深紫
2024-10-10 01:06:27
4974文字
Public イベント関連
 

【COMIC CITY SPARK 19】無料配布ペーパー 電子版

2024/10/27のイベントで配布したペーパーのテキストをスクリーンリーダー向けに書き起こした電子版です。



【表面】
メイドパロだよ!AC6
-ヴィクトリア朝の本格的メイドの世界を覗いてみませんかペーパー-
作った人:深紫(101st Street)
TwitterID:purle_d_101

 1837年から1901年まで続いた英国ヴィクトリア朝時代は、大英帝国の絶頂期であり、技術の進歩や価値観の変容などといった歴史の節目となる激動の時代である。
 『ルビコニアン・サーヴァント』は、ゴシック・ホラー小説の金字塔『吸血鬼ドラキュラ(ストーカー、1897)』と同じ1890年代の英国を舞台として想定している。


【画像:鏡を持つスネイル、窓の外に蝙蝠の影、エッチング画風】
ファッション
 1856年のクリノリンの発明により巨大化した婦人服のスカートは、70年代頃には急速に萎み、背面だけを膨らませたバッスルドレスに置き換えられていた。
 婦人服の流行は目まぐるしく変化したが、コルセットで締め上げられた細い腰だけは、一貫して美の象徴とされ続けた。医師達は健康上の観点からこれを批判し続けたが、美しさで異性の目を惹き、結婚する以外の選択が許されない時代、脱コルセットの動きは遅々として進まなかった。


建築様式
 ゴシック・リバイバルと呼ばれる建築様式が流行した。
 ゴシックは12世紀頃に花開いた建築様式で、装飾的で鋭いデザインが特徴である。そうした中世風の建築を現代的に復興したのがゴシック・リバイバル様式であり、代表的な建築物としてウエストミンスター宮殿(1840-76、再建)やタワーブリッジ(1894)などが挙げられる。


照明器具
 1812年にロンドンで世界初のガス街灯が設置されて以降、ガス灯は徐々に普及していき、1840年代までには家庭用の照明として使用されるほどにありふれたものになっていた。
 しかし、ガス灯の煤や人工的な光を忌み嫌い、屋敷の照明として昔ながらのオイルランプを使用し続ける貴族も存在していた。1879年にエジソンが白熱電球を発明すると、1880年代後半から90年代にかけての英国では、急速に電灯事業が発展していく事になる。


自転車
 1870年代から80年代にかけては前輪を巨大化させ速度を追求したペニー・ファージング型が人気を集めていたが、1885年に前後輪が均一な大きさのローバー安全型自転車が作られると、自転車の形状は現代のものとほとんど変わらなくなった。
 安全性と操縦性に優れたローバーは、自転車を危険なスポーツ用品から普段使いの乗り物へと変化させ、自転車ブームを引き起こした。


ゴシック・ホラー
 『フランケンシュタイン(シェリー、1818)』は、ホラー小説の嚆矢とされる作品である。
 ヴィクトリア朝時代には廃墟、幽霊、古城などをモチーフにした陰鬱な作品が次々と生み出され、SFやホラー、推理小説へと発展していった。


衛生学
 産業革命による階層の分化が進むと、匂いに鷹揚であった人々の意識が変わり、悪臭が社会問題として現れるようになる。
 衛生学者は不潔で悪臭のする所に病が流行する事実から、悪い空気が病をもたらすという瘴気説に基づき衛生改革を進めた。ところが1880年代に入るとコッホ(1843-1910)らが次々と細菌を発見し、病は微細な生物がもたらすという細菌説が主流になり始めた。


進化論
 1859年にダーウィンは『種の起源』を発表し、自然選択による生物の進化説を提唱した。創造論を信じていた人々は衝撃を受け、社会の価値観が変容したという所謂「ダーウィン革命」は起こらなかったというのが定説だ。なぜなら誰も『種の起源』を読んでいないからである。
 進化論は「努力して進化する」ような社会ダーウィニズムと誤解されながら人々に受容され、後のナチスに繋がる優生学を生み出す事になるのである。


