mishiadd
2024-10-07 19:22:17
4681文字
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宮本伊織は生きにくい:呪いの仮面

自分の顔があんまり好きじゃない宮本伊織と彼の「顔」を取り巻く日常。

――思えば、この呪われた顔が彼にもたらした最初の厄災は、あの湊の夜に彼が「選ばれてしまったこと」であった。

見目よく整った、その美しい『顔』。――たったそれだけのために彼は他の子供たちから引き離されてただひとり生かされ、いっそ皆と共に死んでいた方がマシだったと思えるような地獄を見た。その果てに出逢えたのがあの月のような剣だったとはいえ――そもそも彼を地獄に突き落としたものが一体何だったか、彼は決して忘れたことなどなかった。

以来、彼の『顔』はさまざまな厄災を彼に運んできた。面と向かってその『顔』について文句を言われることもあれば、煩わされた厄介事の原因が結局彼の『顔』にあったことを後になって知ることもあった。
気付けば、彼は前髪を長く伸ばして目許を隠すようになった。――剣豪の中には、前髪で目許を隠して相手に自分の目線を悟らせないようにする者も多い。実際、癖毛の前髪の隙間から鋭い眼光を覗かせる伊織は、助之進などに言わせれば「腕前相応の痺れるような男前」だったが、そう取られるのならそう取られるで伊織は構わなかった。
彼としては、ただあまり好きではない自分の顔を気持ち程度にでも隠せればなんでもよかったのだ。

伊織にとって、自分の美しい『顔』は負債であり、諸々の厄災の原因であり、ただそこに在るだけで物事を悪化させる、忌まわしい「呪い」そのものであった。







「お嬢さん、美人だからおまけしてあげるよ」とひとつ多めに手渡された餅菓子を上機嫌で頬張るセイバーを見下ろしている伊織が不思議そうな顔をしていることに気付いて、「どうした?」とセイバーがもごもご尋ねた。
――いや……」と当初口ごもった伊織はしかし、ぽつり、と言った。

「おまえは、気にしないのだな」
「ふん? 何をだ?」
「『美人』だと――『顔』のことを言われても、機嫌を損ねない」

何を言われているのかわからず、「ふん?」と伊織を見上げながら、指先にこびりついた餅を舐めとる。それから、「まあ、」と両手を頭の後ろで組んで言った。

「モチをひとつ儲けたからな。それに、一応は褒め言葉だろう? 特に機嫌を損ねる理由はないな。言われて別段嬉しいというわけでもないが」

「逆に、きみは機嫌を損ねるのか?」となかば揶揄うように訊き返してきたセイバーに、伊織はゆるゆると軽くかぶりを振った。

「いや。……ただ、あまりいい気分はしない」
「それを『機嫌を損ねる』と言うのだ。――なんだ、きみは顔を褒められるのが嫌いなのか。では何かの拍子にうっかり口にせぬようにせねばだな」

ははは、と笑い、もうひとつの餅菓子にかぶりつく。それから、「まあでも、実際きみはなかなかに美しい顔をしているのだがな。――ほら」と、やや背伸びをして殊更に伊織の顔を下から見上げるようにする。
やや身を引いた伊織の癖毛の前髪がさらりと揺れ、セイバーの視界には伊織の白い額までが露わになる。

「ここからだと、よく見えるぞ。……もったいないな、きみは自分の顔が嫌いなのか?」
――なぜわかる」
「わからいでか。今もそうやって私から顔を背けようとするからだ。私も別段自分や他人の造作の美醜に頓着する性質ではないが、きみのように容貌を評価されること自体に拒否反応を示す程でもないぞ」
……おまえは、おまえのその『顔』のせいで嫌な目に遭ったことはないのか?」

