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やごろく
2024-10-06 23:34:43
5997文字
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渾身の導入
「ッイエス、またまた俺ちゃんの大勝利!」
テーブルに置かれた緑色の盤面は、いつの間にか白の石でほぼ完全に覆われていた。まばらに散らばる黒い石を見て、ローガンは喉の奥から不満げな唸り声を漏らした。
スリーセットで負けた方が勝った方の言うことを一つ聞く───暇すぎて何もすることがない昼下がりに、そんなルールで始めたゲームだった。あっさり二勝して『三回戦の勝者には六億九千万ポイント!』なんて言った癖に、三回戦目もしっかりと圧勝したウェイドは、テーブルの向かいで小躍りしている。
「六億九千万とんで二点差かぁ
……
いやん、どんなお願い事でも叶っちゃう点差!」
「お前
……
二回戦でわざと手加減しただろ」
ウェイドが圧勝した一回戦と三回戦とは違って、二回戦は僅差での勝利だった。今思えばあれは、この数えるのも馬鹿らしい点差を作るための作戦だったのだろう。
「何のことだか、俺ちゃんさっぱり」
「そんなに俺とリバーシがしたいんだったら、四回戦目も付き合ってやろうか」
ニヤッと笑いながらそう言うと、ウェイドはフンと鼻を鳴らした。
「アンタがもうちょっと強くなったらね」
ウェイドは上機嫌で立ち上がると、ステップを踏むような足運びでローガンの隣の椅子へと移動した。
「実は始める前からお願い決めてんのよ、俺ちゃん」
向かい合って座っているウェイドの顔を見る。ニマニマと堪えきれない笑みを浮かべたかと思えば、「キャー、やっぱ恥ずいかも!やめとこっかな!」などと叫んで顔を覆ったり、随分と忙しない。重そうなブーツで床をドカドカ踏み鳴らす中年の男の姿に、不思議な可愛らしさのようなものを感じて、ローガンは静かに心の中で『俺も来ることまで来ちまったな』などとしみじみ考えていた。そんな時、床を突き上げる『ドン!』という音で意識が現実へ引き戻された。下の階からの抗議の突き上げのようだ。ウェイドは咄嗟に椅子の上で三角座りの姿勢になり、両手をソッと横に広げて『セーフ』のポーズを取った。
「アウトだよ馬鹿。いいからさっさと言え」
ウェイドのことだ、どうせしょうもない願いに勿体をつけているだけだろう───ローガンはそんな風に考えていた。寝る時に女装してほしいだとか、白スーツに黒い眼帯をしてほしいだとか、ジジ臭い老眼鏡をかけてくれだとか、そんなところだろうと思っていた。なぜならこれまでに、両手両足の指に加えてアダマンチウムの爪の本数を合わせても足りないほど、しつこく強請られてきたからだ。これまでは強請られるたびに断ってきたものの、そろそろ断るのも面倒になってきていた。一晩くらいなら、こいつの悪趣味に付き合ってやってもいいかもしれない。そんな風に静かに覚悟を決めながら、ローガンはテーブルに頬杖をついて、ウェイドの言葉を待った。
当のウェイドは床へゆっくりと足を下ろしながら、改まった様子で一つ咳払いをした。
「えっとね、ローガン
……
俺ちゃんのお願いはね───」
ウェイドの言葉を聞いた瞬間、ローガンの眉が跳ね上がる。頭の上には大量の『?』が浮かんでいた。
「あ?何だそれは」
「いいじゃん!減るもんでもねぇだろ」
「まぁそうだが、もっと別に
……
まぁいい」
こうなると、自分が下世話な願い事を予想していたことが逆に恥ずかしくなってくる。いや、俺は悪くない。普段のウェイドの素行が悪すぎるせいだ。そんな風に考えつつ、ため息を吐きながら片手を差し出すと、ウェイドの顔にパァッと明るい笑顔が浮かんだ。
「イマイチお前の意図が読めんが、好きなだけやれ」
ウェイドの願い事は『ローガンの手を飽きるまで観察させてほしい』という、妙にピュアなものだった。落ち着いてゆっくり観察させてほしいというウェイドたっての希望で、二人でソファへ移動した。
