お芋さん太郎
2024-10-07 23:59:59
9798文字
Public ONEPIECE
 

③ポーラータング




ちょうど診察の終わったタイミングで電伝虫が鳴った。
ペンギンが受話器をとり、相手と数十秒ほど、なごやかに言葉をかわして顔をあげる。

「コラソン様」
……
「おーい、コラソン様」
……
「ハァ……ローさん」
「なんだ」
「ポーラータングから入電」
「まわせ」

ローはペンギンから役職で呼ばれることを好まない。
それは特にふたりでいるときは頑なだ。

今回も例にもれず、名前で呼ばれるまで気高いノラ猫みたいにトガった態度で知らんぷりをした。
そして根負けしたペンギンがため息まじりに名前で呼ぶまでがお約束なのである。

「おれだ」
『ハァい、コラソン様』

電伝虫が明るい女性の声を紡いだ。
それに調子を合わせるように、ローの声のトーンも少しだけあがる。

「元気そうだな、イッカク」
『おかげさまでね』
「なにか用か?」
『用ってほどでもないんだけど、最近お店来てないでしょ。今夜あたりどうかと思って。東の海の特別高級な、コラソン様お気に入りの酒が流れてきたんだ』
「へェ、そりゃいい」
『リオンとジャニスも会いたいって騒いでる』
「そいつは断れねェな」
『じゃあ来るって伝えとくよ』
「ああ頼む」

通話を終えたローが受話器を置き、クルっとペンギンに向き直る。
北の海からの馴染みの顔に人さし指を向け、責めるような口調で言った。

「何度も言ってるがなペンギン。お前だけはおれを『コラソン』と呼ぶんじゃねェ」
「何度も言ってるけど、それは無理があるってローさん。距離感を考えてくれよ。勘ぐられるのはおれなんだ」

ペンギンは医療器具の片づけを止めないままに答えた。
それはこれまでに何度も何度も繰り返した問答だった。

ローはもともとコラソンと呼ばれるのが嫌いだ。
13年前、ローが一番大変だったときに彼の命と心を救ったのが『二代目コラソン』。
ローにとってのコラソンはコラさんと慕った『二代目コラソン』以外、自分も含めて他の誰でもなかったからだ。

しかし大人の世界はローの気持ちなんてお構いなしだ。
ドフラミンゴが民衆の前に立つ回数が増えるにつれ、ローも『三代目コラソン』としてドレスローザ中に浸透してしまう。
そしていつしか、ローもその呼び名を受け入れるようになったのだ。

立場が許せばペンギンだってローを名前で呼びたいと思っている。
彼の健気な悪あがきに乗っかって、昔みたいに躊躇いなく「ローさん」と呼べたらどんなにいいか。
それなのに現実はいつも、極寒港の氷しぶきみたいに冷たくて非情である。
だからペンギンは誤魔化すように話題を変えるしかなかった。

「今夜行くのか? ポーラータング」
「ああ。リオンとジャニスに呼ばれた」

ふたりの女の子の名前が出たとたん、ペンギンの顔が悔しそうに歪む。
血の涙を流さんばかりにギリギリと歯を食いしばり「聞かなきゃよかった」と小さくうめき声をあげた。

……くっそ、店のツートップじゃん。さすがおモテになられますねコラソン様。やっぱり顔?」
「てめェ」

眉間の谷を深めたローに、ペンギンはアハアハと声をあげて笑う。

同じファミリーに所属しているとはいえ、ふたりがこうして軽口をたたきあえる時間はそう多くない。
コロシアムでの医療行為以外の時間、ペンギンは常に上司のディアマンテにピッタリくっついて補佐をしているからだ。

この短い時間だけが、ローがただのローとして、ペンギンがただのペンギンとしてふるまえる唯一だった。

「そういや、ディアマンテ様も今夜行く予定だったはず。イッカクのことだから問題ないとは思うけど」
「お前も?」
「当然。タダ酒飲めるならどこにだって行くね」
「たいしたやつだよ、お前は」

