ゴシップが出て「別で心に決めてる人がいる」と宣言した侑と「聞いてへん」てショックうける治と「いやどう考えてもお前だろ」てなりつつ面白いので治のヤケ酒に付き合ってくれるスナの、あつおさになる話
▶2024/12新刊に収録しています
▶この後のR18パートと、スナ・古森・臣くんの二次会は2024/12新刊に収録してますが、これだけでも読めます。
MSBYブラックジャッカル所属の宮侑に、熱愛報道が出たのは三週間前のことだ。
夜な夜なホテルからどこかのアナウンサーと一緒に出てきたところをすっぱ抜かれてる写真。記事によれば二人とも人目から逃げるように深くキャップを被り、タクシーに乗り込んだんだとか。なんともクラシックなゴシップ。稲荷崎OB皆々様らは即刻で酒のつまみにして爆笑していた。みんな、侑のバレーへの夢中さ加減は、こんなポッと出のアナウンサーに現を抜かせるほど可愛いもんじゃないってわかってるからだ。
有名税もたいへんやな。静かにバレーさせといてくれればええのに。
そう言ったのは北さんだ。侑に直に聞かせてやりたいくらい、寄り添うやさしい言葉だった。
「でもそんだけアイツは、人の目を惹きつけてやまん」
OBたちが俺の店で、侑がいないのに侑の初ゴシップを祝ってどんちゃんやってくれたときに、北さんのこの言葉を聞いて、俺は店のカウンターの中で苦笑して頷くしかなかった。
そう。宮侑はどうやら世間の目を惹きつけるらしい。
派手だけど多分それだけじゃなくて。いつでも負けん気が強くて、オモロイことが好きだからすぐ調子に乗るけど、やるときはやりよる。
コートの中ではいつだって全力ではしゃいで遊んで、痺れるようなプレーをする。
なのにコートの外だと面構えがまた変わって、一瞬なら人懐っこそうに見えないこともないけどエッジもかなり効いてる。みる角度でまったく違って見えるから、いつだって新鮮で、面白い。放っておけなくなる。
ちなみにこのゴシップは、結局すっぱ抜かれた場面に他の同行者が何人もいたとかで(取材でホテルのラウンジを使っていたんだとか何とか)案の定、あっという間に鎮静化。なんやつまらんなあなんて、俺はすっかり余裕をこいていた。
『宮侑、報道の熱愛を否定。「報道された方ではなく、自分には心に決めた人が別にいます」』
そのネット記事のタイトルを、俺は五度見はしたと思う。
日曜日の昼間の、忙しい時間帯だった。常連のおばちゃんが「治くん、これほんま?」とスマホで記事を見せてくれたのだ。
普段から、侑のことは俺から変に言わないように意識はしていて、いつもなら「どうなんやろなぁ」とか愛想笑いで濁すところだ。でも。
「
……なんや、これ」
侑がこんなふうに自分のプライベートについて、自ら報道を通じて発信したのは、俺の記憶が正しければおそらく初めてのことだ。それだけでも相当驚いたし、何より。
「誰やねん。
……心に決めた人って」
乾いた口の中でぼやきながら、少し昔の記憶がリフレインしかけるけど、店は絶賛営業中。それも昼間のかきいれ時だ。他のことなんて考えちゃいられない。
そうして忙しさに神経を無理矢理削ぐことで、なんとか余計なことを考えないようにしたけど、店の営業が終るまでスマホに触る気にはとてもなれなかったし、今日は侑と角名のチームがこっちで試合だったから、いつもは試合の結果をすぐ確認するけど、できなかった。いまネットを見たらきっとどこもかしこも侑の記事で持ちきりになってるだろうし、もうなんなら記事のタイトルすら目にしたくない、なんて思うくらいには自分が思うより本能に近い部分で拒絶してたらしい。
そうして拒絶するくせして。
けど、どこかでホッともしてた。
侑にも、ようやくこんなふうに自分から世の中に知らしめて、安心させてやりたいくらい大切な人ができたんやって。
そんで、やっぱり俺のことは諦めたんやって。
理不尽だとわかってて、でもホッとすればするほど、それを黒く塗りつぶすみたいに言いようのないしんどさが押し寄せてきた。
なぜなら俺は過去に一度、想いを告げられてる。
他でもない、世間をいま騒がしている宮侑から。
実の、血の繋がった兄弟から。
「治」
ふたりだけの愛称を使わず、侑が俺を呼ぶ時。
それは決まって茶化さないで話をしたいし、話を聞いてほしいときだった。
そしてこのときの俺は、このあとに続けられるだろう言葉の内容に薄っすらと勘付いてしまっていて、正直なところ勘弁してくれと思っていた。
翌日、侑が就職する先の会社の独身寮に引っ越す。その前夜だった。
これで、この狭い二段ベッドでふたり上下になって眠ることもなくなる。侑がめんどくささに負けて、下の俺のベッドを勝手に占領して寝こけることもなくなる。
俺が寝てるのに、寝ぼけて下のベッドに潜り込んできて、狭いのに無理矢理ぎゅうぎゅうと寝て。翌日ぜんぜん疲れが取れなくて、ふたりでイライラすることも。
俺が地味に落ち込んでるのを察して、なんも言わずに先に人のベッドで背を向けて寝ることで、俺がしゃーないって背中をくっつけあわせ、心が穏やかに眠りにつかせてくれるように仕向けてくれたことも。ぜんぶ、ぜんぶなくなる最後の夜。
ちなみに二段ベッドは、侑が家から出ていくと決まった時点でおかんが廃棄するのを決めていたし、代わりに俺の背丈にあう大きめのセミダブルを買ってくれることになっていた。
侑はおかんに「俺の帰って来る場所、早々に潰すん⁉︎」と愕然としてたけど、おかんは「年季入ってていつ壊れるかわからんし、帰ってきたら布団敷いて寝ればええやないの」と一刀両断したのだった。我の強い侑だけど、おかんにはまったく歯が立たない。
「
……なに」
聞こえない振りは、できなくて。
俺は自分の机に座って、頭に入りもしない雑誌をめくりながら答える。部屋の真ん中に座ってるだろう侑の方は、振り向けなかった。でもお構いなく「話、してもええ?」と片割れは切り出した。
何を話されるのか、わかってた。
わかってたくせに、俺は止めもしなければ、逃げもしなかった。
逃げてやればよかったのに。
止めてやればよかったのに。
頭では言わせてやるなとわかってて。それでも心は、侑の言葉を、聞きたがっていた。
「治。俺、
……おまえのことが、好きや」
どういう意味でなんて、野暮なことは尋ねるまでもなかった。
そんな茶々を入れる隙間もないほど、侑はまっすぐ、俺にその気持ちをぶつけてくれた。
ほんとうは。泣きたくなるほど、嬉しかった。
心が、侑を求めて、叫んでた。
俺もや。そう言いたい。
俺もずっとずっと、おまえのことが好きやったって。そう言いたかった。
でもどこまでも狡い俺は、自分だけおまえの愛情を聞いて胸を詰まらせて。そんで。
「侑。俺は、おまえのことは、兄弟以上に見れん」
随分と前から用意してた言葉、一語一句をそのまま口から出した。
言いながら、目は真っ赤になってたと思う。