「んじゃ、遠慮なく
……
」
ローガンが改めて片手を差し出すと、隣へ腰掛けたウェイドは自分の両手のひらをシャカシャカ擦り合わせた後、ローガンの手を包むようにソッと両手で触れた。手のひらに刻まれた皺を、ウェイドの親指がなぞる。
思い返せば、ウェイドに手を触られた経験はほぼ無かった。恋人らしく手を繋いで外を歩くなんて考えたことすらなかったし、家の中でも思い当たるような記憶はない。しかし、それは存外に心地良いものだった。ウェイドの体温は平均的な人間のものと比べてかなり高い。ついさっきまでストーブの側にいたかのような体温に包まれると、骨格を覆うアダマンチウムのせいで冷えがちな指先が、ジンと温まっていくのが分かった。
一瞬閉じかけた瞼をハッと開けると、ウェイドは熱心に手のひらだけを見つめていた。手が温かくて眠くなったなんて、目の前の男に知られたら全力で茶化されるに決まっている。バレていないらしいことに密かに安堵しつつ、ローガンは今の状況に何か感慨深いものを感じていた。この複雑怪奇に捻じ曲がった───捻じ曲げられたと言うべきだろうか───男が、何の遠慮も躊躇いもなく己の手に触れている。こんな関係性をウェイドと築くことができるとは、出会ったばかりの頃は想像もしていなかった。
◇◇◇
ウェイドとアルの家にローラ共々居候を始めてしばらく経った頃、この男の中にボディタッチに関する奇妙なルールが存在していることに気付いた。
『ちょっとアンタ、もうすぐローラが帰ってくんの!シャワー浴びて暑いのはわかるけど、その教育上よろしくないテカテカおっぱい早めに仕舞っとけよな』
『おはよ───ってアンタ、そんなピチピチの派手なボクサーパンツとか履くの?!白ブリ一択だとばっかり思ってたよ俺ちゃんは
……
てか、D&Wの尻担当は俺ちゃんなんだからね!お株を奪うような真似はくれぐれもつつハイハイハイ、出ていくってば!ごめんって!』
下世話なジョークを飛ばす時は、必ずと言っていいほど毎回触れてくるのだ。パァンと音がなるほど勢いよく裸の胸を叩かれたり、着替え中に尻をつねられたり。
なのに、だ。
『え、ローガンって仕事の後にハイタッチとかやっちゃう派?俺ちゃんの文化圏にはないやつかも
……
ケツ叩く方なら馴染みあるし、そっちでどう?』
『
……
ッうわ、何?!びっくりした
……
急に肩叩くんじゃねぇよ、反射で撃っちまうだろ』
下品な軽口を伴わないボディタッチは何故か徹底的に避けるか、無理矢理ジョークにしようとしてくる。後ろから肩を叩いて驚かれるのならまだ分かるが、横並びで叩いても大袈裟に身体が跳ねるのが不可解だった。逆にウェイドがローガンを呼ぶ時はほぼ毎回声掛けだけで、どんなに近くとも肩は絶対に叩かない。緊急時に寝ているローガンを叩き起こす時はベッドフレームに蹴りを入れるし、食卓で調味料を渡す時は机に置く。
セクハラを働く時は気軽に触れてくるくせに、日常的な接触は極力避ける、そんなウェイドの挙動に首を傾げていたある日、ある事件が勃発した。ここでの詳しい説明は省くが、その事件を境にローガンとウェイドの関係性は大きく変わった。色々な───色々という言葉では括り切れないほど色々なすったもんだの末に、二人はついに収まるところに収まったのだ。
収まるところに収まった二人だったが、収まってからが長かった。一時、セクハラ含むほぼ全ての身体的接触を恥ずかしがるようになっていたウェイドに、ローガンがどれだけやきもきしたことか。抱きしめようと肩に手を置けば身体は石のようにガチガチになり、キスしようとすればギュッと目を瞑って口を真一文字に引き結ぶ。そのくせ何もせず身体を離すと、真っ赤な顔でじっと見つめてくるのだ。羞恥に潤んだヘーゼルの瞳は目に毒で、ローガンは何度天を仰いだか分からない。
『
……
一応聞くが、俺に触られるのが嫌ってわけじゃないんだよな?』
『それはない!