ペンギンは口を半月にしてニパッと笑った。
ファミリーはペンギンにとって決して安らげる場所ではなかったが、そうだとしても彼は強く図太く生きてきた。

幼いころから北の厳しい環境にもまれて育ったのだ。
多少のガマンやストレスは彼にとって、道に落ちている小さな石でしかない。
そういう強かさをペンギンは持っていたし、そういう彼をローは信頼している。

ペンギンが時計をチラっと見て片づけの手を早めた。
ディアマンテのもとへ戻る時間だ。
「じゃあ、また明日」とローにひと言ことわり、いそいそと扉に手をかける。

「ペンギン」

ローが遠ざかる彼の背に声をかけた。
ふり向いたペンギンの顔は笑えてくるほどキョトン顔で。

「無理するなよ」
「ローさんもな」

ローがいつもよりも少しだけ頬をゆるめると、ペンギンはヒラヒラと手を振ってそのまま部屋をあとにした。



ところ変わってサニー号。

麦わらの一味との話し合いがひと段落し、ふと懐に意識を向けたロシナンテは、ハッとした顔で胸のポケットに手を伸ばした。

ロシナンテをイジって遊んでいたルフィ、ウソップ、チョッパーが興味津々でそれを見ると、彼の大きな手のひらには電伝虫がチョコンと座っている。
ロシナンテの手は身長に合わせてそれなりにデカい。
見慣れたサイズの電伝虫が、ずいぶんかわいらしく見えた。

きっと長いあいだプルプル言い続けていたのだろう。
疲れきった電伝虫は泣きべそをかきながらもなお、聞こえない着信を告げ続けていた。

「ドジった! 音消してたのすっかり忘れてた!」
「あ~、こんなになっちまって。早く出てやれよ」
「だれだ? 相手は」
「ずいぶん長いあいだ鳴ってたみたいだな」

呆れたウソップがロシナンテを小突いたら、電伝虫をとり落としそうになってワタワタと慌てる。
危なっかしい手つきでそっと芝生に置くと、ルフィとチョッパーがかわいそうな電伝虫をツンツンとつついた。

のんきな3人に対して、ロシナンテの顔は神妙だ。

「おそらくドフラミンゴだろう」
「やめ! とるのやめ~!」
「ギャー! 狙われる~!」
「静かにしてくれ! まだおれがこの船に乗ってることを知られたくねェんだ」

ウソップとチョッパーが受話器をとろうとするロシナンテに手をバッテンにして抗議する。
彼らの顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃだ。

だがロシナンテはこの電伝虫をとらないわけにはいかない。
ドフラミンゴから連絡がくるように仕向けたのは、他でもないロシナンテなのである。

ナミとウソップがパンクハザードで仕留めたベビー5とバッファローは、いま現在もナギナギの能力で音を消した状態だ。
そしてベビー5をもう一匹の電伝虫とともにイカダで海に流し、バッファローはGー5のいるパンクハザードへ置いてきた。

少しの時間かせぎと、電伝虫を繋がなければならない状況をつくりだすのが目的だ。
そしてもくろみ通りの人物が釣れた。
ロシナンテがひとつ呼吸をおき、受話器に手をかける。

物怖じしてる場合ではない。戦いはまだ始まったばかりなのだ。



パンクハザード近海では、ミニスカメイド服のベビー5と南国チンピラスタイルのドフラミンゴが小さなイカダにふたりで乗っていた。

海楼石の鎖で繋がれたベビー5だったが、声どころか物音ひとつ立てることができず、悪魔の実の能力にやられたことは明らか。
バッファローは見あたらない。電伝虫は鳴らしているのに相手が出ず、イカダの目印となった発煙筒の煙はかすれた焦げくささをまき散らす。

すべてが不快だ。
つまり、状況は最悪だった。

これがドフラミンゴの平常心を崩す作戦だというのならば、それは大成功だ。
しかし相手がロシナンテなものだから、きっと重ねに重ねたドジの結果なのだろう。
だからこそ、よけいに苛立たしい。

ロシナンテが生きているとドフラミンゴが知ったのは、13年前、ミニオン島でのことがあってから数か月後のことだ。
それまでは完璧に海軍に潜入していたヴェルゴのスパイ活動が突然ばれ、前触れもなく軍を追われることになったのだ。