だから机を睨みつけたまま、俺は振り返れなかった。泣くまいと無理やり堪えて、堪えすぎて鼻の奥が痺れて、痛かったのを昨日のことみたいに覚えてる。
涙は、こぼさなかった。
それだけは譲れなかった。
だって泣きたいのは俺じゃなくて、侑だ。
俺のことを好きでいてくれた、俺のいとしい片割れ。
ずっと知ってた。
侑が俺に向ける感情や視線の種類に、兄弟とか家族とか以外のまた別のもんがあるって気づいたときに、俺も同じだって気づいたから。
自分の感情が、普通のそれじゃないこと。頭でわかってても、誤魔化すことなんかできやしなかった。誤魔化すことができるくらいの気持ちだったら、どれだけラクだっただろう。
「あかんか」
「あかんやろ。兄弟やぞ」
「
……せやな。血ぃつながった、兄弟やもんな」
許されない。俺たち以外のすべてが、俺たちをどうあったって許さない。想うだけなら自由。でもその一線を越えた途端、この想いすら踏み躙られる。
これから俺たちは、大人に守ってもらえてた箱庭の門をくぐって出ていかなきゃならない。だって大人になるからだ。途端、分別ある言動を求められていく。
俺はいずれ店を持ちたいし、侑は明日からもうプロのバレーボール選手になる。特に侑に関しては、いまの比じゃなく世間の目に晒される。これまではあくまでも高校生の部活動で、全国区と持て囃されてもプライベートにまで土足で踏み込む大人はいなかった。俺たちが子供だったから。
これから沢山の称賛と、それから罵声も浴びるのかもしれない。でも侑は、どうせ少しも気にしない。誰に何を言われても、素知らぬ顔をするに決まっていた。
(でも俺は、耐えられへん。俺が悪く言われるだけでならええ。でもそのせいでツムが大好きなバレーやりづらくなるんは、嫌や)
自分だけなら何を言われてもよかった。
でもあんなに自由に、楽しそうにどこまでも跳べる男の、足枷になることだけは耐えられる気がしなかった。
「こっち、向いてくれん?」
「
……向かれへん」
「わかった。ならそんまま聞いとけ。俺は、諦めへんからな」
「
……」
「一度、振られたくらいで諦められんなら、自分らの夢に向かって今まさに突っ走りだすってこんな前日に、こんなん言わん。振られてスッキリしたかったんともちゃうぞ。あたって砕けてなんかやらん。おまえが観念するまで、俺は治のこと、ずっと好きでおるからな!」
そう言い切ると、侑は人の返事も聞かずに明日の出発に備えて、二段ベッドの上に登っていった。ぎしぎしとベッドの細い階段が軋む音がして、どすんと布団に収まる音。しばらくするとすぐに寝息が聞こえてきた。寝付きがよくて羨ましい。
俺はといえは、しばらく机から動けず、突っ伏したまま。そうやって涙が引っ込むのを待っていた。
(なんでそんな言葉を寄越すんや、人でなし。せっかく人が、お前を必死で諦めようとしてんのに、なんでそんなこと言うんや)
十八年間、ずっと一緒だった俺たち。ついに、いやようやく、道を分かれて歩くときが来た。
終わらせられる。あっちゃならない恋心を。
誰にも祝福されないこの恋を、終わらせられると、そう思ったのに。
本当は。笑って、俺もやって言いたかった。
それを我慢して我慢して我慢して。俺はそんなんと違うって歯ぁ食いしばって言ったのに、そんなん、俺かておんなじに決まっとるやろが。アホツム。誰がなんと言おうが、俺だってお前を諦めることなんかできない。
それでも、これからは遠くから想うだけになる。それならって、思ってたのに。
まるで呪いだ。
俺だけが、この恋心を弱らせられなくなる呪い。
いつだってそうだ。コイツは人の気持ちなんてお構いなしで。誰に何を言われても、こうと決めたことは絶対に通す。そういう迷惑なヤツなのだ。昔っから。
(そんな侑が羨ましくて、眩しくて──大好きだった)
次の日。侑は、実家を出た。
その日からはもう帰ってくることのない二人部屋を、侑は少しだけ寝坊して慌ただしく出ていった。侑らしいなと思った。
玄関で「またな」と見送ったら「いってくるわ!」とサラッと元気に出ていった。前の日の告白なんて、なかったみたいに。
でもそれでいいと思った。
俺にも侑にも、これから沢山やることがある。沢山みなきゃならない世界がある。
それから俺の心のやわこい部分だけに、あの宣言はぶっ刺さったまま。でも肝心のぶっ刺してきた奴とは、こちらが拍子抜けするくらい何もなかった。
本当に、なんにもだ。
二人きりになったって、告白したことを蒸し返してくることは一度もなく、好きだのなんだのという雰囲気は一切出してこなかったし、ましてや言うこともない。
これまで以上に距離を詰めてくることもなければ、かといって離れていくこともなく。
実家にいた頃と同じように、毎日なんやかんや連絡を取り、呼ばれれば侑の寮に行ったし、こちらが実家に呼べば、侑もホイホイとおかんの飯を食いに帰ってきた。
侑が寮を出て、俺も実家を出て。互いにひとり暮らしをしだしてからだって、特に変わらない。
実家にいた俺は兎も角、寮の環境だって悪くないはずなのに侑がひとり暮らしをすると言い出したときは、てっきり彼女のひとりくらい作りたくなったのかと思った。そう思ったのにはひとつ、理由がある。
侑はそれまでロクな食器を買わず、なんなら紙皿で済ませるような生活をしていた。コップも何かのノベルティでもらった一個しかなくて、あとは紙カップ。そんな男がひとり暮らしをしだした途端、せっせと食器を揃え始めたのだ。それも必ず揃いで。
なんだってええけど、そういうのは彼女と一緒に買ったりしいひんのかなとか思ったりしながら、それでも「この配色、この大きさ、どんぴしゃりやろ?」と嬉々として揃えたカップや、皿や箸を見せてくる侑は楽しそうで。
なにより侑が嬉々として報告してくれるのは、俺もやっぱ嬉しくて。ええやん、と俺も侑の家に行くと使わせてもらってた。いずれ使うことになるだろう人に「先に使うて、悪いな」なんて内心謝りながら。
ちなみに俺は俺で、それにまんまと感化されて侑に気づかれないように、店の食器棚に侑専用の食器を用意したりした。侑が店に来たときだけ出してやるやつで、自分が自宅で使う食器とひっそりと揃いにした。もちろんそんなこと、侑は気づいちゃいない。
ふたり揃って仕事が軌道に乗ってきても、連絡する頻度は相変わらずだった。
メッセージアプリで一日一回以上はやりとりをして(大体が朝と夜と両方していた)、眠る前には一方的に今日あったことを送りつけたり、送りつけられたり。ラリーが続くときは打つのが面倒になって通話して。
変わらない距離感。変わらない間柄。変わらない双子の俺たち。
でも、こうしてつつがない毎日が続いていけば、そのうち侑は俺に「諦めんからな!」なんて啖呵切ったことなんか、忘れていくと思った。
しれっと彼女作って、そういや彼女できたわ、って。今日そういやアランくんに会ったわ、みたいな軽さで言われるんじゃないかって。
