【カブミス】美しい後悔

夜ベッドを抜け出してどこかに行ってしまうミスルンと、その行く先をなかなか尋ねられないカブルーの話。

 あなたのいない天国よりも、あなたのいる地獄の方がよっぽどいい。だってあなたは俺のかけがえのない人で、俺の半身だから。切り裂かれる思いをするのなら地獄がいい。優しいばかりの天国で、あなたを失いたくない。
 
 
 たくさんキスをして、お互いの肌を隅々まで探り合って、深いところまで繋がった夜、ミスルンさんは時折一人で部屋から抜け出す。どこに行っているのか尋ねたことはない。彼にも秘密があって、それを俺が暴くのはよくないと思ったから。でも、そういう夜、ミスルンさんはいつもさみしそうな顔をしている。そして、何かを失ったような顔をしている。俺たちはお互いを分かち合って幸せなはずなのに、そこから一番遠いところにいるような顔をしている。
 そんなふうだったので、尋ねた方がいいのかなって、思う時もある。尋ねかけた時もある。どこに行っていたんですかって、もしかして身体がつらいんですかって。
 でも、それは声にはならなかった。昨日の夜も俺は寝たふりをしてミスルンさんを見送って、一時間もかからずミスルンさんは寝室に戻ってきた。不思議なことに、それはミスルンさんの邸宅で共寝している時だけに起こることで、だから多分、ミスルンさんは自分の家でしかできない何かをしているのだろう。あぁ、駄目だ、そんなことを考えては駄目だ。秘密を探るようなことはしちゃいけない。そう思うのに、俺はミスルンさんのことばかり考えている。さみしそうな、ミスルンさんの顔ばかり考えている。
 
 
 そんなミスルンさんから伝書鳩で手紙が来たのは、最後にベッドを共にして一週間くらいしてからのことだった。ちょうど休日前の、そんな日のことだった。
 俺はその小さな手紙を、眠気まなこをこすりながら自分のベッドの上で読んだ。内容は、今夜食事でもどうかという慎ましやかなもの。でも、それは確実に夜のお誘いで、俺はにやにやする顔をつまむのに忙しかった。
 俺はもちろんと書きつけて、伝書鳩で手紙を飛ばす。今日は仕事が忙しい日だったけれど、そんなのはどうだっていい。全力でこなして、彼の家に行こう。美味しいご飯を一緒に食べて、一緒に風呂に入って、彼の身体を綺麗にしてやって、髪をといたり、傷だらけの身体にクリームを塗ったりして、かさついた唇にも油を塗ってやろう。そしてふかふかのタオルで身体を拭いたら、一緒にベッドになだれ込むのだ。
「ずいぶん仕事を頑張ってらっしゃいますね。いいことです」
 我ながら考えられないスピードで仕事をこなしていると、さらに大量の書類を持ってヤアドが宰相補佐に与えられる執務室にやって来た。俺はその量にげんなりしながらも、「今日は定時で帰る予定なので」と言う。その顔がにやついていたのか、ヤアドは「入れ込むのも考えものですね」と言って、俺の馬鹿な顔にため息をついた。
 ヤアドは俺と、ミスルンさんの関係を知っている。というか、城の重要人物たちのうち、近しい者たちは俺たちの関係を知っている。だから今さら恥じることでもないのだが、やっぱり少し恥ずかしかった。
「その仕事が終わったら帰っても構いません。いい休日を」
「ヤアドもいい休日を」
「私は仕事ですよ」
 笑ってヤアドが扉の向こうに消えてゆく。俺はそれに苦笑いをして、また仕事に戻った。いい休日を、か。いい休日になったらいいな。ミスルンさんを大切にできる休日になったらいいな。俺はそんなふうに思う。帰りに花を買って行こうか。ミスルンさんの家にはたくさんの花が植っているが、それでも彼に贈り物がしたいから。
 俺はそんなことを考えて、仕事に没頭する。愛したら愛されると、そんなことを思って、仕事に没頭する。
 
