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2024-10-08 15:03:31
4558文字
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けだまとパニック

けだまものがたり2

 世に人ならざるモノが紛れ込んでいることは、多くの人の子には知られていない。カラスどもが開催する賭場と同じく、知る人ぞ知る事実、というものであった。
 人のふりをして生きているわけだから、大抵のモノは人間世界の金を得るために働いている――真経津のように堂々と無職を名乗る者も、もちろんいるが。村雨の場合は人間相手の総合病院に、外科医として勤務していた。
 激務の外科医に比べて、休日は、賭場で得た金で患者を買い、腹を開くという趣味もある。加えて人間世界の医者にかかることができないモノたちが、治療を求めてやってくる。村雨の広大な自宅は、生活の場であると同時に趣味の秘密基地でもあり、モノ専門の医院でもあるのであった。
 つまり――トラブルの種には事欠かない。
 大抵の種は芽吹く前に除去してしまう村雨だが、稀に――ごく稀に、院内で暴れるような患者もいる。それに村雨がモノだと――猫又だと知った人間が、何らかの目的で誘拐などしようと襲ってこないとも限らない。
 だから村雨の広大な自宅には、それなりのセキュリティが敷かれている。今、村雨が設備点検をしている場所も、そのセキュリティの一つだった。
 一般にパニックルームと呼ばれるそれは、六畳程度の細長い部屋で、寝室とつながったウォークインクローゼットの突き当たり、掛けられた衣類の奥に入口が隠されている。防弾仕様の扉は、閉めて立てこもってしまえばまず破ることができず、侵入者たちが悪戦苦闘している間に、契約しているセキュリティチームが駆けつけて救出してくれるというわけであった。
 人間の身には少し手狭に感じる部屋だが、猫形になってしまえば、設置してあるふかふかのソファ一つで十分すぎるほど事足りる。食料と水も備蓄してあるし、最悪の場合、丸一日立てこもっていても不便はなかった――家ごと燃やされでもすれば話は別だが。
 室内にはモニターがあり、手術用リビングや玄関のセキュリティカメラをここから覗くこともできる。寝室にはカメラはないものの、代わりに、ここから音声を聞くための設備があった――扉を閉めてしまえば室内は、外でなにが起こっているかがわからないほどの無音になってしまうのだ。
 今日はそういった設備の、ささやかな定期点検の日である。だが備蓄の賞味期限を、リストと照らし合わせて確認していると、ひゃー、という間の抜けた声が漏れ聞こえた。
 ――獅子神か。
 頭の上に出したままの、人より優れた猫の耳が、ピクピクと動く。むらさめー、と狐の言葉で彼を呼んだのは、ちょっとした事情で現在彼が養育している、小さな彼のけだま――けだまのようにころころとした、一匹の仔狐であった。
 先ほどまで、書斎で書き物をしていた村雨のかたわらで、遊び疲れて昼寝をしていた獅子神――へそを天井に向けた、その呑気な寝姿を村雨は思い出す。すると、ひゃー、と再び村雨を呼ぶ声が聞こえた。
 拾われたばかりの頃は声も出さず、物陰に丸くなってずっと外界を警戒していたものだが、今となっては野性の欠片もない――野に生きる獣であれば、声を上げて親の姿を探したりなどはしない。ただ、それは獅子神もまた「モノ」であり、知性ある生き物のおさな子としての一面を持っていることと、獅子神にとって村雨のこの自宅が、絶対的に安全なスペースであることを示している。
 いずれまた呼び疲れて眠ることだろう、と、村雨は作業を再開した。
「ひゃー」
 むらさめだいすきー。
「ひゃー」
 むらさめどこー。
 ……声の響き具合からするに、どうもあのけだまはフラフラと動き回りながら、村雨の姿を探しているらしい。獅子神が好きに動けるように、彼が入室してよいエリアはすべて戸を開け放っているのだから、当然と言えば当然である。
 そういえば今日は開腹予定の患者もいないし、手術リビングも開け放ったままだった――と、村雨はモニターの前で向かい、セキュリティカメラの画面を起動させた。
 案の定、広大な――あの小さな身体にとっては特に広大であろう部屋の中を、黄金色の小さなけだまが、ふよふよ動いては「ひゃー」と辺りを見渡している。
 顔にあたる部分が小さく揺れたところを見ると、ひくひくと鼻を動かして、村雨のにおいを探しているようだ。
 眺めているうちにやがて、小さな身体はしおしおとしぼんで、ひゃー、と力なくつぶやいた。
 とぼとぼと歩き出しながら、また懸命に鼻を動かしている。
「ひーん……
 むらさめえぇ……
 人間の幼児ならばすすり泣いているような鳴き声が、カメラと肉声から漏れ聞こえてきた。
 カメラから姿は消え、少しばかり肉声の方が大きくなる。
「ひーん……
 むらさめどこぉ……
 あまりにいじらしいその声を聞いて、村雨には困ったことに――むくむくと、いたずら心が湧いてきた。
 開け放たれたままの扉をしっかりと閉め切り、壁のボタンをカチリと押し込んで、パニックルームをロックする。
 室内はシンと音が消え、哀れな泣き声も、わずかにカメラが拾うばかりとなった。
 そうして村雨は、室外の音を聞くためのマイクを起動させる。
 また、ひーん……ひーん……という泣き声が再開され、そして、それが少しずつ近づいていることを村雨に知らせた。
 しょぼしょぼしながらも獅子神は確実に、においの方角に近づいているらしい。
『ひーん……ひゃー……
 むらさめ、ここ?
 そう呼びかけながら、音が急激にクリアになる。獅子神は寝室に入ってきたようだ。
 そうしてマイクに近づいたり遠ざかったりしながら、ひーん、という泣き声が室内をうろつき、足音でふかふかとカーペットを揺らしている。
 どうもウォークインクローゼットとの境目あたりを、うろうろとしているようだ。
 ――嗅覚は悪くないようだな。
 村雨がそう考えていると、不意に、ぱたりと泣き声が途絶えた。
……?」
 村雨はマイクの感度を上げる。
 シン、と静まり返ったまま、何の反応も返っては来ない。
 ――泣き疲れて眠ってしまったのか?
 あるいは、と、村雨は顔をしかめた。
 ――まさか外に出ようとしている?
 家の中にはいない、と知って、獅子神は庭を探しに出ようとしているのではないか。
 あの背丈で扉を開けることなどできないはずだが、もしや自分は換気のために、どこかのベランダを開けたままにしていただろうか。
 ――いや、そんなはずはない。
 そう思いながらも、あまりの静けさが気に掛かって、村雨はモニターから離れ、部屋のロックを解除した。
 ドアノブをひねり、引いて、補足ドアを開け――うかがうように顔を出す。
 瞬間、
 ――あ、しまった。
 鼻に飛び込んでくる、馴れた匂い――と同時に、
「ぴゃー!」
 全身で歓喜を表わしたような、そんな声が耳にも飛び込んできた。
 視線を下げると、扉の目の前に小さなけだまが転がっていて、ぴょーい、と元気よく飛び跳ねる。
「ぴゃー!」
 むらさめいた! ここだとおもった!
 普段なら村雨がすくい上げてくれるのを待つのだが、喜びの余り待ちきれなかったらしく、またぴょーい、と跳んで村雨のスラックスにとりつき、懸命によじよじとそれは脚を上ってくる。
 パニックルームの外に出ると、村雨はそんなけだまを持ち上げて、おわんの形にした両手の中へとおさめた。
「よくここだとわかったな」
「ぴゃー!」
 におい!
 そう元気よく鳴いてから、獅子神は「むらさめ、かくれんぼ?」と、どこで覚えたのかわからぬような遊戯の名前を口にする。
「いや……この部屋の手入れをしていた」
 背後の隠し扉を視線で指し、村雨はややしっとりした――けだまは汗をかかないのでこれは涙なのだろう――毛皮を優しく撫でた。
 ころころとした身体全体をかしぐようにして、けだまは疑問を表明する。
「この部屋は、何かよくないモノが侵入してきたときに隠れるための部屋だ。中にも仕掛けがあって、今はその仕掛けをチェックしていた」
「ひゃー」
 考え深げに一声鳴いて、けだまは口を引き結ぶ。
「何にしても、あなたに怖い思いをさせて悪かったな。おやつにしよう」
 こわくない! むらさめいるってしってた!
「ふふ、そうか」
 ぴゃーぴゃーと反論するけだまをくしゃくしゃと撫でてやりながら、村雨は小さく笑った。