ヴェルゴも実力者であるとはいえ、そこは敵の本拠地である。
あまりに多勢に無勢だった。命からがらドフラミンゴの元へとたどり着いたときには、彼はすでに満身創痍。
それでもヴェルゴはドフラミンゴにとって2つの重要な情報を持ち帰ることに成功した。

ひとつは、ロシナンテが生きて海軍に保護されたということ。
もうひとつは、ローが海軍に保護『されていない』ということだ。

ドフラミンゴはロシナンテのせいでグランドライン入りや七武海入りを予定よりも大幅に早めるハメになったが、そのかわりに北の海の小さな島に隠れ住んでいたローを見つけることができた。
オペオペの能力者を、手中に収めることができたのだ。

ロシナンテはファミリーを裏切った。
ドフラミンゴの心を裏切った。
世界で最も尊い血でつながった兄弟を裏切った。

それなのに殺し損ねてこうしてまた牙をむいてくる。
力も金もないくせに、バカみたいに真正面から突っ込んでくる。
それはドフラミンゴにとって、あまりにも屈辱的なことであり、恥そのものだった。
輝かしい未来に巣食う、一匹のうす汚い害虫であった。

道を違えた邪魔な虫は駆除しなければならない。
地を這う虫なら踏みつけて。
空飛ぶ虫なら叩き落とす。

愚かな父の、頭の重みを両の手で感じたあの日から、ドフラミンゴはそうやって生きてきた。

右手におさめた受話器から、無機質なコールが続く。
何十回コールしてもうんともすんとも言わない電伝虫に顔を歪めたが、獲物への唯一の足がかりだ。
めげずに続けていると、待ち望んでいた相手が受話器をとる音が聞こえた。

……やっと出たな」
『久しぶりだな、ドフラミンゴ』
「コラソン……いや、ロシナンテ」
『お探しのシーザーなら、おれと一緒にいるぜ』
……ジョ、ジョーカ~~~! 助けてぐれェ!』

電伝虫がおかかえ科学者のだみ声で情けなく叫んだ。
チッと通話に入らないほど小さく舌打ちをし、疑問を投げかける。

「ベビー5の声がねェのは、お前の能力か? バッファローはどこにいる」
『ベビーの声はあとで返してやる。会話のジャマされたくねェもんで。バッファローはパンクハザードだ、まだGー5に連れて行かれてなかったらだが』

血の繋がった家族であるロシナンテが、ドフラミンゴの『ファミリー』にヒビを入れようと策するのは実に滑稽だ。
滑稽だが、ひとつも笑えない。

ドフラミンゴはグツグツと全身の血が煮えたぎるのを感じた。
無意識のうちに手に力が入り、受話器がギシギシと悲鳴をあげる。

「フッ……フッフッフッフッフ! 考えナシは相変わらずだな、ロシナンテ。おれを怒らせるとどうなるか、お前は身をもって知ってるはずだ」
『よーく知ってるさ、昔からお前は人に鉛玉を食わせるのが大好きだ』
「今度は心臓に食わされたくなきゃァ言いやがれ。いまどこにいる!」
『教えてやってもいいがお前、おれに怒ってる場合か?』
「あァ?」
『お前にとっていま一番大事な取り引き相手をおれは知ってるぜ。四皇のひとり……大海賊〝百獣のカイドウ〟。お前のほうこそ、この男だけは怒らせるわけにはいかねェはずだ』

ロシナンテの憎たらしいほどゆっくりとした語りに、ドフラミンゴのこめかみの血管がピクリと動く。
額には冷たい汗がにじんだ。

人造悪魔の実『SMILE』の材料となるSADを作っていたパンクハザードは壊滅、その製造法を知る唯一の科学者シーザーもロシナンテの手中だ。
カイドウとの取り引きに支障が出るのは時間の問題だった。

カイドウは彼自身の力も兵力も段違いである。
さすがのドフラミンゴもまともに相手どるわけにはいかない。

『お前がSMILEをもう作れないとカイドウに知られたらどうなる……お前は消される』
「ふざけたマネをしやがる」
『あいにくこちとら大マジメだ。元本部中佐の肩書はダテじゃねェぜ』