ユダヤ人問題
 1881年の東欧のユダヤ人の集団虐殺(ポグロム)の影響で、英国に大量のユダヤ人難民が移住してきた。比較的難民に寛容であった(ただしこの時代の寛容さとは、多民族共生ではなく、同化の肯定である)英国世論は、労働力過剰による英国人の失業や伝染病恐怖に直面すると、たった10年弱で排外主義的なものに変貌してしまった。


脱魔術化
 ウェーバー(1864-1920)は人々が宗教ではなく科学を信じ、世界を合理的で予測可能なものと捉えていく近代化のプロセスを『脱魔術化』と呼んだ。
 しかし、人々は宗教を捨て去ったわけではなく、科学や合理的なものと絡み合い、宗教的なものは現代でも息衝いている。
 こうした、ウェーバーの予想を裏切る『再魔術化』の様相を見ると、宗教と科学の関係性は一筋縄ではいかない複雑なものであるという事が理解できる。


新しい女
 趣味の自由や婦人参政権といった権利を求める女性達は『フランダースの犬(1872)』の著者としても知られるウィーダが1894年に『New Woman』と名付けて以降、徐々に知名度を増していった。
 風刺画に描かれる新しい女達は、男女の境界を侵犯しつつも積極的に恋愛を求めるような、男性からの嫌悪と羨望が入り混じった些か都合の良い形で表象される傾向があった。


ナショナル・トラスト
 1895年に有志によって設立された、自然や古い建造物を保護する団体『ナショナル・トラスト』は、現代まで残る英国の文化遺産の保護に貢献した。
 保護意識の高まりは、裏を返せばそれが危機的状況にあったという事でもある。ヴィクトリア朝末期から第二次世界大戦期にかけて、財政難に陥った貴族が先祖代々の屋敷を手放す事が増え、個人の財産に依らない文化遺産の保護が求められたのだ。



【裏面】
ヴィクトリア朝の使用人達 -Victorian servants-

 カントリー・ハウスと呼ばれる豪邸に住み、不労所得で生計を立て日々を社交に費やす貴族の生活を支えるために、貴族の邸宅では多くの使用人が雇用されていた。
 使用人の仕事は、屋敷の掃除や家事、育児、社交のサポートなど多岐に渡る。裕福な家ほど使用人の数は多く、特殊な仕事に特化した専門職の使用人が見られるようになる。一方中流階級では、たった一人のメイドに全ての家事を任せる事も珍しくない。
 ヴィクトリア朝時代では、自ら労働をせず使用人を雇えるか否かが裕福さを示す分水嶺となっており、中流階級も貴族を真似して使用人を雇用したため、使用人の人口は急増した。男性の使用人には贅沢税が課されたので、その大半は女性であった。

 基本的にごく一部の役職を除いて、使用人は存在しないかのように、貴族の生活空間から分離されて生活していた。
 また、ヴィクトリア朝時代は男女の分離意識が強く、男性の貴族には男性の使用人(ヴァレット)が、女性の貴族には女性の使用人(侍女)が付くのが一般的であり、使用人の雇用主も男女で分かれていた。
 『ルビコニアン・サーヴァント』では、家政長(ハウスキーパー)が全ての使用人の監督者として登場するが、これは大規模な屋敷の組織構造としては明確な嘘であり、複雑な使用人の権力関係を簡略化するための作劇上の都合である。
 ただし、ハウスキーパーは管轄外の使用人に対しても強権的に振る舞える可能性のある職業ではある。使用人の権力関係はピラミッドのような階層構造になっているが単純ではなく、男女の使用人のリーダー(ハウスキーパー、執事)の他に、独立した雇用主付きの従者(侍女、ヴァレット)も存在しており、子供時代からの付き合いである乳母や家庭教師の影響も無視できない。
 公共の福祉が不十分であるヴィクトリア朝時代には、上級使用人を務めた人間であっても歳を取れば生活が困難になる。
主人に恩を売って生涯に渡る支援を得たい使用人達は、熾烈な権力闘争を繰り広げたのである。実際には極めて稀な例ではあるが、貴族との身分を超えた結婚による階級上昇を夢見る使用人も居た。
 使用人の世界は理論上は身分によらない実力主義であるという点で人々を惹きつけた。上級使用人にはそのように出世した成り上がり者の他に、未亡人であったり没落などを理由に働かざるを得なくなった上流階級の人間が職に就いた例もあった。



