悲壮な声がさ。耳を塞いでも無駄だ。背筋が寒くなるようなその声は耳について離れない。海面をみると、青っ白い手だけがそこらじゅうに突きでてるんだ。 そんなんじゃ船も進めやしない。そのうちにそいつらは、がたがたと船を揺らし、あっというまにひっくり返してしまうのさ。
運良く柄杓を積んでいたとしよう。どうにも堪えられなくなって、言われるがまま柄杓を海に放る。
 そうすると声はやみ、手は海に沈む。
 いなくなったか。
 ほっと息をつくのも束の間。ざばり、と海から再び姿を表した手共は各々に柄杓をもち、掬いあげた海水を次々と船の中に汲みいれ、あっというまに水没させてしまいました。そんな話さ。
 以来、この辺りじゃ沖に出る船は必ず底をぬいた柄杓をもつようになった」

確かに、漁師がくるりと弄ぶ柄杓に底はありません。聞こえる音など彼の声以外ない静まりかえった海の上。
 突如先ほどの話にでてきた悲壮な声の要求が聞こえはじめる。
「さあ、そろそろおでましだ」 水をはじく音の方をみれば、青白くひかる無数の腕が海から突き出ている。
 「なに、心配することはない」
 漁師が手に持つ柄杓を放ると、青白い腕は一斉に沈む。再び現れた時には各腕に柄杓が握られていた。その、底のぬかれた柄杓で繰りかえし水を汲みいれようとする様はどこか虚しい。漁師はしばらく海上を揺蕩う青白い腕たちを愛おしげに眺めた後、「さあ、戻ろうか」と言った。