三崎
2024-10-06 20:13:53
6870文字
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先生!休んでください!

オキーフ先生企画で書かせていただきました!ルビコン小学校アーキバス分校で小学校の先生をしているオキーフ先生です。ヴェスパーの皆さんは先生になっていたり児童だったり。モブ用務員視点のお話です。

 季節は初夏。緑萌ゆる山々を背景に、爽やかな風を頬に感じながら、俺は職場であるやたらでかい歴史ある校舎を見上げた。
 緑豊かな山間部――と言えば聞こえは良いが、要するに田舎と言って差し支えない場所だ――に位置する、県立ルビコン小学校、アーキバス分校。全校児童は百人に満たない小さな小学校だが、子どもたちはみな長い通学距離にもめげず、今日も元気よく登校してくる。
「校長先生、おはようございます!」
「おはよう、ペイターくん」
 校門の前ではホーキンス校長がにこやかに子どもたちを出迎え、一人ひとりに挨拶を返している。小規模な小学校だから、先生たちも全員の顔と名前を覚えているのだ。
 俺は、そんな微笑ましい朝の風景が大好きだった。朝の爽やかな空気に響く、子どもたちの元気いっぱいの朝の挨拶。それに応じる優しげな先生たちの声――未来を感じる、最高の朝だと俺は思う。
 俺はこのアーキバス分校に務める用務員だ。元々は都心部で働いていたのだが、激務で心身を壊してしまい、実家のある田舎に戻ってきたのである。知り合いの伝手で用務員として働かせてもらっているが、先生たちも子どもたちもいい人ばかりで、充実した日々を送っていた。子どもたちは素直で可愛くて、田舎特有のやたらと広い校舎や敷地の整備も苦にならない。給料も食うには困らないし、先生方が趣味でやっている家庭菜園の野菜を分けてもらうこともあるから、都心部で働いていた頃よりも健康状態は良くなった。
 家から車で十分、緑溢れる田舎道を走りながら通勤し、夕方には帰宅して、野菜中心の食事をのんびり食べて、夜もまだ早いうちから床につく……。退屈だと思う人もいるだろう。実際、若い頃の俺もそう思っていた。しかし、四季の移り変わりと子どもたちの成長を間近に感じながら過ごすというのは、心が落ち着き、前向きな気持ちになれるものだ。
 きっと俺には、ここでの暮らしが性に合っている――そう噛み締めながら過ごす日々の中、俺が今一番気になっているのは……
「おはようございます、オキーフ先生」
「ああ、おはよう」
 玄関先の掃除をしていた俺は、するりと敷地内の駐車場に車を停め、のそりと車を降りて来たオキーフ先生に挨拶をした。眠そうな返事だ。俺相手だからという訳ではなく、登校してきた子どもたちの挨拶にも眠そうな声で返事を返している。
「寝不足ですか?」
「ああ……色々と仕事が溜まっていてな……
「お疲れ様です……
 三年生と四年生――中学年の学年主任ともなれば、諸々の苦労があるのだろう。初対面では無愛想で冷たい――端的に言えば怖いイメージを持たれがちなオキーフ先生だが、こう見えて児童からは慕われ、保護者の方々からの信頼も厚く、先生方からも頼りにされる、しっかりした方なのだ。
「忙しいでしょうけど……ちゃんと休んでくださいね」
「そうだな……
 とは言え、陸上部の顧問も担当しているオキーフ先生は部活動だけでなく大会の引率や運営補助などで休日も仕事のことが多いらしい。先生というのは、つくづく大変な仕事だ。
 俺も頑張らなくちゃな。そう気持ちを引き締め、俺は砂ぼこりをちりとりにまとめると、校舎へと戻ることにした。