家政長(ハウスキーパー)
 女主人の代行者として屋敷を取り仕切る、女性使用人の監督者。マネジメントや帳簿の管理などの幅広い業務をこなす。
 比較的規模の大きい屋敷で見られる職業で、ハウスキーパーを雇う余裕のない家庭では、女主人や他の女性使用人が兼業する。
 典型的にハウスキーパーは権威の象徴として、屋敷中の鍵を腰に取り付けた服装をしている。
【画像:腰に鍵束を付けた、メイドのフロイト】


侍女(レディースメイド)
 侍女は部下を持たず、他の使用人からの監督を受けない独立した役職で、主のみに付き従う。
 社交の場に行く女主人のサポートや、話相手の役割を務める。男性の場合はヴァレット。
 外出する機会の多い侍女にはそれなりの服装が求められ、女主人の着古した服を貰い受けるなど、貴族と変わりない生活をする事ができたが、女主人との相性によって労働環境が左右された。
【画像:ヒナゲシの髪飾り、ドレスの上にゆったりとした外套を羽織ったスウィンバーン】


家庭教師(ガヴァネス)
 家庭教師は正確に言えば使用人ではないが、家族でもない特殊な立ち位置の労働者だ。
 ガヴァネスと呼ばれる女家庭教師は、少女や幼い少年に基礎的な教養や作法を教えるために屋敷に招かれる。男性の場合はチューター。
 ヴィクトリア朝時代に未婚女性が自立して生きられる数少ない職業の一つであり、典型的には晩婚化や、男性の海外移住の増加によって生まれた「余った女」の職業とみなされた。
【画像:教本を持つ、バッスルドレスのスネイル】


乳母(ナニー/ドライナース)
 乳幼児室(ナーサリールーム)で6〜7歳までの子供の面倒を見るメイド。健康管理や躾を行い、遊び相手も務める乳母は、役割を終えた後も子供から慕われて、交流を続ける事も珍しくはない。
 ヴィクトリア朝時代の貴婦人の仕事は、社交であったため、肉親が育児をすべきという規範は薄く裕福な家庭では子供のケアは使用人に任された。
【画像:モブキャップを着けた、メイドのホーキンス】


従僕(フットマン)
 通常、階下の存在として表に姿を見せない使用人の中でも例外的に、従僕は姿を見せる事こそが仕事である。
 男性使用人に贅沢税が課されたヴィクトリア朝時代の豊かさの象徴であり、飾りボタンの付いた派手なお仕着せで屋敷に彩りを与えた。
 人前に姿を表す仕事であるため、容姿の良さや背の高さが求められた。
【画像:装飾的な礼服を着たメーテルリンク】


庭園隠者
 神殿や古城などを模した、フォリーと呼ばれる庭園装飾用の、機能を持たない建造物が流行した18世紀頃に見られた、非常に珍しい職業。
 フォリーに住み、ドルイド僧のような格好をして、来訪者に意味深な問いや助言を投げかけて、謎めいた雰囲気を醸し出す「生きた装飾品」である。
【画像:ランタン付きの杖を持ち、ローブを纏ったオキーフとトントゥ(妖精)達】


デイリーメイド
 酪農室(デイリー)で乳製品を製造するメイド。18世紀頃に全盛を迎えた職業で、清潔さの象徴として美化され、貴族の羨望の対象にすらなった。
 デイリーメイドの仕事内容は職場の環境によって異なり、農場を持つ屋敷では農場労働者のように、酪農の仕事も行った。また家畜の世話や肉の加工、食卓の手伝いなどもデイリーメイドが担う事がある。
【画像:ミルクタンクを持ち、三角巾を着けたメイドのラスティ】


ボーイ
 ボーイは見習いの男性使用人であり、他の者がやりたがらない雑用を任される事が多い。
 その役割に応じて多様な呼び名で称される。
 主に十代半ばまでの少年の使用人であり、それ以上の年齢になると、従僕や御者などの上級使用人職を目指すか、転職の道を選ぶ事になる。
【画像:ハンチング帽、スーツ姿でランプを持ったペイター】