ロシナンテが茶化すような口調で言った。
ドフラミンゴはサングラスに隠れた両目をスッと細める。
引きつる口元をおさえながら、努めて冷静な声を絞りだした。

……条件は」
『王下七武海を辞めろ』
「なんだと!?」
『10年で築き上げた地位をすべて捨て、一海賊にもどるだけだ。……ただしそうなれば今度は海軍本部の大将たちがお前を逃がさない!』

ロシナンテに従い海軍を敵にまわすか、それとも従わずにカイドウを敵にまわすのか。
どちらに転んでもドフラミンゴにとって良い結果にはならないだろう。
電伝虫がニヤニヤしながらたたみかけるのに、心底腹が立った。

『リミットは明日の朝刊。お前の七武海脱退が新聞に報じられていれば、こっちからまた連絡する。なにもなければ交渉は、決裂だ……!』

そうして通話は一方的に切られた。
ドフラミンゴが乱暴に受話器を置き、数秒かけてゆっくりと息する。
通話が終わってもなお、腹のなかで真っ黒な悪魔が暴れまわっていた。

「あ……こ、声が、出る」

ベビー5の声が戻った。

彼女はホッとした表情だったが、ドフラミンゴしかし喜びもつかの間。
見上げるほどに背の高いドフラミンゴをチラリと見やると、彼は怒りのあまり握った拳をワナワナと震わせていた。
まとう空気はどんよりとした真冬の雲のようで、ひどく重たい。

いつもであれば饒舌なドフラミンゴは、それからパンクハザードへ着くまでひと言も発することがなかった。
ベビー5は彼の背の上で、ただ身体を震わせていた。



夜。

情熱の国の人々は日が落ちると戸口に灯りをともし、色あざやかに闇を彩る。
降りそそぐスポットライトがピッタリ寄り添う恋人たちを盛りあげるなか、ローはたったひとりでコロシアムに面した大通りを進んだ。

ゆったりとした足どりでたどり着いたのは、ローがオーナー、イッカクという女性が店主を務めているこの国でも有名な酒場だ。
ドアの上には少し色あせた黄色い看板。
黒い光沢のある文字で『Polar Tang』と筆記体で書かれてある。

ローが金属製の少し重たいドアを押し開けると、キリリと涼しい音色のドアベルが来店を迎えた。
とたんに客たちの下品で陽気な笑い声と、ツンと鼻につくアルコールの匂いに襲われる。
しかしそれは不思議とイヤなものではなかった。

「あ、いらっしゃいコラソン様」
「どうだ商売は」
「上々! 明日のコロシアムは大一番だからね。みんな気が昂ぶってんのさ!」

イッカクが頭に巻いたバンダナをほどきながらローにかけ寄った。
見まわすと確かにすべての席はうまっていて、各国各海から集まったであろう屈強な戦士たちが盃をかわしている。

身につけた強さのさらなる高みをめざす者たちにとって、優勝賞品のメラメラの実は喉から手がでるほどに欲しいものなのだ。
来国する者は受付終了の間際まで増えることだろう。

この酒場は店主のイッカク以外は若い女性が数人、あとはすべておもちゃの店員だ。
テーブルと客の合間をぬって、ウサギやクマ、サル、ヒツジといった動物のおもちゃたちが忙しなく動き回っている。
まるでおとぎの国のようなこの光景も、この店の名物のひとつなのだ。

「部屋はもう準備してあるよ。ごゆっくり!」
「1名様、ご案内~!」

イッカクに案内を命じられたクマのおもちゃが、ヘビのおもちゃからバスケットを受け取って奥へと向かう。
すると一番奥の壁際に見知った一団を見かけた。
ディアマンテ軍の幹部たちだ。

「聞いてるか!? おいペンギン!」
「アーはい、聞いてますよディアマンテ様」
「その時おれはこう言ったのさ、『コロシアムの英雄はこのおれだ!』ってな! ウハハハ!」
「そっすね」