心のどこかでいつも構えてたし、もしそんなメッセージがきたときになんて打って返すかのシミレーションも何度もした。
抜かりなく、心の準備をしながら。
それでも本当は、そんな日が来なければいいのにとか、どこかで思ってた。でも。
「
……諦めないって言うてたくせに、なんやねん。結局、他のヤツでよかったんやないか」
店じまいをしたおにぎり宮を出て、最寄り駅に向かう途中。薄手のカーキ色のマウンテンコートに首を竦ませながら、誰にも聞こえないようにぼやいて歩く。
言葉に出して、一瞬だけすっきりして、でもそれだけだ。
バイトくんには夕方くらいに「顔、青ないですか?」なんて言わせてしまった。少し鉄分不足かもなぁ、鉄分手っ取り早くとれるメニューとか作ったら、また売れそうやな、とか濁して、そこからはバイトくんも言わなくなったけど、気を遣わせてしまった。
無性に誰かと話したい。でもこの状態で誰かと話すのは悪手な気もする。
とかなんとか考えながら一人残って閉店作業をしつつスマホで、とある相手に「今、大阪よな? 会われへん?」と送ろうか送るまいか迷ってたら、まさかの相手の方からメッセージが届いたのだった。
『明日、店休みだっけ? 今から飲む?』
タイミングが神すぎる。いまちょうど会わんか?て送ろうと思ってたとこ。
と即レスして『さいこう』『あいしてる』とスタンプをいくつか送ったら『了解』というスタンプと、待ち合わせの居酒屋のURLが送られてきた。あのニュース記事を見て、さっそく俺の話をツマミにしようと思ったのかもしれないけど、それならそれでWINーWINというやつだ。
臙脂色の電車に立って揺られながら、車窓に映る自分を見る。すると思ってる以上に顔に出てることに気づいて、嘆息が漏れた。
だって俺はなにをゲンナリしてんねん。ええことやんか。
(そう。あのときの俺は、間違ってなかったんや。侑が目ぇ覚まして、男で兄弟でなんてやっぱ気の迷いやったわーって。好きな女か男か知らんけど、少なくとも俺やない誰かと、幸せになってくれたら、それで──)
今日、もし酒に酔って潰れても、角名は面倒みてくれるやろか。
「絶対ヤダよ。俺、今日のホテル、治んちと真逆だし」
「つめたっ。仮の話やんか」
「そんな恐ろしい前置きされて、ハイよろこんで〜、たらふく飲んでいいよ〜とか言えるわけないじゃん」
「なんでや。スナが呼んでくれたのに」
「そりゃ、あのニュースの記事みたら、呼びたくなるじゃん。ってのは冗談で」
「冗談ちゃうくせに」
「なるほどね。その様子だと、まだ侑から直接なーんも聞いてないんだ。アイツがあんなふうにわざわざ熱愛宣言する相手のこと」
「
……知らん、そんなん」
「心当たりもない?」
「ない。なーんも聞いとりませーん」
「侑にも、治に話さない事ってあるんだ?」
「俺らをなんだと思ってんねん。ただ双子ってだけで、なんでもかんでも話さんし」
「ただ双子ってだけ、ねえ
……」
あからさまにモノ言いたげな角名に、ツッコむことはせず。タッチパネルで、俺は何杯めかの焼酎を水割りを入れる。角名の日本酒と一緒に注文ボタンを押してから、既に二皿目の枝豆を二粒頬張った。塩が効きすぎて枝豆の味はほぼしない。でも酒のアテなんて結局塩分やし。なんや。今日の試合のこととかお互いの近況をザッと話していよいよ本題に入る頃には、結構なペースでグラスをあけていた。
居酒屋の個室はたぶん五、六人用で広々としてるから気分もちょっと開放的になる。あと一口分しかないグラスの中身をぐいっと飲み干して、頬杖をかいて、はぁああっとデカい溜息ついて。そしたら対面に座る角名が。
「そんなふうにまともにショック受けるくらいなら、最初っから侑の気持ちに応えて、捕まえときゃよかったじゃん」
とか容赦ないセリフで突き刺してきて、俺はそのままグウッと唸り、テーブルに突っ伏すしかなくなった。
角名倫太郎。高校時代からのバレー部の同級生で、なんなら結局三年間クラスも一緒だった、俺たち双子をおそらく一番近くで見てきた内のひとり。
そんな角名に俺の侑に対する気持ちがバレたのは、店を開業したての頃だ。
MSBYとの試合で大阪遠征だからと立ち寄ってくれたとき『そういや侑と治ってさ、高校んとき双子なだけじゃなかったりした?』なんて言われたのが始まりだった。
そのときの角名は結構酒が入ってて、あとたぶん角名からすると高校の頃の話だから、時効かなんかだと思ったらしい。卒業してからは何かしらの関係が一段落したように見えたようで、あの頃は、という言い方で尋ねてきた。
なのに俺は不意打ちのあまり、露骨に狼狽したうえに『なんもないわ! 告られたけど、振ったし!』とバカ正直に白状してしまったのだった。
『そんな顔して、よく振ったとかいうよ』
『そんな顔ってなんやねん』
『まるで振られたみたいな顔してるよ。まだソウイウ意味で好きなの、バレバレじゃん』
そんなわけで角名だけが、俺は侑のことをまだ性懲りもなく好きなままで、それでも侑とそんなことになっちゃあかんと線を引いてて、いつかは「あの頃は」なんて笑えるようになるのを待ってることを知っていたのだった。
俺たちの互いへの行き過ぎた感情自体について、角名が何か言ってくることは、ただの一度もなかった。
俺は一度だけ「気持ち悪ないん?」と聞いてみたことがあったけど『倫理に反してるとかってこと? そりゃーまともにいったら駄目なんだろうけどさ。でも俺は、お前ら双子をずっと見てきてるから。お前ら自身がよければ、たぶん大丈夫なんじゃないか、みたいな気持ちにはなるんだよね。不思議とさ』と茶化さずに答えてくれた。それを聞いたときは、ちょっとだけ目がうるんだりした。
そんなこともあり。侑絡みで何かあると話を聞いてくれる角名とは、むしろ卒業してからのほうが連絡を頻繁に取ってると思う。
「諦めて欲しかったんだろ?」
「そら諦めさせるために振ったし」
「治はまだぜーんぜんこーんなに好きなくせにね」
「ゲホッ
…、ゴホッ
…! んん、
……だってそんなん、諦めんからな!とか宣言されてもうたら、気にもなるし」
「でもそんな侑にゾッコンの相手ができた。治じゃない誰かが、ついに。万々歳じゃん」
「せやねん! 万々歳や! ほれみ、ずっと諦めんなんてできんねん! そら自分の気持ちになーんも返してくれん上に、男で、兄弟で。面倒にしかならん相手のこと、いつまでも追ったりなんか普通できん。だって無駄しかない。そんで侑は無駄なことは嫌いやねん。あと寂しがりやし、あのひとり暮らしのマンションに誰かと居たかったに決まってんねん。きっと寂しい思い、ずっとしてた。いやぁ、よかったわホンマ‼︎ 侑のこと呆れず、見捨てず、めいっぱい甘やかしてくれるオンナが、ようやっとできたんや‼︎」
