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望月 鏡翠
2024-10-08 22:42:51
6635文字
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世界観共有
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青春は終わらない
ブツメツフツマ/平均
一月、骨身に染みる寒さを感じても、雪が降ることはほとんどない。
地球温暖化とやらの影響だろうか。その言葉は社会化の授業以外では、コンビニでレジ袋を頼むときや、空調が弱めの店に入ったときしか目にしない。それでも影響は子供のときと比べると着実に出ている。
当たり前のように去年より暑い夏や、雪の降らない冬を見るたびにそれを実感する。
見えもせず聞こえもせず、感じ取れもしないものがあっても、存在しないわけではない。世界を少しずつ変えていき、変えられてしまった世界に直面して、初めて何か起こったのだと気づくことができる。
平は過去に、そういうものたちに直面し、立ち向かったことがあった。
絶都市神隠し事件といえば、オカルトに詳しい人間でなくても耳にしたことはあるはずだ。それは神隠しなどというレベルではなかった。逢禍学園丸ごとの消失。その人数は村一つを優に超えるレベルで数ヶ月にも及んだ。
そして神隠しが明けたとき、校舎の建物は消え、何人かは戻らなかった。
それに納得ができる説明ができる人など、いるわけがない。真実を語っても虚構を語っても、陰謀論と指を刺された。騒ぎは大きくなるだけなったあと、誰も明確な答えをくれなかったので、話題の旬を過ぎて下火になった。
それでも絶都市の出身者が目の前に現れるとなれば、好奇の視線に晒される。何があったのかと尋ねられる。
確かに平はあの場所にいた。しかし神隠しの被害者たちですら、思い出は一致しない。見えている人と見えていない人がいた。当事者と傍観者がいた。
原因は七億不思議と呼ばれる超常的、あるいは心霊的異質の存在である。これだけが揺るぎない事実であり、これが話を複雑にして、様々な憶測を読んでいる原因だった。
それを認めることは、オカルトの実在を受け入れるということである。
個々人単位では、真摯に話をして証拠を一つ一つ見せていくことで、信じてもらうことができる。だが世間という単位になると、それを認めさせることほどハードルの高いことはない。それは妄想が世の中に影響を与えることを認めることであり、客観的に観察し評価を下せない存在があることを、認めてしまうことでもある。
だから真実を公表しようという試みは、うまくいかなかった。幻覚やせん妄症状を疑われ、次に洗脳ではないかと疑いをかけられた。ナンセンスな冗談と笑い飛ばす人もいれば、実際の死者を前にふざけていると、怒りを顕にする人もいた。
一応は真実から遠い方法でそれを信じ込み、不本意な信仰に変えてしまう人もいた。
それらの情報をもとに逢禍学園を悪の組織として、フィクションを組み立ててしまう人もいた。
だから世間が納得がいく理由をつけようとした派閥もあった。しかし、それは嘘だという声が上がった。その証拠も存在していると彼らは声高に叫んだ。
それは間違いではない。何しろそれが悪意から出たものでないにせよ、嘘であることに変わりはないからだ。
嵐だった。
平は、自分のことに精一杯で、そうしたことに向き合っている余裕はなかった。
学園の真実や、納得のいく説明、世界の平和、そうした大義よりも、自分のこれからの生活が一番大切だったからだ。
過去の大きな事件の当事者になったことなど、社会においては何の得にもならない。むしろ大変なことばかりだ。
出願届に出身高校の名前をかくとき、妙に緊張した。それだけで、落とされたらどうしようと不安になった。初めての人と話すとき出身を知られれば、必ず神隠しの事件について聞かれた。
そういうとき真実を聞いた世間の人が、どういう反応を示したのかという記憶が、平の脳裏には掠めていった。