ディアマンテは店の女の子を数人はべらせ、近くにいるペンギンに面倒くさい感じに絡んでいる。

しかしペンギンのほうも手慣れたものだ。
店員のおもちゃのペンギンをうまい具合に盾にして、自身はのほほんとピスタチオの殻をむきながら生返事を繰り返す。

生贄にされたおもちゃのペンギンは不快そうに顔を歪め、人間のペンギンにケリを入れようとするが全部空振り。
足が短すぎるのだ。

「あ、ロ……コラソン様!」

つまらなそうにしていたペンギン――人間のほうだ――とローの目がパチリと合わさる。
反射のように名前を呼ばれたことで、幹部らの目線が一斉にローへと向かった。

ひとり個室に向かうローがイヤに癇に障るらしく、マッハバイスが足音を鳴らして近づく。

「コラソン、お前~! 店のカワイコちゃんを独り占めしやがって! ズルいんだイ~ン!」
「勘違いするなよマッハバイス、あいつらがおれを指名してきたんだ。お前にとっちゃ誠に残念だが」
「なァにい!? ナマイキだイーン!」

店では乱闘厳禁だ。
今にも飛び掛かってきそうなマッハバイスを、シャンブルズでソファのクッションと入れ替える。

ついでに煽りも忘れない。
ローは見せつけるように中指をおっ立てて、案内のおもちゃの後を追った。
やりとりを傍観していた幹部らから「クソガキは健在だ!」とゲラゲラ笑われるのは腹立たしいが、あとでイッカクに怒られるのはゴメンである。

ローはそのまま扉を開けて廊下の先。
ホコリひとつない階段を登って、つきあたりのいつもの角部屋へ。

「こちらにどうぞ」

おもちゃがていねいに一礼し、持っていたバスケットをローに手渡した。

中には酒とイッカクの用意した軽食が入っている。
それと交換するように、ローは持っていたクッションをおもちゃに渡した。

ローはおもちゃが完全に見えなくなったのを確認し、ノックもせずに部屋へと入った。
すると入り口に背を向けて座っていたふたりがふり返り、花が咲いたように顔をほころばせる。

「よォ、会いたかったぜ『リオン』『ジャニス』」

ニヤニヤ顔でローが言うと、ふたりは寝転んでもあまるほどに大きな革張りのソファから身をのり出した。
明るい笑顔はすぐにゴソッと抜け落ち、苦い顔を隠そうともしない。

「ウゲーッ、よしてくれよキャプテン」
「からかわないでくれないか」
「冗談だ。久しぶりだなクリオネ、ジャンバール。他のやつらも元気か?」

あいかわらずのクルーに笑いがもれる。
ローが彼らの前に座りテーブルにバスケットを置くと、クリオネが慣れた手つきでグラスの準備を始めた。

「元気もなにも、あいつら風邪ひとつひかねェよ。アホだから」
「明日またすぐ潜ることになるが、酒を持って帰る約束をしている」
「きっとヨダレ垂らして待ってるぜ!」

ハートの海賊団のクルーであるクリオネ、船長代理のジャンバール、そして船長のロー。
3人でグラスを鳴らして笑顔を交わす。

ローはファミリーでただひとり、私兵の所持を認められている幹部だ。
ドフラミンゴとは別に自分の船『ポーラータング号』を持ち、ドンキホーテファミリーの最高幹部でありながら『ハートの海賊団』の船長も務めている。
ローが医者でもありポーラータング号が潜水艦であることから、ハートの海賊団は医療と偵察に長けた筆頭傘下としてファミリーに貢献しているのだ。

普段はドレスローザ近海を巡視しているが、ローの気まぐれで遠出をするときもある。
戦争中のマリンフォードに突っ込み麦わらのルフィを拾ったときは、クルー一同「勘弁してくれ」と心を同じくしたが、それもいい思い出だ。

しかしある程度の自由があるぶんファミリーからの監視も厳しい。
ローは裏切り者の二代目コラソンに懐いていた過去があるため、良からぬ企てができないようギロギロの実の能力者であるヴァイオレットに高い頻度で見張られていた。

だからこその『リオン』と『ジャニス』だ。
さすがに酒場の個室に『女』といるところまで覗かれることはないだろう。
酒場ポーラータングはローが良からぬ企てをするための隠れ蓑として経営している酒場なのである。
店主のイッカクも、ハートの隠れクルーのひとりだ。