「こら、廊下を走るんじゃない!」
 掃除を終えて校舎に戻ると、玄関入ってすぐの廊下をきゃっきゃと走り回っている子にスウィンバーン教頭が注意しているところだった。はーい! と元気よく返事をするものの、悪びれる様子もなく駆け回る子どもたち。いつの時代もこういったやんちゃな子はいるものだ。俺もガキの頃は野山や川岸を駆け回り、校舎もめちゃめちゃに走り抜けていたっけな……
 なんとなく自分も叱られたような気になって背筋を正していると、はあ、とため息をつく教頭先生の目の前で、走っていた子が足をもつれさせて盛大に転んでしまった。
「!」
 あらら、と俺が駆け寄る前に、教頭先生がしゃがみ込み、その子をすっと立たせてやった。涙目の子は何が起きたのやらという表情で、ぽかんとしている。
「だから走るなと言ったんだ。痛くはないか?」
「痛い……
「そうかそうか。痛かったら、もう廊下は走るんじゃないぞ。君、悪いが、この子を保健室まで連れて行ってくれるかね」
「はっ、はい!」
 ぽんぽんとその子の頭を撫で、教頭先生は姿勢良く廊下の向こうへと消えていってしまった。この人もまた、神経質でとっつきにくそうな見た目とは裏腹に、子どもたちのことを厳しくも優しく見守る、良い先生なのだ。朝の見回りも兼ねて廊下ですれ違う児童に挨拶しながら歩いていく教頭先生の姿もまた、校門前の校長先生と合わせてアーキバス分校のいつもの風景という奴なのである。
 転んだ子を保健室に連れて行くと、幸いにも膝を少し擦りむいただけで済んだようで、走らずてくてくと教室に戻っていった。程なくして予鈴のチャイムが鳴り、朝の会が始まる時間が近づいてきた。俺も職員室に向かって、今日の仕事の準備をするとしよう。


 分校、とつくように、県立ルビコン小学校は本校と二つの分校から成っている。多種多様な児童が集まるルビコン本校、運動系の部活に力を入れているベイラム分校、そして、学力と文化部に力を入れているアーキバス分校の三つだ。力を入れている方向性は違うが、学校同士の交流も活発で、毎週どこかしらの部活が合同練習を行っている。合同練習は借りた施設を使って行われることもあるが、大体はそれぞれの校舎を持ち回りで利用しながらが主だ。
 今週末は各学校の陸上部がアーキバス分校に集まる予定になっていた。足りない物品が無いかを確認し、補充の注文をかけたり、用具室を整頓したり、外での体育の授業がない時間を見計らってグラウンドに白線を引いたりと、やることは山ほどある。四年生の担任も兼任しているオキーフ先生に代わり、俺が裏でコツコツと準備を進めているという訳だ。
 体育の授業がある時はグラウンドでの作業は出来ないから、用具室での作業が主になる。子どもたちの元気な声を聞きながらの作業は、なかなか捗っていい。
 カラーコーンをざっと雑巾で拭いて、それなりに綺麗にし終える頃には、授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。午前中の備品整理はこの辺にして、校舎に戻って別の仕事をしよう。俺は外での体育から戻る子どもたちといっしょに、のんびりと校舎へ向けて歩き始めた。


 二時間目の終わりには、少し長い休み時間がある。二十分の休み時間、子どもたちは早めに移動教室に向かったり、体育館や玄関前の遊具で遊んだり、思い思いに過ごすのだ。
 玄関に出ると、一階の教室から勢いよく何人かが飛び出してきた。人気のブランコやジャングルジムは早いもの勝ちだから、遊びたい子はダッシュで外に出る。友だちの手を引いて早足で玄関にやって来た子は、低学年の中でも元気いっぱいだと有名なフロイトくんだった。
「ほら、行くぞ! スネイル」
……
 連れられたスネイルくんはなんとも言えない顔をしているが、手を引かれるまま玄関に来て靴を履き替えている。スネイルくんは良く図書館で見かけるから、新しい本を借りたかったとでも考えているのかも知れない。友だちと遊んでいるうちに、せっかく気持ち良い天気なんだし、たまには外で遊ぶのも悪くない……と思ってくれると良いんだが。
 二人を先頭に、次から次へと子どもたちが玄関にやって来て、外へと飛び出して行く。なんとそこには、オキーフ先生の姿もあった。
「せんせー! 早く早く!」
「わかったわかった……あんまり急ぐと危ないぞ」
 十人近い子どもたちに包囲されながらやって来たオキーフ先生は、渋々と言った様子で職員用の玄関口から外に出て行った。あの人数に連れられて行くってことは、ドッジボールか何かに誘われたのだろうか。ああ見えて付き合いの良いオキーフ先生は、たまにこうして休み時間に連れられていくことがある。そして職員室に戻るなり、やれやれとため息を吐くのだ。休み時間に休みたいのは、児童よりも先生の方らしい。
 子どもたちのはしゃぎ声が響く廊下を歩き、職員室に戻ると、窓の外でオキーフ先生が子どもたちと一緒にボールと戯れているのが見えた。
「オキーフ先生は人気者だねえ」
「あ、校長先生……。そうですね、本当に……結構誘われてるところ見ますもんね」
 窓の外を見ていると、校長先生が話しかけてきた。この人は子どもたちだけでなく、職員に対しても優しく厳しく声をかけてくれる人で、それがこの学校全体の朗らかな雰囲気に繋がっているように思う。
「僕もあと十歳若かったら混ざりたいんだけどねえ。教頭先生はまだいけるんじゃない?」
 いつの間にか近くに来ていた教頭先生に、校長先生が話を振る。教頭先生はじとりと校長先生を見つめ、ふんと鼻を鳴らした。
……それはそれとして、校長は運動された方がよろしいですな」
「あっはっは! それは確かに……やっぱり混ざって来ようかな?」
「そうしていただきたいのは山々ですが……来月の三校合同運動会の件で急ぎご確認いただきたいことが」
「おや……仕方ないね、オキーフ先生チームの勝敗も気になるけど、これで失礼するよ」
 冗談を言い合い、仕事は真面目にこなす、校長先生と教頭先生は良いコンビだと思う。
 見始めた時よりも外野が増えたグラウンドで、子どもたちは楽しそうにボールを追いかけたり、ボールから逃げたり、オキーフ先生に向けてボールを投げたり、投げられたりしている。かなり白熱しているし、あの様子では、この休み時間は職員室に戻って来られないだろうな……。俺は昼休みにコーヒーでも入れてあげようと心に決め、俺は俺で自分の仕事に取り掛かることにした。