息継ぎもせず、ばーっと言いたいこと全部ぜんぶぶちまけて言い切った瞬間、タイミングよくきた焼酎のおかわりをまた勢いよく喉に流し込む。角名は受け取った日本酒を啜って、うんうんとなにも否定せずとりあえず最後まで聞いてくれる。そんで。
「そんなしんどそうな、この世の終わりみたいな顔して言わなくたってわかってるよ。
……治が、侑のこと、本当は大好きでどうしようもなくて。いざ自分を好きでいてくれた侑がいなくなって、侑が自分じゃない誰かをメディアで牽制するくらい好きになったこと、ホントはつらくて悲しくて仕方ないことくらい、わかってるから」
そう言って、仕方ないなと言わんばかりの兄ちゃんモードな苦笑を浮かべる。
優しくもないけど責めるでもなく。
そんなフラットな寄り添いがまた余計に染みて、酒が入ってるのもあってすぐ眉間のあたりが痛くなる。
ああ、やっぱり駄目だった。
誰かと飲んで話したりしたら、絶対に我慢できないってわかってたくせに。
「
……あつむはもう俺のこと、好きとちゃうんやなぁ」
大粒の涙が、ぼろぼろと目尻から零れてく。
一度こぼれたら、もう止めようがなく、それは後から後から止めどなく溢れた。ああ、ほんま酔っぱらいはこれだからあかん。口の端まですぐ伝ってきて、しょっぱい。さらさらの鼻水も容赦なく出てきた。
ぶさいくなツラ、しとるんやろな。いま侑に会ったら平気でブっさ!とか言われそうやなんて思いながら、俺はテーブルに突っ伏し、両腕に頬を擦りつけて溢れるものをごしごしと拭った。
「スナ、同じのもう一杯」
「うわ。ヤケ酒」
「まあでも、ようやっと俺もしっかり振られたことやし。これでやっと心置きなく」
「心置きなく? まさか次に行けるとか言っちゃう?」
「それで済んでんなら、こんなめんどくさいことになっとらん」
「あ。めんどくさい自覚はあるんだ」
「これからは! 距離感近すぎんように変に気ぃつけたり、こういうことは兄弟の範疇やろかとかイチイチ考えて、無理矢理しれっとせんでええわ! 俺がどんだけ侑を好きでおったって、もう侑はこっちにはビタイチ振り返らんわけやし! ダダ漏れそうになるんも、びくびくせんでええ。どんだけ露骨にツムのこと甘やかしたって平気や。なんせツムには決まった人がおって、それを世間に公表したも同然や。そんだけ真剣なら、そのうち結婚するかもしれん。したらもう完璧こっちのもんやな! 俺らは双子以外の何者にもならんって、誰が見ても思うわな!」
「そういうマジでタダで転ばないとこ。ほんと同じDNAって感じ」
「そういうスナはツムからなんも聞いとらんのか。ツムの相手のこと」
「仮に俺が聞いてたとして、それ知って治はどうすんの」
「あいつが好きでもない報道使って、誤解を解いておきたいって焦るくらい惚れ抜く相手や。余程非の打ち所がないヒトか、余程ツムのあの好き勝手も許容できて包み込めるくらいのヒトか。どっちにしても事前情報聞いといて、ああ、そらツムにお似合いやんな、俺なんて最初っからナシやったわーって失恋のヤケ酒して角名のホテルに泊めてもらう」
「ふーん? なるほどなるほど」
突っ伏したまま駄々をこねてみたら、てっきり「絶対イヤだし、ちゃんと帰れよ」と一刀両断されるかと思ってたのに、どこか楽しそうな声が頭の上から降ってくる。
なんや様子がちょいおかしいな?と顔を上げると、角名は誰かに何か連絡を取ってるみたいだった。少しメッセージ送っていい?とわざわざ断りを入れてきたから、たぶん大事な要件なんだろう。ええよと頷いたら、ちょうど飲み物がまた来て、受け取った。そのまま焼酎を一口舐めたら、角名もすぐにスマホを置くと枡にこぼれてる日本酒を、飲んで減った分だけ自分のグラスに入れる。
「タイミングだから、いまぶっちゃけるとさ。実は俺、けっこう前から侑から牽制されてたんだよね。アイツがゾッコンの相手と、仲良すぎって」
「
……はぁ⁉︎」
まさかの角名からのタレコミに、俺は思わず凄んだ声を出してしまった。
いまの声、不機嫌な侑にソックリすぎ。動画とっときゃよかった。と、しれっと言ってくる角名に「いやいやいや、そこやなくて」と俺はつい重心を前のめりにする。
「スナ、ツムの相手、知っとんのか⁉︎」
「うん。だって俺の友達でもあるし」
「友達っ⁉︎ は⁉︎ どこで知り合うた⁉︎」
「高校のとき?」
「待てや。それでいうとあれか。稲高んときからツムとその相手、知り合うてんのか⁉︎」
「知ってるけど知らない。そういうのは本人に聞いてくれる?」
「なんやねんそれ‼︎ いやでもツム、高校のときからずっと仲ええ子なんておったか? 同窓会にでも行ったんかな。え、どんな人なん。美人?」
「えっと。顔はめちゃくちゃイイんだと思うよ。一般的に誰がみてもイイって言うだろうし、本人も言われて生きてきてるだろうから自覚あると思う」
「はぁ〜あの面食い。やっぱ選ぶのは美人なんやな。性格は?」
「侑よりはキツい感じじゃないし、落ち着いて見えるかな。でもまあアレと一緒に居れるんだから、似たもの同士だよ本質は。負けず嫌いだし」
「根性あるしっかりした人なんやな。ツム、ええ人を捕まえたんや。そんなら、よかった。年齢は?」
「同い年だよ」
「ツムの奴、見栄っ張りでいじっぱりのくせして、甘やかされたいとこあるし。タメか、姉さん女房があっとるんやろな思とったけど、同い年の子なら精神年齢はツムより絶対上やろうしな。
……そんでその、スナから見たらどうなん? お似合いなん?」
「俺の意見聞いてどうすんのって」
「そんなん、スナがお似合い言うなら、なんや諦めもつくやん。今後、俺は家族として紹介されたりすんねんで? そんときに備えて、少しくらいショック軽くしたいやんか」
またぐびぐびとグラスの中身を水みたいに流し込みながら、口を尖らせて尋ねると角名はあからさまに「はぁ〜」とデカい息を吐いて「じゃあ、ハッキリ言うけど」と前置きした。
「俺はお似合いだなって思ってるよ。っていうかさ、あの侑と一緒にいれる人間って、その時点でまず適正があるじゃん。あと侑って、多分ひとりでだって生きていけるタイプだろ。でもその人がいたら、きっと侑はいちばん侑らしく生きてけるんだろうなってのは、見てて思う」
こっちが覚悟してた以上に、角名が真面目なトーンで返してきて、俺は思わず相槌を打つのも忘れてた。てっきり冗談まじりに、当たり障りないことを言ってくるかと思ってたのに。
でも角名がこんなに真面目なツラして伝えてくる。それくらいの相手だってことだ。それくらい、侑とその人は。
「
……そっかぁ。スナがそこまで言うくらいなら、これっぽっちもつけ入る隙ないなぁ」
やっぱり先に聞いておいてよかった。
ぐしゃりとまた視界が歪んでいく。
思わず、焼酎なのに残りをグイッと煽った。俺も侑も家系的には酒にかなり強くて、記憶がなくなるとかへべれけになるとか、そういう酔い方はしない方だけど。でも流石にさっきからアルコールがぐわんと回ってる感じがする。
