ずるり、と少し沈む。とぷりと張られた湯は身体の力を抜けば胸の上辺りまでくる。疲れが取れるから、と炭酸だけの入浴剤によって無色の湯だけれども微かに皮膚に泡がついていて、それが弾けるのをぼんやりと眺めながら、エメトセルクはゆっくりと息を吐いた。
もちろん魔法で汚れを落とすことは簡単だ。とても汚れた状態で飛び込んでくる友人がいるものだから、得意魔法の一つになってしまった。けれどもエメトセルクは、こうして疲れを溶かしながらぼんやりと思考をにじませるこの時間も、存外厭ではない。
ぼんやりと宙を眺めて、ふと思考の端にちらついてしまった友人のことを考える。北の方で発生した問題を解決すると旅だって、もう5ヵ月が立とうとしている。早々に解決したと思いきや新しい小さな種を拾い上げ、今度はあちらで手助けをして、と。時折支援を求める連絡がきたので送り先を聞いてみれば、いつの間にか極東まで移動しているではないか。
なんだお前は。どうしてそう次から次へと物事を引っ掛ける。それも、時折とてつもなく大きな問題を釣り上げるな、それを事後報告するな。そういえば、じゃない。少しは、待つ人間の感情を考えろ。
力が抜けた吐息とは違う、重苦しい溜息が口から抜けた。仕方ない。そういう友人を、もったのだ。結論はいつも、同じところに辿り着く。
投げ出した爪先が揺らぐのを眺めて、今度借りる予定の論文について考えよう、と思考を切り替えようとしたところで。不意にエメトセルクの目は、エーテルの揺らぎを捉えた。
ぐるりと渦巻くそれを、ようく知っている。そのエーテルの色は何よりも見知ったもので、しかし、今この状況は大変にまずい、と。けれども習慣とは厄介なもので、いつも崩れた体制で落ちてくるように転移してくるそのエーテルの持ち主を受け止めようと、咄嗟に手を伸ばしてしまった。
「んぉわっっっっ」
奇声と共に、ばしゃん、と湯が跳ねて、そして湯船から溢れた湯が逃げていく。ぱらり、フードが外れて、湯の中をローブがふわりと広がって、ゆっくりと揺らいだ。
「つめっ……たくない、適温!!」
仮面のない顔ががばりと上がってエメトセルクを見た。そして目を丸くして、ゆっくりとエメトセルクの頭から視線を落としていこうとする。エメトセルクは咄嗟にその顎をがしりと掴んで視線を正面へ固定させた。
「お風呂セルクだ!? うっわごめん」
「ごめんで済むのならパシュタロットはいらん」
「ええ、そこまでぇ……怒らないでよぉ。咄嗟に転移するとき君のところが一番飛びやすくてさぁ」
そう言いながら、アゼムは少し視線をずらす。その頬が熱で少し上気しているのを見て、少し欲が滲みそうになるのをぐっと堪えた。
「と、とりあえず邪魔してごめんっ」
「待て、今立ち上がるな」
湯船に手をついて立ち上がろうとするアゼムに慌てる。ふざけるな、こっちは全く何も着ていないのだ。恋人でもない異性の友人に見せるものではない、今でこそ彼女の衣服で隠されてはいるが、せめてタオルでも創造させろ。そんな思考がアゼムという生き物に通じるわけもなく、そしてアゼムという生き物は、問題を引き起こす才能にあふれているのだ。
「んぎゃっ」
ブーツに包まれた足は、大変に滑りやすいことだろう。盛大に滑ってエメトセルクの身体の上に叩きつけられていた。
「馬鹿、お前、本当に……」
「重たい、濡れたぁ、生温かいー」
エメトセルクの胸に手をついてアゼムがゆっくりと身体を起こす。その腰に手を回して支えて、そしてエメトセルクは息を飲んだ。
重たく水を吸ったローブが彼女の肌に張り付いて、エメトセルクとは違う薄くまろい身体の輪郭を浮かび上がらせている。ゆったりとした揃いのローブで隠されていたはずのその肩の薄さを、女性らしいふくらみを、細い腰を。それがエメトセルクの上に乗り上げて、熱で頬を赤らめながら助けを求めるように、ほんの少し潤んだ瞳でエメトセルクを見上げている。
「……頭は打っていないか」
「顎は打った!」
「元気そうだな、お前は……」
はぁ、と息を吐く。どうか、いつもどおりの溜息に聞こえてほしいと願う。それが込み上げてきそうな欲を逃がすためのものだと、気付いてくれるな、と祈りながら、エメトセルクはアゼムの頬に濡れて張り付いた髪を指先でどかした。
「タオルを創るからお前は動くな、碌なことが起きない」
「こんだけ濡れたらタオルじゃどうにもならないよ~」
「お前のじゃない」
「……? 君まだお風呂タイムだよね。もう上がるの?」
ぐ、とエメトセルクは黙り込んだ。この女、そういった性差に関する教育をどっかに投げ捨ててきたのか。少しは異性の裸体に乗り上げているという状況を理解してくれ、それとも、それほどまでに友人としてしか見られていないのか。
ぐるぐると思考が渦巻いて、また溜息が漏れる。そうしていると、ふとアゼムがぺたりとエメトセルクの胸を両手で触った。
「おい」
「大きい……」
「今度こそパシュタロットに突き出すぞ」
「いや、君ちゃんと鍛えている身体だなって。揉んで良い?」
「もう揉んでいるだろう、揉むな、いい加減にしろよ本当に」
手首を掴んで離させれば、ええ、とアゼムが不満げにエメトセルクを見る。
濡れて身体の輪郭を浮かび上がらせたアゼムの両手首を捕まえている、この状況に。じわり、じわりと欲が滲む。やめろ、余計なことを考えるな、私はエメトセルクだ、と言い聞かせながらそっとその細い手首を手放せば、アゼムはもう一度立ち上がろうともぞりと動き出す。
「ローブが重たい、靴脱がないと立てないかも」
どうにか立とうとして、エメトセルクに乗り上げた状態で身体を揺らしながら困った顔をして。力を入れようとしているのか、んっ、と小さな声が赤い唇が漏れた。
「いい加減に、しろ……っ!」
ぱちん、とエメトセルクが指を鳴らす。その瞬間アゼムの身体がエーテルにほどけ、そしてリビングのほうから「んぎょわっ」と可愛らしさのかけらもない悲鳴が聞こえてくる。リビングが濡れてしまうのはもう後で何とかする。彼女もきっと濡れた服を着替えるぐらいの脳はあるだろう。
はぁぁぁぁ、と長く長く息を吐く。アゼムのローブで隠されていた欲が目に入って、頭を抱えたくなる。あの状況で手を出さなかったのは、ひとえに何よりも大切に大切に思っているからなのだと、どうすれば分かってもらえるのだろう。いや、その感情のひとかけらでも伝わってしまっていれば、そもそもああいった状況になるわけがない。
ひとまずこのどうしようもない哀れな欲をどうにかしよう。そうすれば少しは頭が整理できるかもしれない。ひっそりと防音の魔法をかけて、その間に彼女が自宅にでも帰ってくれることを願い、罪悪感をスパイスにエメトセルクは手を伸ばした。
その後、風呂から出てリビングに向かい、エメトセルクの寝間着を勝手に拝借してソファーで眠りこけているアゼムを見つけたエメトセルクは、頭を抱えてふざけるな、と怒鳴りたい感情をどうにか飲み込むことになるのだが、まだ知らない。
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