七億不思議に立ち向かっていない平は、ただの人だ。
非日常から離れれば、目の前には現実の道が横たわっている。
平凡な人生を歩くのに、逢禍学園出身者という肩書きが重た過ぎた。それにかけられる世間から向けられる期待の目に、応えられない。
自分たちしか経験しなかったことは、自分だけのものだ。それを他人に評価され、真偽を判断され、笑ったり悲しんだり怒ったりされるのは、あまりに身勝手だ。
だから大学に行ってから、平は出身地について適当に誤魔化していた。
幸い引っ越す前は別の場所にいたから、そちらの住所と思い出をいえばよかった。
年に何度か、実家に戻ってくる。年末年始や夏休み、その他、家に帰りたい気分になったときにだ。そういうとき、ようやく何の隠し事もなくなったような気持ちになって、息をすることができる。
絶都市の人間は、過去の事件について聞いてくることはないからだ。
青春時代を離れた平は、七億不思議に立ち向かうことはない。しかし関わらなくなっただけで、それは今だにそこに存在している。かつての平と日月と同じように、誰かが立ち向かいこの街に蔓延る脅威と戦っているのだろう。
離れ、意識から努めて追い出した青春を思い出してしまうのは、人生の節目を迎えて過去を懐かしく思うからだ。
今日は成人式だ。久しぶりに懐かしい顔ぶれと再開した。
入学式に身につけたときと全く変わらずよそよそしい着心地のスーツと靴。東京都違って有名人が挨拶に来るなんてことはない。派手な羽織を着た若者が暴れるなんてこともない。
市長の挨拶と激励を受けたら、各々のグループに分かれて街に散っていく。晴れて飲酒解禁。地元に残っていない仲間も多いし、大学に進学せずに就職した人もいる。積もる話もあるだろう。
さて、元ブライ所属だった生徒の悪いところだ。
個人主義がすぎるから、友人関係を保つ努力をしていない。
それでも同じ学校にいれば、授業が一緒だったりクラスで話したりはする。しかし、地元を出てしまうと、全く縁がなくなってしまうのだ。元旦におめでとうの挨拶くらいは送っただろうか。
少し寂しいが、家に帰ろうかと思ったあたりで、背中にクラクションの音がぶつかった。
驚いて振り向くと、平に向かって手を振っている人がいる。周囲を見回したが、その視線の先にいるのは、会場から立ち去ろうとしている平一人だった。
見覚えのある赤い髪。
「ヘーキン、乗れよ」
車の窓から、和服の黒い袖がひらひらとしていた。
「日月! うわ、袴じゃん。いかつ!」
元々の目鼻立ちがはっきりしていることもあって、かなり派手な見た目になっている。足早に駆け寄って、助手席に乗り込んだ。
あまり変わってないような気がするし、少し大人っぽくなったような気もする。
主に夜に活動していた頃よりも、少し日に焼けただろうか。
行き先を確かめずに助手席に乗り込む。どこに連れて行かれるのか、聞く必要はなかった。どこであっても構わないのだ。
相罠でなくなった二人にはもう命の危険はなく、学生でなくなったから門限もない。道は成人式から引き上げていく人たちとその送迎の車でごった返していて、どこに向かうにせよ、話す時間はあった。
「これ、レンタカー? それとも家族の?」
車社会にまだ触れていない平は、それをナンバーから見分ける方法を知らなかった。実家に帰省したときに、家族の車を借りて運転するという人はいる。渋滞中の道路を運転するハンドル捌きからは、その腕前を推測することは難しかった。
「俺の」
「日月の? え、車だよ」
念押しに日月が笑う。
「そうだよ、車。中古だけどね」
「買ったんだ
……
」
「バイトしてたし、こっちにいると結構使うからあったほうがいいだろ」
実際、今車に乗せてもらって快適だった。窓はまだ開いていて、まだ外の浮ついた雰囲気と繋がっている。みんなの横顔は卒業式のときより大人びていて、ふとした瞬間に高校生のときの表情に戻る。
その中でも、かつての同級生は一足先に大人の階段を登っているように見えた。
「今日は、どこに行くの?」