そんな俺のヤケ酒が見てられなかったのか。角名は「まあ、ちょっと聞いてよ」と俺の手からグラスを取り上げた。
「飲ませてくれや。酔わなやってられん」
「ちゃんと意識がまだしっかりしてるうちに聞いて欲しいことがあるんだよ、こっちは」
「なんなん」
「俺がずっと、侑に牽制されて困ってる件について」
「これ以上、俺の傷口に塩ぬるんか。容赦なしにも程あるやろ。加減してくれ」
「俺は聞かれたことには答えてあげたし。今度はこっちの愚痴に付き合ってもらわないと割に合わない」
「まあ、そんなら聞くけど
……」
「俺はその相手と同じクラスだったから、高校卒業しても仲良くて、けっこう連絡取ってるわけ。だから、その相手が俺宛のメッセージを、侑に誤送信することがあるらしくて」
「同じクラス? なら俺も一緒やん! 誰⁉︎ でも誤送信すんのはわかるわ。俺もよくスナに送るつもりのやつ、ツムに送ってまうし」
「
……で、誤送信が起こるとどうなるか。いちいち侑が『こんな時間にお前ら連絡とっとんの?』『遅ない?』『つーか俺はメッセージだけなのに、なにこの〝今から通話できる?〟て』『スナとは通話して俺とせえへんのなに?』『何話てん』『通話できんって言えよ』『なんで俺やなくてお前やねん意味わからん』て、もうそれだけで半ギレみたいなメッセージ連投してくるわけ」
「おっも! てか、ツムって嫉妬するとそんなんになんねんなぁ。フッフ、ほんま知らんかったわ
……」
俺、アイツの片割れやのに。
でも知らんのも当たり前で、そもそも侑が誰かにそこまで執着するなんて、人生で初めてのことかもしれなかった。
初めて心底惚れた相手になら、そりゃ嫉妬深くて重い男に豹変もするかもしれない。もともと本気になったらそんなんなるタイプで、これまで本気になれる恋をしてなかっただけ、って可能性は大いにある。侑は昔から、好きなものにはとことんだ。妥協しない。いつだって一心で、まっすぐだ。
でもそうなると、やっぱり俺への気持ちは勘違いやったんやなとか。俺に告ってきたのは、若気の至りで気の迷いやったんやなとか。イヤな確定演出ばかりが積み上がる。
「俺もよく通話しよってスナに送ってまうけど。スナはこれまでその子とも話して、ツムのそんなやかましいメッセージまで送りつけられてたんか。すまんな。これからは俺も通話控えるし、ツムもこれからは、そんなみみっちいこと言わなくなるやろ」
「どうかな。侑がその子にだけ所有欲、剥き出しなのは今に始まったことじゃないし。むしろもっと酷くなるんじゃないかって予想してるけどね」
「そうなん⁉︎ もっと前か⁉︎ 待ってくれ俺、ほんまにぜんっぜん気づいとらんかったけど!」
「うーんと、
……今だから言うけど侑はさ、治の前でだけ、そういうとこはちゃっかり隠してたよ。治にだけバレないように、めちゃくちゃ周りには牽制してたから、治が知らないのも無理ないかも」
「なんやねん、それ。俺にだけなんで」
「うん、そこが結構大事なんだけど、なんでだと思う?」
「あ。俺にイジられたくないからやな。アイツほんま変なとこ見栄っ張りやねん」
「うん
……まあ、じゃあ今はそれでいいや。あと俺はその人とふたりでよく飯に行くんだけど、侑のやつ、隙あらば一緒に来ようとするんだよね。どこから聞きつけてんのか知らないけど『スナとふたりで飯行くて聞いたから、俺も久しぶりに飯行きたいなあ思うて〜』とか言って。白々しくてマジで笑い堪えるのにこっちは必死だっつの。でも流石に毎回は混ざりに来れないもんだから、相手と俺がふたりで飯行った夜とか絶対に電話かかってくんの。『お前、ひとりよな? まさか持ち帰ったりしてへんよな?』て。いやさ、別にお前の好きな人と俺はどうにかなる可能性なんてミリもないし、それはそれとして俺には俺でパートナーがいたりするかもとか、侑の電話になんか出てる場合じゃない夜を過ごしてるかもとか少しは考えないわけ?て、最初は怒ったっけなぁ。まあ、なーんも反省してなかったけど」
「ちゅーか、スナ、めっちゃその子と仲良ぉないか? ツムやなくても、大なり小なり心配になるような気ぃするけど」
「だって友達だし。俺も友達としてその子のことは大事だから、侑にとやかく言われるのはゴメンだね。あとその子、侑や俺以外にもVリーグの選手と繋がりがあってさ。飲食店やってるから、侑が紹介するから皆食べにいくわけ」
「ツム、うち以外の店もそんなに宣伝してたんか。割とインスタとか見てるつもりやったけど気ぃつかんかったわ。でもなるほどな。胃袋もしっかり掴まれとるわけや。うちにも食べによお来るけど無理させてたんかなあ
……」
「うそだろ、ここまで言ってマジで気づかねえの⁉︎」
「なんの話や」
「ごめん。なんでもない。忘れて。
……その子の店、フツーに評判いいし美味いから、最近は侑が連れて行かなくてもみんな勝手に行くんだって。少し前に『この前、飛雄くんが来てくれて沢山バレーの話できて楽しかった。飛雄くんのトス打てるヤツは幸せやなって言ったら、大阪で試合の時は翌日に日向と待ち合わせて朝のロードワークしてるんで、一緒にどうですか?って誘ってもらったんや』て嬉しそうに侑に話したらしくて。侑はそれ聞いて「ふーん」て流したって言ってたけど、そのあと俺が影山と会ったとき聞いたら『侑さんから、うちのを誘うときは俺通してや。一般人やしって笑顔で釘刺されました』だってさ」
「飛雄くん相手やと、ツムも少し意固地になるんかもなあ。飛雄くん、とびきりイケメンやし。あの子のトス見てると、なんや打ってみたかったなぁって俺も思ったし。でもあれやな、その子もバレーやってたんやな。納得やわ。ツムもそら一緒におって楽しいやろなぁ
……」
「待って。マジで他に思うことないのかよ⁈」
「思うこと?」
「なんか聞き覚えある話だなーとか!」
「んー、飛雄くんがそんな誘うくらいやから、バレーは結構ちゃんとやってた子なんやろかとか? そういや今度、俺も飛雄くんたちと体動かす約束してんねん。え、もしかして鉢合わせしたりせえへんよな
……? そんなとこで顔合わせんのとか絶対嫌やねんけど」
「いや多分ぜッッッたい鉢合わせしないから安心しな。この前あった試合のあととか、侑に問答無用で飯屋つれてかれたときだけど、席に着くなり何て言われたと思う?『スナとアイツ、ほんまにどうもなっとらんよな?』だって。もちろんどうもなってないし、これからもならないしって言ったら『アイツ、スナとの方が自分から連絡とろうとするし。楽しそうにしてる気もすんねん。ほんま口説いたりせんよな?』て、珍しく焦ってたしちょっと落ち込んでたよ。槍でも降んのかと思ったマジで。つーか口説くかよ。俺のこと信用なさすぎじゃん」
「
……もう聞けば聞くほど、ツムはその子のことホンマめっちゃ好きやん
……」
「だからちょっと待てってば! 泣くな! 最後まで聴けって!」
