しくるの納戸
2024-10-06 12:00:54
5191文字
Public レグリ
 

とうめいのみちを辿る

レグリ/HGSS、再会後
においは時に言葉より雄弁な便りになる。


 おおきな海のうえを飛んでいく。
 リザードンの橙の翼の後ろから、藍色が朝日に煌めいて眩しい。
 トクサネシティから飛び立ってしばらくはホエルオーのと追いかけっこしていたけれど、進んでいくにつれて、徐々に波間から顔をだすポケモンは変化していった。
 サメハダーやキャモメの姿が完全に見えなくなって、マンタインやドククラゲの姿ばかりになるとカントーが近くなった実感がレッドの胸に湧く。
 逸る心を、帽子を深く被りなおすことで抑えて、それからリザードンの首も撫でて宥めた。久しぶりの故郷に、彼も興奮しているのは尻尾の火加減でよく分かる。
 レッドが博士からポケモンの生態調査の依頼を受けてホウエンへと旅立ったのは、半年も前のことだ。
 本当は三ヶ月で終わる予定だったのだが、旅にはトラブルが付き物で、あれやこれやに巻き込まれたり巻き込んだり、あるいは迷ったりひみつきち造りにのめり込んでいる間に、半年が経ってしまった。勿論、旅の期間が伸びそうだと思った時点で博士や母に報告済で、その後も定期的に状況報告を兼ねた連絡を入れていたけれど。
 うっかりしたせいで二度と母さんにあんな顔をさせたくないし、ナナミさんに怒られたくないし、グリーンを寂しがらせたくない。
 脳裏に次々浮かぶ顔ぶれに、レッドはリュックの中に詰めたホウエン土産を思う。
 飛び続ければ、やがて地平線から陸の姿が見えてきた。
 その真ん中の小さな街、マサラタウンを見つけてすぐさま高度を落とした賢い相棒の背を、レッドは二回、軽く叩く。
「ごめん、トキワまでお願い」
 レッドの言葉に小さな咆哮で返したリザードンは、降下角度を少し緩めた。
 急な路線変更のせいで高度ギリギリの状態で森の上を通ることになり、大きな影に驚いたポッポ達が一斉に飛び立つ。通りすがりに一応謝罪はしたが、聞こえているかは不明だ。
 森を抜け、リザードンは街を騒がせないように、また、背中の主人を揺らさないようにと静かに降り立つ。その背からレッドも飛び降り、半年ぶりにカントーの土を踏んだ。
「おつかれさま」
 かなりの長飛行を無事に遂げてくれた背中をひと撫ですると、甘えたな相棒はするりとレッドの頬に擦り寄り、赤い光とともにボールの中へ帰っていく。
 ちょうど一番道路の出口付近に降り立ったレッドは、前方に鎮座するトキワジムに向かって歩みを進めた。
 既に日暮れも近いせいだろうか、街に人はまばらだ。
 さっき逃してしまったせいで、ポッポの声ひとつも聞こえない。
 いつもならこのタイミングで外に飛び出してくるピカチュウも、旅の疲れでボールの中に落ち着いているので、愛嬌のある鳴き声すら無く静かであった。
 思いつきのままにトキワシティまで来てしまったが、もしかしたらもう帰ってしまったかもしれない。あるいは、またジムを抜け出しているかも。
 急に不安になったレッドは首を伸ばしてジムの中を見透そうとしたが、その不安はすぐに杞憂となる。
 建物内から、見知ったトレーナーが出てきたからだ。
……レッドさん?」
 白いキャスケット帽子と、オーバーオール、二つに結いた元気な髪型。
 足元には小さなマリル。
「コトネ!」
「レッドさんだー!」
 レッドの姿を視界に入れた少女は、髪先を元気に跳ねさせながらレッドの元へ駆け寄ってくる。
 かなり遠慮のない速度のダッシュだが、足元のマリルは難なく着いてくるので、普段からこの勢いなのかもしれない。
「お久しぶりですね、今回はどちらへ?」
「ホウエン。コトネは? グリーンバッチもらえた?」
 確か前回会ったときは、まだレインボーバッチを手に入れたばかりだったような気がする、とレッドは己の記憶を探る。彼女の幼馴染みの爆進劇を思い出したが、レッドが訊いた途端に表情が渋くなったので、結果は答えを聞く前に分かってしまった。
……ダメでした」
「まぁ、ここは強いからね」
「でも、グリーンさん以外には勝てたので! 次こそはグリーンさんにも勝てるハズです!」
 悲壮な顔つきから一変、やる気が満ち満ちた様子でこぶしを握るコトネは、次の瞬間また表情を変えた。
 きらきらと大きな目を輝かせた顔に。
「で、レッドさん、ホウエンに行かれたということは……
「うん。買ってきたよ、おみやげ」
 ジョウトには明日いく予定だったんだけどね、と付け加えて、レッドはパンパンに膨らんだリュックからヒノアラシ、チコリータ、ワニノコのぬいぐるみと、それから『フエンせんべい』と書かれた渋い箱を取り出した。
 手に余るほどのおみやげを受け取って、コトネは満足げな笑みを浮かべる。
「やったー!」
「これできみたち三人分だから、仲良く分けてね」
 それから、食べるときはきみたちだけでこっそりだよ。レッドが声を潜めれば、コトネもひそひそ声でラジャー、と返した。
 直後、ポップな着信音がコトネのポケギアから鳴り響く。
「ヒビキくんからだ!」
「またね、ヒビキたちによろしく」
「はぁーい!」
 ポケギアを耳に傾けながら手を振るコトネに背を向けて、レッドは再びジムへと足を進めた。
 グリーンが中にいることがわかった今、心を満たすのは早く会いたい気持ちだけだ。普段なら迂回する建物前の段差も、じれったいと両腕だけでよじ登ってしまう。
 負の象徴から世間のイメージを明るく塗り替えて久しい建物の前に立てば、大きなガラス扉越しに一番近くのトレーナーと目が合った。
 快活な笑顔を向けた彼によってすぐに扉は開かれて、レッドは仰々しい礼とともに動く床の前へとエスコートされる。
 一番奥には、堂々たる笑みを纏った青年。
 