……
けど、俺ちゃんアンタに触られると思うとさぁ、ウワーッてなんか込み上げてきてさぁ。耐えらんねぇのよ
……
』
さて、どうしたものか。この柔らかいところが一つもなさそうな男が顔を真っ赤にして恥じらう様子を間近で観察できるというのは、それはそれで特別感があった。しかし、残念なことにローガンにはそういう行為への欲求が人並み以上に備わっていた。
状況を打開するために講じた策は、実に単純なものだった。日常生活の中の細かな接触をとにかく増やしたのだ。背中や脇腹を急に指で突いたり、廊下ですれ違う時に腕を軽く叩いたり、そんな程度の軽いものだ。勿論、ウェイドには事前に許可を取った。
『
……
そういうのってさぁ、許可とか取らずにやるからドキドキするんじゃねぇの』
『取ったらドキドキしねぇのか?』
被っていたグレーのパーカーのフードをギュッと引き下げて顔を隠しながら、ウェイドは『アンタの口からドキドキなんて単語が聞けるとはね』などとモゴモゴ呟いた。フードの隙間からちらりと覗く肌はピンク色に紅潮していて、そこへ手を差し入れたい衝動をローガンはグッと我慢した。それはまだ早い。ウェイドがもう少し接触に慣れて、過敏に反応しなくなってからだ。
ローガンの目論見通り、最初は床から5センチ飛び上がっていたウェイドも、徐々に慣れてきたのか、段々と普通の反応を示すようになった。ある日、ついにウェイドが脇腹を突き返してきた時は、ローガンは思わず反応を忘れてウェイドを見た。
『
……
こういうのはさぁ、くすぐったくなくてもそういうフリするのがマナーってもんだろ?何だよその反応、傷付くってウワアァ?!』
衝動的に抱きしめると、腕の中の身体がぎくんと固まったのがわかった。ハッとなって謝りつつ顔を覗き込むと、熱く潤んだ瞳に引き込まれた。物言いたげに薄く開いた唇が微かに震えて、喉がこくりと上下する。腰に回した手で背骨をなぞり、剥き出しのうなじを親指ですりすり撫ぜると、ウェイドの身体がピクリと震えた。吐息混じりに『あ
……
』と小さく漏れた声が、ローガンの興奮を煽る。数ヶ月単位でお預けを食らっている欲望が、期待で兆し始めていた。丁度家には二人以外誰もいない。隣にはソファがあり、腕の中にいるウェイドは蕩けた表情で自分を見つめている。もう少し段階を踏んで接触に慣れさせていこうと思っていたが、この顔はもう流石にOKってことなんじゃないか。これでOKじゃなかったら何なんだ。そんなことをぐるぐると考えながら、ローガンは自身を見つめる瞳に吸い込まれるようにゆっくりと顔を近づけた。そして、もう少しで唇が触れ合うというところで───
『
……
ローラがもうすぐ帰ってくるから』
ウェイドがそう絞り出した瞬間、ローガンは勢いよくウェイドから身体を離した。ウェイドの肩へ手を置いたまま、『そうか』とだけ絞り出す。ローラがすぐ帰ってくるなら、今からリビングでおっ始めるわけにはいかない。勿論ベッドルームでもだ。肺の中の空気を全部吐き出して、臨戦態勢を整えつつあった熱を何とか鎮めた。
◇◇◇
そんなこんなで徐々に接触の機会を増やし、そして現在に至る。最初はセクハラのノリでしかボディタッチができなかったウェイドも、今ではごく自然に様々なシーンで触れてくるようになった。その過程はローガンに、胸を奥から温めるような喜びを与えてくれた。他所では愛想を振り撒いて餌だけを攫っていく野良猫が、自分の膝の上では穏やかに眠っているような。この陽気で奔放に見えて実のところ傷付きやすくナイーヴな男の、拠り所の一つになりたかった。