 昼休み。放送委員会のアナウンスを聞きながら給食をかきこみ、オキーフ先生が職員室に戻ってきたタイミングで俺は席を立った。職員室に併設された給湯室へ向かい、マグカップとドリップコーヒーのパックを二つ手に取り、パックをカップにセットする。ちびりとポットのお湯を垂らして蒸らすと、ほわんと香ばしい匂いが漂ってきた。俺には味の違いなんてわからないが、少し蒸らすと良いらしい。十秒くらい待って、ポットのお湯を注いでいると、ひたひたと足音が近づいてきた。
「あ、オキーフ先生、お疲れ様です。ちょっと待っててくださいね、もうすぐ入りますから」
……悪いな」
 二つ並んだマグカップを見て察してくれたのか、オキーフ先生は俺に礼を言ってくれた。
「白熱してましたね、先生」
「よしてくれ……。全く、四時間目にも体育があるってのに」
「元気な子が多いですよね、四年生は」
「まあ、良いことなんだがな……
 コーヒーが出来るまでの間、少し疲れた様子のオキーフ先生とそんな話をした。眩しいくらいに元気な子どもたちは、時に大人を疲れさせる。それはそれで喜ばしいことだとわかってはいるのだが、それなりに歳を重ねた俺たちの体は容易に悲鳴を上げるのだ。
「はい、どうぞ。ブラックで良いんでしたよね?」
「ああ。ありがとう」
 俺もまたブラックコーヒーを手にデスクへと戻る。昼休み、給食を食べ終わった子たちが校庭ではしゃぎ始める時間だ。俺は子どもたちの楽しげな声をBGMに休憩時間を満喫しているが、オキーフ先生はコーヒーを啜りながら子どもたちの学習ノートの確認をしている。やっぱり担任の先生というのは大変だ。お疲れ様です、改めてそう思いながら、俺はもう一口、熱いコーヒーを啜ったのだった。