「よくきたな挑戦者! ……って、レッドじゃん」
 
 カントー最後のジムに相応しい威圧は、レッドの姿を見とめた瞬間ふっと崩れた。
「やぁ、グリーン」
 元々彼からのプレッシャーには慣れっこのレッドは、何も気にすることなく片手を挙げる。
 完全にジムリーダーモードを解除したグリーンは、近くにいた女性トレーナーをアキエと呼んで、彼女に床の仕掛けを解除させた。
 それから、レッドのすぐ後ろにいた男性トレーナーにも命令を飛ばす。
「ヤスタカ、今日はもう終わりにするぜ」
「珍しく定時に来てくれたと思ったのになぁ」
 苦笑しながらも、ヤスタカは大人しく『本日受付終了』と書かれた張り紙を持って表へ出ていく。
 気まぐれにも程があるが、トキワジムは挑戦資格すら得るのが厳しいカントー最難関ジムなので、これくらい傲慢な方がむしろ箔がつくのかもしれない。
 レッドは一人で納得すると、ヤスタカの背中に軽い会釈をして、玉座へと一直線に向かった。
「よぉレッド、ホウエンはどうだった?」
「このジムのしかけが出来るマット見つけた」
……相変わらずズレてるよな」
 まあいいや、とこちらもレッドのマイペースさに慣れっこであるグリーンは、ジムの奥から繋がる執務室を顎で指す。
「反省会だけするから先入ってろ」
「うん」
 レッドとしては、話さえ出来れば立ち話でも充分なのだが、グリーンとしては自分の職場で幼馴染と身内話をするのは避けたいようだ。相変わらずの見栄っ張りだな、とレッドは笑いを噛みころしながら従った。
 几帳面に整えられた執務室は、全ジム統一なだけあってシンプルな調度品で揃えられている。
 しかし、よく見れば据付シンクの端っこに個性様々なマグカップたちが置いてあったり、ポケモン用のおやつの隣に、グリーンの好きなお菓子も用意されているので、必要以上の無機質さは感じさせなかった。
 何度か部屋に通されたことのあるレッドは、勝手知った様子でマグカップの中から自分の──より正確に言えばグリーンが自分用に用意してくれた──黒地に赤い線が引かれたマグカップにココアを注いで、ソファに深く掛ける。
 扉越しに漏れ聞こえるグリーンの声がやがて止んで、次に威勢の良い「お疲れ様でした」の合唱が耳に届いた。
 すこし待って、扉の開く音。
「待たせたな」
「いや、勝手に来たのはぼくだからね」
「そりゃそうだ、ちゃんとアポ取れよ」
「忘れちゃうんだよ」
 レッドと軽口を交わしながらも、グリーンは業務用タブレットにスムーズに何かを打ち込んで、それから自分のコーヒーを注ぐ。マグカップはレッドのものと同じシリーズで、こちらはオフホワイトベースにビリジアンのラインが入っている色違いだ。
 レッドが座る位置を右にずらすと、空いたスペースに腰掛けてグリーンはコーヒーをすする。
 その横顔からは、バトルスペースで向かい合った時のようなニヒルな笑みはすっかり消えていた。
 自由奔放にジムリーダーをやっているようで、これでも仕事中は気を張っているらしい。あー、とくたびれた声を上げて片腕へ預けれらた重みに、レッドは無意識に頬を緩めた。
「おつかれ」
「そっちもな。じいさんに図鑑渡した?」
「まだ。真っ先にここ来たから」
「おいおい……あんま待たすなよ? あれでも忙しいんだからさ」
「すごく知ってるよ……わるいとも思ってる」