家まで送るために、わざわざドライブに誘ったわけでもないだろう。
「学校」
「学校?」
日月の返答を鸚鵡返しする。
逢禍学園が抱える様々な問題の中に、校舎をどうするのかということがあった。学園は破壊された。
外に社員住宅があった教員たちはともかく、寮生はひとまずどこかに住む場所を用意しなくてはならない。仮説の住宅や外部の宿泊施設でしばらくを過ごし、あるいはそのまま転校していき、仮の校舎で残りの授業や卒業式を行なった。
そのあと、七不思議の一つとして数えられるようになってしまった学園は、新たな七億不思議を生み出す温床となる可能性があった。面白半分に侵入するオカルト好きもいて、対処に苦慮しながらの作業は数年掛かりだ。
今でも、広大な学園跡地の瓦礫の全てが撤去されたわけではない。
背の高い建物がないから、学園跡地に近づいても空が広いままだ。そしてどこに何があったのかという思い出の辿るには、景色が変わりすぎている。作業が済んだ場所は広々とした空き地になっている。重機やトラックが出入りしやすいように、簡単に舗装され、泥とタイヤの跡が残っている。奥の方はまだ作業中で、コンクリートと鉄骨の間から雑草が伸びては枯れて、自然に還りかけている。
松尾芭蕉の俳句を思い出したが、今は夏ではないし、兵たちの夢は終わったわけではない。
新年早々に作業はなく、車は一台もない。
おそらく元々グラウンドだっただろう場所に車を止めた。最初から広い場所が残っていたので撤去作業や機材の搬入がしやすく、最初期に学校の面影が消えたところだ。
「何もないな」
「だからちょうどいいだろ」
何が、と問うために振り向いた平の手の中に何かが飛び込んでくる。反射で受け止めたそれは、革の匂いがした。
「グローブ?」
「ヘーキンのじゃないけど、サイズは合うと思う」
手には野球の硬球が握られていた。高校を卒業してしばらく握っていない。グローブは青春の思い出とともに、物置にしまわれている。
「行ってくれれば持ってきたのに」
上着を脱ぐと助手席に投げ込ませてもらった。シャツの裾をまくって、手に嵌めようとすると日月が止めた。準備運動と言いながら、本人も和服が着崩れるのも気にせず、大きく体を動かしている。
平もスーツの伸びない生地に動きを阻まれながらストレッチをした。久々にするまともな運動だ。ラジオ体操程度の動きですら、体の動かしていなかった場所に血が通い急速に暑くなるのを感じた。
手にはめると、指の間が粉っぽくなる気がする。よく手入れされた革製品は特有の匂いがする。それら全ての感覚が懐かしい。
白球は、日月の手の中にある。現役よりも流石に距離は近い。
振りかぶる。宙を舞う。
最初の一球はゆったりとした弧を描いて飛んできた。グローブ越しでも手が痺れる。右手に持ち替えて、投げる。
力みすぎて逸れ、しかも日月のところまで届かずに途中で地面に落ちてしまった。
「うわ、ちょっと待って。めちゃくちゃ体が鈍ってる!」
リハビリ中を思い出す。体が思ったように動かない。
「俺も、着物めちゃくちゃ動きにくい」
白球を投げる度に着物の裾が大きく揺れる。
「あのさ」
息を切らしながら、ボールと共に声を投げる。少し遠くに声を届けるために、言葉の端は少し雑になる。
成人式が終わって、日月が車を持っていることに驚いて、そのままここにきた。お互いの最近を、知らないままだ。
「なに」
白球と共に、言葉も往復する。やっているうちに体がかつてのことを思い出してきた。
「祓魔師って、まだ続けてんの」
相罠でなくなった平は、もうあの世界に関わる資格がない。戦う力がない今は用心深く距離を取るべき相手だ。
いや、違うなと平は自分の胸に湧いた言葉を否定した。高校時代に命をかけた。それは確かに色鮮やかな青春の模様となって、胸に刻まれている。だが、非日常の世界の扉はもう閉められてしまった。
卒業せざるを得なかった青春に、まだいられる人を見るのが嫌だったのだ。それが綺麗事ばかりではないことは身を持って知っている。ヒロイズムに浸って気持ちよくなっていたら、本当に命を落とす。覚悟なんて言葉が、安っぽく思えてしまうくらいには、あそこは実力主義で残酷だった。