「キャプテンも変わりないようだな。作戦の日が近いから、少し心配していたが」
「ああ、抜かりはない」

ジャンバールの問いに、香り高い酒を舌でころがしながら答えた。
クリオネも素揚げのポテトとソーセージで口をいっぱいにしながら、安心の表情をみせる。

「ドフラミンゴの失脚はおれの人生の悲願だ。そのために12年間、ネズミみてェにコソコソ動いてきた。このチャンスは絶対にモノにする。降りるなら今のうちにしておけ」
「まさか」
「どこまでだってついて行くさ、キャプテン」

すこし意地悪なローの物言いに、ふたりは自信たっぷりに即答する。
その迷いのない様子をみて、ローは満足気に口元をゆるませた。

「さて、本題は?」
「ドレスローザ近海に海賊船が接近してるのを確認した」
「麦わらの船だよ」

イッカクの電伝虫からもそれは察していた。
盗聴を用心し、彼女とは暗号をまじえての会話が多い。

普段ハートの海賊団は得た情報のすべてをファミリーに報告する義務がある。
しかしハートに危険がおよぶ場合やクルーの私情がからんだ場合は別だ。
船長代理のジャンバールが、こうして秘密裏にローに判断をあおぐ。

ローが目線で先を促すと、ジャンバールが一枚の写真をさし出して続ける。

「問題は船に乗ってるやつだ。一味ではないのがひとり乗り込んでいる」
「身の丈およそ3m、金髪でよくコケる」

ローがハッと息をのむ。
手の震えを必死に抑えて写真を受けとった。

潜望鏡から撮影されたそれはひどく不鮮明で、とても見にくい。
それでもかつて見慣れたシルエットと、クリオネが付け足す『一味ではない誰か』の特徴は、苦しくも温かな日々をイヤでも思い出させ。

――コラさん」

長い長い息を吐きながら、ローがポツリつぶやいた。
力のこもる唇はそれ以上開くことなく、かたく一文字に結ばれる。

「やはりか」
「どうするキャプテン?」

ロシナンテが生きているとドフラミンゴから知らされたとき、いつかこんな日が来るだろうことは予想していた。
正義感が強く、直情的なロシナンテのことだ。
ドレスローザのことは絶対にあきらめないだろう。

ローはロシナンテがこの国に来るのを、誰よりも先に知らなければならなかった。
知って、逃さなければならなかった。
ファミリーに気づかれてしまったら今度こそ殺されてしまうから。
それだけは避けなければならなかった。

ロシナンテの特徴とローとの関係は、クルーらにもある程度は共有している。
今回はそれが功を奏した。

永遠を思わすほど長い沈黙に、グラスの氷の乾いた音だけが響く。
ジャンバールとクリオネは、ローの発言をじっと待った。

……ドフラミンゴへは麦わら屋の船が向かっているとだけ伝えろ。コラさんは……おれが何とかする。明日ポーラータング号を出航させたら、麦わら屋の船の監視と念波の傍受を。動きがあったらすぐに知らせろ」
「アイアイ」
「了解した、キャプテン」

ふたりがいつもの3倍は真剣な顔をして頷いた。
 ファミリーに嘘をつくということは、小さなミスでも命とりになる危険をはらむ。
ロシナンテ絡みであるなら、なおさらだ。

「それと、今日のハートの酒代はおれが出す。イッカクに言って好きなやつを選んでいけ」
「よっしゃ!」
「ありがたい」
「クルーによろしく伝えてくれ、明日は荒れそうだ」



ジャンバールとクリオネが去ったあとの寂しい部屋で、ローはひとりぽっちで酒をあおる。
ぐるぐると胸に渦まくあの日の感情を、一気に飲みこんでしまいたかった。

まぶたの裏側にチラつくのは、彼が力なく横たわる姿と無力な自分の不甲斐なさ。
暗い暗い箱の中も、コラさんのいない世界も、背筋が凍りつくほどに寒かった。

悪い想像を頭から追い出すように、音をたててグラスを置く。

……死なせない、絶対に」

金の瞳にギラギラとした炎を燃やし、ローも部屋をあとにした。