 オーキド博士といえばレッドが幼い頃からポケモン研究の権威として有名人であったが、最近はラジオパーソナリティなど、活躍の幅をますます広げてより忙しそうにしている。
 だから本来なら、カントーに戻った時点で最初に向かうべくは研究所の筈で、賢い相棒もその通りにマサラタウンでレッドを降ろそうとしたのだが。
「海がさ、すごくきれいだったんだ」
「ああ、ホウエンだもんな」
「伝説のポケモンが棲んでるって言われてもうなずけるくらいきれいな蒼の海に、見たことのないポケモンが泳いでるんだ。海だけじゃなくって陸にも空にもいっぱいいて、街のありかたも、カントーやジョウトとは全然ちがう」
 ルネシティって知ってる? ポケモンの力を借りて、海の底まで潜らないと行けない街なんけどね……一度言葉を止めて、レッドはグリーンに視線を向ける。肩に寄りかかって見上げるような姿勢だったから、グリーンからは帽子の中の表情がよくみえた。
「リザードンに乗ってるあいだ、こういうの全部、おまえに話したくてしかたなかった」
 きゅ、と細められた目と釣り上がった口元。
 新しいもの、ワクワクするものを見つけた時、レッドは昔から必ずこの顔を携えてグリーンを探すのだ。
……ふーん」
 グリーンは唇を尖らせて、睫毛を伏せた。照れている時によくする表情だと、レッドは知っている。
「ま、オレさまを最優先にしたのは褒めてやるよ」 
 分かりにくいのがわかりやすい幼馴染みの癖にレッドが笑いを零すと、グリーンは帽子を奪い取って自分の顔を覆うように被ってしまった。そうするとレッドからは彼の表情を、耳の赤さから推測することしか出来なくなる。
……さっさとじいさんのとこ行ってこい」
「うん」
「それで、終わったらここに戻れ。裏口開けておくから」
「うん」
「冷蔵庫、二人分はねーから買い物付き合えよ。鍋でいいか? レッドくんが喋りたくて喋りたくてしょうがない旅の土産は、食べながら聞いてやる」
……うん、ありがとう」
 レッドが立ち上がる動きに合わせてするりと重みが抜け出して、肩をすこし寂しくさせた。
 リュックを背負い直した頃には平常を取り繕い終えたグリーンが、ソファに座ったまま、帽子を返そうと腕を伸ばす。
 その手首を捕まえると、レッドを見上げる瞳が大きく瞬いた。あどけなさを覗かせる表情にぐっと顔を寄せれば、状況整理の早い幼馴染みはすかさず自由な腕をレッドの後頭部に差し入れて、何も言わずとも目を閉じた。
 鼻先がこすれる。
 お気に入りの香水と、みどりの匂い。
 触れたくちびるは苦かったが、自分の口を舌で拭うと、ココアの後味と混ざっておいしくなった。
 レッドは片手に置き去りになった帽子を取り、今度は自分からグリーンの頭に乗せた。
「いってきます」
 今度こそ振り返らず、レッドは裏口からジムを出る。
 夜の風が、濃くみどりの匂いを運んだ。
 
 
 鉄扉の閉ざされる音が、執務室にこだまする。
「ったく、静かに閉めろよなー」
 取り繕う必要がない為に頬を染められたままにして、グリーンは帽子を外した。
 照明の下に翳すと、半年前には見覚えのなかった泥汚れとほつれが増えている。
……なぁにやってたんだか」
 きっとその謎もレッドの話で分かるのだろう。
 馬鹿だなぁ、鍋をつつきながら笑い飛ばす準備は出来ている。
 グリーンは吐息だけで笑って、手もとに戻した帽子の天に口付けた。
 汗臭さに溶け込むように、異国の潮風の香りがした。