「あー」
日月は返答を考えながら、白球だけ投げ返す。帰ってきた球を受け取り、しばし動きを止めた。
「生活圏に入り込んでたときだけだな。義務は無くなったし、バイトも忙しいし、夜中に見回りしてまではやってないよ」
「そうなの?」
「そりゃ、そうだろ。俺、祓魔師にはならないし、自分のことやらないと」
平が離れたのと時期を同じくして、日月も離れていた。
「
……
そうなんだ。っと、ごめん」
撮り損ねたボールが、地面を転がった。地面の窪みに転がり込んで止まる。
振り向くと、日月は休憩と言って車に戻って手招いた。後部座席から取り出したペットボトルを、平にも投げる。近づいたから、もう二人は声を大きくしなくても良かった。
少しキャッチボールをしただけで、息が上がる。
日月は袴で動いたので、別の意味で疲れたようで同じく肩で息をしていた。
グローブを外し、喉を鳴らして水を飲み干すと、車にもたれた。
空を見上げると、冬の空の色は薄くて高い。高校生のとき、この頃にはもう七億不思議を巡る事件に巻き込まれていて、ゆっくり冬空を見上げている余裕などなかった。
ただ、空はこんなに広くなかった気がする。
「意外?」
「意外かも」
祓魔師は祓魔師になると思っていた。何者でもない平からすれば、何者かになれるのに、それを手放すというのを可能性として考えていなかったのだ。
「あのときの俺は、何かになりたくて焦ってた。あの最後の戦いのときに、色々吹っ切れて俺は俺だって、ようやく分かったんだ。腑に落ちたっていうか、ようやく実感として染みた」
自分は自分でしかない。
それは何度も耳にする言葉でありふれているが、自分のものにするのは難しい。最後に全員と同じ答えに辿り着くとしても、そこまでの道のりは自分で歩いて、しっかりと自分のものにしなければ意味はないのだ。
「日月は、すごいよ。俺から見たら祓魔師である時点で何者かにはなれてると思ってたし、俺自身はまだ、何になれるんだろうって思ってるし」
今だに飽きることなく、平は平凡な自分という人間について考えている。ただその悩み事は前ほど深刻ではなくなったし、その悩みを持っているのは自分だけではないということにも気づいている。
もっと命に関わらない事柄、例えば将来や家族に関わる選択、友人や恋人関係といったもっと普遍的な悩みの中でも、人は自分が何者なのかと悩んでいる。
日月のように何かのきっかけで腑に落ちて、自分のことを受け入れられるようになるまで悩み続けるしかないのだろう。
「俺から見たら、とっくに何かになってたけどな」
「ええ
……
?」
ありがちな慰めをもらったようにしか見えず、平は疑う目つきで見つめ返した。自分に向けられた視線の温度がよほど面白かったのか、日月が笑う。
「傷」
肩をとんとんと叩く。そこには七億不思議に負わされた傷跡がある。
「確かに、祓魔師ではなかったけどさ、それでも俺の相罠になっただろ。この傷を負ってそれでも逃げなかったのって、多分もう何者かになれてたんじゃないかな」
「そうかな。
……
そうなのかも」
もう動かすのに不自由はないが、傷跡だけが残っている。
「そうだね」
平は頷いた。
相棒から見たら、平はちゃんと何者かだったのだ。
数年前、問いかけられたときには答えが出なかった質問の答えが、今ようやく出た。
「よし、帰るか。ヘーキン」
グローブを後部座席にしまうと、日月は運転席に乗り込んだ。
「ヒトシ」
続いて助手席に乗り込みながら、平は訂正した。
「ん?」
「ヘーキンじゃなくて、ヒトシだよ」
「今更かよ」
日月が噴き出す。
「別に今更ってこともないだろ」
これからの人生の時間を考えれば、まだ遅すぎるなんてことは絶対にない。
「俺さ、日月と相罠でいられてよかったって思うよ」
車が発進した。
校舎の跡地を、二人はもう振り返らない。
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