月夜を閉じ込めた硝子玉のような瞳が、セイバーを見た。まるで子供が空の青さを疑問に思うような口調で、純粋な疑問を口にする。

「おまえは、おまえのその『美貌』のせいで、要らぬ苦労をしたことはないのか? ――おまえの顔は『美しい』。それは、俺にもわかるんだよ」

彼の剣技を「美しい」と評するときとは一切異なる、まるで熱の篭もっていない、ただ淡々と歴然たる事実のみを述べる平坦な口調で、伊織はそう言った。
あまりにもさらりとした物言いに、反応が遅れたのはセイバーの方だった。ややあって、「……はあ!?」と素っ頓狂な声をあげた。揶揄うばかりの筈だったセイバーの顔から余裕ぶった笑みが消え、茹で上がったように真っ赤になる。

「ま、なにを、いきなり真顔で急に突然何を言うんだ、きみは」
「おまえこそ急にどうしたと言うのだ。自分の方こそたった今俺に『美しい』などと厭味ったらしく言ったばかりだろう。……嫌だと言ったのに」
「いやいや、厭味ではない、厭味などであるものか。――だが、うん。悪かったよ。きみは確かに嫌だと言った」

いまだ赤みのひかない頬や首筋のあたりをぱたぱたと必死に手で仰ぎながら、努めて冷静にセイバーが続けた。

「それで。――私がこの顔のせいで嫌な目に遭ったことがあるか、だったか」
「ん……
「嫌な目、なあ。……嫌な目自体にはそれなりに遭ったが、取り立ててこの顔のせいとも思わぬが」

セイバーが自嘲気味に嗤い、「きみはあるのか? イオリ」と逆に尋ねたところで、遠くから女の叫び声が聞こえたような気がした。大通りの遠くから、だんだんと声が近づいてくる。セイバーと伊織が目を遣ると同時に、声の主である女の姿をふたりとも捉える。



――出刃包丁を振りかざした、髪を振り乱した若い女がひとり。



アアアアアアアアアア、と叫び声をあげながら包丁を構えて真っ直ぐに伊織へと突進してくる。道行く人々は一斉に逃げまどって道を空け、伊織と女の間に障害物は何もない。

「アアアアアアアーーーーアアアアアア!!!」

まとめ髪が乱れて背後に流れ、着物の裾は大きくはだけ、お岩さんか般若かという形相で駆けてくる女の足許は裸足であり血だらけだった。女の構えた出刃包丁の切っ先がまさに伊織に届こうというところで、伊織が身を躱して軽々と女の背後を取る。とん、と後ろから女の手首を叩いて包丁を叩き落した。ゴン、と重い音を立てて地面に落ちた包丁の柄をセイバーがつま先で蹴り上げて女の手の届かないところまで蹴り飛ばす。どす、と包丁が青物屋の店先の看板に刺さった。

「アア……アア……アアアアアアアア!!」

尚も素手で伊織に掴みかかろうとする女の両腕を伊織が掴んで軽くねじり、女の背面でひとつにまとめて片手で掴む。身動きの取れなくなった女が「アア! アア!」と言葉にならない声をあげながらも必死に身を捩り続けるが、やがて力尽きたのか「ウウ……」と涙混じりの唸り声をあげた。

呆気にとられていたセイバーが、涙でぐしゃぐしゃになった女の顔をまじまじと覗き込む。懐から手拭いを引っ張り出した伊織が片手で女の両腕をねじったまま、もう片方の手に持った手拭いを口で咥えて軽く伸ばし、手早く女の両手首を縛りあげる。
見ていた野次馬のひとりが「俺、同心呼んでくる」と言って駆けていったが、残りの野次馬は相変わらず興味津々の様子で伊織と女とセイバーをぐるりと取り囲んでいた。

「それで、急に一体なんなのだ? 娘よ、イオリに一体何の恨みが」
「俺になんの恨みがある?」

セイバーと伊織がほぼ同時に尋ねたのを、女が悲鳴のような声で叫んだ。

「アンタが! 宮本伊織! アンタが悪いんだ! アンタさえいなければ、アンタさえこの世にいなければ!」

突然の激しい呪詛の言葉にセイバーも伊織も面食らう。わずかに目を瞠った伊織の隣で、セイバーが「なん――」と言葉を失っていた。
ぜえぜえと、叫んだ拍子に口の中を切ったらしい女の口の端から血が垂れ落ちる。かっと見開いた目で、自分の背後の伊織を睨んだ。