「泣いてませんけど⁉︎ いやでもこんなん無理や⁉︎ さっきからツムのゾッコンエピソードでめっちゃ傷に塩ぬりたくりよって
…!」
「ああ〜もう、なんでわかんないかな⁉︎ さすがに気づけって‼︎」
「だから、なにに‼︎」
「そのとき、侑にこうも言われたよ! 高校生の終わりに告白して振られたけど、絶対に諦めんて本人にも言ってるって! 恋人とかできんように毎日連絡とって、卒業したらこれまでみたいには会えんくなるからできるだけ店に通って、俺が行けない時期はしれっと誘って家に来てもらって! とにかく仕事以外じゃ隙を作らせないように外堀埋めてたけど、それでも俺と親密そうでずっとヤキモキしてるんだって
…!」
流石にわかるよな?と言われて、いやわかるよな言われてもわからんし!と言い返そうとして〝高校の終わりに、告白して、振られてる〟というフレーズが、ぼやけていた思考をガツンと殴ってきて、途端に鮮明さが戻ってくる。
いや。いやいやいや。
でも流石に二股で告白するなんて器用なこと、侑にはきっとできない。あれでいてバレーに関しては器用でも、それ以外のところでは不器用だったりするヤツなのだ。そんな奴が。
(毎日、連絡して。お互いの家を行き来、してて。店に食べに
……)
これまで角名が教えてくれた侑の言動が、ようやく線で一気に繋がり出す。
繋げれば繋げるほど「そんなアホな」「んなわけあるかい」とツッコミばかり生まれる。
角名がここまで伝えてきた、侑の相手に繋がるヒント。でもまるでそれは。
「あ。ちょうどいいタイミングで、ほら。侑のやつ、ついに痺れ切らしたみたいだよ」
頭の中も目の中もグルグルさせてる俺に、角名はどこかしたり顔でスマホの画面を見せてきた。
インスタだ。侑のアカウントのストーリー機能。
『実家でる前日に言ったこと、俺は何一つなかったことにしてへんからな!』
「あいつ、
……なにしてんねん」
適当な写真に見える一枚のスナップと一緒に、でも書き込まれてる文字は、明らかに私信だ。
写真は侑の自宅。食器棚の中身だ。
侑がいそいそとペアで揃えていた食器たち。
なんせ侑のキッチンに立ったのは、家主の侑よりも俺のほうがきっと多い。それは知らない間に食器が増えたら一発でわかるくらいのレベルで。いや食器が増えるどころか、なんなら配置が変わったってわかると思う。でも食器が勝手に増えるどころか、侑が使う分以外で勝手に配置が変わったことは一度もなかった。
そう。俺と侑以外の誰かがキッチンに立ったら俺ならきっとすぐにわかる。でもそんな日はなかった。誰もあのキッチンには立ってない。俺以外には。
そして、決定的なのはこの私信だ。
実家を出る前日、アイツはぎりぎりまで出ていく仕度が済んでなくて、夏休みの最終日みたいに一日家にこもって必死こいて荷造りをしていた。あの日に顔を合わせて会話してたのは、家族くらいのはずだ。おとんか、おかんか。それか、──俺しか。
(なんや、これ)
間違いなく、これは俺への私信だった。
俺を名指しで、全世界が見てる前で、宣言してる。
俺を諦めたりなんか、一瞬足りともしてないんだと。
「コイツはなにを世界中にぶちまけてんねん、アホちゃうか
……!」
思わず悲鳴をあげそうになって、でも唸るようにぼやくだけに留めた俺を誰か褒めてほしい。
ただ、今にも人を殺しそうなくらい低い声で悪態を吐いても、対面に座り、俺にスマホを見せ終えた角名はといえば、少しも動じることなく。むしろニンマリと笑みを深めるばかりだった。
「うわー。さっそく侑のファンにめちゃくちゃ反応されてるし。『誰かへのメッセージ?』『もしかして例のお相手?』だってさ。みんな鋭いじゃん」
「なんでいきなりこんな
……」
「治にとどめ刺しに来るって宣言でしょ、フツーに」
「とどめ刺しに来る⁉︎ フツーに⁉︎」
「実はさっき侑にコレ、送ってあげたんだけどさ」
またスマホを目の前にずずいっと出される。
すると今度は動画が再生されてて、そこに映ってるのは。
『ああ、そらツムにお似合いやんな、俺なんて最初っからナシやったわーって失恋のヤケ酒して角名のホテルに泊めてもらう』
つい数十分前、ここでグズついていた哀れな俺の姿だった。
おい消せや!とスマホを取ろうとしたけど、すぐに引っ込められてしまい、角名のスマホは強奪できず。
「無駄だよ。もうとっくに侑に送信してあるんだから」
「さっき連絡しとったの、ツムやったんかい! こんの裏切りもん
…‼︎」
「こんなに味方してあげてる男つかまえて? あ、ちなみにコレを送って数秒で来た返信が、コレね」
『ホテルなんぞ連れてったらタダじゃ済まさんから大人しくそこで待っとけ』
絵文字やスタンプをこまめに使いたがる侑が、この文字だけを打って寄越してそのあとトーク画面は無言のままだった。
もはやトークルーム画面から殺気すら感じる。
でもこれは角名にしてみたら普通にとばっちりやんな。いきなり片割れの横暴さに申し訳なくなってくる。それを言うと今日いきなり酒一緒に飲んでもらって、失恋しただなんだと愚痴に付き合わせてる自分も自分だけども。
「ま。そんなわけで、こういうことですよ」
「いやどういうことやねん⁉︎」
「だからさ。侑はおまえのこと諦めてやるつもりなんか最初っからなかったし、なんなら虎視眈々と外堀を埋めてたってこと。治に気づかれないように、最新の注意を払って。あの侑がだよ? もし俺が自分の目で見てなくて話聞いただけなら信じられないね。でも事実、アイツは治に悪い虫がつかないように、それでいて自分が離れてくなんて考えられなくなるくらい当たり前に側にいるようにしてきた。連絡も付き合ってんのかよってくらい取ってたじゃん?」
「それは
……、もともとツムが実家出てくまでだって、毎日連絡するのは普通やったし
……」
「実家でてんのに毎日連絡してんの、どこの兄弟も普通で当たり前だと思ったら大間違いだからな?」
「そうなん⁉︎ 暇あったらお互いの家、行き来せん⁉︎」
「しないよ。彼氏彼女でもそんなんずっとはできないね。しても頑張って最初の三ヶ月くらいだわ。俺はだけど」
「さみしならんのか。これまで同じ家で暮らしてて、四六時中一緒におったのに?」
「そもそも家を出るまで四六時中一緒にはいないんだよ、ただ兄弟ってだけで」
「
……そうなんや」
「でも最近は侑が代表によく呼ばれるようになって特に忙しくなっただろ? これまでみたいに治と会えないし、連絡もすれ違うしで不安だったらしいよ。そこにあのゴシップと、俺とかがやたら親しそうにしてるの気にして、ここが潮時だと思ったんだろうね。報道まで逆手に取って、おまえに釘刺しに来た。俺は世間に言ってやるくらいの覚悟やぞ!って。あの侑にそこまでやらせるくらい、とことん執着された残念なお相手が誰なのか。もう、流石にわかるよな?」