 
 夕暮れ時、花束を持ってミスルンさんの屋敷を訪ねると、まず使用人が現れ、その次に奥からミスルンさんが姿を見せた。窓から差し込む夕陽が彼の顔に陰影を作って、それはそれは美しかった。でも、彼は俺の花束を見て、小さく口元をほころばせてため息をついてから「ありがとう」と言った。ちょっと恥ずかしがっているみたいだ。俺も少しキザかなって思ったんだけれど、それでも彼に思いを伝えたかったから。
 俺たちはそれから食事をして、一緒に風呂に入って、ベッドでお互いを慈しみ、何度も、何度もキスをした。それはいつもと同じことの繰り返しだったけれど、仕事で疲れた身には染み入った。掠れた喘ぎ声、硬い筋肉と、柔らかな肉の境目に指を入れる瞬間の快感、彼の身体に踏み入る時の高揚感。俺は自分でも分からないけれど、いつもより興奮していた。ミスルンさんからの誘いが久しぶりだったからかもしれないし、単純に一緒に寝るのが久しぶりだったからかもしれない。俺たちは清潔な部屋で、清潔でない交わり方をした。整えられていたシーツは、いつの間にかぐしゃぐしゃになり、ミスルンさんはよだれを垂らして俺の名を呼んだ。俺はそれに答え、きつく腰を動かし、彼の名前を呼び続け、キスを続けた。
 幸せだった。幸福だった。
 でも、ミスルンさんはまたいなくなってしまった。気づけば、ぐしゃぐしゃになったシーツの上には俺しかおらず、冷えた部屋の中に一人きりだった。ベッド脇のテーブルには、俺が持ってきた花束がいけられていて、でも、それはさっきより少し減っていた。ミスルンさんが持ち出したんだろうか? 俺はそんなことを考えて、ベッドから降りる。ミスルンさんの秘密を知りたいわけではなかったが、それでも好奇心はおさえられなかった。俺の花を持って、あの人はどこに行ったのだろう。
 どうしていいか分からず、俺は足元を見る。するとそこには花がつけた花粉が落ちていて、俺はそれをたどって月が光る、小さな庭に行った。そこにはミスルンさんが座っていて、庭師が手入れする花々が美しい彼の手元には、俺が持ってきた小さな花束のかけらがあった。
「ミスルンさん?」
「カブルー……
 俺はミスルンさんを見つめる。彼の手元を見つめる。するとそこには小さな白い石があり、そこにはエルフ文字で何かが削り込まれていた。でも、今は読む気にはなれない。彼の秘密に踏み入るような気がして。
「どうしたんです? 冷えますよ。寝室に戻りましょう」
 そう言っても、ミスルンさんはすぐには動かなかった。それどころか、白い石を撫で、祈るような仕草を見せた。俺はそのエルフ特有の仕草に、あれは墓だ、と本能的に思った。
「誰か大切な人ですか?」
 だから俺は、じっと前を見つめるミスルンさんに、後ろから尋ねた。するとミスルンさんは頷いて「私が殺した仲間たちや、冒険者たちだ。骨も残らなかった」と笑ってみせた。ということは、俺と寝た夜に、彼はそんな幸せな夜に、自分のおかした罪に向き合っていたということだろうか? だったら俺も一緒にその罪を償いたい。死んでしまった者にはもう何も出来ないが、ミスルンさんが癒やされるのならば、進んで罪を償いたい。
 俺はミスルンさんを真似て、祈りを捧げる。二人分祈ったら、あなたが許されるかもしれないから。
「駄目だ、カブルー。そんなことをしても私は地獄行きだ、お前とは行き先が違う。それに短命種のお前とは、生きる長さも違うのに」
 ミスルンさんが寂しそうに言う。俺はそれに彼を抱きしめてやりたくなったが、そんな陳腐なことは出来ない気もした。彼が欲しいのは、今は暖かさではないだろう。そういう暖かさではないだろう。
「じゃあ地獄で待ってますよ」
「え?」
「あなたのいない天国よりも、あなたがいる地獄の方がいいから」
 ミスルンさんの、夜を重ねた黒い目が大きく開かれる。彼は口元を震わせる。さっきまで散々キスをして、あえいだ唇を震わせる。
「地獄は苦しいのに?」
「いいえ、別れの辛さの方がずっと苦しい。あなたと再会できるのなら、地獄の方がよっぽど幸せだ」
 俺は言う。ミスルンさんが花束を握りしめる。茎がぐしゃりと潰れて、青臭い匂いが漂う。でも、庭にはたくさんの花が植えられているから、俺たちはその天国のような場所でお互いを見つめあった。
 そうして俺たちはキスをした。寝間着姿のまま、キスをした。
 ミスルンさんが作ったのだろう、小さな墓標は花に包まれている。
 美しい後悔はずっと続くのだろう。それでも、俺は彼と一緒にいたい。
 いつか後悔する日が来ても、俺はずっとこの人とともにいるのだ。