「アンタが! 色目使ったんだろう! アタシの許嫁だったんだ! アンタが、アンタが誑し込んだんだ!」
「待て待て待て、誰のことだ? イオリ、この娘を知っているのか? ……その、この娘の許嫁とやらは?」
……さあ……

蒼褪めてかぶりを振る伊織に、「莫迦言うんじゃないよ!」と女が激昂する。

「知らないわけないだろう! アンタのせいで、アンタのせいで、アタシらの婚姻も、家も、人生も、全部めちゃめちゃ、全部おしまいになっちまったんだよ!
――アンタのその『顔』で!」

ぐい、と女が身を捩る。何を言われているのかわからず呆然としている伊織を、血走った目で真正面から睨みつけた。

「アンタが、アンタのそのお綺麗な顔で、あの人を誘惑したんじゃないか! アンタがそんな『顔』を晒して町中うろうろしてたのが悪いんだ!
あの人、町で見掛けたアンタのせいでワケわかんなくなっちまって、ああアンタなんかに惚れちまったから、もうアタシとは一緒になれない、家も継げない、どうすればいいかわからない、もうおしまいだって、ワケわかんないこと叫びながらどっかに走っていっちまって――それっきりだ!
アンタの! アンタのせいだ! アンタさえいなければ、アンタのその『さえなければ! アンタの――アアアアアーーーーアアアア!!!」

鬼女のような形相で一瞬の隙をついて伊織の手を振りほどき、手拭いで縛り上げられたままの両腕を関節とは逆の方向に無理に引っ張る。ぼきぼきと音を立てて左肩を脱臼させながら両腕を無理やり前面に回し、自由になった右手を伊織に伸ばしてくる。――鋭い爪で伊織の顔を引っ掻き切り裂こうと、手を伸ばす。

呆然として――反応の遅れた伊織と女の間に体を滑り込ませたセイバーが、素早く女の腕を叩き落し、続いて首の後ろを打って女を落とした。「ギャッ」と獣じみた悲鳴を上げてその場に蹲った女に、セイバーが言った。――ひどく冷たい、背筋の凍るような声だった。

「それの一体どこがイオリのせいなのだ? 勝手に月を見上げたのはきみの許嫁とやらだろうに、月光が眩しいときみは文句を言うのか」
――セイバー」
「月はただ月としてそこに在るだけだ。貴様らに見てほしいなどと頼んだ覚えはひとつもないぞ。――だから、これは何ひとつイオリのせいではない。わかっているな? イオリ」

女から目を離し、セイバーが振り返って伊織を見る。ただそこに佇んでいる伊織に、噛んで含めるようにセイバーは言った。

きみのせいではない――きみ、さっき反応が遅れたな。まさか甘んじてその顔に傷を受けようなどと思ったわけではあるまいな?」
――……
「私が許さぬぞ。二度と思わぬことだな」

同心が遠くから走ってくるのが見える。「イオリ」とセイバーが声を掛け、彼らの視界に入る前に歩き出す。

野次馬を掻き分け、人通りのない小道に入る。セイバーが先を行き、数歩遅れて伊織が後ろに続いた。前を向いたまま、セイバーが言った。

「イオリ。きみはきみの顔が嫌いだと言ったな」
――ああ」
「そうか。――私は、好きだ。私はきみの顔が好きだ。きみの顔が美しいからではない。きみの顔は優しいからだ」

伊織の返事はない。彼の反応を待つことなく、セイバーは続けた。

「だから。――きみのために大切にできぬのなら、私のために大切にしてくれ。……私は、きみの顔が好きだよ。イオリ」

セイバーと伊織の頭上で、風に吹かれた木々が揺れる。さあああ、と葉っぱの揺れる音がした後、「……ああ」と伊織の返事があった。
セイバーが振り返る。伊織が彼を見た。その顔に、うっすらと――柔らかい控えめな笑みが浮かんでいるのを見て、セイバーが伊織に駆け寄る。






――ああ、この『顔』が好きなのだと、セイバーは思った。