ぴしっと。角名の長めの人差し指が、俺に向けられる。そして俺は、嘘やん、と声になるかやらないかの呟きを零した。角名は「嘘かどうかは。今から来る本人に聞いてみるといいよ」と言われてハッとする。
そうだ。角名宛のメッセージに「そこで待っとけ」と書いてあった。
侑は、いまこの場所に向かってる。
慌てて立ち上がろうとして。でも酒が思ってたより回ってたらしく、頭がぐらついて、すぐまた畳の上に座る羽目になった。
「そう急がなくても侑が来るんだから、待っときなって」
「いや急ぐやろ。どう考えても」
「へえ。こうやって世界中にぶちまけて言うくらい、もう腹を括ってるって、侑は侑なりに覚悟を見せてるのに、治は逃げるわけ?」
そろそろ年貢の納めどきってヤツだと思うけどと、角名は俺の手元にグラスを戻した。
いやもう今更戻されても、煽るわけにもいかず俺はただただ頭を両手で抱える。身体はグダグダなのに、頭ばかりが冴えている。だから余計に、角名の言葉ひとつひとつが、すんなりと心に染みて入ってきた。
「侑はさ。こうと決めたら誰がなんと言おうと通すヤツだろ。なのにその侑が、ここまで我慢した。他の誰でもない、治だから。侑って昔から最後の最後は、治に弱かったよね。治が本気で嫌がることは絶対にしなかったし、お願いされたら結局断らない。甘いんだよ、治にだけさ」
「でも
……そんなん俺やって我慢してきたし」
「ちなみにそれは侑のため? それとも自分の気持ち、守るため?」
問われて、目を見開く。
頭を抱えてた手を離して、視線をそろりと上げて角名を見たら、角名は笑ってた。子供に言い聞かせる大人みたいなツラして。
「お前らほんと、同じ遺伝子すぎるよ。侑は、治のために我慢してたのをとうとう堪えられなくて今、なりふり構わずここに駆けてくる。そんで治は、侑のこと好きでいる気持ちを誰にも踏みにじられたくなくて、そのためには侑を振ってでもいいってなりふり構わないできた。発露が違うだけでどっちも結局、自分の気持ちを曲げたくないだけの自分勝手。笑えるよ」
「
……ボロクソ言うやん」
「事実、そうやって自分勝手貫いて。貫き通して勝ち通すのが、俺らの宮ツインズだし」
でも好き勝手どうせやるなら、ふたり笑って燥いでやればいいと思うよ。
俺の黒い髪を、くしゃくしゃと撫でてくる角名の手のひら。
いまはもうプロのバレーボール選手の大切な商売道具だけど、相変わらず撫でてくる手つきは凄く雑で、髪の毛はきっとボサボサにされてる。
でもこうして俺たちを適度に雑に扱ってくれるのが、気持ちよかった。昔っから。
「俺、
……ツムのこと、好きでおりたいだけやねん」
「うん」
「たくさん燥いでバレーやってるツムのこと、邪魔しとおない。そんで好きでおりたい。近くにおりたい。せやから他のヤツにケチつけられて、とやかく言われて引き離されて。そういうのだけは、嫌やねん」
「うん」
「でもツムが他人をあの家に入れて食器使わせたり、俺やない人の飯を食いに帰るの考えたら、
……バレーするツムの邪魔になるより、とやかく言われるより、ほんましんどくてたまらんって、
……そんな勝手なこと、思うてもうた」
「なら、それは侑がすげえ頑張ったからだし、侑に直接言ってやんな」
角名がそう穏やかに言ってくれた直後。
ドスドスドスと廊下を踏み抜くのかと思うくらい、治安の悪い足音をさせて誰かが歩いてくるのが個室の外から聞こえてくる。
もしかしてと力が抜けてた上半身をテーブルから起こしたら、同時にスパ‼︎と個室の襖が開いて。
「クソサムッ‼︎ 失恋ってなんやねん!! 誰がいつ振った! 振ったのはお前の方
……おい、なに人のもんに触っとんねん
……!」
次に地を這うような低い声が、割とデカくて個室に響いた。
やってきた侑は、上着も羽織らずジャージのまま肩で息をしていた。走ってきたらしい。別にどこにも逃げやしないのに。(どうせ逃げようとしたって、角名が上手くここに繋ぎ止めておくつもりだったんだろうし)
いつものお気に入りのキャップを深く被ってるけど、その下の髪はセットされてなくてボサボサだ。今日は試合でその後チームの調整があったはずだから、普段なら念入りに髪を乾かしてセットしてるはずなのに。
ツム、と声に出す前に、侑は俺の頭を撫でてた角名の手から引き剥がすみたいに、人の腕を引っ張って立たせて。それから角名を睨みつけて。
「散々、煽り散らかしよって。愉快犯か」
「煽ってないけど、愉快犯なのは認める」
「認めるんかいっ‼︎」
「こっちは高校のときから茶番に付き合わされてきたんですけど? 少しくらい楽しんでもバチ当たんないと思いまーす」
「茶番言うな! ほらサム、行くぞ!」
「行くって、どこに」
「どこって
……どっか、ふたりで話せるとこや!」
「お気をつけてー。あ、ちゃんと顛末は後日報告だから」
「わーっとるわッ‼︎」
肩掛けのカバンとコートを辛うじて角名から受け取り、手を引っ張る侑に連れられて俺は個室を出た。
外履きは靴箱にしまってたから、カバンに入れてた靴箱の鍵を出そうとして、でもやっぱりそれなりに酔っ払ってたらしくて、うまく探せない。
靴箱の通路スペースは狭くて、どれ、と侑が痺れを切らしてすぐ隣に立った。俺が肩から斜め掛けした鞄の中を覗き、鍵を取り出した。その瞬間。
「
……っ!」
侑は自分のキャップを取るとそれを盾にして、ちゅっ、と素早く俺の唇に、唇を重ねた。
かすめるみたいなキス。
あっという間に離れると、俺の靴箱の鍵を開けて、靴を取り出した。
俺は何が起きたのか、一秒遅れてから理解して「テメェはこんなとこで
……!」と睨みつける。するとさっさと自分の靴(あんな足音立てて乗り込んで来たから当然、靴箱になんか入れず、店の出入口の玄関に脱ぎ捨ててあった)を履いた侑は、まったく悪びれる様子もなく、べーっと舌を出して見せてきた。
「俺はお前と違うてシラフやし。ちゃんと絶対に見えんようにしかせんし。仮に見られたとこで酔っぱらいの双子が悪ノリしてるくらいにしか思われんわ。気にしすぎやねん」
「お前が気にしなさすぎなんや、こんアホが‼︎」
「だって気にならんもん。仮になんや言われても、どうにでも言える。言えるくらいにはしっかりズルい大人になってんねん、俺もお前も。それに世間は俺以外にもぎょーさん興味あるもんあって、すぐ忘れるし、飽きる。なにより俺は誰になにをどう言われたところで自分の道、そう簡単に潰されるようなショボいキャリアは積んできとらん」
さらさらさらっと。自分は真っ当ですみたいなツラして言ってくる侑に、酔っぱらいの俺は一瞬、そうかと納得しかけて。また一秒のタイムラグのあとで、いやいやいや全然そうか、やないわと我に返る。
相変わらず自分の中だけでしっかり理屈を通して、こうと決めたらテコでも譲らない。頑固で、勝手で。
「
……ほんま。スナの言う通り、ふたりして結局自分のことばっかで、相手のことばっかりや」