 放課後。四年生以上の子は部活動の時間だ。部活動に入るのは任意だが、大体の子は何らかの部に入って放課後の時間を過ごす。俺は午前中にしかけていた用具室の整頓の続きをしに外へ出た。
 作業をし始めた頃は静かだったグラウンドも、時間が経つにつれ少しずつ賑やかになってくる。ふう、と一息ついて外の空気を吸いに外に出ると、マーチングバンドが隊列を組んでトラックに並んでいた。旗を持ったカラーガードを先頭に、楽器を手にした子たちが続く。傍らではメーテルリンク先生がホイッスルを持って子どもたちに何やら指示を出していた。来月の合同運動会では、マーチングバンドに先導されて選手入場となる。誰よりも先に入場する子たちだから、一層気合が入るのだろう。
 グラウンドが使えない時は、陸上部は校舎の周りを走ってウォーミングアップとなる。校舎の外に出るということは誰かしらが引率しなければならず、つまりはオキーフ先生が子どもたちと一緒に走って戻って来ることになる訳だ。ちょうど校門からぱらぱらと子どもたちが走って戻って来るのが見えた。
 走り疲れているだろうに、ラストスパートとばかりに全力ダッシュをしている子が二人。あれは確か、中距離走を走るペイターくんと、入部したばかりなのに短距離走のエースと噂されているラスティくん。どちらもオキーフ先生のクラスの子だ。部活動だけでなく、クラスでも二人は何かとライバル関係にあるらしい。短距離ならラスティくんに分があるが、日頃から中距離を走ることに慣れているペイターくんには一歩のところで及ばなかった。先に到着していた子たちに見守られながらの決着は、今回はペイターくんに軍配が上がった。
 競技は違っても、こいつには負けたくない、というライバルがいるのは良いことだ。全員が到着し、最後尾を走っていたオキーフ先生がみんなに水を飲むように声を上げる。悔しがるラスティくんと、少しだけ得意げなペイターくんを見て、オキーフ先生がふっと笑ったように見えたのは……遠目だったし、気のせいかも知れない。
 真剣で元気いっぱいな子どもたちを見ていると、こちらもやる気が湧いてくる。俺は用具室に戻り、仕事の続きをすることにした。


 マーチングバンドの演奏、野球部のキャッチボールの音、子どもたちの真剣だったり楽しそうだったりする声、先生たちの鳴らすホイッスルの音……それらを聞きながらの作業は捗りもするものの、時間が過ぎるのもあっという間だ。よほど集中していたのか、用具室に近づいてくる足音にも気付かず、扉が開く音に驚いて俺は後ろを振り返った。そこには……
「あ、オキーフ先生。お疲れ様です」
「ああ、お疲れさん」
 ジャージ姿のオキーフ先生は、俺に缶コーヒーを差し出している。
「昼休みの礼だ。働き詰めだっただろ」
「あ……ありがとうございます」
 なんて律儀な人だ。ありがたく受け取って礼を言う。オキーフ先生はふう、と疲れたため息をついて伸びをした。
「オキーフ先生こそ、今日は動きっぱなしだったんじゃ……
「全くだ。おかげで、今夜は良く眠れそうだよ」
 仕事は山積みだけどな、とぼやくオキーフ先生に苦笑していると、用具室をぐるりと見回して、オキーフ先生が申し訳無さそうな顔になった。
……悪いな。今週末の準備、ほとんど任せてしまっているだろう」
 一日の大半は授業や授業の準備にかかるわけだし、それは仕方ないことだ。そんな顔はしないで欲しい。
「気にしないでください。ああでも、ちょっと先生と相談したいことがありまして……明日お時間いただけると」
「わかった。明日の中休みにでも話そう」
「助かります」
 ドッジボールに誘われなければ、ですね、という冗談を言おうかどうかは迷ったが、止めておいた。本当に誘われてしまってはちょっと困る。
 そんな話をしているうち、オキーフ先生を探す誰かの声が外から聞こえてきた。
「やれやれ……休む暇もないな」
「お疲れ様です……本当に……
 もう一度小さくため息をついて、オキーフ先生はじゃあな、と手をひらりと振って用具室を出て行ってしまった。本当に忙しいお人だ。
 オキーフ先生は本当に良い人で、頼られるのも好かれるのも良くわかる。しかし、ちゃんと休めているのかと心配になる時も多い。出来る限りしっかり寝て、自分のことをする時間を取ってもらえると良いんだけれども……。それはなかなか難しいのかも知れない。だとしても、ちゃんと休んで欲しいよなあ……
 用務員である俺が出来ることは限られている。しかし、日々の仕事で疲れている先生を見ると、出来る範囲ではあるが、全力でオキーフ先生を支えたいと、そう思うのだ。
 今週末の陸上部の合同練習に続き、来月には合同運動会もある。俺も忙しくなるだろうが、オキーフ先生は俺以上に忙しいはずだ。俺も裏方として、学校のため、子どもたちのため、そしてオキーフ先生のために頑張っていこう。なんて言ったって俺は……宇宙で一番の、最高の学校で働いている男なんだからな!
 俺はそう決意を新たにし、オキーフ先生からもらった缶コーヒーのプルタブを開け、きりっと冷えた苦いコーヒーを飲んだのだった。


おしまい