「
……
お前が俺の手を握れる日が来るたぁ、長生きもしてみるもんだな」
ウェイドは顔を上げずに柔くローガンの手のひらを揉みながら、「ふふ」と小さく笑い声を零した。
「アンタってとんでもなくしつこいんだもん。流石の俺ちゃんも根負け」
おどけた口調で言いながら、ウェイドはローガンの手のひらをぐるりとひっくり返した。指の付け根から少し手首に寄った辺り───丁度アダマンチウムの爪が突き出てくる部分を、ウェイドの親指の腹がなぞっていく。手のひらを揉まれる心地良さとはまた異なる、僅かにくすぐったいような感覚にローガンは小さく身じろぎをした。何か気になることでもあるのか、ウェイドはそこをやたらと念入りに触り始めた。拳の山と山の間をしつこくスリスリと撫でられると、ゾワゾワした感覚が腕を伝って上がってくる。ヒーリングファクターは肉体の時間を巻き戻す。幾度となく爪によって突き破られてきたその部分も、他の部分の皮膚と変わらない厚さのはずだ。手で触って気になるような違いはないはずなのに、まるで瘡蓋をいじるようにそこばかり撫ぜてくるのは何故なのか。
優しく撫ぜるばかりだったウェイドの指に、ほんの少し力が籠る。ぐり、とほんの軽く押し込まれた指の腹が、ローガンの皮膚越しにアダマンチウムの爪先に触れた。瞬間、慣れた痛みが脳味噌をノックする。ローガンにとって、その痛みは戦闘時の興奮と深く結びついていた。本来、先に来るのは興奮なのだ。戦いに挑む前に爪を出す時も、悪い夢に魘されてシーツをボロボロにする時も同じで、気持ちの昂りの後に痛みが来る。しかし、犬が餌とベルの音を結び付けて涎を垂らすように、ローガンにとって爪が皮膚を突き破る痛みは、戦いの興奮を想起させるものだった。そしてその暴力的な興奮は、悲しいことに性的な興奮と隣り合わせにあるもので───
首の後ろがカッと熱くなる。駄目だ。ローガンはウェイドに気取られないように、静かに深呼吸を始めた。今はそういう雰囲気じゃない。ウェイドは賭けに勝って、ローガンの手を観察したいと願った。もっと下世話な願い事もできたはずなのに、そうしなかったのだ。今この瞬間はその意思を尊重したかった。しかし、必死の抵抗も虚しく、ウェイドによって与えられる微かな痛みがローガンの興奮を容赦なく煽る。皮膚の下に微かに感じる爪先の感触が気になるのか、ウェイドは顔を上げないまま妙に熱心に爪が出る箇所を弄くり続けていた。
ひとしきり満足するまで弄り回した後、ウェイドがふと顔を上げた。正面にある顔を見て、ウェイドの目が一瞬驚いたように見開かれ、すぐにスッと細くなった。ローガンの呼吸が荒くなる。
「
……
アンタ、今すっごい顔してる。俺ちゃんをぶっ壊したくて堪んないって顔」
薄い唇に薄らと笑みを浮かべて、ウェイドは囁くようにそう言った。凹凸の目立つ指先がローガンの指の付け根から、手の甲へと進んでいく。ウェイドは指と指を深く絡ませた後、キュッとローガンの手を握りしめた。それに応えるように、ローガンも握り返す。
「お預け食らって良い子で待ってたんだ。俺ちゃんをこんな目で見ながらさぁ」
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