「はぁあ⁉︎ この期に及んで他の男の話すんなや!いまお前とおるのは、俺や‼︎」
いや、そんなんわかってるし。そうやなくて。
と説明する隙もないくらい、途端に侑はガウガウと殺気立つ。
俺のこと取られまいと、三百六十度で臨戦態勢。
こんな態度、これまでぜんぜん取ってこなかったくせに。でも。
「車で来とるから、駐車場いくで。トイレとか
……おい、なにニヤニヤしてん」
そんなふうに俺のこと、誰にも譲りとおないって素直に出してくる侑を目の当たりにして、嬉しくないわけがなくて。つい顔に出てたらしい。
「ツムが俺のこと、諦めてくれるようにって思っとった。思っとったくせに、ツムがまだ諦めんでくれたってわかったら
……うれしいな、思ってん」
酔いもあり、角名から背中押されたのもあり。今思うことそのまま素直に口にしてみる。
すると俺の手を掴んで、駐車場へのエレベーター前に歩く侑が、俺の顔をバッと見た。ほのかに頬を赤くして、眉毛を跳ねて、怒ってるんだか照れてるんだかわからん顔をして。
なんや。目ぇおかしなってきたかも。侑がかわいく見えてきたわ。
「なんで
……」
「?」
「なんでいま、そんなカワイイこと言うん
…!」
「カワイくはないやろ、別に。つーか、カワイイのはお前の方やん」
「なにを言ってますのんっ⁉︎」
「いや。なんか髪もボッサァやし、顔赤いし、照れて怒っとるし」
「これはッ‼︎ めっちゃ据え膳がまんしとるツラですぅッッ‼︎ シラフで理性があるあつむくんに感謝せえ! 大体なぁ。もっとはよ観念して、それを言えっちゅーねん!」
「せやな。言えてればよかった。お前が、正直に話してくれたあのとき。俺もやって、言えばよかった。めっちゃ後悔した。スナに聞いてもらわんかったら、泣いてたかも」
誰もいないエレベーターが来て、ふたりで乗り込む。乗り込んでも侑は、俺の手を離さなかった。離すどころか指を絡めて握り直した。
昨日までなら、勘違いされたらあかんって振り払ってたと思う。
でも今はもう、振り払えない。
こんくらいええやろ。どうせみんな、まさか俺と侑が双子である以外のことなんて想像せんし、なんて開き直ってすらいる。
どくりどくりと鳴る鼓動は自分のもので、それから繋げた手から伝わる侑の鼓動でもあった。
侑の空いてる方の指が、そっと俺の目元を撫でてくる。
「
……もう泣いとったくせに」
目敏く、俺の目元が少し腫れてるのを見つける。ぐしゃりと目つきを歪めて、どこか悔しそうにするのを隠さずに。
「俺のおらんとこで、泣かんで」
「
……ん」
「他のヤツの前で泣くのも、やめてくれ」
「スナでもか?」
「スナやからやろ。お前のスナに対するガードの甘さ、どうにかならんの」
「でもスナやし」
「俺も、別にサムとスナが本気でどうにかなるとか思うとらん。でも、おまえ知らんやろうけど、俺めっちゃ嫉妬深いねん。
……せやから少しだって、他のヤツにこんな弱ってて無防備なサム、見せとおない」
チンッと安い音が鳴って、エレベーターは地下の駐車場に着いた。
恋人つなぎのまま、手を引かれて侑の車まで連れて行かれながら。確かに侑がこんなに誰かに嫉妬するのを想像してなかったし、その矛先が自分に向けられるともまた思ってなかったなと、どこかでまだ信じられないふわふわした気持ちだった。
侑はいつでも興味があるもんとないもんの境界がはっきりしてて、好きなものにはとことんな性質だから、言われてみればそうなるものなのかもしれないとも思う。でもそんな侑と根っこの部分は一緒だと、さっき角名から言われたばかりで。ようするにそれは自分もだという自覚が、じわりじわりと染みてくる。
侑の愛車のセダンの助手席に乗り込んで、シートベルトをしようとした手を、運転席から侑がまた握ってきた。
それが何の合図か察して、うっとりと瞼を伏せる。
そして唇が、しっとりとなぜるように覆いかぶさった。
「
……、
……ツム
…」
「ん
……?」
「俺も、おまえの片割れやから結局、一緒やねん。
……ほんとは誰にも譲りとおないって、スナに愚痴って酒あおるくらい、嫉妬でどうにかなりそうになっててん」
「せやからって、他の男のホテル行くとかもう二度と言うな。めっちゃ焦った」
「っ
…ぁ、
……!」
唇から唇が離れて、代わりに首筋に吸い付く。
おもわずあからさまな声が出て、そしたら侑が我に返ったようにガバッと離れた。
「?
……どうしたん
……もう、せんの?」
正直もっとしてほしかった気持ちが、酔いがまだ抜けないせいでポロポロと出てくる。
すると侑は俺のシートベルトをせっせとして、自分のもしっかりして。それからエンジンをかけると「したいに決まっとるやろがい!」とかなんとか、なんでかキレ気味に返事をして、ゆっくりと発車した。
「あんなとこで盛るわけにいかんし! そも酔っぱらいには手ぇ出せんやんか‼︎」
「なんで?」
「なんでって⁉︎ シラフのお前から、ちゃんと言質とってからや。酒のせいにされて、やっぱ無かったことにしよとか言われたらかなわんわ!」
「そっか。据え膳
……食うてくれんのか
……」
「おっまえ
……! なんでそんなたち悪いん⁉︎」
「おまえの片割れやし、しゃーないやん。
……ドン引きされるような重たい嫉妬むけられて、ああ気持ちええなってなってまうし。ギラギラした目ぇして据え膳って言われたら、どうせ俺は飲みすぎて勃たれへんし、今日はおまえが食うてやってなんねん」
「あ〜〜〜〜、コイツなんやねんほんま! 人が理性総動員してやってんのに〜ッ‼︎」
片手に握力がこもって、皮のハンドルはぎちぎちと音を立ててる。
結局、どっかふたりで話せる場所がどこになるのか知らないし、この車がどこに向かうのかも知らないけどハンドルは侑に預けているし、任せるしかない。でも侑は運転すると性格が変わることもないし、驚くほど安全運転をする。ブレーキも上手いからスッと止まるし、そういうところは丁寧で慎重だから、どこに連れて行かれたとしても、たぶん大丈夫。
ハンドルを握らない方の手が空いてるから、徐ろにこちらに伸びてきて「ほれ」とこちらも見ずに言う。
だから俺も「おん」と返事だけして、手を握り返す。
俺たちは車中、無言のままだった。
ただ手と手だけはしっかり繋いで、車の操作があるとき以外はこれまで繋げなかった時間を埋めるみたいに一時も離さなかった。
ちらっと、横目で運転席を盗み見ると、前方注意義務を真剣な目をして果たす片割れがいて。
でもずっと眉間に力が入ってて、目の中は鈍く光ってるもんだから、俺も自分の中で暴れそうになってる早く据え膳で食われたいって欲は、ひっそりと抱えて消さないまま助手席に座って、窓の外を見ていた。はぁ、と息を吐くと、外気との温度差で窓ガラスが白くなってすぐ消える。
早く、確かめたい。
この男が、本当に俺を諦めてなかったのか。
その鈍い熱を確かめたくて、たまらなかった。