 村雨は幼い頃から一室を与えられて育った。だから獅子神に対する村雨もまた、養育する大人の義務として、客室の一つを獅子神の部屋として与えた。
 ただ、自力では扉を開けられぬけだまのために、就寝の際にも自分の寝室は細く開けておくようにしている。だからその夜、村雨が目を覚ましたのはむしろ当然のことであった。
「ひーん……
 昼間に聞いた泣き声が、細々と部屋に入ってくる。
 村雨はベッドから降り、扉を大きく開けると、廊下に目当ての姿を見出した。
 寝ぼけているのだろう、小さな鼻をひくひくと動かしながら、獅子神は廊下をさまよっている。
「どうした、ししがみ」
 すくい上げて軽く揉んでやると、けだまはもぞもぞと丸くなり、村雨の手のひらに顔を擦りつけてきた。
「ひーん……
「うん」
「ひゃー……
……なに?」

 おれ、つかまったらどうしよう。

 寝室に歩み入りながら、村雨は小さく溜息をついた。
 半ば寝言のような泣き声を聞き取るに、どうも獅子神はあのパニックルームを、「むらさめが」隠れる場所だと受け取ったらしい。
 つまり危険が訪れたときには、村雨はそこに隠れ、自分は自分で、何か工夫をして隠れなければならない、と思ったのだ。
 ひーん、と泣いて獅子神は、不安を訴える。どうも獅子神は、村雨に置いていかれて一人で隠れる夢か想像かで不安になっているらしい。捕まるのも不安だし、捕まったときに自分が「ごうもん」されても村雨の居場所を吐かずにいられるか、というのもまた不安であるらしかった。
 この小さな身体には、賢さと幼さと、何より動物にはない想像力が詰まっている。このような不安にさいなまれるのも、無理はない。
「私は説明が足りなかったな」
 ウォークインクローゼットの中を歩き、村雨は、あのパニックルームの扉を開ける。
「ひゃー……?」
 むらさめ?
「逃げるときは二人一緒だ」
 そうなの?
「もちろんだ。ほら、私たちは今、一緒に隠れ家にいる」
 けだまはのろのろと、丸まっていた身体を伸ばして辺りを見上げた。
「今日はここで一緒に眠ろう。そうすれば、不届き者がどれほど押し寄せても何の心配もない」
 村雨は一瞬で黒猫の姿に戻ると、口にけだまをくわえて、ひょいと椅子の上にのぼった。
 小さな身体を取り囲むようにして丸くなる。
 するとけだまはもぞもぞと、腹の下に潜り込むような仕草をした。
 村雨は身体を丸め、その黄金色の毛皮を丁寧に舐めて毛繕いする。
 獅子神の身体は村雨が丁寧にシャンプーしているから、もちろん、毛繕いの必要はない。
 それでも村雨は、けだまの中から小さく平和な寝息が聞こえてくるまで、毛繕いをやめることがなかった。